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夏空を追いかけて北海道・・・㉑小樽「祝津」エリアを観る [2019・7月北海道]

7月28日(日)
小樽市内の北側にあり、街の中心部からは離れている「祝津(しゅくつ)」。
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小樽と言えば、かつては鰊漁で大いに栄えた町。鰊御殿のあるこの地域へは足を向けていなかったから・・・、夕方のフェリーの出発時刻まで出かける事としました。

おりしもこの日28日は「おたる潮祭り」の開催日。
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潮ねりこみ、神輿パレード、潮太鼓など、とにかく熱気あふれるイベントが目白押しの週末3日間。運河沿いの道路は、観光プラス神輿パレードで人が溢れると予想をし・・・蒲鉾「かま栄」では朝の内にショッピング♪

JR小樽駅から30分足らずの距離に関わらず、漁村集落といった様相を残す祝津エリアは、観光客で賑わう街の中心とは異なった趣を漂わせていました。
岬の上に見える小樽市鰊御殿、駐車場に車を置き、坂道をヨイショヨイショと上って行きます・・・。
そうしましたら、なんと!隣接するのは30年前に訪れた「おたる水族か館」ではありませんか[るんるん]
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小二であった息子の為、北海道の風景を眺めるだけでは退屈してしまうと来た「おたる水族館」でした。ナビもないあの頃、二度目の小樽とは言えよくこんなところまで来られたもの[exclamation] 
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1897年(明治30年)積丹の泊村に建てられ、1958年(昭和33年)に現在地へ移築復元した…との「小樽市鰊御殿」。
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靴を脱いで上がるのが面倒で、内部の見学は省略[あせあせ(飛び散る汗)]
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泊村の鰊親方、田中福松が1891年(明治24年)から7年をかけて建築した。「たも・せん・とど松」といった北海道産の原木、東北地方から取り寄せた檜等…約540tが使われており、現代家屋に換算したら、30坪の家20軒分にもあたるとか。
明治時代の原型をとどめた、華やかなりし…往時を偲ぶ貴重な鰊漁場建築と言えましょう。
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祝津海岸の岬は、まさに展望スポット[ぴかぴか(新しい)] 奥に広がる石狩湾と大海原を広く見渡せる・・・訪れる人も疎らな、しかし絶景の展望スポットでありました。

祝津地区の漁村集落といった素朴さを感じさせる家並みの中、ひと際異彩を放つ「小樽貴賓館(旧青山別邸)」には驚かされます。
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祝津三大網元のひとりであった、青山政吉とその娘によって大正12年(1923)建築。敷地面積約1500坪、広大な緑の庭園、木造二階建て家屋は建坪190坪・・・と、当時には考えられないほどの贅沢さを見せる別荘です。
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鰊漁大網元の財と威信。17歳の少女の夢により建造された、「北の美術豪邸」と言われる・・・道内屈指の大豪邸。
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欅造りの華麗な瓦屋根の邸宅。北限とも言われる、樹齢100年以上の赤松が出迎えます。
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正面玄関を入ってすぐ横、鰊漁の栄華を偲んだ昭和の名曲「石狩挽歌」ゆかりの地である記念碑と、作詩家直筆の歌碑がありました。作詩 なかにし礼・作曲 浜圭介・歌 北原ミレイ。
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和食レストランを併設した、貴賓館の全景にも驚かされます。
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紫陽花の花がまだ残っていましたが、牡丹・芍薬・桜・梅・つつじなど、季節に応じて咲く花々の彩る美しい庭園も見逃せません。
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小樽貴賓館1階ホールでは、北海道ゆかりの日本画家による豪華な天井画の競演あり[ぴかぴか(新しい)]この先の内部は、撮影禁止となっていました(=_=;)

※明治から大正にかけて北海道の日本海側、前浜一帯は鰊の群来とともに、海は銀色に輝き、無数のカモメが飛び交い、漁師達は先を競い舟を漕ぎ出した。
浜は水揚げで活気に満ち溢れた・・・ 小樽周辺には忍路、高島と好漁場があり、漁業が繁栄をきわめていました。
そうした悠久の浪漫に浸り、当時の鰊の大漁と繁栄ぶり。鰊業が全盛期であった歴史の残る。「海の街」として魅力をもつ・・・祝津観光でした。
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