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「母の日」によせて・・・ [母の事]

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今月9日は、「母の日」でした。二週間近く経ってしまいましたけれど(=_=;)

年齢による痴呆の症状が出始めてから、ほぼ一年。
昨年8月の入院、そして施設への入所。入所後も、昨年中はまだ良かったのです。コロナウィルスによるクラスター発生の危険性より、この一月から面会禁止となり。
PC画面を通じてのリモート面会のみが二週間に一度、それも15分足らずと、厳しい制限下におかれてしまっています。

そんなリモートでの面会に際しても、名前を呼ばれたときのパッとした笑顔、見当違いな事を言ってしまった後に、自分でも気づいて「間違っちゃった」と照れて口に手を当てる仕草。・・・そんな表情、そうした面をもっていたのかと改めて認識させられます。すでに88歳のお婆ちゃんなのにそれが可愛らしくて、切なくて、胸が苦しくなる程。
そしてリモート面会後は毎回気のすむまで、脚が疲れるまで、私達を探し求めていると聞きます[たらーっ(汗)]

二十歳チョッとの若さで私を生んだ母、今の自分から見ても母の子育ては未熟で、痛々しいものであったと想像されてならない。
父と一緒になる前、30年以上前に亡くなった私にとってはお婆ちゃん=母の母が何でもやってくれたから、ご飯を炊いた事さえなかったと話していました。
それなのに私達子供からしたらお料理上手で、綺麗好きで何でも出来た母。
私が子供の頃の自宅へは親戚、父の友人が頻繁に遊びに来ていた。その度に素早く手際よく、当然のように食事を出す、お酒の用意でもてなす。・・・そんな人でした。

お母さんて特に言葉にはしないけど、子供の好きなご飯・おかずを作ってくれる。自分より子供たちに美味しいものを、おかずも多く食べさせてくれたりと、そういう事を自然にしてくれものなのだと。
子供がそれに気づくのは時間がかかるものね。 だけど自分自身が母になり、孫をもつ身になった現在、同じ事をしているのではと思えてならない。

昭和初期に生まれ、子供時代は第二次世界大戦中であった。戦後10年足らずで結婚、子供を二人もち・・・家族を思いひたすら働き懸命に生きてきた・・・ただのひとりの女性でした。
母の人生なんて、これ程短い言葉で語りきれてしまうものながら、その生き方は私達、あとを受けついだ孫たちの中にだって息づいていると感じられます。

隔週のリモート面会の日、埼玉から車を飛ばして来る弟からのオヤツの差し入れは、毎回山のよう。「きっとお母さんは、施設で一番のオヤツ大尽よ!」が、我が口癖となっています。
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これは、その内のホンの一部。他に果物やら、高級和菓子やら・・・。
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私からの、甘納豆詰め合わせ。初孫である息子からは「婆ちゃんに食べさせて」と、湘南ゴールドゼリー、千葉・勝浦の「鯛せんべい」が。

しかし一番喜んで、何時までも楽しめる・・・それは、私達が撮った、または一緒に写っている写真を集めたアルバムたち。
二月の「米寿」の時。近所のお婆ちゃんが子供、孫達に囲まれ盛大に祝ってもらった( ^ω^)・・・その話を聞いて、「私もそうしてもらいたいな♪」と言っていたそう、、弟の事だものコロナさえなければ、その願いはきっと叶ったはずであったのだ。
面会さえ困難な状況下で、「米寿」のお祝いの席が無理であったから、せめてもの心づくしで大型色紙に、ひ孫のこっちゃんも含めた家族全員のメッセージ。写真の数々と編集して渡してもらいましたら、「毎日飽きずに眺め続けていますよ」と施設の方から伺いました。
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この後も、数冊追加で作成済みです。写真の中の母は、どれも嬉し気な笑顔を見せてる(*^_^*)
今年の「母の日」のプレゼントは、とてもささやかな形で終わりました。プレゼントなんかよりも、面と向かって「ありがとう」の言葉が一番なのは十分理解しています。
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