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2024年夏休みは本州最北を巡る・・・⑦小坂鉱山「康楽館」 [2024年8月岩手・青森・秋田・山形]

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3日も雨降りの中での観光であったけれど、一泊目八幡平のペンション「ビーバー」さんママより「雨降りでも屋内観光が可能な施設ですから」と。お勧めをされた芝居小屋「康楽館」へ立ち寄りします。
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秋田県鹿角郡小坂町に建つ「小坂鉱山事務所」、敷地内の建物たち。
1905年小坂鉱山の事務所として建設。ルネサンス様式の外観を残す建物は、1997年まで事務所として使われたが・・・小坂製錬の工場増築に伴い解体され、小坂町に譲渡されました。
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小坂鉱山の歴史は、金、銀の鉱山として開発が始まる1861年(文久元年)までさかのぼる。1869年(明治2年)には盛岡(南部)藩直営から、明治政府官営施設となり、1884年には藤田組(当時)に払い下げられた。
本館は「小坂鉱山」を経営していた藤田組によって建てられたもので、棟札により明治43年(1910年)の建築であるのが判明しているそうです。
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「康楽館(こうらくかん)」は芝居小屋でありながら。12月から3月の舞台が空いている場合に限り、施設見学が出来るのでした。ガイド開始時間に間に合いました。
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正面部分はアメリカ木造ゴシック風でありつつも、入館してみれば、華やかなスポットライトに浮かぶステージ、対面する観客席は畳敷きである・・・など、芝居小屋そのものでした[exclamation] 他の芝居小屋を知らないですが…。
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舞台の延長として重要な演技が行われる場所、江戸時代の芝居小屋の様式を取り入れた「本花道(ほんはなみち)」。舞台に向かって右側に設けられた、同じく江戸時代の典型的な様式「仮花道」。
舞台中央の円形に切った部分「奈落(ならく:舞台の床下)」、「ろくろ」仕掛けにより4人の人力で回します。花道の七三に位置して、役者をせり上げる装置「切穴(すっぽん)」と備える。

ステージ奥の1階に大部屋2部屋、2階には個室が5部屋ある。役者が化粧をしたり着替えをする「楽屋」では、壁や戸にこれまで康楽館の舞台を踏んだ役者たちの落書きがそのまま残されていました。
洋館風の外観を持つ一方、桟敷、花道、切穴など典型的な和風芝居小屋の内装で、和洋折衷の造りが特徴で、滑車やロープを用いる手動の廻り舞台を有している。
回り舞台下では手動で舞台を回す体験も出来ます。
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ステージから客席側を眺める。館内天井は洋風の板張り、チューリップ型の電灯は明治時代のものを今でも使用する。
東北に電気が通じていなかった時代でも、国内では二番目となる水力発電所を小坂鉱山が所持していた為、当時としては珍しい電灯の設置された芝居小屋でした。
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芝居小屋「康楽館」は、小坂鉱山の福利厚生施設として開館をし・・・。小坂鉱山の繁栄と鉱山町の都市基盤整備を物語る遺構のひとつとして貴重であり、近代の芝居小屋のうち伝統的な形式を踏襲しつつ、優れた洋風意匠を取り入れた現存最古のものとして歴史的価値の高さを感じます。
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康楽館は一時は解体の危機にも瀕したが・・・
香川県仲多度郡琴平町の「旧金毘羅大芝居」、兵庫県豊岡市の「永楽館」とともに、現存する建物としては日本有数の歴史を持つ劇場である。
窓口の案内の方曰く、「この場所では、小坂町二十祭(成人式)記念式典も開催します」「このスペースで間に合いますか?」と尋ねたら、「全部で5000人くらいですので」
芝居小屋の言葉はピンをくるものではないし、その場所に関心をもつほどではなかったが、結果として観て良かった!! 決めつけるのはよくないと改めて思わされました[ひらめき]

後になって思えば、「康楽館」のみでなく、「鉱山事務所」の外観以外、「郷土館」と3館施設の見学をしてきたら良かった。…と言いつつも、この日は平川市を通って、弘前まで行く予定であったから[ダッシュ(走り出すさま)]
続きますね。
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