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マーティン・スコセッシ監督「沈黙‐サイレンス‐」 [映画・DVD]

映画館へ足を運んだのは久しぶりながら、月曜日「沈黙‐サイレンス」を観てきました。
                               http://chinmoku.jp/
「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「レイジング・ブル」「ディパーテッド」…と人間の狂気、、バイオレンスをテーマにした作品を多く撮ってきた・・・マーティン・スコセッシ。
一時は聖職者を目指したと言う彼には、キリストを主人公にした「最後の誘惑」といった一本もあります。
そして今回遠藤周作原作の「沈黙」を映画化、信仰という重いテーマにまたも挑んだのであった。
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1966年に遠藤周作が書き上げた中編「沈黙」、1988年手にしたスコセッシ。「沈黙」から大きな衝撃を受けて以来ずっと自身の映画化に向けて情熱を注ぎ続けてきた。
遠藤周作の家はカトリックで、旧制中学時代にカトリックの洗礼を受けている。さらに1950年からフランス留学をの経験があり、その留学時に感じた「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」。
遠藤周作が創造したキャラクター「狐狸庵先生」シリーズ等・・・ユーモアたっぷりな随筆を発表するかたわら、自らの宗教は彼にとって永遠のテーマとなりました。
西洋のキリスト教が唱えてきた、キリスト教を唯一正しい宗教であるとする考えは、キリスト教信徒である遠藤にとって大きな矛盾であった。

17世紀、江戸時代初期。「島原の乱」鎮圧間もない日本から・・・。
イエズス会の名高い神学者・クリストヴァン・フェレイラ=リーアム・ニーソンが、幕府のキリシタン弾圧によって棄教したとの知らせが入ります。
それを知った弟子である・・・司祭セバスチャン・ロドリゴ=アンドリュー・ガーフィールと、フランシスコ・ガルペ=アダム・ドライヴァーは、フェレイラ失踪の真偽を確認すべく海を渡ると決心する。
苦難の末、、二人は長崎にたどり着きます。
案内役となったのは、漂流民であり隠れキリシタンでもある、日本人キチジローでした。潜入に成功した二人は隠れキリシタンたちの歓迎を受けて・・・トモギ村での生活がはじまります。
潰れかけた家に住み、貧しさの中に生きる。山沿いの小さな畑で牛馬のように働き、年貢を取りたてられる日々。
生まれた時から決まっている農民たちの一生。 神に救いを求めても、無理はない。
村人と祈り、告解(コイヒサン)を聞き、幼子に洗礼を授ける・・・。日本へ渡った使命感と意味を見出して、ロドリゴは喜びをかみしめるのだが・・・。

まず初めにイチゾウと、塚本晋也扮するモキチ、人質として名乗りを上げたもう一人の男が、海水に浸かった磔の刑で絶命する。
村人モキチ=塚本晋也は、監督、脚本、撮影、主演までこなすマルチな人。台詞の少ない寡黙な役柄ながら、際立った存在感、好演であると思いました。
「沈黙」でのオーディションに際し、役作りの為50kgまで体重を落とす減量をおこない、心身ともにギリギリの状態で挑んだそう。

海中へ投げられた村人を助けようとして、ガルペも死ぬ。クライマックスでも派手な音楽が流れる訳もなく、淡々と進む物語。

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原作において作者・遠藤周作が自身をモデルとした・・・人間の弱さを凝縮した存在。キチジロー=窪塚洋介。
愚鈍で卑しく、臆病そうなな笑いを浮かべる、みっともない存在として描かれています。
意味不明の笑みを浮かべて、ロドリゴ達の不安を誘うキチジロー。
一度ならず、ロドリゴを裏切っては後悔を引きずる…信仰心をもちながら、強者を前にしたら自分の命が大事になってしまう・・・キチジローのキャラはわかりやすい。だれもがそうだと思い当たる、人間くささが次第に真面に思えてくるのである。

イッセー尾形は当然!通訳=浅野忠信、他にも多数の日本人俳優がキャスティングされています。

・・・・・・なぜ神は沈黙を貫くのか。か弱き人々が苦しんでいるさまなど見えない、何も聞こえないかのようにふるまうのか。・・・・・

最も美しく清らかなものと信じてきた自らの信仰と、罪のない隠れキリシタンである農民たちが受け続ける地獄のような拷問、受難の日々。
時の権力は司祭ロドリゴにも、師・フェレイラ同様の棄教を迫る。
自らの非力さに迷い、信じて疑わなかった信条・信念は己の心の弱さと向き合う形へと変わってゆく。。自分も弱い人間、それは忌み嫌う存在でしかなかった、キチジローそのものではなかったか。
人間の弱さ、それを利用しようとする権力者との対比が際立つ展開。

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上映時間160分もの長編、しかしその長さを感じさせない演出の見事さ。
また外国人が日本を描いた時に感じる違和感もなく、出演者たちの演技に集中しました。
日本の俳優がハリウッド映画に出演、それも監督は巨匠マーティンスコセッシ・・・ときたら嬉しい限りながら。。
ただし信者以外の日本人はだれも皆一様に無表情で、ひとすら粗暴である。←これは異国ポルトガルからやって来たロドリゴの視点から・・・と考えられるものだが・・・。

シトシト降りつづける雨、ぬかるんだ土地。切り立った崖、寒々しい色彩でも美しい海。
当時に近いと思わせる雄大な光景が広がる。←撮影は規制の多いわが国ではなく、お隣「台湾」で行われたと言います。

宗教心など微塵もない私が見ても見応えのある、見事な作品であると思いました。

オープニングとエンディングは、ロドリゴが入れられた牢の・・・漆黒の闇、静寂の中で聞く虫の音。
ロドリゴの目の前で、無力な殉教者として果てた農民たち・・・その命を奪った海の波音が使われていたのも印象的。
映画「沈黙」はわが国でもすでに1971年、篠田正浩監督によって映画化されているのでした。

〇談社から出た現代文学の一冊に、遠藤周作作品が掲載されていたのを思い出し・・・二階の本箱から取り出してきた私。
本作は、その原作そのままに映画化されたものであったと理解しました。
原作に沿って映像化されたこの映画。
人類の歴史にとって宗教と戦争は深い関係を持ち続けてきたものであり。それは現在にあっても普遍的なテーマをもつ。

それにしても2時間42分となる長さ、他国の人々に受け入れられるのは難しいかもしれない。
12月のクリスマスにはケーキを食べ、年の初めには神社に詣でる。そしてヴァレンタインデーにイースターとその時々で変身してしまえる私達って何なんだろう…と言う思いも残りました。
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