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「湯岐温泉」知っていますか?・・・①栃木~茨城~福島へ [2019・3月福島県湯岐温泉へ]

いよいよ桜の季節。開花情報も飛びかい、桜の便りが続々・・・日本列島がお花見の季節に突入しつつあります。
そうしたこの時期。私達は先週末、まだ寒さの残る福島へ出かけておりました。
幾つかブックマークしているブログで紹介をされて、ずっと気になっていた宿。メディアには登場しない・・・知る人ぞ知る秘湯の湯治場。
茨城県との県境にほど近い、福島県塙町。山々に抱かれた町のさらにその奥、福島県内でも山奥にひっそりと佇む、300年もの歴史を持つ共同浴場「岩風呂」の存在を知り、その湯に浸かってこの冬の寒さに負けず頑張った身体を温めたいなと思った次第。

自宅から塙町までの距離&移動は、寄り道をしなければ90キロ、3時間20分あまり。
そこで得意の、県内東に位置する那珂川町経由で向かう事にしました。
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自宅を出たのはゆっくり9時半頃。県道から国道、そしてまた県道と走って・・・おトイレ休憩は、「那珂川町馬頭広重美術館」です。
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「広重の芸術と伝統を表現する伝統的で落ち着きのある外観」がコンセプト、自然豊かな町の景観に溶け込む…平屋建て切妻の大屋根を採用http://www.hiroshige.bato.tochigi.jp/about/architecture
私の写真はあまりにもひど過ぎますので、HPの方をご覧ください。
建物を造ったのは、2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる「新国立競技場」の設計でも知られる隈研吾氏、JR東日本の新駅「高輪ゲートウェイ駅」駅舎のデザインも同氏によるものと言います。

※平成7年1月の「阪神淡路大震災」に被災された青木藤作氏の遺族から、町へ平成8年4月、歌川広重の肉筆画を中心とするコレクション寄贈の申し出あり。
栃木県塩谷郡熟田村狭間田(現さくら市)に生まれ、肥料店を佐久山、氏家、西那須野で営み、実業家として成功するかたわら、広重の肉筆画や版画をはじめとする美術品の収集を趣味とした青木氏でした。
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広重美術館敷地内、駐車場を囲む形で植栽されているミツマタの木。枝が3本ずつ分岐する。・・・これが名称の由来♪
一見地味ながら樹皮に強い繊維があり、1万円札などの紙幣や証紙など重要書類に使われる…和紙の原料となる事でよく知られています。

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お昼を、健武地区にある「そば処 ゆりがねのやな」ですませる事にしました。
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夏場に鮎を焼いて食す「簗」が本業だけに、奥のお座敷席は…良く言えば「レトロ」、素朴な上に素朴過ぎる店内。ストーブの脇のテーブルに着席して、オーダーをしました。
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寒かったせいもあり、この日は温かな「かけ」に。漬け物と煮物がそれぞれ付いて700円、夫オーダーの「天ぷらそば」にしても800円とは、なんとリーズナブル!
田舎風そばは、地粉を使った八溝そばと呼ばれるもの。濃いお汁は田舎そばそのものながら、太い麺はのどごしよく、量もたっぷり。
本当は天ぷらのない私にも、サービスで天ぷらがあります。
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ふきのとう・パセリ・かき揚げ・カボチャ・(白いのは)ハヤトウリだそう。通常の夫の野菜天盛り合わせと比べて、1~2個少ないくらいなので嬉しい(^o^)
揚げたて熱々な天ぷらは勿論、濃い目に煮着けたキノコと根菜が特に美味しかった。
またその後も酢味噌で食べる、刺身こんにゃくがサービスで運ばれてきました[グッド(上向き矢印)]
親しくお付き合い頂いているイチゴ農家の〇〇さんから「一度、食べに行ってください」と言われていたのが関係して、この日の訪問となりました。
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しかしここって随分前なのだけれど、鮎を食べに来店したのを覚えています。

国道461号線を走り、県境を越えたら茨城県の大子町へと入ってゆく。
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道路の両側に続いているのは茶畑です。
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奥久慈は新潟県の村上市同様、お茶生産地域としては、国内最北限の茶産地となっているのです。低温多雨の気候と冬の寒さの中で育った奥久慈茶は、色が濃く、香りも高いお茶です。
泊まった宿の部屋に置かれていたのも、「日本最北限のお茶産地」で採れる「奥久慈茶」であったかと。味わい深くて美味しいお茶は、湯上りに、食後にと沢山飲んでしまいました(*´∀`*)

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大子町の久慈川に沿って北上、国道118号線から矢祭町へ。国道349号線はセンターラインもない一車線。「これが、国道なの?」と思いつつの走行。

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阿武隈山中の上流に湧く細い山道の先の温泉地「湯岐温泉」、湯岐は「ゆじまた」と読みます。
安土桃山時代まで遡る長い歴史を有するに関わらず、知名度が低く、現在でも窪地のような土地に少数の旅館と民家が集落を形成するのみ。そして現在営業をしているのは私達の泊まる「山形屋旅館」、隣り合う「和泉屋旅館」さんの二軒だけでした。
細い山道を上がって、宿へ入ります。
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