6月はこれ・・・さくらんぼ狩り③「会津藩校 日新館」 [2018・6月さくらんぼ隊狩り 定番の福島&山形]
宿のチェックイン時刻は15時。時間に合わせて向かいたかったから、一か所だけ観光していきます。
途中に「會津藩校 日新館」への矢印を見て、一度は寄ってみましょうという事に。数多く来ている会津なのに、日新館は訪問していなかったのです。
幕末の白虎隊の学び舎として、会津藩の教育の重要な役割を担った教育機関です。かつては鶴ヶ城に隣接する形であったものの、現在は今の地で観光名所となっているのです。
日新館創設より更にさかのぼること・・・寛文4年、国内では初となる庶民のための学問所「稽古堂」が民間により開校。会津藩初代藩主 保科正之は大いに学問を奨励しました。
その後の天明の大飢饉など、様々な経緯を経てのち・・・五年の歳月を費やして享和3(1803)年、文武の両教科を教授する総合学校「日新館」が完成しました。
「戟門(げきもん)」から北側を臨むと、中庭の先に「大成殿」が見えます。
戟門と、大成殿の屋根にあがった・・・一際目を惹く、この飾り、二本の脚と角を持ち、頭が龍で体と尾が魚・・・との像は「鬼犾頭(きぎんとう」と言うものらしい。その前方に鎮座する狛犬のような形も初めて・・・猿のような?猫のような?魔除けの役割を果たす、架空の動物らしいです。
儒教の祖である孔子を祀った建物「大成殿」前を流れる水路も。この流れの先は「水練水馬池」へと続くのでしょうか。
内部の「孔子像」は当然撮ったはずなのにありません。そこで他所からお借りして参りました。
「日進館」と言えば・・・大河でも度々登場した「什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この場所を訪れるのは一般の観光客もながら、ほとんどを占めるのは修学旅行生だそう。特に6月に集中するとか。
大学内の一室で、担当のお兄さんが説明して下さいました。
立派な庭園を眺めたり、他にも興味深い逸話の数々を伺いました。
戊辰戦争で焼失してしまった「日新館」でしたが、再現出来た理由のひとつとして明治期、元の「日新館」の正確な図面が存在した。その時代であれば、日新館を知る人物もまだ多数生きていたから、正確な面積、大きさ、寸法もわかっていたからでした。
江戸時代の藩校に関心を払う必要はないとする時代はあったものの、貴重な歴史、会津の精神文化を見直し、後世に伝えようと言った気運が高まって…昭和62年に完全復元されたのでした。
会津藩松平家を語る上で避けられない史実に、明治維新期の「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」があります。
鶴ヶ城を舞台とした新政府軍との激戦の末、敗れた会津藩は廃藩となり、多くの藩士が謹慎処分の身となりました。
領地を没収された会津藩ながら、明治2年(1869年)「斗南藩」としての再興が許され、新潟より海路をたどって青森県下北半島(現 大湊新町)へ上陸。
斗南藩移住の経路を後世に伝えるため平成2年、建てられた「斗南藩士上陸の地」の記念碑は鶴ヶ城の石垣と同じもので、会津若松市を望む方向に設置されたのだそう。下北を旅した際、私も観て参りましたけれど。。
斗南藩は、現在の青森県むつ市を中心とした地域。この縁を契機に昭和59年「鶴ヶ城の築城600年」と「むつ市市制25周年」を記念して、むつ市と会津若松市は姉妹都市となりました。
「むつ市の方々が会津をリスペクトし、訪問される事はあります」と。
最後に、女優 綾瀬はるかさんも何度も訪問されているでしょう。やはり、お綺麗でしたか?・・・って伺ったら、「はい、それは勿論!会津へ彼女は8回も足を運んでいますから。」って、嬉しそうな顔。
弓道場での弓道体験、赤べこ、起き上がり小法師の色づけなど、体験ものはやはり人気があるようです。
最後は天文台から・・・
会津の街も望む。
冬至には、ここで天体を観測し暦を作ったと言われています。他藩の藩校で天文台を持っていたのは薩摩の造士館、水戸の弘道館だけだったそう。
復元されたものではありましたが、学校施設の復元により藩校で学ぶ子供たちに当時の武家の暮らし、江戸時代の水練場=池など貴重な場もあり。教育風景を実感する事が出来ました。
形をとどめない程破壊されつくした会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」も、昭和40年に再建されています。そちらへは大昔、まだ幼かった息子、父・母と皆で訪問済み。それ以降は行っておりませんけれどね。。
途中に「會津藩校 日新館」への矢印を見て、一度は寄ってみましょうという事に。数多く来ている会津なのに、日新館は訪問していなかったのです。
幕末の白虎隊の学び舎として、会津藩の教育の重要な役割を担った教育機関です。かつては鶴ヶ城に隣接する形であったものの、現在は今の地で観光名所となっているのです。
日新館創設より更にさかのぼること・・・寛文4年、国内では初となる庶民のための学問所「稽古堂」が民間により開校。会津藩初代藩主 保科正之は大いに学問を奨励しました。
その後の天明の大飢饉など、様々な経緯を経てのち・・・五年の歳月を費やして享和3(1803)年、文武の両教科を教授する総合学校「日新館」が完成しました。
「戟門(げきもん)」から北側を臨むと、中庭の先に「大成殿」が見えます。
戟門と、大成殿の屋根にあがった・・・一際目を惹く、この飾り、二本の脚と角を持ち、頭が龍で体と尾が魚・・・との像は「鬼犾頭(きぎんとう」と言うものらしい。その前方に鎮座する狛犬のような形も初めて・・・猿のような?猫のような?魔除けの役割を果たす、架空の動物らしいです。
儒教の祖である孔子を祀った建物「大成殿」前を流れる水路も。この流れの先は「水練水馬池」へと続くのでしょうか。
内部の「孔子像」は当然撮ったはずなのにありません。そこで他所からお借りして参りました。
「日進館」と言えば・・・大河でも度々登場した「什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです)」
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この場所を訪れるのは一般の観光客もながら、ほとんどを占めるのは修学旅行生だそう。特に6月に集中するとか。
大学内の一室で、担当のお兄さんが説明して下さいました。
立派な庭園を眺めたり、他にも興味深い逸話の数々を伺いました。
戊辰戦争で焼失してしまった「日新館」でしたが、再現出来た理由のひとつとして明治期、元の「日新館」の正確な図面が存在した。その時代であれば、日新館を知る人物もまだ多数生きていたから、正確な面積、大きさ、寸法もわかっていたからでした。
江戸時代の藩校に関心を払う必要はないとする時代はあったものの、貴重な歴史、会津の精神文化を見直し、後世に伝えようと言った気運が高まって…昭和62年に完全復元されたのでした。
会津藩松平家を語る上で避けられない史実に、明治維新期の「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」があります。
鶴ヶ城を舞台とした新政府軍との激戦の末、敗れた会津藩は廃藩となり、多くの藩士が謹慎処分の身となりました。
領地を没収された会津藩ながら、明治2年(1869年)「斗南藩」としての再興が許され、新潟より海路をたどって青森県下北半島(現 大湊新町)へ上陸。
斗南藩移住の経路を後世に伝えるため平成2年、建てられた「斗南藩士上陸の地」の記念碑は鶴ヶ城の石垣と同じもので、会津若松市を望む方向に設置されたのだそう。下北を旅した際、私も観て参りましたけれど。。
斗南藩は、現在の青森県むつ市を中心とした地域。この縁を契機に昭和59年「鶴ヶ城の築城600年」と「むつ市市制25周年」を記念して、むつ市と会津若松市は姉妹都市となりました。
「むつ市の方々が会津をリスペクトし、訪問される事はあります」と。
最後に、女優 綾瀬はるかさんも何度も訪問されているでしょう。やはり、お綺麗でしたか?・・・って伺ったら、「はい、それは勿論!会津へ彼女は8回も足を運んでいますから。」って、嬉しそうな顔。
弓道場での弓道体験、赤べこ、起き上がり小法師の色づけなど、体験ものはやはり人気があるようです。
最後は天文台から・・・
会津の街も望む。
冬至には、ここで天体を観測し暦を作ったと言われています。他藩の藩校で天文台を持っていたのは薩摩の造士館、水戸の弘道館だけだったそう。
復元されたものではありましたが、学校施設の復元により藩校で学ぶ子供たちに当時の武家の暮らし、江戸時代の水練場=池など貴重な場もあり。教育風景を実感する事が出来ました。
形をとどめない程破壊されつくした会津若松市のシンボル「鶴ヶ城」も、昭和40年に再建されています。そちらへは大昔、まだ幼かった息子、父・母と皆で訪問済み。それ以降は行っておりませんけれどね。。
威風堂々たる佇まい。まさしく、「復元の価値あり」の歴史的建造物ですね。わたしは武士道や剣豪にはずっと強く興味がありまして、とは言え、封建的雰囲気には馴染めないのですが、武士の精神の芯と言いますか、エッセンスに対する興味は強くあります。求道的雰囲気が好きなのです。
綾瀬はるかは律儀な人のイメージ通りの行動ですね。龍馬役をやった福山雅治がしょっちゅう高知へ来てたなんてことはなかったと思いますが(笑)。まあ、あのドラマは観てなかったので、何とも言えませんが。
オリビア・ハッセイが大スター扱いされていたのはおそらく日本だけではないかと。映画誌に載ってた写真がいつも表情に乏しかった印象が強いです。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2018-07-02 01:14)
屋根に狛犬が?や~ね~(゚□゚)
by 英ちゃん (2018-07-02 03:08)
末尾ルコ(アルベール)さんへ
おはようございます。
昭和の時代とはいえ、建物を造るこれだけ太い材木が入手出来たのも福島県ならではと考えます。
他人へ思いやりを持ち、自身の欲に対する規律、人として恥ずかしくない生き方をせんとする概念、精神性を尊ぶ。貧しくも優れた人間性を持たなければならないとする・・・と様々あるものの、自分自身の欲望のままに生きる、我が子でさえ放っておくと言った無責任な行動が目立つ現代人が学ぶべきものは多そうです。
>龍馬役をやった福山雅治がしょっちゅう高知へ来てたなんてことはなかったと思いますが(笑)
結婚した途端にあらばかり目立ち、それ以前の反動が出てしまっている福山らしいと言えば、納得の思いです。
フランコ・ゼフィレッリ監督が母国イタリアを舞台に撮ったシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。
まだ十代の若さで主演したオリビア・ハッセーは、日本人に親しみやすい容姿でたちまち人気に。雑誌「スクリーン」の上位にランキングされていました。
日本では「復活の日」で、草刈正雄と共演を。顔がいいだけでちゃらちゃらしたイメージの草刈正雄が、今日まで俳優として生き残ってきたのは彼の努力、運もあったでしょうけれど、大したものと思います。
「マザー・テレサ」には美智子皇后も臨席をされて、チョッと話題になりました。
「ロミジュリ」の相手役の方はあれ一本きりでしたもの、彼女の場合はまだ幸運であったかと思われます。
英ちゃんさんへ
おはようございます。
よーく眺めたら、狛犬さんよりもや~ね~な、でも可愛く見えなくもない・・・シュールな動物がにらみをきかせているのです(--;)
by hana2018 (2018-07-02 08:25)
頭が龍で体と尾が魚?? 不思議な像ですねぇ。
前方の狛犬チックのも、肩?から背中のラインに迫力が(@_@)
順路と右に矢印が出てる看板を前にしたら、この先の正面には
行ってはいけないの??とか、きっと私ならまごまごしちゃいそうな、
そんな看板ですねぇ(^^;
by まつき (2018-07-02 11:23)
まつきさんへ
屋根の上の守護神たち、どちらも初めての、不思議なもの達。
こういうのを見てしまうと、世の中にはまだまだ未知のものがある!って思ってしまうものです。
復元をされた建造物、その上今は民間委託だそうで、緩やかな雰囲気が漂っておりました。でも一度は行ってみて良かった!と思えましたよ。
昨日行ったスーパーで沖縄物産展開催中ながら、叔母様からの沖縄土産シマスコは見当たらず、残念ながら味わうのは叶わず^^;
by hana2018 (2018-07-02 12:23)
隣県なのに日新館は行ったことがありません。立派な施設なんですね。
by れもん (2018-07-02 15:54)
面白い飾りがありますね~
体験物は人気があるのですね~いいなぁ
by とまと (2018-07-02 22:11)
れもんさんへ
会津は、我が街からホントにすぐ。何時でも行けるところって、意外に行っていないところがあるものですね。
司馬遼太郎原作「坂の上の雲」での、秋山兄弟、正岡子規が泳いでいた当時のプール=池の撮影はここでされたとの事でした。
by hana2018 (2018-07-02 22:15)
とまとさんへ
鯱と同じような役割り、魔除けなのでしょうけれど。珍しいものですね。
実際してみるって、大人でも楽しいものです^^
by hana2018 (2018-07-02 22:18)
キマイラのような空想上の動物なのでしょうか?
by サンダーソニア (2018-07-03 10:55)
サンダーソニアさんへ
「キマイラ」がわからず、グーグル先生のところで調べてしまいました。
幾つかの動物が組み合わされた、架空の生き物。建物を守るには、それくらいのパワーが必要って事なのでしょう。
by hana2018 (2018-07-03 13:03)