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春彼岸 [母の事]

3月も終わります。そして振り返ってみたら、早くも一年の四分の一が過ぎてしまうのですもの。もっと一日、一日を大切にしないといけないと思ってしまうものですね…シミジミ゚(゚´Д`゚)。
先週20日はお彼岸の中日でした。
母が亡くなってから一年と4か月、その前の不在期間も入れたら、無人状態となって久しい我が実家です。
それでも庭の片隅でハナニラ、水仙、木瓜の花と、、家から持っていった雪柳も満開近い状態でした。
月に一度は泊りがけで来て、お花も絶やさず、家の様子を見ている弟ですから・・・この時も前日から泊まって私達の到着時には、お花に果物、春のお彼岸の「ぼた餅(牡丹餅)」ならぬ草団子と備えて待っていました。

彼のことなので 、3人で食べるお昼ご飯も当然用意されていて・・・毎回の佐野名物「ふみきり寿司」に、芋フライだったのはご愛敬(^Д^)
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天気予報通りに天気が崩れる前、お墓参りを先に済ませてしまいましょう。
お墓にお花、水、お線香をあげて手をあわせました。都会から(と言っても、川口だけど)移り住んで、最後まで余所者であったろう母。20年以上前に亡くなった父と一緒とは言え、寂しくはないかしら。
母がいなくなってから私も、実家とはいえ無人のところに足を運ぶ回数はめっきり減り続けるばかり。
それでもGW頃になったら、これまでよりは行って、少しずつでも片づけ始めないとって考えてはいるのですけれど、家財に衣類、食器類とものが多い為思うだけで具体的には中々…。

この日の帰り、弟から手渡されたのは…ハタダ「御栗タルト」。
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この形状、「タルト」から、道後温泉アーケードを歩いていた際目にして、買おうかと思ったものの忘れてしまった…松山の伝統菓子「一六タルト」を思い出しました[るんるん]
※愛媛県民にとってのタルト…とは、柚子風味の餡子をカステラで巻いたものだそう♪
1933年創業、愛媛県新居浜に本社を置くメーカー「ハタダ」。ハタダタルトの特徴は中に栗が入っている事。

食べやすくカットされたひと切れサイズに、大粒の栗が入っている贅沢さ[ぴかぴか(新しい)]「御栗タルト」は栗好きな私にピッタリ、栗を包む餡はゆずの風味が感じられて、上品さを引き立てている感じを受けました。実際に食べて、定番、人気商品なのも納得♪ 美味しかったです[グッド(上向き矢印)]
佐野市内には「あわしま堂」の工場、工場直売所あり。今度寄ってみようかな、コスパの良いタルトがゲットできそうです(*゚▽゚)ノ

弟は3月に入ってからの四国周遊の際、買ってきた模様でした。
先に送ってきた鰹のたたきもでしたが、同様のものを自宅へも送付。我が家と同じで到着後すぐに一片は家族で食し、残り一片は都内で暮らす甥の帰宅時に食べる予定との事。それは家と全く同じです。誰もが子供可愛さから、食べさせたい親心(^O^)

弟一家への手土産は、鎌倉紅谷の「クルミッ子」です。
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鎌倉紅谷の「クルミッ子」とは?…の方、詳しくはこちらhttps://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2022-11-29

紅谷の「クルミッ子」と、餃子シテイの住人だけに、餃子をふた箱。そして前日記登場の湘南ゴールド。
私自身「クルミッ子」は大好き♪ だけど、この端っこクルミッ子も好き♪ 自宅用であれば、お買い得なこちらでじゅうぶんに思う。
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甘いものが好きなだけ、沢山食べたいだけなんです。 甘いお菓子はお好きですか。
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週末に [母の事]

今夜放送の、大河ドラマ「どうする家康」。徳川家と豊臣家の運命がわかれるクライマックス回、「いざ大坂冬の陣!」となりますので、またも中断をします。
大阪城を前に徳川軍に真田丸が立ちはだかる展開となりますが、それ以前の天下分け目の戦である「関ヶ原の戦い」においての・・・真田家。
父真田昌幸と真田信繁(幸村)が石田三成の西軍側に、兄真田信之は徳川家康の東軍についてそれぞれ参戦をします。
親子兄弟でわかれて戦う、その理由については真田家の去就について。西軍・東軍どちらが勝っても真田家が存続するよう三人で協議した「犬伏の別れ」の地。
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真田父子の訣別は、その話し合いが行われた「下野国犬伏」にちなんで、「犬伏の別れ」と呼ばれるようになりました。真田氏が居城とした上田では至る所で目にする「六文銭」の旗印、その所縁の地が佐野にもあったなど、大河ドラマ「真田丸」まで知らずにいた私でした[あせあせ(飛び散る汗)]

真田家に限らず、加賀前田家二代目当主・利長と、弟・利政も関が原では兄弟がわかれて戦ったのでした。
同じ犬伏町にある「大庵寺」では?の説もありますが…。栃木県佐野市犬伏町の県道75号線(日光例弊使街道)沿いに建つ、現在の「新町薬師堂」です。

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土曜日は午前中にお墓詣りを済ませ、その「新町薬師堂」前、道路を挟んだお店「あけみ寿司」さんにて、母の一周忌法要の会食をしました。
一周忌法要は本来、故人の亡くなった「祥月命日」に執り行われるものながら、皆の都合に合わせて命日より早い土曜日となりました。
母が好きだった店だけに、弟家族とは頻繁に。私達も数回母とお昼のメニューを食べています。
会席の場としてよく使われるお店だから広い店内。その奥に会席場となる個室がいくつか並んであり、その内の中庭の見える一室へ。
位牌、生花、影膳、お供えのお団子は手作りと、「お母さんはここのお寿司が本当に好きだったわね」と言った、アットホームな雰囲気の中でとなりました。

各テーブルに前菜が運ばれてきます。
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それぞれがそれぞれの席に着き、まずはビールの「献杯」。都内からマイカーで来た甥は車なので当然呑みません。珍しいと思いましたら、先週も接待やら、海外出張の連続で呑みっぱなしだから、今日は我慢をするそう。
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わっぱ型の黒い陶器の中身は、お造り。鮪二種・蛸・牡丹海老・隠れてしまっているけどホタテも。
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左の角皿には前菜色々、つぶ貝・エビの煮物から練りきりのようなのまで色々9品あったけれど、詳細を忘れています。
隣りは見ての通り、マツタケの土瓶蒸し。わーい!冬に入っていると言うのに、今年初のマツタケなり!
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柿釜入りの鮪&海鮮、器となった柿も食べてしまいます♪
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芋まんじゅうのそぼろ餡かけ、上品で、美味しいとろみのついたあんでした。
説明はあったもののこれまた忘れている、白身魚のホイル焼き。私が家で作るのと変わらない感じかも^^
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アワビのバターソース焼き、身も厚くて、肝も美味しかった。そこにローストビーフふた切れ。
有頭エビのカダイフ包み揚げ、魚すり身の天ぷら、稲穂のポップコーン添え。
※カダイフ(kadaif)は「柔らかい」を意味する麺の一種。 小麦粉と水が主な材料で、ふるいを通して薄くのばし熱い円盤形の鉄板に細い糸状に注いで焼いて作る、 トルコやギリシャを起源とする麺状の生地。
私は以前フレンチで食し、その際の説明ではカダイフはベトナムでも食べられるとか。小麦粉と水が主な材料という点では、米粉と水で作る「フォー」や「ライスペーパー」の生春巻きと同じようなものと思います。
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お凌ぎは、お寿司。ここまできたら、ビールも吞んでいるだけにお腹いっぱい!とても入りそうもなくて困ったわね(@_@)
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ラ・フランス&アイスクリームのデザートでした。

家族だけで小ぢんまりとささやかに、しかし温かな時間が流れていたのを実感できました。
母が亡くなって、あれから一年が過ぎたのですね。
確かに、もう一年なのでした。そして、12月に入った途端のこの寒さ。12月って、これ程寒いものなの?
だけどあなたの遺した子供、孫たちは皆揃って人並みに生きていますから! 大丈夫、安心してください。 
改めて母の大きさを、今なお強く思ってます。

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10月に入ってしまったけれど [母の事]

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9月20日 (水)~26日 (火)は「秋のお彼岸」でした。
これまでお彼岸だからと実家へ行く事もなかったけれど、今年は特別です。
特別と言えば、彼岸だんご作りも初めてしました。春の「お彼岸」は、姪が「おばあちゃんに教えてもらっていたから」と可愛く綺麗に作って。持ってきてくれましたけれど。
今回は私が、しかし初おだんご作り!・・・だなんて、子供みたいね^^
数年前までは何時だって皆が寝ている間に母が作り、朝起きたら、出来ている・・・それが当然であったのだから。
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仏前にお供えする和菓子は、壬生町「しもつけ彩風菓 松屋」さんに立ち寄りをして。究極の栗蒸し羊羹、新商品和菓子?モンブランを購入。両方共美味しいのは確実、お値段的にも中々でした\(◎o◎)/

お昼は・・・と考えながら向かった訳ながら、そこは弟だけにぬかりなし。朝の内にひとり買い物を済ませて、待っていてくれました。
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何時もの「ふみきりずし」に、餡子たっぷりのヤオコーおはぎです。
前日には、埼玉の叔母夫婦から「初盆に行けなかったから、お彼岸はお墓参りに行きたい」と連絡があったそう。
そこで叔母夫婦を車で送迎、お昼ご飯を食べさせて自宅まで送り、その足でまた実家へと戻ってきたと言います[あせあせ(飛び散る汗)]
全く人がいいんだから、私ならそこまではやらない。そうしたところも含めて、面倒見の良いところは母そっくりな弟です。

我が家への帰りの土産は伊勢丹で求めた、麻布十番商店街でもひと際目立つ店舗、 豆菓子「豆源」詰め合わせ♪
お馴染み・おのろけ豆から梅落花、珍しいメイプルカシュー(ナッツ)。そこに食べきりサイズの揚おかき、塩おかき入り[るんるん]
豆源は、母が大好きだった豆菓子、店頭で毎日揚げたてが売られているおかきは、私は好きと話していたからでしょう。
だけど私「いい加減飽きたから、次回から豆源は止めて」とハッキリ、きっぱり!!これも兄弟ゆえ(^Q^)/
それに、「貰い物で悪いけど、これも持って帰って」だって。
ビールじゃないから、金麦は呑まないなんて生意気だなぁ[むかっ(怒り)] 家の夫さん、こんなとこは可愛らしく帰宅後呑むには「ほろよい」が一番♪ 金麦でも、のどごしでも問題ナッシングなのに(^_^)V
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「とらや」の季節限定パッケージ小形羊羹、新緑、夜の梅、おもかげ[ぴかぴか(新しい)]
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豆源詰め合わせと、量が反対だったらもっと良かったな。…って、わがまま過ぎか!?
それでもお墓参りをして、秋のお彼岸が終えられて良かった。勿論、手作りおだんごのお供えはしました。
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もらってきた梅の木 [母の事]

温か、穏やかな一日であったから、お薬を頂きに何時もの病院へと歩いて行った・・・そのついでに、ほころび始めた梅の木を[カメラ](10日あまり前のものだから、開花は今もっと進んでいるはずですね[あせあせ(飛び散る汗)]
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この木は、毎年撮っている気がします。
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綺麗だからと言うより、自宅から最も近いとの理由からで(^_^)V
同じくして、夫が梅の枝をもらってきたからと。
キッチンにドサリと置かれた時は、綺麗とも思えずにいたけれど、、、
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部屋の温かさから数輪づつ開花をして、一枝事に蕾が開花すると華やいだ雰囲気の漂う出窓。甘い香りまでしてくるのです[グッド(上向き矢印)]

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切った枝も捨てられなくて、キッチングラスに挿しておいたら、あら、可愛い[かわいい]
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・・・そう言えば実家にも昔、白梅の木があったはずです。
何時頃切ってしまったのかさえ覚えていないくらいだけれど。
そう、家には4月初めに華やかな彩りが可愛らしい杏、裏庭には梅の木もありました。

3月に入ってからすでに二週間が経ち、時の流れの早さを改めて実感する。
今週末には「彼岸」の入りとなります。
もう会えない人となってしまっている、お母さんのお墓参りへも行くよ。
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こんなのじゃないチャンとしたお花と、好きだった和菓子をお供えしに、私達に頼ることなく自分の人生を全うした母に、改めて感謝してきます。
…と共に無駄に生きているだけ、夫に頼ってばかりの自分自身を見つめ直す機会にもなるかな?・・・なんちゃって、自由気ままな我がスタイルが変わるとも思えませんが…(^^ゞ

春のお彼岸には「ぼた餅(牡丹餅)、秋には「おはぎ(御萩)」をお供えします。
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またしても、これじゃない!
美味しいもの好きだった母には、もっと美味しいやつ♪・・・と言っても、お墓に入ってしまったら、本人は食べられないんですけどね[バッド(下向き矢印)]

こちらは、大谷にある「飯田屋菓子舗」さんの大谷石もなか。
「大谷石もなか」の文字が入った皮は薄くて、パリッとした食感、香りも上品です。粒あんも美味しいが、白いんげん豆から作られる白あんが特に美味しい[グッド(上向き矢印)]
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最中もこの形状ゆえ、あまり重ねると「おぬしも悪よのぅ~~」になってしまうから、このくらいで(^_^)V
使っている品格漂う器は、京都の陶芸作家さんによるもの[ぴかぴか(新しい)] ソネブロで親しくお付き合い下さっていた方の息子さんの作品なのです。今なお大切に、大切に使わせて頂いていますよ[揺れるハート]

またお彼岸には、「彼岸団子」と呼ばれるお団子をお供えする習慣があります。これまでずっと早朝に母が用意をしてくれたから、私はやったことがありませんでした。今回は米粉を買って、作ってみようかな!?


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四十九日終わりました。 [母の事]

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先週末の日曜日、母の「四十九日」法要を済ませました。
僧侶を招いて本堂での読経、お墓に納める納骨。
位牌、生花、お線香、お供えのお団子は姪の手作りと、アットホームな雰囲気の中。しかし父と並んだ遺骨を目にした時は、柄にもなく感傷的になりました。

葬儀当日も身内のみでありましたが、今回は子供と孫だけと更に近親者のみの会食・・・。市内の「日本料理 吾妻」さんにて。
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二階の個室です。
中央に母の位牌と遺影、お膳、少し吞めたビールをグラスに注いで供えました。
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弟が家族だけだからと、美味しいもの好きだった母にあやかり頼んだお料理。そのせいか我が家、孫たちも含めて皆食べるの大好き♪ 食いしん坊揃いなのです。男たちはのん兵衛ですしね、ドライバーである夫はノンアルで気の毒でした。
先付に、前菜。
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鶏松かさ焼き、生ハムのクリチ巻き、可愛い蓋物に入ったフグの皮和え、梅型のは忘れました。クリチにのったミニトマト、金柑と、彩り良い前菜たち。枝豆はいらないな。
小鉢は胡麻豆腐だったかと、小さいけど美味しかった鮑。
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鮪・トロ・サーモン・蛸・烏賊に帆立のお造り6種盛り合わせ、赤身だけがイマイチ、河豚のから揚げに、鶏肉だったかな?天ぷら風揚げものも不明。
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煮帆立・西京焼き・海老塩焼き、椀物は筍・湯葉・豚角煮と?こちらも忘れてます。
魚介鍋にビールもかなり吞んでしまい、この辺りでお腹はいっぱい。
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蟹釜飯も炊き上がってしまいました。
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薄切りながらステーキがきて、大きな生ガキ。
赤味噌のお汁だけをいただきました。デザートはメロンに、フルーツ&ゼリーと。
食べきれなかった蟹飯、ステーキ、メロンは、テイクアウト用のパックに詰めて持ち帰り。

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終始和やかで、和気あいあいとしたひと時でした。
皆から出る母のエピソードも途切れる事なく、故人をしのぶ会食の時間がもてました。
コロナの中での最後となってしまったけれど、、、一から始まった田舎の暮らしに関わらず、自らの努力と忍耐とで懸命に生きた。家族を愛し、誰にも尽くした母だからとの思いが新たになりました。
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次に会うのは、春のお彼岸ですね。
後は実家へ帰宅。
着替えて一休みしてから、息子と大阪在住の甥は、新宿行きの高速バス利用で帰ります。
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先に登場した「鶴里らーめん」の、バスターミナル内自販機は、これなのです。
この日は機械の調子が悪かったせいか、まだ残っておりました。
正月帰りに購入したラーメンを、速攻食べてしまったとの事から、この時も買って帰った息子。娘が可愛くて仕方のない良き父親ぶりです(*^_^*)
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バスの出発を見送って、私達も帰宅しましょう。

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お返しは定番の返礼品ではなく、我がリクエストでビールにしてもらいました。
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遠いところへ [母の事]

しんしんと冷える冬の夜、夜の外気はキリリと肌をさすようにはりつめている。夜の闇に息が白く見えた。今宵9時15分、我が実母は永眠致しました。享年90歳。
戦前に生まれ、戦中、戦後の昭和の時代、平成、令和と懸命に生き抜いた人生。家族、子供や孫たちを愛し、慈しんで、私の手本ともなった人・・・。
強く、逞しく、最後は心身ともにぼろぼろになりつつも、後年の20年をひとり気丈に、時にはユーモラスにふるまった生き様は見事の一言でした。
母の思い、強く人生を生き、愛を与えることで生きがいをつくる。どれも人生の教訓でした、見習います。
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感謝の助っ人は、家にもいた [母の事]

何時もコメントしてくださっているM女史の先の記事「2年半ぶりに感謝の助っ人」から・・・そう言えば、家にも同様の人物がいると感じたので書きますね。

一昨年6月の病院受診で急遽決まった母の入院生活でした。しかし専門医院に関わらず、認知能力は悪化するばかり。
結果自宅に戻るのも叶わず、退院から特養への入居となってしまった訳ながら。その以前そこまで悪い事に気づかずにいた私も悪いが、、マスコミによるコロナ感染一色の報道、自宅にひとり籠る日々が無関係だったとは思えない。

それでも入居はじめ頃は、親子の会話も可能であり、ユニット内のスタッフさんの仕事を手伝う、電話に出て取次ぐ等も出来ていたものが・・・。
私達兄弟の面会も、アクリル板越しとなり、それが自宅からのオンライン面会へと変わってきて、それさえも月二回から一度へと。
そうしてようやく今月からまた、アクリル板を挟んでの面会が復活しました。
本日は数か月ぶりの面会日であり、プラスチック製間仕切り越しでの会話ながら。
これまでのオンラインよりは、反応が良かったような。
何より現在の本人の状態が直に見られて、安堵しました。
顔色も良く、肌艶も一時と比べたらずっと良好なものへ。一時は細く肉の落ちた頬も少し戻って、声掛けにも応えるのも数回、カメラ越しでは全く伝わる訳ありませんもの。

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・・・そうそう、本題である、感謝の助っ人でしたね。
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田植えの終わった水田。間もなく麦が熟し収穫期を迎える「麦秋」。
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冬季間は寒さも関係し、実家の管理は弟に任せきりだった私ですが・・・それでも気になっていたのは事実。そこで連休後の先日、好天も手伝って久しぶりに実家を訪れました。
住む人もいない無人であった家は、やはりどこか荒れた見た目ではあったけれど、夫が心配していた雑草だらけという程ではありません。
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住む人はいなくとも、色とりどりに咲くジャーマンアイリスは綺麗。
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お昼は途中立ち寄りした、江原商店さんの芋フライと焼きそばで簡単にすませる。
佐野のB級グルメとして、ゆるキャラ「さのまる」クンが腰にさしているのは芋フライです。
ジャガイモに小麦粉を溶いた厚めの衣、パン粉をつけて揚げる芋フライは、お肉屋さんにあるポテトフライと似ていても食感が違います。
独特の「モチッ」とした感じに、甘酸っぱさも感じられる地元産のソースがよくあい、思わず「美味しいね」の言葉が出てしまった[るんるん]

夫は庭木の枝を落とし、雑草を抜き、物置の中の片付けと・・・自分の家でもないのに、汗をかきつつ大奮闘!!大量のゴミがゴミ袋で並びます。
私は家の中を片付け、夏用衣類や下着といった施設に持参するものを見繕ったり。積み重ねてあった書類やチラシ、書類の仕分けや処分。
出たゴミ類を車に積み込みをしていたら、夕方6時を過ぎて・・・一応泊まる用意はしていったものの、お風呂、お布団も慣れている自宅が良い。
終わらない部分は、また後日と帰ってきてしまいました。

段ボール、紙、アルミ缶、ペットボトルは家の近所のスーパーへ持ち込みして、ついでに夕ご飯の買い物もしてきちゃう。
・・・と言っても、スーパーのパック寿司。
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「母の日」であった日曜、特別に本マグロ寿司で決めました^^ お飲みものは、芋焼酎よ(爆)
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「母の日」によせて・・・ [母の事]

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今月9日は、「母の日」でした。二週間近く経ってしまいましたけれど(=_=;)

年齢による痴呆の症状が出始めてから、ほぼ一年。
昨年8月の入院、そして施設への入所。入所後も、昨年中はまだ良かったのです。コロナウィルスによるクラスター発生の危険性より、この一月から面会禁止となり。
PC画面を通じてのリモート面会のみが二週間に一度、それも15分足らずと、厳しい制限下におかれてしまっています。

そんなリモートでの面会に際しても、名前を呼ばれたときのパッとした笑顔、見当違いな事を言ってしまった後に、自分でも気づいて「間違っちゃった」と照れて口に手を当てる仕草。・・・そんな表情、そうした面をもっていたのかと改めて認識させられます。すでに88歳のお婆ちゃんなのにそれが可愛らしくて、切なくて、胸が苦しくなる程。
そしてリモート面会後は毎回気のすむまで、脚が疲れるまで、私達を探し求めていると聞きます[たらーっ(汗)]

二十歳チョッとの若さで私を生んだ母、今の自分から見ても母の子育ては未熟で、痛々しいものであったと想像されてならない。
父と一緒になる前、30年以上前に亡くなった私にとってはお婆ちゃん=母の母が何でもやってくれたから、ご飯を炊いた事さえなかったと話していました。
それなのに私達子供からしたらお料理上手で、綺麗好きで何でも出来た母。
私が子供の頃の自宅へは親戚、父の友人が頻繁に遊びに来ていた。その度に素早く手際よく、当然のように食事を出す、お酒の用意でもてなす。・・・そんな人でした。

お母さんて特に言葉にはしないけど、子供の好きなご飯・おかずを作ってくれる。自分より子供たちに美味しいものを、おかずも多く食べさせてくれたりと、そういう事を自然にしてくれものなのだと。
子供がそれに気づくのは時間がかかるものね。 だけど自分自身が母になり、孫をもつ身になった現在、同じ事をしているのではと思えてならない。

昭和初期に生まれ、子供時代は第二次世界大戦中であった。戦後10年足らずで結婚、子供を二人もち・・・家族を思いひたすら働き懸命に生きてきた・・・ただのひとりの女性でした。
母の人生なんて、これ程短い言葉で語りきれてしまうものながら、その生き方は私達、あとを受けついだ孫たちの中にだって息づいていると感じられます。

隔週のリモート面会の日、埼玉から車を飛ばして来る弟からのオヤツの差し入れは、毎回山のよう。「きっとお母さんは、施設で一番のオヤツ大尽よ!」が、我が口癖となっています。
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これは、その内のホンの一部。他に果物やら、高級和菓子やら・・・。
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私からの、甘納豆詰め合わせ。初孫である息子からは「婆ちゃんに食べさせて」と、湘南ゴールドゼリー、千葉・勝浦の「鯛せんべい」が。

しかし一番喜んで、何時までも楽しめる・・・それは、私達が撮った、または一緒に写っている写真を集めたアルバムたち。
二月の「米寿」の時。近所のお婆ちゃんが子供、孫達に囲まれ盛大に祝ってもらった( ^ω^)・・・その話を聞いて、「私もそうしてもらいたいな♪」と言っていたそう、、弟の事だものコロナさえなければ、その願いはきっと叶ったはずであったのだ。
面会さえ困難な状況下で、「米寿」のお祝いの席が無理であったから、せめてもの心づくしで大型色紙に、ひ孫のこっちゃんも含めた家族全員のメッセージ。写真の数々と編集して渡してもらいましたら、「毎日飽きずに眺め続けていますよ」と施設の方から伺いました。
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この後も、数冊追加で作成済みです。写真の中の母は、どれも嬉し気な笑顔を見せてる(*^_^*)
今年の「母の日」のプレゼントは、とてもささやかな形で終わりました。プレゼントなんかよりも、面と向かって「ありがとう」の言葉が一番なのは十分理解しています。
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叔母初めての面会 [母の事]

施設入所後は大分落ち着き、穏やかに・・・と言うか、多分ボォッーかと想像されるものの・・・日々過ごしている母。
面会の規則が厳しくなる前の今月、埼玉に住む母の妹には一目会っておいて欲しいとの思いから、叔母に声をかけた弟が車に乗せ、私も同乗して一緒に面会へ行ってまいりました。

都内に住む叔母がもう一人いるものの、何分にも90を超えた高齢ゆえ、この日は妹の叔母だけに。
到着後、ホールに佇む母の元に駆け寄った叔母の姿に、初めは戸惑いを見せた母ではあったが、すぐに気がついてお互い涙の再会となった次第。
その前の弟の会話では、「〇〇ちゃんが会いに行っても、わからなかったらどうしよう」「顔を見たら、少しでも以前の記憶が戻るかな?」「ここまできたら、なにがあってもおかしくないから、最後でも会っておいて、認識出来るくらいであって欲しいね」と。それはここまできてしまった母に対する、二人の願いでありました。

ハラハラの面会であったけれど・・・いや、それにしても、良かった!
どの程度理解出来たかまでは不明ながら、時には声まで立て笑う顔が見られるなんて。
その叔母曰く、「〇〇子ちゃんはここまで一人でずっと、本当に良く頑張った。87になるまでの一人暮らし、それもお隣りとも離れた自分には所縁のない土地で我慢し生きてきたのだもの」・・・しみじみとした口調で話していました。

身体の弱い父に代わり長きに渡り一家を支え、また父亡き後はその前の入院期間も含めると25年にも及んだひとりきりの日々。そんな暮らしでも愚痴もらさず、我々子供に頼る事なく、ひとすら強い意志でもって静かに歩んだ生活…そして私達の独立後は、生まれてきた孫たちの面倒も見て、温かく、穏やかに接し続けてくれました。
そんな一家の中心であった我が母の存在は言葉に出来ないくらい大きなもので、息子など「家の婆ちゃんはスーパー婆ちゃんだ!(「みんなの歌」の一曲「コンピューターおばあちゃん」を捩ったもの)」
だから年始は弟一家、息子一家と共に実家へ行き祝うのが恒例ではありました。
施設で初めて迎える新年を、本人はどのような気持ちでいるのでしょうか。

叔母とはここ数年お互いに連絡を取る機会はなかったけれど、こうして顔を合わせたら、互いの数年間の出来事。私がまだ幼児の頃のエピソードの数々も含めて、話が尽きる事はありませんでした。
帰路に弟「まだ少し時間は早いけど、ここで夕ご飯を食べてしまいましょう」って、それは事前に相談して決めておいたことです。
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昨年4月ホスピタルイン獨協医科大学の隣にオープンした「ステーキビストロ雅」。
エントランスから、店内へ。1階フロアはテーブル席ながら、幸いにも個室に案内されて静かにいただけました。

叔母は、前日光ビーフシチューセット。弟は、雅ステーキだったかな。
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和牛すき焼きに茶わん蒸し・ご飯・みそ汁・玉子・季節の果物プレート・お新香付きの私の「特選和牛すき焼き定食」です。
一番高いもののオーダーとなってしまったのだけれど、食べたいものを食べる主義なので(*´∀`*)
[ぴかぴか(新しい)]直営牧場「前日光ファーム」にて丹精込めて育てられたとちぎ和牛(前日光和牛)・・・だけに美味しかったわーん[グッド(上向き矢印)]


変わって、こちらはお家すき焼きです♪  例によって恒例となった、O川さんとの3人すき焼きパーティですよん。
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時間短縮の為、キッチンで半分以上を煮てきてしまうから、お肉も少な目。群馬の「上州牛」でした。

持ってきてくださったのは、栃木市薗部町にある「和菓子処 かのこ庵」の大福♪
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栃木県の新品種「とちあいか」の苺大福。
2020年7月に名称が決定したばかりの、栃木県の新品種いちご「とちあいか」は、1箱9粒入り税込み4000円の商品もあるとか(@_@)
だからお店でも、「限定10個」なのですね[るんるん]
ヘタまで真っ赤に熟した実はしっかり、柔らかなお餅の中は皮むきしたこし餡だそうです[ぴかぴか(新しい)]
何時もながら、気が利くわね!

昨年末の我が夫は那須烏山にある、別名「廃墟ホテル」=大金グランドホテルでまったり過ごす、ひとり忘年会を今回も!…と言う事で、昨日泊まりに行って参りました。
・・・と、そこへ「あの僕も参加をしてもよろしいでしょうか」だって(^_^)V ・・・そこでこの度も一人ならぬ、二人仲良し忘年会となった模様です。
この日25日の宿泊客は二人を含めて、あの巨大施設に8名きりとな!…それゆえ食事もビュッフェでなく個別膳となったそう。お刺身・天ぷら・煮ものに釜めし。食べ放題の甘エビのお刺身はプレートでお替わり自由、そこに呑み放題付きです。
女性客の姿が見えなかったとの事なので、そうであったら私が同行してもお風呂が貸し切り利用出来たかもね。お留守番よりも参加するのだった?[たらーっ(汗)]

追記します。
循環器系の病院受診の結果、母は本日入院致しました。ようやく認知度の方も落ち着いてきたと言うのに、私達にとっても残念な事実です。

こんな感じの我が家の近況報告で、本年のブログ記事は最後となりました。本年も一年間お付き合いいただきましてありがとうございました。
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あれからの、母・・・ [母の事]

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遊んでばかりいないで、お母さんの事はどうしたの?と思われそうなので、今日は近況報告です。
6月初めの大爆発から、約2か月半の入院生活を経て、8月末に退院。
入院先からそのまま夫の車で、施設へ入所したところまでを書いていました…。

入所してお世話になった施設でのショートスティを経て、今月9日無事「特養(特別養護老人ホーム)」への入所が決まりました。
入ってからひと月を過ぎた頃から気持ちも落ち着いたのか、私だけでなく弟も、我が子と認識した様子です。
自室で面会中はひたすら一人で喋っているのは毎回、しかしその間思いついたように「ねぇ、どう思う?」と同意を求められるも、なんと返事をしたら良いのか??? 戸惑ってしまうのは事実ながらも。
一時危険とされて撤去されたベッドも置かれて、それからはベッドで就寝するなど、ホンのわずかずつ回復傾向が見られてきました。
スタッフさんのお世話を受けた時には「ありがとうございます」の言葉が出る。見知った顔を見つけたら「あら~~、こんにちは」とにっこり笑顔を見せる時など、良い施設に入れて本当に良かった・・・と安堵の気持ちが湧いてきて、前の入院時には予想も出来ないでいた変貌の連続なのです。

ただし特養の場所が、2か月過ごしたショートスティとは同じ建物内であっても、部屋の位置、担当スタッフさんの顔ぶれが違ってしまった為、1~2日は落ち着かずにしばらく確認行動を繰り返していたと聞きました。
その対策として、慣れ親しんでいたショート担当スタッフさんが相手をしに来てくれる。また日によっては館内をお散歩して気を紛らす等で、気分の落ち着く方向へもっていってくださったとの話も。

夏の終わりに入ってから、あっという間に季節は廻っていき、その間に下着や冬用パンツを買い足す。パジャマ、日常着のカットソー、カーディガン、ベストと言ったものは数回実家まで探しにいき、利用できるものは本人のもので間に合わせる事とします。

それにしても留守宅一軒を維持していくのは、思っていた以上に大変ですね。
本人が戻れる可能性はほぼないとは言え、電気、上下水道、ガス料金の発生は当然あります。
基本料金の支払い、雑事、防犯の意味でも「月に一度は泊って、部屋に風も通さないと駄目だ」と、時折弟は一人泊まりこみ、その足でもって面会に行く。または私を迎えに来るなど孤軍奮闘をしております。

今月に入ってから好きな食べ物の差し入れも可能となって、それまでは部屋でそっと食べさせていたものが、施設側の了解を得て堂々と!
だって今は食べることしか楽しみがないと言うのに[たらーっ(汗)]
今の私たちの願いは、本人が落ち着いて日々不安なく、一日、一日を穏やかな気持ちで過ごしていって欲しい、それだけに尽きます。
欲を言ったなら、お友達が出来る、趣味の世界が広がる・・・など、ありますが。。意識はすでにそうした世界と別のところへいってしまっていると感じられるから。。
一番の望みは、新型コロナウィルスの終息。気分転換の外出や一時帰宅も可能となる時が、一日も早く来て欲しいと言う事です[ぴかぴか(新しい)]

※昨日は、埼玉に住む叔母から「少しでも早くに会いたい」との連絡あり。電話口でも色々話し込んでしまいました。
叔母さんとは私自身もしばらく会っていませんし、妹の顔を見て母の記憶がチョッとでも戻れたらと願わずにはいられません。
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通院、母との面会あれから・・・ [母の事]

あれから8月に入り・・・ダリア、グラジオラスと、真夏の花が咲き・・・
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そして薄紫色のギボウシも、猛暑の中で咲き終わりました。
母入院の翌日からは私も行く、翌週は弟夫婦、そしてその翌週は私達と、変わらぬルーティーンで続いた。その間に自分自身の通院、週に二日間は自らのリハビリで通所、お互いの友人が遊びに来てくれたりと忙しかったのも事実。
以前のかかりつけ医師よりも「認知症は、坂を転がり落ちるように悪化する」と聞いていたけれど、入院生活に入った母の認知力は環境の変化によって、我々の予想を超える急激な落ち方で悪化した。
8月初めには介護保険利用の為再認定調査の依頼、ケアマネージャーさんも含めての面談とあり。
認定調査の応答で少し覚醒したのか? その直後には「皆が会いに来てくれて嬉しい」と笑顔を見せて。私の顔を認めては「○○○」と名前もハッキリ呼んでいました。

しかし意識状態は一進一退・・・であればまだ救いもあったけれど、後退するのみなのは何のための入院だったか。病院に対して私達が思う事は多くあるものの、お任せをした自分たちの甘さもあるから、これ以上は書きませんけど。
あの医院長の診断と処方、「今出ているせん妄(注意力や思考力が低下、意識の低下が起こり、時間や場所がわからない、。理解不能な言動、独り言を話す)は、二週間でなくしてみせる」の言葉は患者の為ではなく、頭の中で空いているベッドと入院費用を計算をしてのもの???との不信感がぬぐえません。大きな専門病院と言え個人病院だから、所詮そんなものでしょうけど。
とにかく一日も早く救出をせねば(オーバー過ぎる言葉にて失礼)の思いから、私達も最後は必死でした。
思えば・・・素人である我々がネット上から施設探しをしたのが間違いのもと。入院をしたからと安心などせず、先だってケアマネさんを探してお任せしたら良かったものと、後悔した部分は多くあります。

二か月半に及んだ入院生活にもようやくピリオドがうたれ、先月29日退院の運びとなった次第ながら。普通に歩いて正常に近い意識で行ったものが、退院時には車椅子となり、限られた空間のみでの生活しか許されない環境、ストレスからか?意識ももうろうとなった無表情の患者として退院。
元々厳しい一面をもちあわせた人であったけれど・・・大声を出す、暴力的な行為に及ぶと言った心配は杞憂に過ぎませんでした(今のところは)。
それにしてもあれ程人一倍シッカリ者で、何でも出来て、孫たち皆から慕われる。私達一家の中心的存在であった母だけに、そうした姿は目にするだけでやりきれない思いが強くあります。

その間に友達が送ってくれた、山梨産の「藤稔(ふじみのり)」。
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人一倍果物好きな母に、オヤツとして持参したのは勿論です。

「井川682」と「ピオーネ」を親に1985年、品種登録をされた「藤稔」。1粒が20g前後と大粒なのが特徴で、大きいものは30g以上にもなるそうです。「藤」は「富士山」の「富士」との説もあり。
旧ブログを読み返したら、勝沼の観光ぶどう園さんで買い求めたのは、なんと12年も前の夏休み!
「勝沼ぶどうの丘ホテル」に甲州ワイン、藤稔目的で宿泊した際は、まだその頃は一般的ではありませんでしたが、勝沼ぶどう投票でも上位入賞を果たしていた。藤稔の味わいを確かめねばならん~~!と、ぶどう狩りへ。
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ぶどう繋がりで・・・、家のブルーベリーは、今年は不作、採れたのはホントに少量でした。それだけに実は甘かったけど。            
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そこで朝市で買い求めたブルーベリーを使って、夫がジャムにしてくれました。ジャム熱もスッカリ冷めた夫ながら、朝はパン食ですから、家で消費する分は作ってもらいませんとね♪
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弟からは、夫あてにまたもおビール。ボンビーな我が家ですので、これでまたヱビスが呑めるという訳。

先週末は新しい施設入所後、初の様子見に行ってまいりました。本当は入所したの翌日にも伺いたい旨希望しましたが、ここでも面会は週に一度、それも県内在住者に限ると。
新たな場所で本人の気持ちはどうか、寝ているか?ご飯は食べているだろうか?施設の方に迷惑はかけていないか・・・と、心配でその間に「どう過ごしていますか」と電話で様子を聞くなどして、ようやくの訪問でした。
しかしお昼寝に入ろうとする時であったのも関係してか非常に機嫌が悪い。椅子に座って顔を寄せようとした瞬間にも「会いたくない、帰って、帰って」と、これまでにない拒否反応を示されました。
ぶつぶつ口にし続ける、母の脳裏に残る記憶。生活の大変であった頃の、苦しい記憶で占められていると想像される内容なのもサビシイ。終戦後すぐの貧しい時代に青春時代をおくった上、若くしての結婚、そして21歳の若さで私を生んだ母。あの時代は日本中の誰もが貧しく、生活していく上での苦労は想像にあまりある。
しかし子育て後は楽しかったり、嬉しい気持ちをもった時もあったはずなのに、どうした訳か?そうした想い出は残されていない様子。そんな疑問も合わせて、辛く感じられた一日。
私達は今後の大きな回復を望むわけではない(今よりも良くなって欲しい気持ちは当然ありますが)、残された日々は平穏な気持ちのまま、なんの不安もなく、穏やかに過ごしていって欲しいと願うだけです。
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母の入院、通院、初めての面会 [母の事]

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母が入院してからふた月半あまり、季節は進んで…芙蓉の花の咲く時期さえ過ぎてしまいました。
夏を代表する花のひとつ、芙蓉は芙蓉でも、この花はアメリカ芙蓉と呼ばれる種であるようです。

お気楽・ノーてんきブログを目指している私の記事とは矛盾した内容となりますので、読みたくない方は遠慮なくスルーしてくださいませ。

入院してひと月、この時は面会室で短時間ながらも、顔を合わせる事もようやく可能に。
現状のコロナウィルス感染を別としても・・・入院直後は本人の帰宅願望を考慮して、直後の面会は避けているとの事。
もっと荒れる状況を覚悟していたものの、本人も自覚があるのか?ないのかは不明ながら?・・・静かに涙を流し、今置かれている辛い状況を(ナースステーションを気にしつつ)切々と訴えるだけ。。
自由がない、色々な人がいる。「息子さんが、娘さんがこれを差し入れしてくれましたよ」と聞かされるだけ、「どうして何時も帰ってしまうのか?」そう言った疑問を口にします。私達以上に強く我慢を強いられているのがわかるだけに、その姿に切なさでいっぱいになりました。
「うん、うん」と頷くだけで、どうして良いかもわからなかった。可哀そうで仕方がない、それでも顔を合わせられただけで良しとしました。
すっかり気落ちしつつ・・・通院の後は何時だってそう。
しかし今思えばこの頃は、お互いまだ食をとるだけの気力が残っていたのだと思う。

弟が東北道のSA「Pasar羽生」内にある、「米八」のおこわ弁当を買ってきて・・・お昼ご飯に。
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彩り野菜を和え、定番の、季節限定のおこわが数種類入った米八のお弁当です。下は、牛肉のすき焼き重弁当。
デパ地下のお総菜コーナーの一角、その場で好みのおこわや炊き込みご飯を詰めてくれる「米八」の持ち帰り弁当コーナー。随分、久しぶりに食べました。味は濃いめながら、色々入っているのは嬉しいのです。

住人不在でも庭木や芝は伸びていくばかり、放っておいたらみすぼらしくなる一方です[バッド(下向き矢印)] 私達は施設見学へ、その間の庭の作業は夫にお任せして(^^ゞ
次々とある手続きと諸々の用事、この時は3人で実家に泊まりました。

翌日は必要と言われた荷物を届けに行ったのだと思います。帰宅後の翌日のお昼は外へ。私達は初めて「手打ち処たもんや」さんへ参りましょう。
思っていたほど、混んでいません。ちょうどお昼の一巡をしたところかしら?
カウンター席、テーブル席、小上がり座敷テーブルと・・・小さなお子さん連れ、男性客ひとりの方もいらした。
弟に言わせると、こちらの店は提供までにどうして?と思うくらいに時間がかかると言う。
しかし15分ほど待って着席、この時はそう待たされた感はなかった。

夫と弟はミニ丼にもり蕎麦の付いた、海老天セット、イカ天セットのオーダーで。
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我がチョイスの…空に向かってそびえるように交差する海老天、二匹!良い、絵柄だww
サックサクに揚がった、香ばしい天ぷらが旨~~!
お蕎麦の味自体は、蕎麦通の夫曰く、極普通とか。汁は甘めかな?その代わりにのっていた大根卸しはスゴク辛かった。
丼物とのセットもののCPは悪くはないけれど、季節限定の海老天のせ蕎麦は1430円なり!一品ごとの単価は高め?!と感じました。

店内の右奥は厨房、働いているのは3人ほど。
・・・そして、ホールスタッフは女性ひとり。笑顔どころか愛想がない[あせあせ(飛び散る汗)] アルバイトなの?
メニューを撮ろうとしたら、「メニューの写真はご遠慮ください」だって。店側に失礼だったのかしら?意味不明。

入口のドアから入って先、右側のテナントは宝飾店とオシャレで高級感が漂っている。待ち時間にショーケース内を見せて頂いた。
新しく綺麗な住宅地の中で建物外観もそれなりだから、雑多な雰囲気もなく。また山奥の蕎麦店のような雑然とした雰囲気も全くない。
佐野ラーメンは全国的にもメジャーな麺となっていますが、佐野はお蕎麦も十分美味しいものと思います。ただし北の山の方まで足を延ばさないとなりません。
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そうしている間も、次から次と来店してくる客たち。人気があるのね(@_@;)


・・・この後二週間経って会ってみたら、私の事までわからなくなってしまった模様。
話し合って解決するでもなく、事態は益々深刻となってきておりました[バッド(下向き矢印)]
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力仕事が不得手でその上本人もやる気がない、じょうろで除草剤をまく事くらいしか能のない弟から、夫へお礼のビール[ビール]
「神泡」アピールのコマーシャルの「プレモル」でした。

※下書きしておいたものに加筆してのアップです。
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先週末の事 [母の事]

本日もながら…先週末は何時ものように、母の入院先へ行ってきました。
持参したオヤツを渡しながら、一週間の間の様子を伺い・・・洗濯物を受け取ったら、その足でランドリーへ。
応対する看護師さんによっていう事がまちまちなので、尋ねた相手により混乱しがち(^-^;
「パジャマが足りなそうだから買ってきてください」と言われても、こうして洗濯物はその日の内に洗って行きますし、パジャマは汚れがちと言え、8枚あったら間に合うのではないかしら?
それでもお洗濯中に買い物へ出かけ。乾燥機へ移し替えた後に、お昼にしましょう。
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この日、入ったのは「峠の茶屋」さん、さらりと済ませるお蕎麦屋さんです。
夏はこれに限ると思って、メニューから「冷やしたぬき」を。夫は「かき揚げセット」のオーダーをしました。
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キュウリ・揚げ玉・山菜の蕨・蒲鉾一切れ・刻み海苔にすり胡麻のトッピング、お汁の味が濃い目かと感じましたけれど、可もなく不可もなく。。夫の小鉢は切干大根ともやしの煮物、漬け物、セットで付いたお蕎麦もフルサイズに近い量、カラッと揚がったかき揚げがのった丼と量的にも十分です。麺はうどんか蕎麦か、冷たい、 温かいと選択肢があり好みで選べます。

気が付けば、店内は満席。手軽であり簡単にすむお昼に最適な店、丁寧で素早い接客にも好感をもちました。
多分皆さんが、常連でしょう、竜田揚げが人気らしく、多くが頼んでいた様子。
次回はその竜田揚げののった、唐揚げおろしそばを食べてみたいと思います♪

仕上がった洗濯物を持ち、病院へ戻って・・・その時の看護師さんは気の付く方で、表情が伺える近いところまで連れてきてくれました。しかし私達に気づいて欲しいような、わからなくてもいいような[あせあせ(飛び散る汗)] 怒られそうで怖い。。


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雨降りの予報であったけれど、天気はどうにかもってくれました。二毛作であるこの辺り、麦狩りの後の田植えだけに、稲苗はこんなに小っちゃい。

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実家に戻った後、夫は庭木の剪定、枯れてきた花木を取り払ったりと忙しく・・・。私は家の中を少しずっ片づけつつ、現在あるものを一か所に纏めたりして。
・・・とそこへお隣のお婆ちゃんが、ビールと畑から採ってきたばかりのキュウリ・トマトと…お野菜を差しいれて下さった[るんるん]
「どうぞ、〇〇ちゃんと一緒に呑んでください」って、〇〇ちゃんと言うのは我が弟、お隣の長男さんとは幼稚園から小・中と同級生なんです。
近所に女の子のいなかった私も、小学生になるくらいまでは彼らと一緒に遊んでいました。
元・地主さんである広大な敷地の中を走り回り、、立派な二階建てのお屋敷でも我が家のようにして過ごしていた。
農作業で忙しい両親が不在の間、好き放題に遊び、時には荒らしてもいた\(^_^ )/ ・・・今考えると、恐ろしい子だ[バッド(下向き矢印)]
父が亡くなってからは、母一人の為にお世話になる機会も多々あって…何かにつけ弟が手土産を持って挨拶に伺っていたからでしょう。
〇〇ちゃんのお陰で、買いに行かなくちゃと思っていた…おビールが呑める[るんるん]
その夜は、そのまま二人で泊まりました。夫ったら、実家の浴室のカビ取りまでしているのです。

翌日曜日の午前中は、施設見学の申込日でした。これはと思うところを弟と見学、説明を受けて帰宅。
お昼は3人で、夫のご贔屓店「かつはな亭」へ。
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ソースかつと鰻のダブル重定食を、価格から言ってC国産鰻でしょう。まぁ、それなりの味でした。
それから、いくらコッテリとは言えこんな卵豆腐なんかいらないのに[あせあせ(飛び散る汗)] 二人は「ひれかつランチ」等を食べていた模様です。

弟〇〇ちゃんからは今回、ローストナッツブラウニーで知られると言う・・・「KEITH MANHATTANキースマンハッタン)」のチーズ&チェリーのタルトセットを貰いました。
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タルティンやオードリーなどを手がける「プレジィール」の洋菓子ブランドのひとつであると言います。
※「Plaisir (プレジィール)」は・・・フランス語で「よろこび」を意味する言葉。
グラマシーニューヨーク、キースマンハッタン、ファウンドリー、オードリーなど・・・オリジナル菓子ブランドを全国展開。パッケージのお洒落さ、紙袋=ショッパーと言うらしい、こちらもスタイリッシュでカッコイイ[ぴかぴか(新しい)]
販売しているのは、大丸東京店、羽田空港第2ターミナル店、名鉄百貨店本店(名古屋)、そしてPasar羽生店(東北自動車道下りSA)の、4か所のみだそう。
チーズタルト、チェリータルト、ドライフルーツのトッピング、綺麗な見た目に濃厚なチーズと、味の方もウマウマで~~す(*^_^*)

だけど自宅へ帰っったら、すぐに今度は、福島の温泉帰りだとお土産を持ってきてくださった・・・持ってきてくださった…と言えば、我らがO川ちゃん♪ながら、、、タルトは彼に半分お持たせしてしまいました。
・・・とは言え、置いていってくれたお土産の方が高価で、立派であるのは言うまでもありませぬ!
そちらにつきましては、次回へ。
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通院の日 [母の事]

日曜は、母のいる病院への通院でした。
入院後の翌日に行ったきり、翌週は弟夫婦、そして先週末は私達と、これまでと変わらぬルーティーンとなりますが。。金曜が自分自身の通院日、その前もずっとリハビリで通所の日々、その間に友人が遊びに来てくれたりと、連日予定が入り忙しかった。

朝の内は土砂降りの雨ながら、でもお母さんのオヤツがなくなってしまうのだから(^-^; 
他の皆さんが食べていて、一人だけないのは可哀そうでしょ[たらーっ(汗)] もし自分がそうなると考えたら、なにあろうと行かねばなるまい[ダッシュ(走り出すさま)]
前日に夫が買ってきてくれた和菓子に、途中の栃木市でも買い足して、本人の好きな「鉱泉せんべい」と3種類を持参・・・。
「毎日の様子はどうですか、ご飯は食べていますか?夜はチャンと寝ているでしょうか」等を尋ねたら、溜まっていた洗濯物をコインランドリーへ運ぶ。
お洗濯をしている間、言われた通りの衣類にパジャマも買い足して、そしてドラッグストアへも行くなどすることは次々。

そうした間でもお昼ごはんを食べるって、どうよ! 私らしいでしょう!どんな時でもぬかりはないのだ(^-^;
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通りがかりの…回転寿司「海鮮 浜慶」さん、初めまして。

休日でしたが、時刻が遅かったために回っているお寿司はありません。
そこでカウンターに着いて、まず目に飛び込んできたこれ。店のおススメメニューです。
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鰺・するめいか・赤海老にバジルソースの「夏三貫にぎり」を前菜として、サラダ感覚でいただく事に。

食べるのが忙しい私、オーダーは夫担当となりました。
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小さ目のシャリに、紋甲イカ、赤身マグロ、カツオ、とろりとした鰻も美味しかった[グッド(上向き矢印)]
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〆はなぜか鰺フライ。こちらも身が肉厚で美味しかったです。以上、@1100円程度ですみ、金額的にも満足です。
内装も新しく綺麗、職人さんの対応もよくて、落ち着いて食べられました。回転厨司として初めての店ながら、群馬県伊勢崎の会社なのかしら?

コインランドリーに戻ったら、また病院へ。この時は遠目ながらも、本人の様子が伺えました。
自宅へ戻りたいする願いは当然と感じながら、それでも一人自宅に身をおくより、私達にしたら専門の方たちにお任せした院生活の方が安心していられる。無責任のようながら、それは事実ですので。

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忙しい半日が終わって、ホッとコーヒータイム。
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午前中の雨がウソのよう、青空が出て、夏の暑さも戻って参りました。

この日初めて買ったトウモロコシで、夜はコーンご飯を炊きました。
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ご飯の表面の凸凹は、一緒にトウモロコシの芯を炊きこんだため。トウモロコシご飯の美味しさの秘訣は、実をそぎ取った後の「芯」も一緒に炊く事なんですよ~~だ(●^o^●)
栄養だけでなく、甘さや旨味が詰まっているだけに、芯から美味しいだしが出るのです。

甘みがあって、プチっとした食感が美味しいトウモロコシご飯から、母と一緒に泊まった八ヶ岳のホテルの食事を思い出しました。
このご飯は残ったら、焼きおにぎりにしても美味しい[るんるん] 嘘だ!なんて思わずに、やってみてくださいな!
・・・と書いていたら、茶色く変色した部分をのぞく、青緑色に光る綺麗なヒゲだけをこれまた炊き込む、そうしたレシピもありましたよ~ん。
これからが、まさに「旬」ですね。
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実家にて [母の事]

先月の30日に行った時には一緒にスーパーへ買い物へ行って、品物を選ぶ、レジの機械で精算と出来ていたのでしたが。
通院の付き添いも兼ねて泊まりに行った翌週の弟、金曜~日曜日まで世話していたところ。お昼ご飯を一緒に食べ終えてから帰る予定をしていたと言います。
ところが母:「この間からずっと泊まっているようですが、あなたはどこのどなたですか?どうして家に入って、自分の家のようにしてご飯を作ったり、食べたりしているのかわからない」その挙句に「あなたの事は信じられない、あなたの奥さんをすぐ連れてきてください」「お願いですから、今すぐに帰って下さい」とエスカレートするばかり。

無理やり追い出されたとの連絡あり。
「そうは言われたけど今の様子は心配だから、もう少し時間を置いて、どうしているか見てからにする」と、弟本人・・・。
直後の母の電話も「家にずっと変な男が泊まっていて、親切は親切なんだけど、どうにも気持ちが悪くてしかたない。今頼んで帰ってもらったの。もう二度と家には来させない」と言います。
「でもその人はお母さんの息子、私の弟の〇〇でしょう?他の人が家にいるなんてありえないんだから」と話しても・・・「いや、違う。あれは〇〇なんかじゃない」
母の中では弟はきっと、何時だってニコニコした笑顔の可愛い子供のままなのでしょう。60過ぎたオジサンがニコニコなどしているはずもないのに、、、でも私から見ても、母と私が会話をしている様子を見る目つきは鋭く、人相も決して良くはない[バッド(下向き矢印)]
・・・今になってみるとこの時、我が家へ連れてきてもらったら良かったのかもしれない。今更もう遅いけれど。
それから弟は近くの空き地で時間をつぶした後、これ以上刺激したらまずいから、お隣りへせんべいの手土産をもって「自分はこれで帰りますが、様子がチョッとでもおかしかったらすぐに連絡して頂けますでしょうか」と頼み、帰宅の途へ。
その夜も、翌月曜日も「美容院へ行ってサッパリとカット、マニュキアで髪も染めてきたから」とハイテンションでした。「それは良かった。今夜はお風呂も入らないんでしょう?」…と言った調子でいたのでしたのに…。
その後で小脳梗塞を発症したのか、「もう食べるものがない。ご飯がなくてどうしよう」「このままじゃ死んじゃうかも」と続いて。。
水曜の夕方ついに母の感情が、大爆発したのであった。
水曜の昼までは頻繁にした連絡ながら、それから「怖くて電話が出来ない」でいたのは私も、弟も同じでした[あせあせ(飛び散る汗)]

水曜夜、弟に迎えに来てもらい、二人して実家へ向かいました。
そっと庭のフェンス、ドアのかぎを開けて「マズイ。明かりが灯ってまだ起きている。困ったな!」と、泥棒状態の私達。
「こんばんは、遅くなったけど来たよ」と無理やり笑顔を作って声をかけたら、「こんな時間にどうしたの?」と比較的穏やかな表情でした。
しかし普段は綺麗好きな母なのに、お台所のシンクには食器、お鍋、フライパン等がゴチャゴチャ汚れたままで、それにも驚かされました。

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会話が長くなると途中からかみ合わない、話がそれていってしまう…それは昨年頃からみられた状態でしたけれど。
87歳半、父が亡くなってから22年間ずっとひとりで暮らして、自宅と、自身の生活を守り続けてきた母でした。
物の名前が出てこない、過去の出来事や想い出も忘れてしまう。自分の頭の中が今、どうなっているのか?その辺りの不安からか、ここ数か月携帯電話の使い方、家電の番号も盛んに気にしていた。後になってみれば、一人ぼっちでいる間悪い事ばかりが頭の中を占めていたのでしょう。
「どうして、こんなにバカになっちゃんだろうね」ともらした時がありました・・・それでさえ、「私達だってそれは同じ、すぐに色々忘れるし、毎日探し物をしているよ」って、慰めともつかない言葉で、私自身この時の来るのをまだ先と誤魔化し続けていたのだ。

「あなた達に迷惑をかけないように、頑張るから」が、母の口癖でした。
しかし限界ぎりぎりまで頑張り続けて、身体も、心も、頭も悲鳴を上げてしまったと考えられます。
そこまで追いつめられる手前で、どうして?「家に来て一緒に暮らそう」と手を差し伸べられなかったのでしょう。・・・私自身同居してからの日々が、怖かったのだと思う。本当にごめんね[バッド(下向き矢印)]
それでも夜間に一人で倒れて、ずっと誰にも気づかれずにいる。最も恐れていた、そうした状況でなかったのだけは救いです。
「お腹空いてる?」と、弟が来るまでの間に急いで作ったおむすび、筍の煮物、焼き肉&野菜炒めを少し食べてもらいました。

一夜明けてから朝食を済ませて、夫にも顔を出してもらって一安心。
夫の顔はわかるのに、一番愛していた息子の顔を忘れてしまったのは理解に苦しむばかり。でも仕方がありません(-_-;)
午後は冷蔵庫内のありあわせで、お昼ご飯に。
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その後はテーブルにあった塩飴、「StMichel」ガレット・サンミッシェルのガレット、「東京魚河岸」舟めぐり(海鮮煎餅詰め合わせ)…のおやつを食べて、寝て、また起きても・・・居るのを確認しては安心した顔つきに(*´ー`)
病気で倒れて不自由な身体になってしまった私でも、ずっと頼りにしていたんだね[たらーっ(汗)]

お隣で頂いた群馬県板倉町「おぎの屋」の雷電の里、胡桃入り小女子の佃煮です。
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おうどんを茹でて、あるもので天ぷらを揚げて、青菜のお浸しに、鮭缶とキュウリの和え物。
これが母の自宅での、最後の晩ご飯となってしまいました。(まだ生きてはいますが)、自宅へ戻るのは多分叶わないと覚悟をしています。
しかし母、我々兄弟と3人でビールで乾杯、グラスで三分の一くらいは呑んだと思う。
本人もご機嫌で、そのあとシャワーも浴びてサッパリとして落ち着いていた。  とても良い夜でした。

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翌日の検査、診察ののち、その場で決まってしまった入院です。
CT画像に写った脳海馬の萎縮、脳内に数多くみられた小脳塞痕。医師の言うにはこのまま入院するしかないと。
一人で知らない人たちの中へ置いておかれた心細さから、昼食は拒否。案内された自分の個室へは夜まで入らなかったと言います。
翌日曜に行って担当看護師さんに様子を伺ったら・・・夜はよく寝ていらしたし、多少のバラツキはあるものの夜、朝と食事を撮られて、他の患者さんにも話しかけるなどされていますから、少しずつ馴染んでくださると思います。…との言葉。
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これを機に本人の安心できる場所で、心静かに、出来ればホンの少しの楽しみでも見つけ生きていって欲しいです。
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主のいなくなった庭で咲いた、紫陽花の花々。激しい雨にうたれて、葉と花が雨に濡れた様子は美しい。
季節はすでに、梅雨ですね。
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