題名のない子守唄 [DVD]

  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • メディア: DVD



ジュゼッペ・トルナトーレ監督、音楽がエンニオ・モリコーネと言えば…「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」があります。
二本とも名作と名高い。どちらも映画や音楽に魅せられた、それぞれへの愛情が描かれた作品であるのは事実ながら、私には何となくきれいごと過ぎる印象が強いのです。

「マレーナ」以来6年ぶりとなる同監督の、待望の映画がこの「題名のない子守唄」。
本作を手にしたのは、ジャケットの女性の愁いを帯びた眼差しに魅せられてのもの。

映画はいきなり、仮面をつけた全裸の女性が品定めをされると言う・・・ショッキングなオープニンクで゙始まります。
そしてイタリア北東部にある街へ、謎めいた黒尽くめの女性イレーナ=クセニア・ラパポルトがやってくるのです。
イレーナは、金細工の工房を営むアダケル夫妻の自宅に近づく。その家にはテアという一人娘がいました。

過去と現在が交錯し、途中フラッシュバックされるのはブロンドの髪の若い美女。
実はこれもイレーナだったのだ。
彼女はその家の家政婦になることに執着し、働いていた元の家政婦・ジーナを事故に見せかてけ階段から突き落としてまでその仕事に就きます。
一家の好みを調べるなどやり過ぎだけど、勤勉で一生懸命なイレーナは、すぐに夫妻に受け入れられる。
防衛本能に障害を持った娘テアも、次第にイレーナに心を開いていく。

その半面イレーナは、密かにアダケル家の室内を物色するなど不可解な行動を取り始めていきます。
ここまでの彼女の行動は非常にミステリアスで、常にハラハラ、ドキドキさせられます。
使われているエンニオ・モリコーネによる音楽効果も、忘れてはならないものであると思います。
彼女の訳のありそうな表情から、暗い過去、普通では何かが想像されますが・・・忌まわしい過去が度々フラッシュ・バックされて、少しずつそれは明らかになってきます。

イレーナ役を演じる、クセニア・ラパポルトはロシアの女優さんだそうです。
少し若い頃の金髪の時の美しさ、その綺麗な身体は、悪い親分・黒カビが惚れて特別扱いをしてしまうのも納得です。
罪の意識から療養所のジーナを見舞うイレーナ、彼女に小切手にサインさせては人に言えない自らの過去を話しきかせるのです。

イレーナの痛々しい過去が、ゆっくりと私達にも提示されてきます。
売春婦となっていた過去。
出産を目的に買われ、誰とも知らない男の子供を産まされる。12年間に9度もの出産をさせられて、その度に生まれた子供は売り飛ばされると言う・・・人間としては耐えがたい、惨めな生き方をしてきたのです。
命がけの出産シーンの凄まじさ。
あんなことを続けていたら、身体はボロボロです。ホント死んでしまうかも。
同性として見るに耐えないシーンが続きました。

そんな過去を持つ彼女の生きる目的、それは恋人との間に出来た子供に会うこと。
今生きているのは、最愛の人の忘れ形見であり自分にとって最後の子供となった、その子に会う為だけなのです。
それは、アダケル家の養女であったテア。

学校で怪我をしてきたテアに、イレーナは訓練をします。
テアの身体を縛って突き倒して、ひとりで立ち上がらせようとします。
テアが泣きながら起き上ったそのそばからまた突き倒し「一人で立ち上がれ」「やられたら、やりかえしなさい」と大声を出します。
しかし意地悪でやっているのではありません。

男達に暴力を振るわれながら好きにされてきた、弱い自分と同じになって欲しくはないと思う、母としての気持ちからなのです。
キチンと仕事も出来て決して頭も悪くない、度胸や冷静さもあるイレーナですのに・・・ささいな事情から堕ちて、人の生き方も変わってしまうものなのですね。

ただならぬイレーナの様子に不信感をもったアダケル夫人が彼女を見張るシーンも、母親対母親の戦いとして怖いものがありました。
しかし実はテアは自分の娘では無かったという・・・イレーナの不幸はどこまでも続くのです。。
悪い親分・黒カビを殺した罪で警察に捕まってしまうイレーナ。
取り調べをする女性たちが同情的な態度であったのも当然に思えました。

忌まわしい過去をもち、いくつもの罪を犯たイレーナに希望はないだろうか?
いいえ、ほんの少しの救いは残されています。
刑に服して出所した彼女の前に、成長したテアが会いに現れますが、この時の明るい屈託のないテアの笑顔には私もやられました。

どのような理由でイリーナが闇の世界に足を踏み入れてしまったか理由は示されていないけど、人生の歯車なんてホンのチョッとしたことで狂ってしまう・・・その後、後戻りできない深みにはまってしまう事もあるのだろう。
女性にしろ、子供にしろ、人格や自由を無視した性の売り買いはあってはならないものだけれど、それを求める人間がいる限り…世界中のどこであったとしても不思議はないものです。
多種多様な移民が存在するヨーロッパ社会。
その存在が社会の底辺の労働力として、日常的であり欠かせざることは事実です。

理屈では割り切れない、人の本能、母性がテーマとなった映画でした。
昨年の「八日目の蝉」をチョッと思い出しました。
「ニューシネマ・パラダイス」とは全く違うタイプの映画です。