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「旅立ちの時〜Asian Dream Song〜」 [音楽]

「長野パラリンピック冬季競技大会」は、1998年(平成10年)3月5日~14日までの10日間。32か国、参加選手571人で開催されました。

アジア初の冬季パラリンピック開催国になった事より、開閉会式もテレビ中継され、流れたテーマソングがこの曲でした。

作曲:久石 譲 作詞:ドリアン助川 歌:宮沢和史
宮沢和史(THE BOOM)歌う
「 君の瞳に 花開く 夢をかなでる心~」
・・・で始まる、歌声を耳にした時の感動!
音楽について全く知識のない私でも、久石氏のピアノ、曲間に入るドラム、二胡の演奏、転じてからのソロ歌唱へ重なるコーラスと。

オリンピックの開会式については忘れてしまっているに関わらず。
25年も前に作られたとはいえ、合唱曲として今なおり歌い継がれている。色褪せない名曲であるのは納得です。
 
そして本日はどうしても忘れられない、3月11日「東日本大震災」の日でもあります。
震源地から遠く離れた我が家でさえ、頻繁な余震の怖さ、寒さに震えながら過ごした夜の長かったこと。
一番の心配であったのは実家にひとりきりの母、孫娘ヒメがお腹にいたママと。ようやくお互い連絡がとれたのは翌朝になってからでした。
その後も電気が使えない、ガソリン不足等、混乱したあの数日間。
しかし被災地の方々、津波で亡くなられた人々と、ご家族の無念さは到底比較になどなるはずもなく・・・。
12年の月日を経ても忘れられない記憶や、戻れない自宅。
身近な家族が戻らない状況、心境へ心をはせると、胸が締めつけられます。後悔の念は限りなく深く、大きく、終わりなく続くであろうとの思いしかありません。
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コメント 12

英ちゃん

東日本大震災は、忘れちゃいけない出来事ですね。
しかし私は同年に母を亡くしてるのでそっちのショックも大きいです。
by 英ちゃん (2023-03-11 23:49) 

hana2023

英ちゃんさんへ
2011年はお母様を亡くされた年でしたか。まだお若かったでしょうに、残念です。
月日の経過とともに忘れていい事もありますが、どうしても忘れらない‥・と言うのも大切ですね。
by hana2023 (2023-03-12 00:36) 

tarou

お早うございます、桜咲く長谷寺にコメントを
有難うございました。
2023年も期間限定で特別拝観は有るようです。
https://guide.jr-odekake.net/event/102680
鎌倉・長谷観音の御足参りは、終了している
ようです。
3.11は忘れることは有りません。
by tarou (2023-03-12 08:43) 

末尾ルコ(アルベール)

オリンピックもずっと前は愉しんで観てましたが、各メディアの報道のやり方がすっかり気に入らなくなり、今はまったく観なくなりました。五輪でメダル獲った選手がその後タレントみたいになるのも好きじゃないんです。
3月11日と米国の同時多発テロ事件のことは生涯忘れられません。どちらもリヴィングで母とともにテレビにくぎ付けになりました。そしてどちらも(世界はどうなるんだ)くらいの教授を感じたものです。
3月11日の場合は津波の恐怖、そして原発事故の恐怖ですね。かつて『チャイナシンドローム』という映画で観たことがこの日本で現実になってしまうのではないかという恐怖でした。
現在進行形でトルコ・シリア大地震の大きな被害が続いていますが、その甚大な被害の割には報道など少ないなと、以前から「災害などの際の地域によってのメディアの扱いの違い」をあらためて感じています。

岸井ゆきのの日本アカデミー賞主演女優賞、感激しました。日本アカデミー賞はその性質上、ヘンな選考結果になる場合も少なからずありますから、(無理かなア)と思っていただけに、嬉しさはひとしおでした。 RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2023-03-12 09:52) 

まつき

長野五輪、25年しか経ってないのに覚えてないものですねぇ。
「ふなきぃ~」と開会式の伊藤みどりのヘンテコ衣装くらいしか、
思い出せるものがなかったりしてます(^^;
3.11は忘れる事は出来ませんよね。
by まつき (2023-03-12 10:56) 

ぼんぼちぼちぼち

3.11、日本全国民が、忘れてはならない日でやすね。
亡くなられた方々に、改めて合掌でやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2023-03-12 11:09) 

Boss365

こんにちは。
「旅立ちの時 ~Asian Dream Song~」知らなかったですが・・・
いい曲ですね。二胡の演奏とコーラスのメロディーラインが心地良いです。
どうでもいい話ですが、ボーカルの宮沢和史、中学の後輩です。
3月11日から早12年が経過ですが、今でも鮮明に憶えています。
当時、ボスママは新潟・長岡出張、新幹線が止まり足止め、一人で数日間を過ごしました。
誰もが家族や友人知人の安否を気遣った出来事でした。
また、小生知人の父親が被災し、その後都内で暮らしていましたが・・・
数年前に旅立ちました。大変無念だったようです。
自然災害多い日本(原発事故は人災)ですが・・・
復興を支援して、これから起きる災害に備える事が重要ですね!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2023-03-12 11:30) 

溺愛猫的女人

私の実家は松島、海から5分の所にあるのでテレビで津波が迫りくる映像を見た時は頭が真っ白になりました。松島の島々が津波の威力を軽減してくれ、実家は奇跡的に無事でした。両親と電話で話せるようになったのは1ヵ月後でした。12年経っても隣町はまだ完全復興とは言えないままです。
by 溺愛猫的女人 (2023-03-12 13:44) 

hana2023

tarouさんへ
こんばんは。
歴史上でも稀な大災害、その後の津波被害と、決して忘れてはならない日々であったと思われます。

末尾ルコ(アルベール)さんへ
自国での開催に関わらず時期、競技時刻をなぜ他国へ合わせねばならないのか、そうしてまで利益優先のオリンピックをする意味、選手ファーストでない大会など・・・と言った気持ちをもつのは同じです。
ただハンデキャップをもつ人々のパラリンピックは出場事体も、大きな意味をもつもの。
小さな自治体にすぎない長野で、世界のアスリートが集合した競技大会を、成し遂げた地元の誇らしさにもまた、胸が熱くなる思いがしてなりません。
東日本大震災、それに伴って起きた原発事故で、日本はもう終わるのではの危惧を感じたのは、きっと私だけではなかったものかと。
人は忘れるもの、また自分は大丈夫と言う意味を持たない自信をもって生きているものです。
三陸海岸沿いの町をたびたび襲った地震・大津波、明治、昭和、チリ大地震の際の被害、人々の行動を克明に記録した「三陸海岸大津波」は、作家吉本昭の著書。それなのに多くが、忘れると言う、それも人間なのだから。。
マスコミなどひとつある度、それ一辺倒で同じ繰り返しばかり、人々のテレビ・新聞離れは当然の流れと思われてなりません。家族が集うリビングの真ん中にテレビがドーンなどといった光景は、欧米での一定の文化、教養をもつ家庭では見られない。我が日本も、一日の限られた時間使い方において、そうなりつつありますね。
ジャック・レモン、ジェーン・フォンダ出演の「チャイナ・シンドローム」。日本では真山仁の 中国を舞台にした小説「ベイジン」とありましたが、それが現実となった訳でしたから。
岸井ゆきの、日本アカデミー賞主演女優賞受賞は未鑑賞である私も嬉しくなりました。
ミニシアター系の地味な一作が、大手制作のお涙頂戴系の売れる作品に勝って認められた事ですもの!選考委員の中にまだ良心があったのは、救いとなりました。
by hana2023 (2023-03-12 20:01) 

hana2023

まつきさんへ
>「ふなきぃ~」と開会式の伊藤みどりのヘンテコ衣装
ジャンプ競技の舟木選手、その後の冬季オリンピックでも数多くいるアスリートから選ばれて、開会式でオリンピック旗を捧げ持って行進していましたけど、海外でも尊敬されているみたいです。
伊藤さんは、それ以降のフィギア選手と明らかに異なる体型と容姿、時代を感じさせますね。
大震災は、遠く離れた都内でも多くの帰宅困難者が出る。家族と連絡が取れずにいたなど、決して他人事では済まなかったと思われます。

ぼんぼちぼちぼちさんへ
12年を過ぎた今でさえ、2000人を超える身元不明者。生活が上手くたちいかないと言った問題。原発事故の後始末も、まだまだですから。
by hana2023 (2023-03-12 20:14) 

hana2023

Boss365さんへ
こんばんは。
パラリンピックの閉会式時、真っ白なジャケットを羽織った宮沢さんの「旅立ちの時」の曲が流れた時、思わず聞き入ってしまったものでした。
サスガは久石譲氏です、良い曲作りますよね♪
宮沢さんは山梨の方なのは、知ってはいました。
どうでもいい話ですが・・・と言ったら、息子の学祭での「THE BOOM」を呼んでのコンサートへは、何時も通りに夫、母と三人で参戦を♪ 約二時間ほどだったか、聞かせますね~~♪
スゴーク良くて、たった一度きりでファンになってしまったものでした。
大震災時、自宅より北の那須にいた夫は、ひとりでいた私が心配で、信号が停まった中を必死で帰ってきました。その後の余震の多さから、リビングのガラス製の大きな照明は外して、結局捨ててしまったほど。その日の夜間も全く連絡もとれず、電気がきて明かりが灯ったのも朝方でした。
以前はよく来てくださっていた薔薇少女さんもお父様を震災の直後に亡くされて、とても後悔されて、もっと出来る事があったのではと悔しがっていました。
私達ひとりひとりが記憶にとどめて、忘れない。
その時が来たらの対処方法も考えておく。それに尽きると思われますが、それが、なかなかなのですね~~
by hana2023 (2023-03-12 20:37) 

hana2023

溺愛猫的女人 さんへ
そうでしたか。
数年後になるかしら?松島を旅した折には、震災時の被災された様子の数々を写したパネル展示を目にして、想像以上の状況に驚かされました。
塩釜のお寿司屋さんでもテーブルの上まで水が来たけれど、家なんかまだ良い方で、石巻の被害はずっと大きかったと話されてました。
震源地からの距離の近さ!それまでも仙台はとても身近に感じていた土地だけに、仙台空港の車が流される光景も、衝撃的でした。
仙台、岩沼、亘理、山元‥・と以前はよく足を運んでいただけに、他人事でないです。
by hana2023 (2023-03-12 20:51) 

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