今週は暖かくなって、ようやく・・・・春の予感♪
花々が満開になる日はそう遠くないかもと思いながら、昨日の続きです。

一関を出た私達がまず向かったのは、気仙沼駅でした。一個目のスタンプをゲットする為です。


大震災から2年経った今出来る事と言ったら・・・甚大なる被害とその後の風評も含め観光客が激減してしまった被災地を訪れて、わずかでもその地の一助になればということくらい・・・とは言え、もう笑われてしまうくらいにささやかなものなのだけれど。。


偶然にもこの日。
岩手、宮城県境のJR大船渡線では、大震災による被害を受けて不通となった・・・気仙沼-盛駅間の仮復旧として、バス高速輸送システム=BRT導入によるバスが走り始めた日でした。
駅には待望の運行開始を祝って、ご当地キャラクターの絵柄でラッピングしたバスの姿。またそれを見送るカメラマンもいました。

私達も、津波の傷痕が残る市街地へ。気仙沼(ここだけは宮城ながら・・・)、大船渡、釜石、大槌へと・・・。
  
                          

沿岸部に近い場所へと近づくにつれ、道の両側は荒涼とした景色へと変わっていく。
廃墟と化してしまったビルや工場の建物、続く家並みは何もかもなくなってコンクリートの土台だけが残されていた。
尊い人命は勿論ながら、日々の営みの基本となる家や仕事場も皆奪っていってしまった自然災害。

仕事や学校へ行って、家で普通にご飯が食べられ、寝る事の出来る毎日。
毎日の暮らしが営まれていた・・・普通の人々の、普通の暮らしが震災により失われてしまいました。
大切なものを奪われてしまった方々の悔しさも、想像された私達です。

2年も経つのに、あちこちに残されている瓦礫、積み重なったコンクリートの塊。
山間に建ち並ぶ、無機質なプレハブ造りの仮設住宅の様子。
土台だけ、廃墟となった駅舎だけが残されて、まだ分断されたままになっている鉄道の線路。

いまだ復興の見通しのたたない、津波の爪痕が生々しく残った沿岸部に出かけていってその風景の前にたたずむ意味?を思い知らされたのでした。
行く前から被災された地域の写真は撮らないと、決めていましたが・・・。
それでも実際に目にしてしまうと、どう表現したら良いのか言葉が見つかりません。

何事もなかったかのように、静かに佇む深く碧い海。多くのものを与えてくれる海だけど、ひとたびその海が牙をむいたら、これほどの脅威になってしまう・・・
私の表現力では到底書き表す事の出来ない。現実の風景がどこまでも続いていくのでした。

自宅で茫然と見ていたテレビの映像よりも、三陸の海沿いの各地でえぐれて茶色になった風景をこの目にした時、復興への長い道のりを思うとやりきれない思いが。。。
それでも、一歩一歩前進していってほしい。
あれから2年、3月11日のあの時間が間もなくまたやってきます。
そしてあの津波の映像も、また見る事になるだろう。

続く・・・。