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福岡・山口紀行・・⑦萩観光「松下村塾」と吉田松陰 [2017・10月九州・福岡~山口]

小休止してしまった為に、やる気減退と言うか、記憶が薄れた…と言いましょうか[あせあせ(飛び散る汗)] でも中途半端は嫌なので続けますね。

山口県と言えば、長北エリアにある萩の町。
幕末の志士たちへ思いをはせつつ、山口を観光するなら外せないところのひとつ。
まずは観光スポットNO.1とされる「松下村塾」へ。
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松陰神社の中にある私塾跡、「松下村塾」イコール吉田松陰ながら…始めたのは叔父、玉木文之進であった。 また開塾期間も一年1か月と非常に短い。
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木造瓦葺平屋建ての質素な小屋は、国の史跡に指定されています。
ここから高杉晋作や伊藤博文等(後の初代総理大臣)、義弟となる久坂玄瑞、吉田稔麿・・・と幕末動乱期から活躍、新政府樹立へ関わった多くの逸材を輩出。
多数の門下生が育っていく・・・8畳の講義室には松陰像と机が置いてあり、部屋の机を囲んでの熱い議論を交わす当時の様子が想像される場所です。

明治政府で活躍、我が県とも縁深い山形有朋(目白の椿山荘然り、栃木県・矢板の山縣農場 には「山縣有朋記念館」があり、私が訪問した時は子孫にあたる方が居住していました)も門下生の一人であった事に感慨を覚えました。
・・・以上わかったような事を書いているものの・・・大河の「八重の桜」「花燃ゆ」の影響が大なり!

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伊豆下田で海外渡航に失敗した後、江戸の「伝馬獄」から、萩「野山獄」へ収容され・・・後に自宅謹慎となり過ごした実家である「杉家」。謹慎の日々を読書と著述に専念し、やがて松下村塾で教えるようになるのでした。

次は、奥の「松陰神社」へ。
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吉田松陰を祀り、明治23年(1890)創建された社。現在の拝殿は昭和30年に完成、学問の神様として、年始には勧学祭(合格祈願祭)が行われるそうです。しかし私達は年齢的にもこれ以上の進展は見られそうもないから、簡単に参拝して終わり。

最後に夫は興味がないと、私だけ一人で「松陰神社宝物殿至誠館」を鑑賞。
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松陰が遺した著述、物品の永久保存を目的とし、生涯や萩市内のゆかりの地を紹介したパネル展示も。
国防に関心をもち、全国の国防施設を視察するのが旅の目的であった・・・「東北遊日記」のルート表示から・・・松陰は脱藩覚悟で宮部鼎蔵と、江戸から140日間に及ぶ東北遊学へ旅立った様子が明らかに。

※江戸出発から嘉永5年(1852年)江戸へ帰るまでの視察状況を記録したのが「東北遊日記」です。
自らの足しか頼るものない交通手段のない時代、青森県の外ヶ浜まで足を伸ばしていた事実があったのを再認識させられた。
以前食べに行った津軽平野を走る津軽線の終点駅「三厩」の寿司屋の店主が、「ここからそう遠くないところに、吉田松陰の歩いた「みちのく松陰道」があるんだ」と話していたのは印象に残りながら・・・170年後の今日でさえ訪れる人が限られる・・・地の果てであるのにと、半信半疑でうかがっていたのは失礼なはなし。
刑死の前日に書き遺された、門下生・塾生へ松陰の思いを伝える遺書「留魂録」の展示等。。
吉田松陰は安政6年(1859)「安政の大獄」により江戸で刑死。短くも激しい生涯を終えたのであった。

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