パリ五輪開催・・・ [映画・DVD]
今週、いよいよ始まります・・・フランス・パリでの「パリオリンピック・パラリンピック」に思いを馳せて・・・。
でもスポーツに疎い私ですので、パリの街を知りたい。パリの観光をしたいあなたへ贈る パリの魅力が実感出来るのではと思う、そんな映画のご紹介です。
まずは、「パリタクシー」。
2022年のフランス映画。ギリギリの暮らしの中、イライラしながら仕事に向かうタクシードライバー・シャルル。乗せた客は92歳のマドレーヌ。彼女の過去を知り、人柄を知ることで心を開いてゆくシャルル。終の棲家となる施設までの道中を描いた一作。
監督:クリスチャン・カリオン
出演:シャルル=ダニー・ブーン、マドレーヌ=リーヌ・ルノー
エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーブル美術館、セーヌ川、オシャレなカフェ&ビストロ。ひとつの主人公はパリの街並み、エレガントな美しさに浸れる光景の数々です。
ウディ・アレンを好む訳ではないが、気楽に観られて楽しめる、高評価な一作「ミッドナイトパリ」。
2011年スペイン・アメリカ映画。ハリウッドで脚本家をしているギルは婚約者とその両親とパリに旅行に来ました。街の魅力に惹きつけられギルが・・・夜の散歩に出ると、1920年代のパリへとタイムスリップをしてしまうのです。世界的な偉人たちとお酒を呑む、ダンスに興じる、素敵な出会いあり。不思議な経験を繰り返す、ギルが行き着くのは…。
監督:ウディ・アレン
出演者:ギル=オーウェン・ウィルソン、イネズ=レイチェル・マクアダムス、アドリアナ=マリオン・コティヤール、サルバドール・ダリ=エイドリアン・ブロディ
朝のパリは、美しい。昼のパリは魅力的。夕暮れのパリにはうっとり。そして真夜中のパリには・・・
次は、「ミッドナイト・イン・パリ」にも出演している・・・レア・セドゥの主演作です。
「マリーアントワネットに別れを告げて」
パリ中心部からは普通電車で17分、かつて幾つかの時代にフランスの実質的な首都機能をもっていたヴェルサイユが舞台の一作。
フランス王妃マリー・アントワネットに心酔する、女王の朗読係の視点からの、「フランス革命」勃発からの4日間が描かれた。
監督:ブノワ・ジャコ
出演者:シドニー=レア・セドゥ、マリー・アントワネット=ダイアン・クルーガー、ポリニャック夫人=ヴィルジニー・ルドワイヤン
今から235年前となる1789年7月14日。圧政に苦しむ民衆たちの手によるバスティーユ陥落、フランス革命の勃発。
何も知らないヴェルサイユの住人達は、変わらぬ華やかな日常を送っていましたが・・・。
翌7月15日。バスティーユ陥落の報にヴェルサイユも騒然となり・・・国王は革命鎮圧のためにヴェルサイユからパリへ向かいます。国王の身を案じる王妃は、万一に備えて書いた全権限を国民に委ねる趣旨の演説原稿を用意しますが。。王妃と、ポリニャク夫妻、朗読係シドニーの行く末はどうなってしまうのでしょう。
シドニー役のレア・セドゥはパリを舞台にした映画「アデル、ブルーは熱い色」により同世代で最も高い評価を得る。「007シリーズ」でも2度ボンドガールを演じるなど、フランス映画界に限らず最も成功をおさめている女優です。・・・とは、一年ほど前まで私も知らないでいたのでしたけど。
ルイ・ヴィトン、プラダのCMでもお馴染みでしたね。
歴史と文化を実感、美しい街並みが広がるパリの街。実際にはホテル代や、飲食にかかる物価の高さも有名です。それに治安の悪さも目立って、歩いたら道路はボコボコ、清潔とはどう見ても言えないかな。それでも映画からパリの街の美しさ、魅力あふれる良い面を感じていただけたら幸いです。
でもスポーツに疎い私ですので、パリの街を知りたい。パリの観光をしたいあなたへ贈る パリの魅力が実感出来るのではと思う、そんな映画のご紹介です。
まずは、「パリタクシー」。
2022年のフランス映画。ギリギリの暮らしの中、イライラしながら仕事に向かうタクシードライバー・シャルル。乗せた客は92歳のマドレーヌ。彼女の過去を知り、人柄を知ることで心を開いてゆくシャルル。終の棲家となる施設までの道中を描いた一作。
監督:クリスチャン・カリオン
出演:シャルル=ダニー・ブーン、マドレーヌ=リーヌ・ルノー
エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、ノートルダム寺院、凱旋門、ルーブル美術館、セーヌ川、オシャレなカフェ&ビストロ。ひとつの主人公はパリの街並み、エレガントな美しさに浸れる光景の数々です。
ウディ・アレンを好む訳ではないが、気楽に観られて楽しめる、高評価な一作「ミッドナイトパリ」。
2011年スペイン・アメリカ映画。ハリウッドで脚本家をしているギルは婚約者とその両親とパリに旅行に来ました。街の魅力に惹きつけられギルが・・・夜の散歩に出ると、1920年代のパリへとタイムスリップをしてしまうのです。世界的な偉人たちとお酒を呑む、ダンスに興じる、素敵な出会いあり。不思議な経験を繰り返す、ギルが行き着くのは…。
監督:ウディ・アレン
出演者:ギル=オーウェン・ウィルソン、イネズ=レイチェル・マクアダムス、アドリアナ=マリオン・コティヤール、サルバドール・ダリ=エイドリアン・ブロディ
朝のパリは、美しい。昼のパリは魅力的。夕暮れのパリにはうっとり。そして真夜中のパリには・・・
次は、「ミッドナイト・イン・パリ」にも出演している・・・レア・セドゥの主演作です。
「マリーアントワネットに別れを告げて」
パリ中心部からは普通電車で17分、かつて幾つかの時代にフランスの実質的な首都機能をもっていたヴェルサイユが舞台の一作。
フランス王妃マリー・アントワネットに心酔する、女王の朗読係の視点からの、「フランス革命」勃発からの4日間が描かれた。
監督:ブノワ・ジャコ
出演者:シドニー=レア・セドゥ、マリー・アントワネット=ダイアン・クルーガー、ポリニャック夫人=ヴィルジニー・ルドワイヤン
今から235年前となる1789年7月14日。圧政に苦しむ民衆たちの手によるバスティーユ陥落、フランス革命の勃発。
何も知らないヴェルサイユの住人達は、変わらぬ華やかな日常を送っていましたが・・・。
翌7月15日。バスティーユ陥落の報にヴェルサイユも騒然となり・・・国王は革命鎮圧のためにヴェルサイユからパリへ向かいます。国王の身を案じる王妃は、万一に備えて書いた全権限を国民に委ねる趣旨の演説原稿を用意しますが。。王妃と、ポリニャク夫妻、朗読係シドニーの行く末はどうなってしまうのでしょう。
シドニー役のレア・セドゥはパリを舞台にした映画「アデル、ブルーは熱い色」により同世代で最も高い評価を得る。「007シリーズ」でも2度ボンドガールを演じるなど、フランス映画界に限らず最も成功をおさめている女優です。・・・とは、一年ほど前まで私も知らないでいたのでしたけど。
ルイ・ヴィトン、プラダのCMでもお馴染みでしたね。
歴史と文化を実感、美しい街並みが広がるパリの街。実際にはホテル代や、飲食にかかる物価の高さも有名です。それに治安の悪さも目立って、歩いたら道路はボコボコ、清潔とはどう見ても言えないかな。それでも映画からパリの街の美しさ、魅力あふれる良い面を感じていただけたら幸いです。
薔薇からイメージ・・・ [映画・DVD]
せっかくの三連休と言うのに、まだ梅雨明け前と言え生憎の空模様が続いています。
早朝のお散歩コースで、今月に入ってもまだ薔薇の花を見る事が出来ました。
家の庭にも薔薇は数本咲いていたものが、6月中旬には咲き終わってしまいました。今更ですけれど。そんな薔薇の花のイメージって、何かありますか?
アップした中には、まだじゅうぶんに綺麗なもの、暑さにお疲れになってしまったものと。色合いも抑えめにしていたけれど、ドンドンカラフルになってしまいました。
薔薇からイメージする・・・そのものズバリの映画、小説のタイトルでは「薔薇の名前」、でも私には難しすぎる エディット・ピアフの代表曲では「薔薇色の人生」。日本では「ベルサイユの薔薇」(爆)など。
薔薇がモチーフやシンボルとなった映画作品の中で、個人的に強く印象に残る一作は・・・1993年のアメリカ映画「秘密の花園」です。
作家フランシス・ホジソン・バーネットの、児童向け小説「小公女」、「小公子」は読んだ方が多いと思われますけど。
「ゴッドファーザー」シリーズ「地獄の黙示録」のフランシス・フォード・コッポラ製作総指揮で、ポーランドのアグニエシュカ・ホランド監督が映像化を。
同監督には「僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ」「太陽と月に背いて」「心臓を貫かれて」等、良質な作品が目立ちます。わりと近作では「赤い闇 スターリンの冷たい大地で 」があります。
突然の事故で両親を失い心を閉ざした少女メアリーが、叔父の屋敷で偶然に見つけた花園。大人には内緒のまま子供だけで花園を蘇らせる。荒れ果て忘れられた花園の再生を通して、自身と周囲も変えていく「秘密の花園」。
私の説明などよりも、観て損のない一作、静かに迫る内容と思われます(≧∇≦)
肝心の薔薇、植物の描写が少し物足りなくもありますが、映画化にあたっては撮影時期がまだ薔薇の季節ではなかった、その辺り非常に苦労をし撮ったとのエピソードが残っているのです。
早朝のお散歩コースで、今月に入ってもまだ薔薇の花を見る事が出来ました。
家の庭にも薔薇は数本咲いていたものが、6月中旬には咲き終わってしまいました。今更ですけれど。そんな薔薇の花のイメージって、何かありますか?
アップした中には、まだじゅうぶんに綺麗なもの、暑さにお疲れになってしまったものと。色合いも抑えめにしていたけれど、ドンドンカラフルになってしまいました。
薔薇からイメージする・・・そのものズバリの映画、小説のタイトルでは「薔薇の名前」、でも私には難しすぎる エディット・ピアフの代表曲では「薔薇色の人生」。日本では「ベルサイユの薔薇」(爆)など。
薔薇がモチーフやシンボルとなった映画作品の中で、個人的に強く印象に残る一作は・・・1993年のアメリカ映画「秘密の花園」です。
作家フランシス・ホジソン・バーネットの、児童向け小説「小公女」、「小公子」は読んだ方が多いと思われますけど。
「ゴッドファーザー」シリーズ「地獄の黙示録」のフランシス・フォード・コッポラ製作総指揮で、ポーランドのアグニエシュカ・ホランド監督が映像化を。
同監督には「僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ」「太陽と月に背いて」「心臓を貫かれて」等、良質な作品が目立ちます。わりと近作では「赤い闇 スターリンの冷たい大地で 」があります。
突然の事故で両親を失い心を閉ざした少女メアリーが、叔父の屋敷で偶然に見つけた花園。大人には内緒のまま子供だけで花園を蘇らせる。荒れ果て忘れられた花園の再生を通して、自身と周囲も変えていく「秘密の花園」。
私の説明などよりも、観て損のない一作、静かに迫る内容と思われます(≧∇≦)
肝心の薔薇、植物の描写が少し物足りなくもありますが、映画化にあたっては撮影時期がまだ薔薇の季節ではなかった、その辺り非常に苦労をし撮ったとのエピソードが残っているのです。
実家の帰り、購入したDVD [映画・DVD]
実家到着後は早速に、作業開始。夫は庭木の剪定、ゴミの片付けと大忙し。私?家の中のお片付けと掃除をしていましたが、小さな戸建てとはいえ、とにかく様々な物、大量の衣類もあふれんばかり!
しかし陽が落ちる時刻も早まりつつある今、予定とは程遠かった様子。
その夜は食べに出かける、居酒屋へ行くのは止めて‥‥。
スーパーヤオコーで買った安いアルコール。それと必ず買うもののひとつ、画像はないけど、ヤオコーブランドのジャスミンティペットボトルは美味しいですよ。それから、忘れてならないのは「おはぎ」♪ 秋保温泉のスーパー「さいち」直伝おはぎが、ヤオコーでも買って食べられるのは嬉しいね(●^o^●)
お刺身と揚げもの。おにぎり、インスタント味噌汁・・・これではまるでキャンプ飯です!だけど簡単、楽チンで時には良し
マグロ・中トロ・ブリ・紋甲イカ・甘エビ…と、ヤオコーのお刺身盛り合わせは美味しい、アルコールのつまみには十分な量でした。
ゴミ袋にして8~9袋出たゴミは車に積んで帰りましょう。勿論母の冬用の衣類を持って・・・。
翌日曜は他に用事があったものだから、限のない作業は出来るだけにして帰る事に。これではまた何時か折りをみて通わないと無理です。
帰路に立ち寄りをした、ブックオフでまた買ってしまいました。
映画「カサブランカ」は、フランス領モロッコの都市カサブランカを舞台に、かつて愛し合った末別れた男女の思いがけない再会と愛の再燃を描いた・・・不朽の名作。主演のイングリッド・バーグマンの美しさ、ハンフリー・ボガードの渋さを堪能できる傑作映画です。
「俺たちに明日はない」
主役のふたりボニーとクライドが大量の銃弾で射撃され、崩れ落ちる名高いラストシーン・・・新境地で描かれた犯罪映画はアメリカン・ニューシネマの一作となった、アーサー・ペン監督作。
フェイ・ダナウェイ、ウォーレン・ベイティの他、若き日のジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラードらの脇役も大好き。
本作はスクリーンでリアルタイムに楽しみ鑑賞をした映画でした。歳がバレる!?
「ことの終わり」は三作中で最も新しい。
・・・と言っても、20年以上前制作された映画でした。若き日のレイフ・ファインズの知的な眼差し、甘さを漂わす口元、落ち着いた声がこれまた良いのだ。エレガントな衣装に身を包んだジュリアン・ムーアも若く美しく←でも本当は苦手。
サスペンスタッチで綴られた大人の恋愛模様は、グレアム・グリーン作「情事の終り」を監督ニール・ジョーダンが映画化した、レイフ・ファインズファンであれば必見。
内容、購入理由もそれぞれながら、どれも持っていて繰り返し観たいと思えた作品でした。ブックオフって、当たり外れが大きく感じます。
しかし陽が落ちる時刻も早まりつつある今、予定とは程遠かった様子。
その夜は食べに出かける、居酒屋へ行くのは止めて‥‥。
スーパーヤオコーで買った安いアルコール。それと必ず買うもののひとつ、画像はないけど、ヤオコーブランドのジャスミンティペットボトルは美味しいですよ。それから、忘れてならないのは「おはぎ」♪ 秋保温泉のスーパー「さいち」直伝おはぎが、ヤオコーでも買って食べられるのは嬉しいね(●^o^●)
お刺身と揚げもの。おにぎり、インスタント味噌汁・・・これではまるでキャンプ飯です!だけど簡単、楽チンで時には良し
マグロ・中トロ・ブリ・紋甲イカ・甘エビ…と、ヤオコーのお刺身盛り合わせは美味しい、アルコールのつまみには十分な量でした。
ゴミ袋にして8~9袋出たゴミは車に積んで帰りましょう。勿論母の冬用の衣類を持って・・・。
翌日曜は他に用事があったものだから、限のない作業は出来るだけにして帰る事に。これではまた何時か折りをみて通わないと無理です。
帰路に立ち寄りをした、ブックオフでまた買ってしまいました。
映画「カサブランカ」は、フランス領モロッコの都市カサブランカを舞台に、かつて愛し合った末別れた男女の思いがけない再会と愛の再燃を描いた・・・不朽の名作。主演のイングリッド・バーグマンの美しさ、ハンフリー・ボガードの渋さを堪能できる傑作映画です。
「俺たちに明日はない」
主役のふたりボニーとクライドが大量の銃弾で射撃され、崩れ落ちる名高いラストシーン・・・新境地で描かれた犯罪映画はアメリカン・ニューシネマの一作となった、アーサー・ペン監督作。
フェイ・ダナウェイ、ウォーレン・ベイティの他、若き日のジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラードらの脇役も大好き。
本作はスクリーンでリアルタイムに楽しみ鑑賞をした映画でした。歳がバレる!?
「ことの終わり」は三作中で最も新しい。
・・・と言っても、20年以上前制作された映画でした。若き日のレイフ・ファインズの知的な眼差し、甘さを漂わす口元、落ち着いた声がこれまた良いのだ。エレガントな衣装に身を包んだジュリアン・ムーアも若く美しく←でも本当は苦手。
サスペンスタッチで綴られた大人の恋愛模様は、グレアム・グリーン作「情事の終り」を監督ニール・ジョーダンが映画化した、レイフ・ファインズファンであれば必見。
内容、購入理由もそれぞれながら、どれも持っていて繰り返し観たいと思えた作品でした。ブックオフって、当たり外れが大きく感じます。
かつやテイクアウト&お菓子&映画 [映画・DVD]
国中のロードサイドに建つ、かつ丼のチェーン店「かつや」さん。そう、あの店です。
かつやでテイクアウトしてきた、かつやブランドのエビ・ヒレ・カニクリームコロッケのフライ達。
いかに私にやる気がないか、我が家の夕ご飯の現実が表れてます
全国のどこへ行ってもある「かつや」。かつやでは店内で食べるかつ丼がお持ち帰り可能って知ってました?かつやのかつ丼が自宅で食べられるのみでなく・・・。
勿論トンカツ、から揚げも、店内のショーケースに並んでいますね。
夕ご飯用に買ってきてしまいました。テーブルに常に置かれている、つぼ漬けもついで購入(^_^)V
「ナイルパーチの女子会」のドラマ中、水川あさみが頻繁に食べていたスナック菓子。
私のお菓子も負けていないわよ!なーんて、もうおバカ(/ω\)
だけど家でも誰かが買ってきちゃうから、隙にあかせてつい口に運んでしまうのです
チョコも好きだけど、くるみとアーモンドのチョコ♪ ナッツとチョコの組み合わせは美味しいよねぇ「ロカボ」だから、少しくらいは大丈夫。…オイオイ、大丈夫じゃないよ(@_@;)
そしてなくなる頃になると、またまた。ここに並ぶチョコ、お菓子はどれも「正栄デリシィ」と言う会社の直売所に売られているのでした。
コンビニ・スーパーで売られるチョコレート、お菓子類の端っこや、包装されていない半端な商品=アウトレット品達です。
なんでも夫曰く「金曜日はチョコを買う日」だそう。
食べても太らない人は良いけど、食べても、食べなくても太る一方の…この私(^_^;)
どうする!この身体!これ程に立派になった体型は元に戻らないかも・・・
こんなお菓子を食べつつドラマの再放送を見たり、本を読んだり。←それは良い♪
ドラマ「ナイルパーチの女子会」とは…
容姿端麗で高学歴、高収入のキャリアウーマン・志村栄利子=水川あさみは満たされない思いから、お気にいりのブロガーの日記を愛読していた。
「おひょうのダメ奥さん日記」を書いている主婦・丸尾翔子=山田真歩の住居を探しあてる栄利子。二人は互いに友達が出来ないと言う共通点から親しくなっていくのだが。
彼女の日常を、栄利子が異常な言動によって侵食していく展開、ストーリーの見どころでした。
他者と距離感を保つ、その場の空気を読むといった事の一切ない栄利子の思いの強さが全てと言ってよい、そこに視聴者は翔子同様「怖すぎる」…とする感情をもってしまう。
ドラマの最後、それぞれが自らの置かれた場で、前を向いていく・・・といったキレイごとで終わらせていたけれど。。
他人など眼中にないかのような感情の発信、他人の立場に立つ想像力が決定的に欠けた。自身の不安定さを言葉や挙動に変換する強烈なキャラクター…の栄利子が翔子にしたことは、恐怖を感じる行き過ぎた行動であったのだから、、もし自分が翔子なら別れの場であれ栄利子の自宅で、二人きりでお茶なんか怖くて飲めない。そんな気持ちになれないし、簡単に誘いにのるなんて無理だと思った。
面倒くさいことは放ったらかしにし、都合が悪くなると逃げる翔子の性格は理解出来ます。
お互いに噛み合わない会話、相手のせいにする展開は疲れたが、面白くもあった。
水川あさみをこれまで面白みのない女優と感じてきたけれど、癖の強い役柄が似合っていました。対する、山田真歩の捉えどころのない存在感も魅力です。
気持ちにゆとりがないと自分自身にしか考えが及ばない、自分本位になってしまう。
人と人が簡単にわかり合えたり、共感するのは理想であって、実際には難しいと考えざるえないと気づかされる。
現実でも、友人がいない=コンプレックスになっている・・・若い人、子供にもきっといるだろうけど、今の世の中どれだけ友達が沢山いますと口に出来る人がいるか?と思う。
不器用な人が、器用に人と交際する事も、そう言う人を真似る必要もないと私は考えているので。。
友達の数や付き合いの方を競うことはない。一人が好きなら、そうした生き方もありだと今までずっとそうしてきたから。だってこうしてブログやっていれば、寂しくなんかない(笑)
日によっては映画を楽しんだりして・・・例えばフランス映画で「アデルブルーは熱い色」。
青い髪をしたエマ=レア・セドゥの画家としての才能と、知性、独特の雰囲気に魅了される・・・教師を希望する高校生アデル=アデル・エグザルコプロスとの運命的な出会いから、別れを描いた本作。
同性愛を扱ったストーリーに格別な興味や、理解は不能であったけれど…。
主演二人の雰囲気、役作りがとにかく上手、自然である事に惹きつけられます。二人の文句なしの演技に見惚れ、特にレア・セドゥ=エマの役作りの完成度は本物の…って知らないけど、レズにしか見えない表情、スタイルの映像は色々な意味で面白かったです。性差を超えたリアルで普遍的な恋愛ドラマになっている辺りも、意表をつかれました。
ポール・ニューマン主演作品「ハスラ―」は1961年制作の映画、ビリヤードは経験も、ルールも全く未知の分野であったから・・・退屈な時間帯もありましたが、中盤から後半にかけて引き寄せられました。
ポール・ニューマンと言えば、誰もが知る作品「明日に向って撃て!」、そして権力に屈せず、頭がきれるのにあくまでも反体制の姿勢を貫く男を演じた「暴力脱獄」。
現代の作風と比較したら、多少テンポが遅かったり、古さが垣間見られる部分はあったものの、若さに溢れた端正な顔立ち、ふっと浮かべるニューマンスマイルには参りました!
恋人サラが亡くなる原因となるバート=ジョージ・C・スコットは、本作でオスカーの助演男優賞にノミネートされるも辞退します。
1970年代のジョージ・C・スコットは「パットン大戦車軍団」、こちらでも主演男優賞を辞退。「ジェーン・エア」でのロチェスター卿役、「ラスト・ラン」とすでにお爺ちゃんだったけど、一時カッコイイ俳優として見ていました。
ポール・ニューマンと同年代である、三十代のジョージ・C・スコットの渋いハンサムぶりに驚かされます。
その25年ぶりとなる続編、 1986年制作された「ハスラ―2」。
かつて一流のハスラーであったエディ=ニューマンはその世界から遠のいていたものの、ヴィンセント=トム・クルーズと出会います。ヴィンセントの才能を見込んだエディは、彼を一流のハスラーへとプロのテクニックを教えはじめますが。
題材的に万人受けする作品ではない分、そこに若きイケメン・トム・クルーズをキャスティングして、より娯楽性を高めた作品に感じました。
内容的にも主役がふたりとなって、テーマ的にも一作目と違ってしまった違和感も。
素人(実はハスラー)=フォレスト・ウィテカーとプレイして惨敗するエディ。若者ヴィンセントに翻弄される様子にも胸が苦しくなった後は・・・やはりポール・ニューマンは渋くてカッコ良くなくてはって、次に選んだのが訳ありの弁護士役である「評決」でした。
圧倒的な強者が相手であっても怯まない、負けるのが前提であっても、決して諦めず果敢に立ち向かう姿に、これぞポール・ニューマンと思わずにいられない魅力が全開!
終始病院側に付いて、弁護士ニューマンの言動を苦々しく感じ不快感を前面に出し続ける裁判長。圧倒的に不利な場面になりながら、最後に現れる病院側の証人と証拠。
それさえ却下されるも、陪審員たちに投げかける弁護士ニューマンの、人として生きる上の良心。
俳優の魅力に、感情を揺さぶるストーリー、傑作と感じました。登場人物を不要に死なせたり、日本映画のように号泣シーンなどないのも良いのです。
かつやでテイクアウトしてきた、かつやブランドのエビ・ヒレ・カニクリームコロッケのフライ達。
いかに私にやる気がないか、我が家の夕ご飯の現実が表れてます
全国のどこへ行ってもある「かつや」。かつやでは店内で食べるかつ丼がお持ち帰り可能って知ってました?かつやのかつ丼が自宅で食べられるのみでなく・・・。
勿論トンカツ、から揚げも、店内のショーケースに並んでいますね。
夕ご飯用に買ってきてしまいました。テーブルに常に置かれている、つぼ漬けもついで購入(^_^)V
「ナイルパーチの女子会」のドラマ中、水川あさみが頻繁に食べていたスナック菓子。
私のお菓子も負けていないわよ!なーんて、もうおバカ(/ω\)
だけど家でも誰かが買ってきちゃうから、隙にあかせてつい口に運んでしまうのです
チョコも好きだけど、くるみとアーモンドのチョコ♪ ナッツとチョコの組み合わせは美味しいよねぇ「ロカボ」だから、少しくらいは大丈夫。…オイオイ、大丈夫じゃないよ(@_@;)
そしてなくなる頃になると、またまた。ここに並ぶチョコ、お菓子はどれも「正栄デリシィ」と言う会社の直売所に売られているのでした。
コンビニ・スーパーで売られるチョコレート、お菓子類の端っこや、包装されていない半端な商品=アウトレット品達です。
なんでも夫曰く「金曜日はチョコを買う日」だそう。
食べても太らない人は良いけど、食べても、食べなくても太る一方の…この私(^_^;)
どうする!この身体!これ程に立派になった体型は元に戻らないかも・・・
こんなお菓子を食べつつドラマの再放送を見たり、本を読んだり。←それは良い♪
ドラマ「ナイルパーチの女子会」とは…
容姿端麗で高学歴、高収入のキャリアウーマン・志村栄利子=水川あさみは満たされない思いから、お気にいりのブロガーの日記を愛読していた。
「おひょうのダメ奥さん日記」を書いている主婦・丸尾翔子=山田真歩の住居を探しあてる栄利子。二人は互いに友達が出来ないと言う共通点から親しくなっていくのだが。
彼女の日常を、栄利子が異常な言動によって侵食していく展開、ストーリーの見どころでした。
他者と距離感を保つ、その場の空気を読むといった事の一切ない栄利子の思いの強さが全てと言ってよい、そこに視聴者は翔子同様「怖すぎる」…とする感情をもってしまう。
ドラマの最後、それぞれが自らの置かれた場で、前を向いていく・・・といったキレイごとで終わらせていたけれど。。
他人など眼中にないかのような感情の発信、他人の立場に立つ想像力が決定的に欠けた。自身の不安定さを言葉や挙動に変換する強烈なキャラクター…の栄利子が翔子にしたことは、恐怖を感じる行き過ぎた行動であったのだから、、もし自分が翔子なら別れの場であれ栄利子の自宅で、二人きりでお茶なんか怖くて飲めない。そんな気持ちになれないし、簡単に誘いにのるなんて無理だと思った。
面倒くさいことは放ったらかしにし、都合が悪くなると逃げる翔子の性格は理解出来ます。
お互いに噛み合わない会話、相手のせいにする展開は疲れたが、面白くもあった。
水川あさみをこれまで面白みのない女優と感じてきたけれど、癖の強い役柄が似合っていました。対する、山田真歩の捉えどころのない存在感も魅力です。
気持ちにゆとりがないと自分自身にしか考えが及ばない、自分本位になってしまう。
人と人が簡単にわかり合えたり、共感するのは理想であって、実際には難しいと考えざるえないと気づかされる。
現実でも、友人がいない=コンプレックスになっている・・・若い人、子供にもきっといるだろうけど、今の世の中どれだけ友達が沢山いますと口に出来る人がいるか?と思う。
不器用な人が、器用に人と交際する事も、そう言う人を真似る必要もないと私は考えているので。。
友達の数や付き合いの方を競うことはない。一人が好きなら、そうした生き方もありだと今までずっとそうしてきたから。だってこうしてブログやっていれば、寂しくなんかない(笑)
日によっては映画を楽しんだりして・・・例えばフランス映画で「アデルブルーは熱い色」。
青い髪をしたエマ=レア・セドゥの画家としての才能と、知性、独特の雰囲気に魅了される・・・教師を希望する高校生アデル=アデル・エグザルコプロスとの運命的な出会いから、別れを描いた本作。
同性愛を扱ったストーリーに格別な興味や、理解は不能であったけれど…。
主演二人の雰囲気、役作りがとにかく上手、自然である事に惹きつけられます。二人の文句なしの演技に見惚れ、特にレア・セドゥ=エマの役作りの完成度は本物の…って知らないけど、レズにしか見えない表情、スタイルの映像は色々な意味で面白かったです。性差を超えたリアルで普遍的な恋愛ドラマになっている辺りも、意表をつかれました。
ポール・ニューマン主演作品「ハスラ―」は1961年制作の映画、ビリヤードは経験も、ルールも全く未知の分野であったから・・・退屈な時間帯もありましたが、中盤から後半にかけて引き寄せられました。
ポール・ニューマンと言えば、誰もが知る作品「明日に向って撃て!」、そして権力に屈せず、頭がきれるのにあくまでも反体制の姿勢を貫く男を演じた「暴力脱獄」。
現代の作風と比較したら、多少テンポが遅かったり、古さが垣間見られる部分はあったものの、若さに溢れた端正な顔立ち、ふっと浮かべるニューマンスマイルには参りました!
恋人サラが亡くなる原因となるバート=ジョージ・C・スコットは、本作でオスカーの助演男優賞にノミネートされるも辞退します。
1970年代のジョージ・C・スコットは「パットン大戦車軍団」、こちらでも主演男優賞を辞退。「ジェーン・エア」でのロチェスター卿役、「ラスト・ラン」とすでにお爺ちゃんだったけど、一時カッコイイ俳優として見ていました。
ポール・ニューマンと同年代である、三十代のジョージ・C・スコットの渋いハンサムぶりに驚かされます。
その25年ぶりとなる続編、 1986年制作された「ハスラ―2」。
かつて一流のハスラーであったエディ=ニューマンはその世界から遠のいていたものの、ヴィンセント=トム・クルーズと出会います。ヴィンセントの才能を見込んだエディは、彼を一流のハスラーへとプロのテクニックを教えはじめますが。
題材的に万人受けする作品ではない分、そこに若きイケメン・トム・クルーズをキャスティングして、より娯楽性を高めた作品に感じました。
内容的にも主役がふたりとなって、テーマ的にも一作目と違ってしまった違和感も。
素人(実はハスラー)=フォレスト・ウィテカーとプレイして惨敗するエディ。若者ヴィンセントに翻弄される様子にも胸が苦しくなった後は・・・やはりポール・ニューマンは渋くてカッコ良くなくてはって、次に選んだのが訳ありの弁護士役である「評決」でした。
圧倒的な強者が相手であっても怯まない、負けるのが前提であっても、決して諦めず果敢に立ち向かう姿に、これぞポール・ニューマンと思わずにいられない魅力が全開!
終始病院側に付いて、弁護士ニューマンの言動を苦々しく感じ不快感を前面に出し続ける裁判長。圧倒的に不利な場面になりながら、最後に現れる病院側の証人と証拠。
それさえ却下されるも、陪審員たちに投げかける弁護士ニューマンの、人として生きる上の良心。
俳優の魅力に、感情を揺さぶるストーリー、傑作と感じました。登場人物を不要に死なせたり、日本映画のように号泣シーンなどないのも良いのです。
「1917 命をかけた伝令」 [映画・DVD]
映画の公開にあたってのうたい文句が「全編ワンカット撮影」・・・と、話題となった本作。
結果としては、臨場感、緊張感のある、見ごたえある作品となっておりました。
第一次世界大戦中である1917年4月、西部戦線のドイツ軍は後退をしていたが、それが彼らの作戦に基づく戦略的なものであるのを知ったエリンモア将軍=コリン・ファースから、トム=チャールズ・チャップマンとウィル=ジョージ・マッケイの若き下士官ふたりは、最前線で戦う1600人の友軍部隊に「ドイツ軍の追撃を中止せよ」と伝える任務を与えられる。
もしも届かない場合、明朝の突撃により第二大隊の兵士が犠牲となる。壊滅的な被害を受けてしまう連隊へ、限られた時間内に二人きりで戦火をくぐり抜け、敵の潜む戦場をゆけるものか。
戦争映画でありながら、人間ドラマ的な要素もある。無謀と思える命令を受けてからの…主人公それぞれの心情を感じました。
兄が第二大隊にいるトム=に対し、初めは乗り気ではなく仕方なく同行するウィリアムの葛藤と矛盾。
面影に幼さもあるトムと、ウィリアムで大丈夫かと思われた。
しかし途中からひとりとなりながらも、ウィリアムは命をかけて懸命に任務を追行をする。具体的な敵の姿をほとんど見せない中に潜む死への恐怖と隣り合わせの、隊員を守らねばならない責任感との戦いであったのだ。
観ていて、彼の重責に負けない強さに救いがあり・・・任務によるトムの兄の命を守っただけでなく、彼の遺品を手渡す責務も果たしたのでした。
第一次世界大戦時がテーマとなった本作。フィクションとの事ながら・・・長回しによりワンカットで撮ったかのような・・・撮影技術を用いているのが特徴。
映画のオープニングからラストまで、戦場シーンで彼らの後をカメラが追っていくことにこだわった連続から、観ている我々まで同じように走り続けた気分になるのでした。
歴史は繰り返し…人類は懲りずに、この後も二次世界大戦へと突入する。
歴史や経験から学ぶべきと思いつつ、単純には言い切れない、きっかけにより憎悪、憎しみを爆発させる、これもまた人間であるから。
映画から、書籍からも・・・人は時に強く、またいかにも弱く、冷酷かつ狂暴な怖さも併せ持つ存在であるかを考えさせられます。
戦争での善悪なんて、勝った側が決めるもの。そして歴史には「運」「不運」が付きもの。
世界に向けて作品を撮り続けている、ハリウッドの監督たち。ハリウッド映画全てを肯定する事は決してないけれど、マーケットとの大きさはあるけれど、、、監督としての力量、レベルの高さは日本映画は当然比較になりません。
「アメリカン・ビューティー 」、「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」等で知られるサム・メンデス監督による戦争映画。
サム・メンデスと言えば、娘の同級生に恋する中年男をケヴィン・スペイシーが怪演。アネット・ベニングの見栄っ張りで夫にガミガミ文句の主婦役もハマっていた、ブラックな要素満点の「アメリカン・ビューティー」。
「007シリーズ」は、ボンド役のダニエル・クレイグが苦手なのでパス。
映画「タイタニック」でのレオナルド・ディカプリオと、ケイト・ウィンスレットが倦怠期の夫婦役で再共演をした「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」。
https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2010-07-31←読み返したら、簡単すぎるし、理解しているとも言えません。
当時夫であったサム・メンデス監督作品に初出演した、K・ウィンスレットは、「レボリューショナリー・ロード」と「愛を読む人」でゴールデングローブ賞受賞。第81回のアカデミー賞での主演女優賞も受賞。
監督自身キャメロン・ディアス、キャリスタ・フロックハート、レイチェル・ワイズとの交際を経て、ケイト・ウィンスレットと結婚。
レイチェル・ワイズもケンブリッジ大学で英文学を学んだのち、映画デビュー。
「ナイロビの蜂」によりアカデミー賞助演女優賞、ゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞。サム・メンデスとの交際を経て、映画監督ダーレン・アロノフスキーと婚約。現在の旦那さんはダニエル・クレイグと、華麗な恋愛遍歴は負けていません。・・・それぞれスケールの違いを見せつけてくれます。
昨年度のアカデミー賞にノミネートされた本作。文句なしに見入ってしまう、どなたにもお勧め出来る一作でした。出来る事なら、映画館で鑑賞して欲しい。
私自身も観終えてそう感じました。
それにしてもサム・メンデス監督、本作を超えるものを今後撮れるでしょうか。
結果としては、臨場感、緊張感のある、見ごたえある作品となっておりました。
第一次世界大戦中である1917年4月、西部戦線のドイツ軍は後退をしていたが、それが彼らの作戦に基づく戦略的なものであるのを知ったエリンモア将軍=コリン・ファースから、トム=チャールズ・チャップマンとウィル=ジョージ・マッケイの若き下士官ふたりは、最前線で戦う1600人の友軍部隊に「ドイツ軍の追撃を中止せよ」と伝える任務を与えられる。
もしも届かない場合、明朝の突撃により第二大隊の兵士が犠牲となる。壊滅的な被害を受けてしまう連隊へ、限られた時間内に二人きりで戦火をくぐり抜け、敵の潜む戦場をゆけるものか。
戦争映画でありながら、人間ドラマ的な要素もある。無謀と思える命令を受けてからの…主人公それぞれの心情を感じました。
兄が第二大隊にいるトム=に対し、初めは乗り気ではなく仕方なく同行するウィリアムの葛藤と矛盾。
面影に幼さもあるトムと、ウィリアムで大丈夫かと思われた。
しかし途中からひとりとなりながらも、ウィリアムは命をかけて懸命に任務を追行をする。具体的な敵の姿をほとんど見せない中に潜む死への恐怖と隣り合わせの、隊員を守らねばならない責任感との戦いであったのだ。
観ていて、彼の重責に負けない強さに救いがあり・・・任務によるトムの兄の命を守っただけでなく、彼の遺品を手渡す責務も果たしたのでした。
第一次世界大戦時がテーマとなった本作。フィクションとの事ながら・・・長回しによりワンカットで撮ったかのような・・・撮影技術を用いているのが特徴。
映画のオープニングからラストまで、戦場シーンで彼らの後をカメラが追っていくことにこだわった連続から、観ている我々まで同じように走り続けた気分になるのでした。
歴史は繰り返し…人類は懲りずに、この後も二次世界大戦へと突入する。
歴史や経験から学ぶべきと思いつつ、単純には言い切れない、きっかけにより憎悪、憎しみを爆発させる、これもまた人間であるから。
映画から、書籍からも・・・人は時に強く、またいかにも弱く、冷酷かつ狂暴な怖さも併せ持つ存在であるかを考えさせられます。
戦争での善悪なんて、勝った側が決めるもの。そして歴史には「運」「不運」が付きもの。
世界に向けて作品を撮り続けている、ハリウッドの監督たち。ハリウッド映画全てを肯定する事は決してないけれど、マーケットとの大きさはあるけれど、、、監督としての力量、レベルの高さは日本映画は当然比較になりません。
「アメリカン・ビューティー 」、「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」等で知られるサム・メンデス監督による戦争映画。
サム・メンデスと言えば、娘の同級生に恋する中年男をケヴィン・スペイシーが怪演。アネット・ベニングの見栄っ張りで夫にガミガミ文句の主婦役もハマっていた、ブラックな要素満点の「アメリカン・ビューティー」。
「007シリーズ」は、ボンド役のダニエル・クレイグが苦手なのでパス。
映画「タイタニック」でのレオナルド・ディカプリオと、ケイト・ウィンスレットが倦怠期の夫婦役で再共演をした「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」。
https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2010-07-31←読み返したら、簡単すぎるし、理解しているとも言えません。
当時夫であったサム・メンデス監督作品に初出演した、K・ウィンスレットは、「レボリューショナリー・ロード」と「愛を読む人」でゴールデングローブ賞受賞。第81回のアカデミー賞での主演女優賞も受賞。
監督自身キャメロン・ディアス、キャリスタ・フロックハート、レイチェル・ワイズとの交際を経て、ケイト・ウィンスレットと結婚。
レイチェル・ワイズもケンブリッジ大学で英文学を学んだのち、映画デビュー。
「ナイロビの蜂」によりアカデミー賞助演女優賞、ゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞。サム・メンデスとの交際を経て、映画監督ダーレン・アロノフスキーと婚約。現在の旦那さんはダニエル・クレイグと、華麗な恋愛遍歴は負けていません。・・・それぞれスケールの違いを見せつけてくれます。
昨年度のアカデミー賞にノミネートされた本作。文句なしに見入ってしまう、どなたにもお勧め出来る一作でした。出来る事なら、映画館で鑑賞して欲しい。
私自身も観終えてそう感じました。
それにしてもサム・メンデス監督、本作を超えるものを今後撮れるでしょうか。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」 [映画・DVD]
今回の映画も地方のシネコンではまず上映される機会ははないと感じた、しかしどなたにも勧められる良質な一作です。
「福祉の進んだ国イギリスでは、揺り籠から墓場まで」、これは私達が教科書で学んだ有名な一節である。
しかしケン・ローチ監督作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、違った現実が知らされます。
貧しい老人を置き去りにする社会、移民の?シングル・マザー一家に手を差し出す事なく突き放すのみ。福祉国家と言われてきたイギリスでさえ、貧しい立場の人々に対して、役所で働く公務員たち対応はこんなものなのか・・・と、愕然としてしまう現状が描かれていきます。
主人公のダニエル・ブレイクは、働ける身体なのに困窮を装っている訳ではない。心臓病の為働くことを禁じられているから、病気による支援手当の申請をするが、今の病状では規定に達していないと言われてしまう。
仕方なく生活保護を受けようとしますが、、生活保護もおりません。
また失業手当を受けるには、仕事を探しているが見つからない…と、証明せねばなりませんでした。
彼は福祉に頼ろうとか、楽しようと考えている人間ではない。ただ今のシステム、コンピューター社会に追いついていけないばかりに、どこからも弾かれてしまうのだった。
社会保障システムに振り回される、初老の男ダニエル・ブレイク=デイヴ・ジョーンズ、彼が福祉事務所で出会う移民系のシングルマザーにしてもそれは同じでした。
身寄りも仕事もない新しい街で、社会から取り残されても懸命に生きようとする二人の子供を持ったシングルマザーのケイティ=ヘイリー・スクワイアーズ。
リアルに伝わってくる内容、白けないで観られるのは、適役と言える俳優たちに支えられてと感じられます。
長女役デイジーにしても、やり過ぎていない存在感。自然な演技を引き出し、リアルな状況を作り出すことを重視した監督の力量あっての描写であろう。
役所の職員以外の登場人物は皆、気の良い人ばかり、その辺りには救いが見られました。
日々の食べ物にさえ困る人に向けた無料のフードコート(企業等の寄付による食品庫)内での描写。この後そこへ行った事を知られて学校で虐めを受けたと、娘の口から語られるのだか…。
子供の食事を優先していたケィティが、そこでスタッフに案内されながら、空腹のあまり思わず棚に置かれた缶詰を開け手で食べだしてしまうシーン。
自分の行為を恥じて泣き出す彼女にダニエルが語りかける言葉、「あなたは悪くはない」とボランティアスタッフも慰める場面。
日々の食事を子供にだけは食べさせたいとする献身的な母親の姿、慰めながら自身の過去を話してきかけるダニエルの対応にも尊敬と、脱帽と。そして自分にはない器量に圧倒され・・・自らの心の狭さが恥ずかしくなります。
娘の靴が破れて学校で虐められても、靴を買ってやることさえ叶わず。
万引きしたスーパーで声をかけられた、男の意のままに・・・気の進まぬ仕事を決意するケイティ。
見かねたダニエルがその住所を訪ねると、そこは予想した通り・・・下着姿で男にサービスをすると言ったものであった。「私には、もう構わないで」「心が折れそうだから」と泣くケィティ。
支援手当の回復のための面接にこぎつけたその日。
面接の直前のトイレで緊張からか心臓発作により倒れ、亡くなってしまうダニエル。あともうチョッとであったのに。
長年大工として働いてきた誇りと自信、そこからくる自らの権利への確固たる信念。卑屈になることなく、堂々と誤りを正そうとしたダニエルであった。
立場の弱い人たちと彼らの尊厳を守る。上質な人間ドラマに仕上がった本作。
感動と「泣ける」が大好きな日本映画でもしリメイクをしたなら、「見たら、絶対に泣く一本!」として大安売りをしてしまうでしょう。邦画の好きなパターンですもんね
作品のテーマは普遍的で、かつ今日的である。日本でも同じことが起きていて、目に見えないところの貧しさ、声に出せない貧困。
役人たちにより、削りやすいところから予算が削られる現実。現場の職員たちも一人一人に向き合わない。都合の悪い面に目を向けようとしない問題等ある。
真面目に働き納税もしてきた人間が当然けるべき権利や自由が奪われている。そのことを気づかせてくれた映画。
人としての尊厳とは?も。ユーモアを入れつつ、現代の社会の皮肉な一面をついたケン・ローチ監督。
長年病気の妻を介護し続けて、子供ももたなかったダニエルながら、彼の最後は一人ではなかった。その死を悲しんで集まった近所の青年、知り合いの人々。
「根が良くても、何もかも失いホームレスへの道をたどってしまう人を多く知っている。あなたはそうならないで」と心配した福祉事務所職員アンの姿もありました。
映画のラストは、ケイティが読む、ダニエルの残した手紙。
その書き出しが「わたしは、ダニエル・ブレイク。ひとりの人間だ」なのです。
英国国内では、民営化された炭鉱は廃坑へと追いこまれました。
そうして生まれた映画のひとつが「ブラス」であり。。炭鉱でなく鉄工の町を舞台として、映画「フル・モンティ」で失業した男たちの悲哀が描かれました。
映画「フル・モンティ」については、こちらで簡単な紹介がしてありました。
https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2012-05-23?1582261879
「福祉の進んだ国イギリスでは、揺り籠から墓場まで」、これは私達が教科書で学んだ有名な一節である。
しかしケン・ローチ監督作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、違った現実が知らされます。
貧しい老人を置き去りにする社会、移民の?シングル・マザー一家に手を差し出す事なく突き放すのみ。福祉国家と言われてきたイギリスでさえ、貧しい立場の人々に対して、役所で働く公務員たち対応はこんなものなのか・・・と、愕然としてしまう現状が描かれていきます。
主人公のダニエル・ブレイクは、働ける身体なのに困窮を装っている訳ではない。心臓病の為働くことを禁じられているから、病気による支援手当の申請をするが、今の病状では規定に達していないと言われてしまう。
仕方なく生活保護を受けようとしますが、、生活保護もおりません。
また失業手当を受けるには、仕事を探しているが見つからない…と、証明せねばなりませんでした。
彼は福祉に頼ろうとか、楽しようと考えている人間ではない。ただ今のシステム、コンピューター社会に追いついていけないばかりに、どこからも弾かれてしまうのだった。
社会保障システムに振り回される、初老の男ダニエル・ブレイク=デイヴ・ジョーンズ、彼が福祉事務所で出会う移民系のシングルマザーにしてもそれは同じでした。
身寄りも仕事もない新しい街で、社会から取り残されても懸命に生きようとする二人の子供を持ったシングルマザーのケイティ=ヘイリー・スクワイアーズ。
リアルに伝わってくる内容、白けないで観られるのは、適役と言える俳優たちに支えられてと感じられます。
長女役デイジーにしても、やり過ぎていない存在感。自然な演技を引き出し、リアルな状況を作り出すことを重視した監督の力量あっての描写であろう。
役所の職員以外の登場人物は皆、気の良い人ばかり、その辺りには救いが見られました。
日々の食べ物にさえ困る人に向けた無料のフードコート(企業等の寄付による食品庫)内での描写。この後そこへ行った事を知られて学校で虐めを受けたと、娘の口から語られるのだか…。
子供の食事を優先していたケィティが、そこでスタッフに案内されながら、空腹のあまり思わず棚に置かれた缶詰を開け手で食べだしてしまうシーン。
自分の行為を恥じて泣き出す彼女にダニエルが語りかける言葉、「あなたは悪くはない」とボランティアスタッフも慰める場面。
日々の食事を子供にだけは食べさせたいとする献身的な母親の姿、慰めながら自身の過去を話してきかけるダニエルの対応にも尊敬と、脱帽と。そして自分にはない器量に圧倒され・・・自らの心の狭さが恥ずかしくなります。
娘の靴が破れて学校で虐められても、靴を買ってやることさえ叶わず。
万引きしたスーパーで声をかけられた、男の意のままに・・・気の進まぬ仕事を決意するケイティ。
見かねたダニエルがその住所を訪ねると、そこは予想した通り・・・下着姿で男にサービスをすると言ったものであった。「私には、もう構わないで」「心が折れそうだから」と泣くケィティ。
支援手当の回復のための面接にこぎつけたその日。
面接の直前のトイレで緊張からか心臓発作により倒れ、亡くなってしまうダニエル。あともうチョッとであったのに。
長年大工として働いてきた誇りと自信、そこからくる自らの権利への確固たる信念。卑屈になることなく、堂々と誤りを正そうとしたダニエルであった。
立場の弱い人たちと彼らの尊厳を守る。上質な人間ドラマに仕上がった本作。
感動と「泣ける」が大好きな日本映画でもしリメイクをしたなら、「見たら、絶対に泣く一本!」として大安売りをしてしまうでしょう。邦画の好きなパターンですもんね
作品のテーマは普遍的で、かつ今日的である。日本でも同じことが起きていて、目に見えないところの貧しさ、声に出せない貧困。
役人たちにより、削りやすいところから予算が削られる現実。現場の職員たちも一人一人に向き合わない。都合の悪い面に目を向けようとしない問題等ある。
真面目に働き納税もしてきた人間が当然けるべき権利や自由が奪われている。そのことを気づかせてくれた映画。
人としての尊厳とは?も。ユーモアを入れつつ、現代の社会の皮肉な一面をついたケン・ローチ監督。
長年病気の妻を介護し続けて、子供ももたなかったダニエルながら、彼の最後は一人ではなかった。その死を悲しんで集まった近所の青年、知り合いの人々。
「根が良くても、何もかも失いホームレスへの道をたどってしまう人を多く知っている。あなたはそうならないで」と心配した福祉事務所職員アンの姿もありました。
映画のラストは、ケイティが読む、ダニエルの残した手紙。
その書き出しが「わたしは、ダニエル・ブレイク。ひとりの人間だ」なのです。
英国国内では、民営化された炭鉱は廃坑へと追いこまれました。
そうして生まれた映画のひとつが「ブラス」であり。。炭鉱でなく鉄工の町を舞台として、映画「フル・モンティ」で失業した男たちの悲哀が描かれました。
映画「フル・モンティ」については、こちらで簡単な紹介がしてありました。
https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2012-05-23?1582261879
映画「P.S. アイラブユー」 [映画・DVD]
「P.S. アイラブユー」は、テリー・ギリアム監督作「フィッシャー・キング」の脚本を手がけ、アカデミー脚本賞にノミネートされたリチャード・ラグラヴェネーズ監督作品です。
無料動画GYAO!で視聴、2007年制作のアメリカ映画。
ジェリーとホリー=ヒラリー・スワンクの幸せな結婚生活、他愛のない夫婦喧嘩のシーンから始まる本作。
しかし場面は一転して、ホリーの母パトリシアの営むアイリッシュパブでの、夫ジェリーの葬儀の場へと変わってしまうのだ。
明るい性格のマッチョマン、ユーモアがあって、妻思いの気のいいヤツ、ジェリーの脳腫瘍による突然の死。
ジェリーがすでにこの世にいない、そうした現実を受け止められずにいるホリー。
様々な新しいチャレンジを経ても、ジェリーの不在、現状を受け止められないでいる彼女。
しかし、「アイリッシュ ハンガー メモリアル」の訪問シーンから、物語の舞台は一気にアイルランドへと飛ぶ。
※1845年から1852年にアイルランドを襲った大飢饉の悲劇を伝えるメモリアル。
ヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が発生、枯死したことで起きた・・・アイルランドではジャガイモが主要な食物であったため、困窮した国民の多くは移民としてアメリカへ渡る。
映画化された「タイタニック号」の最後の寄港地となったのは、アイルランド南部の小さな港町「コーヴ」であったくらい。
「自由の女神像」のあるリバティー島への観光は、すぐ側のバッテリーパークからフェリーに乗って行きます。
その途中、移民局が置かれていたエリス島(欧州からの移民は19世紀後半から長きに渡り、必ずこの島からアメリカへ入国した)脇を通るのでした。
ジェリーの故郷アイルランドへの旅する事となった、ホリーと二人の女友達。華やかにネオン煌めく夜のニューヨーク その対極とも映る・・・大きな自然に抱かれたアイルランドの緑の草原、丘陵地の続く光景は全く違った美しさが感じられました
二人の過去の描写、ジェリーとの記憶、現在のホリーの苦悩がシンクロして描かれる。
ジェリーの死後も彼からは、ホリー宛てに手紙が届きます。その手紙の最後には、「P.S.アイラヴユー」の記載あり。
アイルランドでホリーは当然、ジェリーのご両親の元を訪ねます。
その名もケネディ家って、わかりやすい。アイルランドでケネディさんは多いのでしょうか。
ジェリー役のジェラルド・バトラーは、「オペラ座の怪人」でファントム役を、「300〈スリーハンドレッド〉」でも主演をしています。
「ボーイズ・ドント・クライ」、「ミリオンダラー・ベイビー」と2度のアカデミー主演女優賞を受賞したオスカー女優であるヒラリー・スワンクながら、私にはどうにも苦手な女優のひとりでした。
また2020年のアカデミー賞でも、助演女優賞にノミネートされた・・・キャシー・ベイツがホリーの母親=パトリシア。執拗で偏狂的な小説ファン役「ミザリー」の怪演で、一躍スターの仲間入りへ。
知らないと言う方には映画「タイタニック」で、デカプリオ演じるジャックを気にかけて、タキシードを着せ紳士へ変身させるおばちゃんモリ―・ブラウン役と言ったらわかるかも。
彼女は「浮沈のモリ―」と呼ばれた、実在の人物。ジャックへのおせっかいも、自身が成金であったために周囲から浮いた存在であったからと、納得の配役です(デカプリオの演じるジャックは架空の人物)。
親友役として登場していたリサ・クドローは、「ロミー&ミッシェル」「アナライズ・ユー」等からご無沙汰であった、お久しぶりの印象を受けました。
映画のラスト。ホリーへ届いた手紙は、ジェリーでなく母のパトリシアから…とのオチでガックリ
意外性もなく、甘いと言われたら、甘すぎる展開ながら・・・妻と夫、親と子といった普遍的なテーマを繋げたのは、思いやりに満ちた言葉の数々でした。
ホリー=ヒラリー・スワンクは口元の悪さの目立つ顔つき、骨ばった体型にしても下品な印象しかなかったのだけれど、本作ではスレンダー、可愛いらしく見えたのは不思議。
鮮やかな緑におおわれた広大な丘陵地の続く、アイルランドの大地。変わりゆく空と光による、大地の魅力を堪能する・・・得難いロケーションの素晴らしさ 光溢れるニューヨークの夜景と、どちらも必見の美しさでした。
原作はアイルランドの作家セシリア・アハーンが執筆、40か国以上でベストセラーとなった恋愛小説だそうです。
無料動画GYAO!で視聴、2007年制作のアメリカ映画。
ジェリーとホリー=ヒラリー・スワンクの幸せな結婚生活、他愛のない夫婦喧嘩のシーンから始まる本作。
しかし場面は一転して、ホリーの母パトリシアの営むアイリッシュパブでの、夫ジェリーの葬儀の場へと変わってしまうのだ。
明るい性格のマッチョマン、ユーモアがあって、妻思いの気のいいヤツ、ジェリーの脳腫瘍による突然の死。
ジェリーがすでにこの世にいない、そうした現実を受け止められずにいるホリー。
様々な新しいチャレンジを経ても、ジェリーの不在、現状を受け止められないでいる彼女。
しかし、「アイリッシュ ハンガー メモリアル」の訪問シーンから、物語の舞台は一気にアイルランドへと飛ぶ。
※1845年から1852年にアイルランドを襲った大飢饉の悲劇を伝えるメモリアル。
ヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が発生、枯死したことで起きた・・・アイルランドではジャガイモが主要な食物であったため、困窮した国民の多くは移民としてアメリカへ渡る。
映画化された「タイタニック号」の最後の寄港地となったのは、アイルランド南部の小さな港町「コーヴ」であったくらい。
「自由の女神像」のあるリバティー島への観光は、すぐ側のバッテリーパークからフェリーに乗って行きます。
その途中、移民局が置かれていたエリス島(欧州からの移民は19世紀後半から長きに渡り、必ずこの島からアメリカへ入国した)脇を通るのでした。
ジェリーの故郷アイルランドへの旅する事となった、ホリーと二人の女友達。華やかにネオン煌めく夜のニューヨーク その対極とも映る・・・大きな自然に抱かれたアイルランドの緑の草原、丘陵地の続く光景は全く違った美しさが感じられました
二人の過去の描写、ジェリーとの記憶、現在のホリーの苦悩がシンクロして描かれる。
ジェリーの死後も彼からは、ホリー宛てに手紙が届きます。その手紙の最後には、「P.S.アイラヴユー」の記載あり。
アイルランドでホリーは当然、ジェリーのご両親の元を訪ねます。
その名もケネディ家って、わかりやすい。アイルランドでケネディさんは多いのでしょうか。
ジェリー役のジェラルド・バトラーは、「オペラ座の怪人」でファントム役を、「300〈スリーハンドレッド〉」でも主演をしています。
「ボーイズ・ドント・クライ」、「ミリオンダラー・ベイビー」と2度のアカデミー主演女優賞を受賞したオスカー女優であるヒラリー・スワンクながら、私にはどうにも苦手な女優のひとりでした。
また2020年のアカデミー賞でも、助演女優賞にノミネートされた・・・キャシー・ベイツがホリーの母親=パトリシア。執拗で偏狂的な小説ファン役「ミザリー」の怪演で、一躍スターの仲間入りへ。
知らないと言う方には映画「タイタニック」で、デカプリオ演じるジャックを気にかけて、タキシードを着せ紳士へ変身させるおばちゃんモリ―・ブラウン役と言ったらわかるかも。
彼女は「浮沈のモリ―」と呼ばれた、実在の人物。ジャックへのおせっかいも、自身が成金であったために周囲から浮いた存在であったからと、納得の配役です(デカプリオの演じるジャックは架空の人物)。
親友役として登場していたリサ・クドローは、「ロミー&ミッシェル」「アナライズ・ユー」等からご無沙汰であった、お久しぶりの印象を受けました。
映画のラスト。ホリーへ届いた手紙は、ジェリーでなく母のパトリシアから…とのオチでガックリ
意外性もなく、甘いと言われたら、甘すぎる展開ながら・・・妻と夫、親と子といった普遍的なテーマを繋げたのは、思いやりに満ちた言葉の数々でした。
ホリー=ヒラリー・スワンクは口元の悪さの目立つ顔つき、骨ばった体型にしても下品な印象しかなかったのだけれど、本作ではスレンダー、可愛いらしく見えたのは不思議。
鮮やかな緑におおわれた広大な丘陵地の続く、アイルランドの大地。変わりゆく空と光による、大地の魅力を堪能する・・・得難いロケーションの素晴らしさ 光溢れるニューヨークの夜景と、どちらも必見の美しさでした。
原作はアイルランドの作家セシリア・アハーンが執筆、40か国以上でベストセラーとなった恋愛小説だそうです。
映画「駅 STATION」を観て [映画・DVD]
1981年公開の「駅 STATION」は、「鉄道員(ぽっぽや)」同様北海道を舞台に、高倉健を主演に降旗康男監督が撮った映画です。
愚直で寡黙なイメージの強い健さんは言葉にするまでなく…警察官、鉄道員とどの役柄も似合います。
撮影はこの後映画監督に転じた木村大作。映画好きだけでなく、鉄道ファンにとっても目の離せない名作といってよいでしょう。
かつて留萠本線の終着駅であった「増毛」を主な舞台に、脚本は倉本聡。
作中でテレビの報じる、ニュース映像…。
東京オリンピックのマラソン競技でイギリス選手ヒートリーにトラック内で抜かれるも、銅メダルを獲得した円谷幸吉。
しかしその後の不調、周囲のプレッシャーにより円谷は自殺。「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書かれた遺書の言葉は小学生であった私もよく覚えています。
オリンピックの射撃チームの一員に選ばれ、多忙な生活ゆえ夫婦関係が冷えきって…、幼い息子とも別れを経験する警察官三上英次=: 高倉健。彼も同じような気持ちを抱えて、そのニュースに見入ったのだろう。
長い間「陸の孤島」と呼ばれ、北海道を代表する秘境のひとつであった雄冬漁港に住む英次の母に、北林谷栄。作中に登場する雄冬の実家のシーンには前日記の国稀酒蔵さんの建物が使われたと言います。
最果ての北国でくり広げられるハードボイルドな世界。道内でこれ程派手な殺人事件、それをオリンピック候補(幻となったロシア五輪)とはいえ、ひとりの警察官が全てに関わり活躍するなど現実にはありえないけれど。
道警のキャストとしては、池部良、佐藤慶、平田昭彦、大滝秀治・・と。誰もがそこにいるだけで画面が決まると考えられる存在感を放つ。
犯人役にも根津甚八、室田日出男・・・こちらも同じく、今は故人となっている懐かしい顔ぶれ。
甘いマスクの二枚目である根津甚八が、残忍な事件を起こす、通り魔犯と言うのは納得できない点ながら・・・。
旅館の仲居役では、一時「デカ頭」と派手なお喋りで人気のあった塩沢ときも出演をしていました。時代を感じます。本作で音楽を担当した宇崎竜童は、町のチンピラ役がハマり役、似合っています。
留萠本線の留萠~増毛は日本海に沿って走る風光明媚な路線、しかし平日は日に数本しか走らないローカル線。映画の後半は1979年の年末という設定だがら、そうした乗客の少なさも合う。
駅で来るともしれない人を待つ桐子=倍賞千恵子、彼女の姿を一目見て気になった英次。
犯人を射撃する=殺人と同じ行為の連続によって、強靭な精神をもつとはいえが限界がきていた彼は職を辞して、故郷の雄冬に帰ろうと決心するのだった。
雄冬行きの船が欠航となった為、一人で年末を迎えようとしていた英次だが、駅前でポツンと明かりの灯る店を訪れてみる。そこは偶然にも、駅で見かけた桐子の営む店であった。
会話をしていく内、急激に親しくなる二人。互いにもう若くはない英次と桐子は、お互いの身の上を探り合う。ある時は言葉を濁し、ある時は相手をはぐらかして…でも急激に接近をする。
寂しさの中に身を置く英次と桐子が、男女の関係になるのに時間はかからない。
人影のない居酒屋のカウンターを前に、桐子が英次に寄りかかる場面も…頼りがいのある男の中の男、健さんなら、ある、ある・・・ですね。
英次に身体をあずけて桐子は歌を口ずさむ。言葉少なく演歌に聴き入る二人。
妻の直子=若き日のいしだあゆみが綺麗で、可愛いのは勿論。
それ以外に、改めて観て・・・強い意志を感じさせる真っ直ぐな眼差し、理知的な顔立ちをした倍賞千恵子の女っぷりは良く映り、同性でも好感がもてた。
雪深い北国の小さな駅、そんな駅に佇む高倉健、雪道を歩く姿、フェリーに乗って故郷へと向かうシーン。・・・とお約束的な映像が続く訳ながら、ピストルを手にして殺人犯を追い詰めるところも含めて全てが「絵」になっているから、ファンにはたまらない一本に感じます。
殺人犯・森岡=室田日出男は、桐子の昔の男だけに・・・英次と、桐子の別離へとつながるキーマン的な役割を果たします。
正義感から森岡を撃ったあと英次が店を訪れた時には、好きである気持ちは変わらないけれど、それでも二人の関係にけじめをつけるべきと背を向け、そっけない態度で接する桐子・・・彼女の芯の強さ、意地を見せつけたシーンであったと思う。
真実を知ってしまったあとでも桐子を手放したくない・・・と、再び店に立ち寄ってしまう未練がましい英次。うじうじとした姿を見せつける男の狡さを感じました。
増毛駅で英次と時を同じくして、殺人犯五郎=根津甚八の妹すず子も札幌へ出て行く・・・ラストシーン。
ただでさえ小さな町「増毛」で、指名手配犯の射殺事件に関わってしまった桐子。もうこの町で居酒屋を続けていくのも快く思われないであろう・・・事は容易に想像出来る。
となると、彼女はどう身を処すべきか。中年過ぎの女が一人で、これからどうやって生きていくのであろう。
本作に登場する3人の女性はそれぞれ一応に不幸の影を背負って、それでも生きてゆくしかないのだ。
ダイナミックな海辺のシーン、カメラワークの冴えに木村大作の初監督作品「劒岳 点の記」の原点を見た思いがしました。
起承転結するストーリー運び、味わいある言葉のやり取りも倉本聡ならでは。相変わらず上手くて、良い仕事をしますね。
某俳優Mの「皆がもつ健さんのイメージは、虚像」と言ったエピソードがありますけれど…、
出演作品を観たファンがもつ寡黙で、生真面目、人情深い俳優・高倉健の美意識を守りとおしていく、それを私生活でも続けるのは容易ではない。我々凡人には真似の出来ない努力と、どれほどの自制心を必要とし信念を貫いた事か。スキャンダルまみれの私生活を送ったあの人になど言われたくないわ。
健さん縁りの人がワンシーンだけカメオ出演をしているのは、山田洋次監督作品と同じです。
北国の白い風景をバックに、荒ぶる冬の海、凍てつく真冬の駅・・・と、ベタなシーンの連続ながら。。でもそこが良いの。高倉健、倍賞千恵子演じる大人の恋と別れが、心に深く残る一本でした。
愚直で寡黙なイメージの強い健さんは言葉にするまでなく…警察官、鉄道員とどの役柄も似合います。
撮影はこの後映画監督に転じた木村大作。映画好きだけでなく、鉄道ファンにとっても目の離せない名作といってよいでしょう。
かつて留萠本線の終着駅であった「増毛」を主な舞台に、脚本は倉本聡。
作中でテレビの報じる、ニュース映像…。
東京オリンピックのマラソン競技でイギリス選手ヒートリーにトラック内で抜かれるも、銅メダルを獲得した円谷幸吉。
しかしその後の不調、周囲のプレッシャーにより円谷は自殺。「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書かれた遺書の言葉は小学生であった私もよく覚えています。
オリンピックの射撃チームの一員に選ばれ、多忙な生活ゆえ夫婦関係が冷えきって…、幼い息子とも別れを経験する警察官三上英次=: 高倉健。彼も同じような気持ちを抱えて、そのニュースに見入ったのだろう。
長い間「陸の孤島」と呼ばれ、北海道を代表する秘境のひとつであった雄冬漁港に住む英次の母に、北林谷栄。作中に登場する雄冬の実家のシーンには前日記の国稀酒蔵さんの建物が使われたと言います。
最果ての北国でくり広げられるハードボイルドな世界。道内でこれ程派手な殺人事件、それをオリンピック候補(幻となったロシア五輪)とはいえ、ひとりの警察官が全てに関わり活躍するなど現実にはありえないけれど。
道警のキャストとしては、池部良、佐藤慶、平田昭彦、大滝秀治・・と。誰もがそこにいるだけで画面が決まると考えられる存在感を放つ。
犯人役にも根津甚八、室田日出男・・・こちらも同じく、今は故人となっている懐かしい顔ぶれ。
甘いマスクの二枚目である根津甚八が、残忍な事件を起こす、通り魔犯と言うのは納得できない点ながら・・・。
旅館の仲居役では、一時「デカ頭」と派手なお喋りで人気のあった塩沢ときも出演をしていました。時代を感じます。本作で音楽を担当した宇崎竜童は、町のチンピラ役がハマり役、似合っています。
留萠本線の留萠~増毛は日本海に沿って走る風光明媚な路線、しかし平日は日に数本しか走らないローカル線。映画の後半は1979年の年末という設定だがら、そうした乗客の少なさも合う。
駅で来るともしれない人を待つ桐子=倍賞千恵子、彼女の姿を一目見て気になった英次。
犯人を射撃する=殺人と同じ行為の連続によって、強靭な精神をもつとはいえが限界がきていた彼は職を辞して、故郷の雄冬に帰ろうと決心するのだった。
雄冬行きの船が欠航となった為、一人で年末を迎えようとしていた英次だが、駅前でポツンと明かりの灯る店を訪れてみる。そこは偶然にも、駅で見かけた桐子の営む店であった。
会話をしていく内、急激に親しくなる二人。互いにもう若くはない英次と桐子は、お互いの身の上を探り合う。ある時は言葉を濁し、ある時は相手をはぐらかして…でも急激に接近をする。
寂しさの中に身を置く英次と桐子が、男女の関係になるのに時間はかからない。
人影のない居酒屋のカウンターを前に、桐子が英次に寄りかかる場面も…頼りがいのある男の中の男、健さんなら、ある、ある・・・ですね。
英次に身体をあずけて桐子は歌を口ずさむ。言葉少なく演歌に聴き入る二人。
妻の直子=若き日のいしだあゆみが綺麗で、可愛いのは勿論。
それ以外に、改めて観て・・・強い意志を感じさせる真っ直ぐな眼差し、理知的な顔立ちをした倍賞千恵子の女っぷりは良く映り、同性でも好感がもてた。
雪深い北国の小さな駅、そんな駅に佇む高倉健、雪道を歩く姿、フェリーに乗って故郷へと向かうシーン。・・・とお約束的な映像が続く訳ながら、ピストルを手にして殺人犯を追い詰めるところも含めて全てが「絵」になっているから、ファンにはたまらない一本に感じます。
殺人犯・森岡=室田日出男は、桐子の昔の男だけに・・・英次と、桐子の別離へとつながるキーマン的な役割を果たします。
正義感から森岡を撃ったあと英次が店を訪れた時には、好きである気持ちは変わらないけれど、それでも二人の関係にけじめをつけるべきと背を向け、そっけない態度で接する桐子・・・彼女の芯の強さ、意地を見せつけたシーンであったと思う。
真実を知ってしまったあとでも桐子を手放したくない・・・と、再び店に立ち寄ってしまう未練がましい英次。うじうじとした姿を見せつける男の狡さを感じました。
増毛駅で英次と時を同じくして、殺人犯五郎=根津甚八の妹すず子も札幌へ出て行く・・・ラストシーン。
ただでさえ小さな町「増毛」で、指名手配犯の射殺事件に関わってしまった桐子。もうこの町で居酒屋を続けていくのも快く思われないであろう・・・事は容易に想像出来る。
となると、彼女はどう身を処すべきか。中年過ぎの女が一人で、これからどうやって生きていくのであろう。
本作に登場する3人の女性はそれぞれ一応に不幸の影を背負って、それでも生きてゆくしかないのだ。
ダイナミックな海辺のシーン、カメラワークの冴えに木村大作の初監督作品「劒岳 点の記」の原点を見た思いがしました。
起承転結するストーリー運び、味わいある言葉のやり取りも倉本聡ならでは。相変わらず上手くて、良い仕事をしますね。
某俳優Mの「皆がもつ健さんのイメージは、虚像」と言ったエピソードがありますけれど…、
出演作品を観たファンがもつ寡黙で、生真面目、人情深い俳優・高倉健の美意識を守りとおしていく、それを私生活でも続けるのは容易ではない。我々凡人には真似の出来ない努力と、どれほどの自制心を必要とし信念を貫いた事か。スキャンダルまみれの私生活を送ったあの人になど言われたくないわ。
健さん縁りの人がワンシーンだけカメオ出演をしているのは、山田洋次監督作品と同じです。
北国の白い風景をバックに、荒ぶる冬の海、凍てつく真冬の駅・・・と、ベタなシーンの連続ながら。。でもそこが良いの。高倉健、倍賞千恵子演じる大人の恋と別れが、心に深く残る一本でした。
マーティン・スコセッシ監督「沈黙‐サイレンス‐」 [映画・DVD]
映画館へ足を運んだのは久しぶりながら、月曜日「沈黙‐サイレンス」を観てきました。
http://chinmoku.jp/
「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「レイジング・ブル」「ディパーテッド」…と人間の狂気、、バイオレンスをテーマにした作品を多く撮ってきた・・・マーティン・スコセッシ。
一時は聖職者を目指したと言う彼には、キリストを主人公にした「最後の誘惑」といった一本もあります。
そして今回遠藤周作原作の「沈黙」を映画化、信仰という重いテーマにまたも挑んだのであった。
1966年に遠藤周作が書き上げた中編「沈黙」、1988年手にしたスコセッシ。「沈黙」から大きな衝撃を受けて以来ずっと自身の映画化に向けて情熱を注ぎ続けてきた。
遠藤周作の家はカトリックで、旧制中学時代にカトリックの洗礼を受けている。さらに1950年からフランス留学をの経験があり、その留学時に感じた「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」。
遠藤周作が創造したキャラクター「狐狸庵先生」シリーズ等・・・ユーモアたっぷりな随筆を発表するかたわら、自らの宗教は彼にとって永遠のテーマとなりました。
西洋のキリスト教が唱えてきた、キリスト教を唯一正しい宗教であるとする考えは、キリスト教信徒である遠藤にとって大きな矛盾であった。
17世紀、江戸時代初期。「島原の乱」鎮圧間もない日本から・・・。
イエズス会の名高い神学者・クリストヴァン・フェレイラ=リーアム・ニーソンが、幕府のキリシタン弾圧によって棄教したとの知らせが入ります。
それを知った弟子である・・・司祭セバスチャン・ロドリゴ=アンドリュー・ガーフィールと、フランシスコ・ガルペ=アダム・ドライヴァーは、フェレイラ失踪の真偽を確認すべく海を渡ると決心する。
苦難の末、、二人は長崎にたどり着きます。
案内役となったのは、漂流民であり隠れキリシタンでもある、日本人キチジローでした。潜入に成功した二人は隠れキリシタンたちの歓迎を受けて・・・トモギ村での生活がはじまります。
潰れかけた家に住み、貧しさの中に生きる。山沿いの小さな畑で牛馬のように働き、年貢を取りたてられる日々。
生まれた時から決まっている農民たちの一生。 神に救いを求めても、無理はない。
村人と祈り、告解(コイヒサン)を聞き、幼子に洗礼を授ける・・・。日本へ渡った使命感と意味を見出して、ロドリゴは喜びをかみしめるのだが・・・。
まず初めにイチゾウと、塚本晋也扮するモキチ、人質として名乗りを上げたもう一人の男が、海水に浸かった磔の刑で絶命する。
村人モキチ=塚本晋也は、監督、脚本、撮影、主演までこなすマルチな人。台詞の少ない寡黙な役柄ながら、際立った存在感、好演であると思いました。
「沈黙」でのオーディションに際し、役作りの為50kgまで体重を落とす減量をおこない、心身ともにギリギリの状態で挑んだそう。
海中へ投げられた村人を助けようとして、ガルペも死ぬ。クライマックスでも派手な音楽が流れる訳もなく、淡々と進む物語。
原作において作者・遠藤周作が自身をモデルとした・・・人間の弱さを凝縮した存在。キチジロー=窪塚洋介。
愚鈍で卑しく、臆病そうなな笑いを浮かべる、みっともない存在として描かれています。
意味不明の笑みを浮かべて、ロドリゴ達の不安を誘うキチジロー。
一度ならず、ロドリゴを裏切っては後悔を引きずる…信仰心をもちながら、強者を前にしたら自分の命が大事になってしまう・・・キチジローのキャラはわかりやすい。だれもがそうだと思い当たる、人間くささが次第に真面に思えてくるのである。
イッセー尾形は当然!通訳=浅野忠信、他にも多数の日本人俳優がキャスティングされています。
・・・・・・なぜ神は沈黙を貫くのか。か弱き人々が苦しんでいるさまなど見えない、何も聞こえないかのようにふるまうのか。・・・・・
最も美しく清らかなものと信じてきた自らの信仰と、罪のない隠れキリシタンである農民たちが受け続ける地獄のような拷問、受難の日々。
時の権力は司祭ロドリゴにも、師・フェレイラ同様の棄教を迫る。
自らの非力さに迷い、信じて疑わなかった信条・信念は己の心の弱さと向き合う形へと変わってゆく。。自分も弱い人間、それは忌み嫌う存在でしかなかった、キチジローそのものではなかったか。
人間の弱さ、それを利用しようとする権力者との対比が際立つ展開。
上映時間160分もの長編、しかしその長さを感じさせない演出の見事さ。
また外国人が日本を描いた時に感じる違和感もなく、出演者たちの演技に集中しました。
日本の俳優がハリウッド映画に出演、それも監督は巨匠マーティンスコセッシ・・・ときたら嬉しい限りながら。。
ただし信者以外の日本人はだれも皆一様に無表情で、ひとすら粗暴である。←これは異国ポルトガルからやって来たロドリゴの視点から・・・と考えられるものだが・・・。
シトシト降りつづける雨、ぬかるんだ土地。切り立った崖、寒々しい色彩でも美しい海。
当時に近いと思わせる雄大な光景が広がる。←撮影は規制の多いわが国ではなく、お隣「台湾」で行われたと言います。
宗教心など微塵もない私が見ても見応えのある、見事な作品であると思いました。
オープニングとエンディングは、ロドリゴが入れられた牢の・・・漆黒の闇、静寂の中で聞く虫の音。
ロドリゴの目の前で、無力な殉教者として果てた農民たち・・・その命を奪った海の波音が使われていたのも印象的。
映画「沈黙」はわが国でもすでに1971年、篠田正浩監督によって映画化されているのでした。
〇談社から出た現代文学の一冊に、遠藤周作作品が掲載されていたのを思い出し・・・二階の本箱から取り出してきた私。
本作は、その原作そのままに映画化されたものであったと理解しました。
原作に沿って映像化されたこの映画。
人類の歴史にとって宗教と戦争は深い関係を持ち続けてきたものであり。それは現在にあっても普遍的なテーマをもつ。
それにしても2時間42分となる長さ、他国の人々に受け入れられるのは難しいかもしれない。
12月のクリスマスにはケーキを食べ、年の初めには神社に詣でる。そしてヴァレンタインデーにイースターとその時々で変身してしまえる私達って何なんだろう…と言う思いも残りました。
http://chinmoku.jp/
「タクシードライバー」「グッドフェローズ」「レイジング・ブル」「ディパーテッド」…と人間の狂気、、バイオレンスをテーマにした作品を多く撮ってきた・・・マーティン・スコセッシ。
一時は聖職者を目指したと言う彼には、キリストを主人公にした「最後の誘惑」といった一本もあります。
そして今回遠藤周作原作の「沈黙」を映画化、信仰という重いテーマにまたも挑んだのであった。
1966年に遠藤周作が書き上げた中編「沈黙」、1988年手にしたスコセッシ。「沈黙」から大きな衝撃を受けて以来ずっと自身の映画化に向けて情熱を注ぎ続けてきた。
遠藤周作の家はカトリックで、旧制中学時代にカトリックの洗礼を受けている。さらに1950年からフランス留学をの経験があり、その留学時に感じた「日本人でありながらキリスト教徒である矛盾」。
遠藤周作が創造したキャラクター「狐狸庵先生」シリーズ等・・・ユーモアたっぷりな随筆を発表するかたわら、自らの宗教は彼にとって永遠のテーマとなりました。
西洋のキリスト教が唱えてきた、キリスト教を唯一正しい宗教であるとする考えは、キリスト教信徒である遠藤にとって大きな矛盾であった。
17世紀、江戸時代初期。「島原の乱」鎮圧間もない日本から・・・。
イエズス会の名高い神学者・クリストヴァン・フェレイラ=リーアム・ニーソンが、幕府のキリシタン弾圧によって棄教したとの知らせが入ります。
それを知った弟子である・・・司祭セバスチャン・ロドリゴ=アンドリュー・ガーフィールと、フランシスコ・ガルペ=アダム・ドライヴァーは、フェレイラ失踪の真偽を確認すべく海を渡ると決心する。
苦難の末、、二人は長崎にたどり着きます。
案内役となったのは、漂流民であり隠れキリシタンでもある、日本人キチジローでした。潜入に成功した二人は隠れキリシタンたちの歓迎を受けて・・・トモギ村での生活がはじまります。
潰れかけた家に住み、貧しさの中に生きる。山沿いの小さな畑で牛馬のように働き、年貢を取りたてられる日々。
生まれた時から決まっている農民たちの一生。 神に救いを求めても、無理はない。
村人と祈り、告解(コイヒサン)を聞き、幼子に洗礼を授ける・・・。日本へ渡った使命感と意味を見出して、ロドリゴは喜びをかみしめるのだが・・・。
まず初めにイチゾウと、塚本晋也扮するモキチ、人質として名乗りを上げたもう一人の男が、海水に浸かった磔の刑で絶命する。
村人モキチ=塚本晋也は、監督、脚本、撮影、主演までこなすマルチな人。台詞の少ない寡黙な役柄ながら、際立った存在感、好演であると思いました。
「沈黙」でのオーディションに際し、役作りの為50kgまで体重を落とす減量をおこない、心身ともにギリギリの状態で挑んだそう。
海中へ投げられた村人を助けようとして、ガルペも死ぬ。クライマックスでも派手な音楽が流れる訳もなく、淡々と進む物語。
原作において作者・遠藤周作が自身をモデルとした・・・人間の弱さを凝縮した存在。キチジロー=窪塚洋介。
愚鈍で卑しく、臆病そうなな笑いを浮かべる、みっともない存在として描かれています。
意味不明の笑みを浮かべて、ロドリゴ達の不安を誘うキチジロー。
一度ならず、ロドリゴを裏切っては後悔を引きずる…信仰心をもちながら、強者を前にしたら自分の命が大事になってしまう・・・キチジローのキャラはわかりやすい。だれもがそうだと思い当たる、人間くささが次第に真面に思えてくるのである。
イッセー尾形は当然!通訳=浅野忠信、他にも多数の日本人俳優がキャスティングされています。
・・・・・・なぜ神は沈黙を貫くのか。か弱き人々が苦しんでいるさまなど見えない、何も聞こえないかのようにふるまうのか。・・・・・
最も美しく清らかなものと信じてきた自らの信仰と、罪のない隠れキリシタンである農民たちが受け続ける地獄のような拷問、受難の日々。
時の権力は司祭ロドリゴにも、師・フェレイラ同様の棄教を迫る。
自らの非力さに迷い、信じて疑わなかった信条・信念は己の心の弱さと向き合う形へと変わってゆく。。自分も弱い人間、それは忌み嫌う存在でしかなかった、キチジローそのものではなかったか。
人間の弱さ、それを利用しようとする権力者との対比が際立つ展開。
上映時間160分もの長編、しかしその長さを感じさせない演出の見事さ。
また外国人が日本を描いた時に感じる違和感もなく、出演者たちの演技に集中しました。
日本の俳優がハリウッド映画に出演、それも監督は巨匠マーティンスコセッシ・・・ときたら嬉しい限りながら。。
ただし信者以外の日本人はだれも皆一様に無表情で、ひとすら粗暴である。←これは異国ポルトガルからやって来たロドリゴの視点から・・・と考えられるものだが・・・。
シトシト降りつづける雨、ぬかるんだ土地。切り立った崖、寒々しい色彩でも美しい海。
当時に近いと思わせる雄大な光景が広がる。←撮影は規制の多いわが国ではなく、お隣「台湾」で行われたと言います。
宗教心など微塵もない私が見ても見応えのある、見事な作品であると思いました。
オープニングとエンディングは、ロドリゴが入れられた牢の・・・漆黒の闇、静寂の中で聞く虫の音。
ロドリゴの目の前で、無力な殉教者として果てた農民たち・・・その命を奪った海の波音が使われていたのも印象的。
映画「沈黙」はわが国でもすでに1971年、篠田正浩監督によって映画化されているのでした。
〇談社から出た現代文学の一冊に、遠藤周作作品が掲載されていたのを思い出し・・・二階の本箱から取り出してきた私。
本作は、その原作そのままに映画化されたものであったと理解しました。
原作に沿って映像化されたこの映画。
人類の歴史にとって宗教と戦争は深い関係を持ち続けてきたものであり。それは現在にあっても普遍的なテーマをもつ。
それにしても2時間42分となる長さ、他国の人々に受け入れられるのは難しいかもしれない。
12月のクリスマスにはケーキを食べ、年の初めには神社に詣でる。そしてヴァレンタインデーにイースターとその時々で変身してしまえる私達って何なんだろう…と言う思いも残りました。
ブラジル映画「セントラルステーション」 [映画・DVD]
南米初となる・・・リオデジャネイロオリンピックが開会。熱戦が続いていますね。個々の試合については、ドキドキが激しくて観ていられません。
オリンピックの最初のハイライトと言えば・・・「開会式」。
オープニングは・・・生命の誕生、未開の大地、原住民であるインディオの人々。ダンサーたちの力強い踊り。
そこへやってくるのは・・・大航海時代の旧支配国ポルトガル。労働の為連れて来られるアフリカン、中近東から海を渡ってきたアラブの人々に加え、日本移民をイメージしたとの・・・白い服に日の丸をあしらったコスチューム姿の女性たちのダンス。(でも髪型、メイク、衣装共に日本と言うよりC国、K国みたい・・・トホホホ)
前半はブラジルの歴史、異文化との融合を経て、国家が成熟した過程を表現した。
ボサノヴァ、サンバの音楽が会場に響き渡り、もうひとつこれは欠かせない…リオと言えばリオのカーニバル。
2014年のブラジルW杯の決勝戦でも使用された、スタジアム上に大量の花火が打ち上がる。
その様子を見守るかのように・・・浮かび上がるのは、超有名観光スポット「コルコバードの丘に立つ巨大なキリスト像」。
開会式は、オリンピックの魅力のひとつ。私も毎回楽しみにしているイベントであります。
シンプルな構成、無駄な派手さがなく、華美になり過ぎない演出。既存の像=インパクトの強い「コルコバードのキリスト像」にわか造りのセットなど敵うはずがない・・・キリスト像のライトアップを組み合わせて、映像に活かした配信は良かったと思います。
「リオデジャネイロ」の言葉は、「キリストの神様が見守る街」という意味らしいです。
派手すぎて・・・やっちまったなぁ!?感の強かった北京オリンピックと比べたら、身の丈にあったと言うか、過剰じゃないのがいい。
アイディアと最新技術の勝利!って感じました。
次の「TOKYO」もそうであって欲しい。日本人は個々にしたらアイディアをもっているはずなのに・・・こういった見せる演出が下手だって何時も思います。
演出を手掛けた芸術監督、フェルナンド・メイレレスはサンパウロ出身の映画監督です。未見ながら・・・「シティ・オブ・ゴッド」で有名なのだそう。
以下、旧ブログである楽天ブログよりコピペながら・・・以前観た、作品の紹介をします。
ブラジルを舞台にした大好きな一本、1998年に制作・公開された映画。
タイトルである「セントラルステーション」は、リオデジャネイロ中央駅の事。映画のオープニングも駅からです。
ブラジル・リオのセントラルステーションで手紙の代書屋の仕事ををしている、初老に近い女性ドーラ=フェルナンダ・モンテネグロ。
出だしの映像は、現地の人々でしょうか?様々な男女が自分の思いを口述してドーラへ託す。
生き生きとした表情、語り口に、思わず見入ってしまう。冒頭からして優れた、魅力的なシーンでした。
しかしそうした手紙を、ドーラはいつの間にか出すことをしないで、自分の引き出しにしまっておくようになっていました。
そんな日々の中で、客の女性が交通事故でなくなり・・・息子のジョズエがひとり残されます。
夫に出す手紙を依頼する時、彼女がドーラの机に置き忘れたハンカチ・・・隅に花の刺繍がしてあるだけの一枚・・・貧しい生活ぶりが垣間見えて切ない。
始めは子供に冷たい対応をするドーラでしたが、成り行きで彼と父親を捜す旅に出ることになってしまいます。
バスに何昼夜も乗り続けて、広大なブラジル国内を旅していく。その間にいくつかの出会い、些細な事件もあるロードムービーです。
所持金がなくなり、お互いに疲れ切って、ドーラが子供の心を傷つけてしまうシーン。
そしてキリスト教のお祭りの場面なのですが、そこでドーラは改心・・・を暗示するシーンから、人を愛する心も取り戻すのです。
旅の最後。ジョズエの父親はいなかったけれど、真面目に働く兄二人に会う事が出来ました。
ジョズエはここで暮らすのが一番だと思ったドーラ。
やっと見つかった少年の家を、早朝一人でそっとぬけ出して、リオ行きのバスに乗る。
写真の側に亡くなった母の手紙を置いて、別れも告げずに出かけます。
ジョズエに買ってもらったワンピースを着て、口紅を塗り、スッと背を伸ばし前だけを見つめて。。
バスに乗ったドーラが、そこでジョズエに手紙を書く場面ラストシーン・・・ジワッとくる感動。
ドーラは忘れていた心の優しさを取り戻して、自分の過去を肯定する。自分を捨てた父も許すのでした。
とても良くできた脚本ですが、なんと言ってもこの映画の主役・・・それは広大な、色々な表情を見せるブラジルの大地の魅力と感じた。
監督ヴァルテス・サレスは本作にて、ブラジル映画ではじめてベルリン映画祭金熊賞を受賞。
(元記事は、2006年6月28日)
ジョズエの母親が死亡する事故も、警察が来て検証をすることはなく、子供なのに保護もされず放置され浮浪児として生きるしか術のないジョズエ。
そんな一人ぼっちの子供に目を付けるヤクザ。ドーラから500ドルで少年を買い取り、養子斡旋業を偽装した業者に1000ドルで売り飛ばす。しかしその斡旋業者の実態は臓器売買で、臓器移植の病院へ送られ臓器を抜かれて死ぬ運命が待っているのだった。
駅で商品を盗んで逃げた黒人の若者は・・・大勢に追いつめられた挙句、容赦なく射殺される。リオではありふれた事なのか?警察が来て捜査することはなかった。
ブラジルのイメージと言えば・・・真っ先にの大河アマゾンとジャングルが思い浮かぶもの。または観光地のイパネマ海岸などながら・・・。
ブラジル内陸部の気候は湿度が低い、降水量の少ない半砂漠気候の為、年中乾燥している砂漠地帯。そんな荒野にポツンと建った小さな教会。
ドーラは亡くなった母の冥福と、父親との再会を願ってジョズエに形見のハンカチを結ばせます。
乾いた荒野と、バックに流れる哀切を帯びたメロディが心に沁みる、印象深いシーンです。
一文無しになった二人、キリスト教のお祭りをする街で・・・ジョズエのアイディアから、ドーラが人々の願いを代書して旅費を稼ぐ。
美しい光景と・・・日々の生活に宗教、キリスト教が深くかかわっているのが実感されました。
クリント・イーストウッド 監督作「アメリカン・スナイパー」 [映画・DVD]
先週、国内では公開されたばかりの「アメリカン・スナイパー」を観る機会をえましたので・・・今日は映画の話です。
アメリカ海軍・特殊部隊の元隊員であった、クリス・カイルの自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」を元に、巨匠クリント・イーストウッドが映画化した本作。
公開されるとすぐに同.監督作品中でも最大のヒット作となり・・・また22日(アメリカ時間)に開催される、第87回アカデミー賞でも計6部門でノミネートされているのです。
少年クリスが夢見た職業はカウボーイか、軍人。長じて海軍への入隊後は、特殊部隊であるネイビーシールズのチームに配属され、狙撃手として働いた・・・クリス・カイル=ブラッドリー・クーパー。
原作に惹かれたブラッドリー・クーパー自身が映画化を希望したと言う。
ギリギリまで体重を増やしての、渾身の役作りのせいか、まさに本人そのもののように感じられました。
すでに著名な俳優であるのに、出演作を観ていなかった私はキャリアさえ未知のまま。
本作がお初であったのだけれど、しかしその存在感は圧倒的であり、地味な戦争映画といったジャンル・・・に関わらず冒頭から引き込まれてしまったのであった。
特に有名な俳優さんの出演もなく・・・その辺りも新鮮な気持ちで受け入れられた事と関係しているように思えます。
アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた過去の二作品、「世界にひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」と、どちらも未見なので演技力についても不明ながら、俳優を目指す若者であれば、誰もが憧れるあの「アクターズ・スタジオ」で演劇を学んだとの事なので、実力派であるのは間違いないものかと。。
「アクターズ・スタジオ」は・・・ケヴィン・スペイシー、メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツ・・・等、オスカー受賞俳優・映画監督へのインタビュー内容で構成された番組。
日本では「・・・・自らを語る」のタイトルで不定期に放送される・・・「アクターズ・スタジオ・インタビュー」でお馴染み。
放送するのに気づいた時、贔屓にしている俳優の時など、私も数回見ています。
戦場を舞台とする映画で真っ先に思い浮かぶのは、S・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」です。
第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦。映画の冒頭、オマハ・ビーチ上陸の大迫力シーンは、海辺に浮かぶ大量の死体、真っ赤に染まった海。・・・と相当エグイものがありました。
本作ではまず音響効果の凄さにやられました。
本物の地震がおきたのかと思った、戦場となる町並みを進む戦車の音がリアルそのもので…そこから観客も一気に戦場へと導かれてしまうのでした。
戦地に赴いた彼は優れた「狙撃手」として味方の命を救ったのだが、覗き込むスコープの先にあるのは兵士やゲリラだけではない。
爆弾をかくし持つ女性や子供もいたのだ。
自らが子をもつ親として、愛する妻のいる夫として・・・躊躇い、しかし常に的確な判断を委ねられる狙撃のシーンは、当然ながら緊張の連続です。
共に戦う仲間が、目の前で苦しみながら命を落とすこともあった。
イラク武装勢力からは「ラマディの悪魔」と恐れられた・・・男でも、多くの苦悩を抱えもつ。。
極限状態の中で生きぬいた後、アメリカの家族の元=日常生活に戻って暮らす。ようやく自分を取り戻すのも、つかの間。
通算4度もの任務の追行。
帰国して普段の生活に戻ったからと言って、気持ちが簡単に切り替えられる訳もなく。心ここにあらずと言った状態が続く中、夫の言動に振り回される妻。
やるか、やられるか。綺麗事で済まされない戦場での日々が続いて。。帰国しても、自宅へ帰る事さえできなくなってしまう・・・戦争が彼の中に残した残がいの大きさ。
相当な精神力の持ち主とはいえ、真の意味で、戦場からの帰還はあったのだろうか。
撮影はロサンゼルスで、時事に疎い私でも、まさか中東で撮れる訳はないと思った・・・戦闘シーンはモロッコだそうです。
除隊後に、同じように戦場での体験が元で精神を止んでしまった若者に関わった結果・・・
観る側に解釈を委ねた、映画のラスト。沈黙の意味で?エンドロールが流れる間は「音のない間」がとってありました。
それでも席をたつ人の姿はなかったような。。
「 許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」で二度のオスカーを受賞。
その後も「ミステック・リバー」「硫黄島からの手紙」と撮る作品はどれもが傑作ばかり。
俳優としてだけでなく監督として、優れた仕事をし続けているクリント・イーストウッド。
戦場を題材にしたものでは、「硫黄島からの手紙」があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/simarisu2/diary/200704280000/
外国人から見たら同じように見えてしまうであろう日本人のキャラ、その一人一人をキッチリと描いた。
心に残る作品。監督としての力量が大いに感じながら、観た覚えがあります。
その前に公開された・・・アメリカ側から見た硫黄島の戦い「父親たちの星条旗」・・・こちらは残念ながら未見でしたが・・・。
同じく監督作品で観ているものに、社会問題を扱った「チェンジリンク」があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/hana7899/diary/200903110000/
アメリカン・スナイパーを観て、思い出してしまったのが・・・キャスリン・ビグロー監督作品「ハートロッカー」でした。
アメリカ軍爆発物処理班の活躍を描いた映画は・・・観客である我々も同じく、見ている間中緊張にさらされる。
任務の終了後、また命の危険を顧みず戦場へと戻ってしまう・・・彼らにとって戻っていく先が家族の元でなく、戦場である点も共通しているのです。
http://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
これまで長きに渡って、世界の戦闘地域へと自国の若者を送り続けてきた・・・アメリカ。
そんな国のあり方、人と人が戦う意味。様々な複雑さを・・・我々観客へ委ねた、ラスト。
同じ戦争映画とはいえ、エンターティメント性を重視するS・スピルバーグ監督との違いは大きくて。。。エンタメ要素も少しはあるものの・・・容易に善悪など問えない、監督の一筋縄ではいかない作品作りへの姿勢が垣間見られたように思えました。
小さい頃から心優しく、正義感の強い子供であった。いつも戦地の子供達を救いたいと・・・
最近、耳にした(〇藤の母)の・・・言葉が虚しく響く。。
アメリカ海軍・特殊部隊の元隊員であった、クリス・カイルの自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」を元に、巨匠クリント・イーストウッドが映画化した本作。
公開されるとすぐに同.監督作品中でも最大のヒット作となり・・・また22日(アメリカ時間)に開催される、第87回アカデミー賞でも計6部門でノミネートされているのです。
少年クリスが夢見た職業はカウボーイか、軍人。長じて海軍への入隊後は、特殊部隊であるネイビーシールズのチームに配属され、狙撃手として働いた・・・クリス・カイル=ブラッドリー・クーパー。
原作に惹かれたブラッドリー・クーパー自身が映画化を希望したと言う。
ギリギリまで体重を増やしての、渾身の役作りのせいか、まさに本人そのもののように感じられました。
すでに著名な俳優であるのに、出演作を観ていなかった私はキャリアさえ未知のまま。
本作がお初であったのだけれど、しかしその存在感は圧倒的であり、地味な戦争映画といったジャンル・・・に関わらず冒頭から引き込まれてしまったのであった。
特に有名な俳優さんの出演もなく・・・その辺りも新鮮な気持ちで受け入れられた事と関係しているように思えます。
アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた過去の二作品、「世界にひとつのプレイブック」「アメリカン・ハッスル」と、どちらも未見なので演技力についても不明ながら、俳優を目指す若者であれば、誰もが憧れるあの「アクターズ・スタジオ」で演劇を学んだとの事なので、実力派であるのは間違いないものかと。。
「アクターズ・スタジオ」は・・・ケヴィン・スペイシー、メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツ・・・等、オスカー受賞俳優・映画監督へのインタビュー内容で構成された番組。
日本では「・・・・自らを語る」のタイトルで不定期に放送される・・・「アクターズ・スタジオ・インタビュー」でお馴染み。
放送するのに気づいた時、贔屓にしている俳優の時など、私も数回見ています。
戦場を舞台とする映画で真っ先に思い浮かぶのは、S・スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」です。
第二次世界大戦中のノルマンディー上陸作戦。映画の冒頭、オマハ・ビーチ上陸の大迫力シーンは、海辺に浮かぶ大量の死体、真っ赤に染まった海。・・・と相当エグイものがありました。
本作ではまず音響効果の凄さにやられました。
本物の地震がおきたのかと思った、戦場となる町並みを進む戦車の音がリアルそのもので…そこから観客も一気に戦場へと導かれてしまうのでした。
戦地に赴いた彼は優れた「狙撃手」として味方の命を救ったのだが、覗き込むスコープの先にあるのは兵士やゲリラだけではない。
爆弾をかくし持つ女性や子供もいたのだ。
自らが子をもつ親として、愛する妻のいる夫として・・・躊躇い、しかし常に的確な判断を委ねられる狙撃のシーンは、当然ながら緊張の連続です。
共に戦う仲間が、目の前で苦しみながら命を落とすこともあった。
イラク武装勢力からは「ラマディの悪魔」と恐れられた・・・男でも、多くの苦悩を抱えもつ。。
極限状態の中で生きぬいた後、アメリカの家族の元=日常生活に戻って暮らす。ようやく自分を取り戻すのも、つかの間。
通算4度もの任務の追行。
帰国して普段の生活に戻ったからと言って、気持ちが簡単に切り替えられる訳もなく。心ここにあらずと言った状態が続く中、夫の言動に振り回される妻。
やるか、やられるか。綺麗事で済まされない戦場での日々が続いて。。帰国しても、自宅へ帰る事さえできなくなってしまう・・・戦争が彼の中に残した残がいの大きさ。
相当な精神力の持ち主とはいえ、真の意味で、戦場からの帰還はあったのだろうか。
撮影はロサンゼルスで、時事に疎い私でも、まさか中東で撮れる訳はないと思った・・・戦闘シーンはモロッコだそうです。
除隊後に、同じように戦場での体験が元で精神を止んでしまった若者に関わった結果・・・
観る側に解釈を委ねた、映画のラスト。沈黙の意味で?エンドロールが流れる間は「音のない間」がとってありました。
それでも席をたつ人の姿はなかったような。。
「 許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」で二度のオスカーを受賞。
その後も「ミステック・リバー」「硫黄島からの手紙」と撮る作品はどれもが傑作ばかり。
俳優としてだけでなく監督として、優れた仕事をし続けているクリント・イーストウッド。
戦場を題材にしたものでは、「硫黄島からの手紙」があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/simarisu2/diary/200704280000/
外国人から見たら同じように見えてしまうであろう日本人のキャラ、その一人一人をキッチリと描いた。
心に残る作品。監督としての力量が大いに感じながら、観た覚えがあります。
その前に公開された・・・アメリカ側から見た硫黄島の戦い「父親たちの星条旗」・・・こちらは残念ながら未見でしたが・・・。
同じく監督作品で観ているものに、社会問題を扱った「チェンジリンク」があります。
http://plaza.rakuten.co.jp/hana7899/diary/200903110000/
アメリカン・スナイパーを観て、思い出してしまったのが・・・キャスリン・ビグロー監督作品「ハートロッカー」でした。
アメリカ軍爆発物処理班の活躍を描いた映画は・・・観客である我々も同じく、見ている間中緊張にさらされる。
任務の終了後、また命の危険を顧みず戦場へと戻ってしまう・・・彼らにとって戻っていく先が家族の元でなく、戦場である点も共通しているのです。
http://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
これまで長きに渡って、世界の戦闘地域へと自国の若者を送り続けてきた・・・アメリカ。
そんな国のあり方、人と人が戦う意味。様々な複雑さを・・・我々観客へ委ねた、ラスト。
同じ戦争映画とはいえ、エンターティメント性を重視するS・スピルバーグ監督との違いは大きくて。。。エンタメ要素も少しはあるものの・・・容易に善悪など問えない、監督の一筋縄ではいかない作品作りへの姿勢が垣間見られたように思えました。
小さい頃から心優しく、正義感の強い子供であった。いつも戦地の子供達を救いたいと・・・
最近、耳にした(〇藤の母)の・・・言葉が虚しく響く。。
「バンクーバーの朝日」 [映画・DVD]
先週の・・・〇ジテレビの番宣を見て、二人して何となく観たいなと思ってしまった…映画「バンクーバーの朝日」。
戦前のカナダ、バンクーバーに実在した、日系人の野球チーム「バンクーバー朝日」を描いた作品です。
ウジと〇通が関係しているのは気にいらないけれど・・・本作の監督が昨年、評判高かった「舟を編む」を撮った石井裕也監督であった事。
また映画の、ロケ地は・・・
カナダ・バンクーバーのほかに、本作のメインステージとなる・・・当時の日本人街、野球場を足利市に再現。広大なロケセットは足利市富田地区に組まれて撮影されたのだと言う。
それに主演の妻夫木君、亀梨君も好きですしね。。
早速観てきましたので…今回は映画の紹介、感想を書きたいと思います。
石井裕也監督と言えば、女優の満島ひかりの旦那さん。・・・と言う事は当然、若い。31歳ですって、家の息子よりも年下なのです。
そして出身は埼玉、詳しくは知りませんが、同じ埼玉生まれとしてはなんとなく近しく感じられるのです。
メジャーデビュー作品の「川の底からこんにちは」、←この映画は観ています。
これがきっかけとなって、主演の満島ひかりと電撃結婚をしてしまったのでした。
病気で倒れた父親の代わりに実家のしじみ工場を継ぐことになったサエナイOL…。「私はどうせ中の下ですから」が口癖の・・・ネガティブヒロイン。
しじみ工場で働くおばちゃんたちのパワフルさも含めて、全編を通して流れるムードがなんとも可笑しい映画でした。
平凡に生きる私達と等身大・・・それは本作の主役である、チームのキャプテン・レジー笠原=妻夫木聡の人物像にも投影されているような気がします。
能力ない訳じゃないのに、自分の思いをうまく言葉にして出せない。
理不尽な言動を続ける白人達を前にして、謝ってばかり…と、およそ映画の主役とは思えない寡黙さ。ウジウジとした態度も、およそ主人公然としていない・・・。
ピッチャー・ロイ永西=亀梨和也も同じようにネガティブで、言葉の少なさには観ていてイラついてしまうほど。
遥々海を渡って来た一世である父=佐藤浩一の、不器用な生き方にしても然り。
惰性で日々をおくるだけ、肉体労働に明け暮れる中で得た少しの賃金さえ、日本で暮らす親類へ成功していると思わせたいが為、仕送りしてしまうのだ。
実際は現地の言葉を覚えないがゆえに、仕事も限られ貧しい暮らしを送るしかない。
会話が成立しないから頭が悪いと見下されているのに。。。
カナダの西海岸、バンクーバーの日本人街が映画の舞台。
豊かな生活を夢見て移住していったその地で・・・日系の一世、二世たちは地味に、真面目に、一生懸命働いて生きていた。
そんな仕事の合間にする野球の練習と、試合。
体格の小ささ、白人たちとの体力差から、万年最下位にあまんじるをえない・・・バンクーバー朝日チーム。
それでもバントに盗塁、堅い守りなど、緻密な機動力を駆使し。。「頭脳野球」と呼ぶ戦術を編み出してゆくのだ。
日系人たちに勇気、希望をもたらすだけでなく、フェアプレー精神で戦い抜く姿勢は対する白人たちからも賞賛と信頼を得ていくのだった。
しかし、日系移民への排斥運動の高まりにより、その職さえ奪われていく。。
第二次世界大戦の勃発により、日系カナダ人も日系アメリカ人同様に財産を没収され、収容所内へ抑留される。
登場人物達が人種差別、それに伴う報われない労働、貧しさなど・・・個人の力ではどうにもならない状況の中で奮闘し、成長していくという・・・シンプルなストーリー。
実在したチームがモデルとなっているのであるから、そのストーリーには大きな逆転劇、彼らの行く末には希望もない。
抗えない運命、逆境に立ち向かう人々の姿。
そして、彼らの「一瞬の輝き」が描かれた作品であろう。
思っていたほど監督の感性が表だって出ている訳ではない、至って真面と言うか、我々観客に投げられてくるものは…「ストレート」な「直球」。予想していたほどのアザトサはなく、正当に勝負してきた作品であったものに思える。
個人的には、妻夫木君の母親役として石田えりさんが出演していたのが嬉しかった。
作家の故・立松和平が書いた、地元・栃木を題材にした小説「遠雷」。
それを原作とした、ATG作品「遠雷」でのヒロイン役がなんと言っても印象に残ってます。
同時代を生きた世代として、地方の農村にも急激に押し寄せてきた都市化。密着した家庭内で起こる些細な軋轢、面倒な関係。
お見合いしたその日に「モーテルへ行くべ」と誘う主人公の台詞には驚いたものの…それは今では失われつつある野性味?
誘いを受ける側の彼女のもつ、まだデビューしたてであった新鮮なルックスは、土の匂いがしてくるように肉感的であり。これも現在はすでに失われてしまったもの。
地方に住む色っぽくて異性にモテる。そんな彼女のもつムードが役柄にハマっていて、「こういうタイプっているよな」とリアリティを感じさせて、身近に感じられた。
今の人達にとっては「ATG作品」、「モーテル」と言った言葉さえ死語となっている訳ながら。。
脇を固めた・・・一世を演じたオジさん達は、意外に豪華な配役。演じる俳優さん達が大らかに楽しげに演じていて、それぞれの個性が楽しめました。
戦前のカナダでの活躍が認められたチーム「バンクーバー朝日」は、2003年になってカナダ野球殿堂入りを果たしました。
http://www.vancouver-asahi.jp/
「小さいおうち」 [映画・DVD]
3週間以上前になりますが…試写券が当たって鑑賞していた映画がありました。
山田洋次の82作目となる監督作品、第143回直木賞を受賞した中島京子氏の小説を映画化した「小さいおうち」です。
一度下書きしたものが、どこかへ消えてしまった。この半端ない疲労感!言葉になりません・・・
もう一度思い出しながら書いていく事にします。
昭和10年。布宮タキ=黒木華は18歳で山形から上京をし、東京の丘の上に建つ赤い屋根の屋敷で女中として働く事となる(差別用語として死語となっている言葉。今でいうお手伝いさん)。
そして現代。
年老いたタキ=倍賞千恵子が書き残したノート、タキに自叙伝を書くよう勧めた青年=妻夫木聡がつづられた内容を読み進めていくと言うものです。
小さいおうちでは、玩具会社に勤める平井=片岡孝太郎、妻の時子=松たか子、一人息子の恭一が暮らしていた。
そこで営まれる生活は、家具や調度。使われている食器に、キッチンの様子。着物の洗い張りの様子など・・・郷愁を覚えるものばかり。。人件費のかからない当時、一定レベル以上の家であれば、雇人がいるのは一般的であったものと思えるものの。
平井の部下である板倉=吉岡秀隆の訪問を境として、時子とタキそれぞれの気持ちに少しずつ変化が起き始めるのだった。
当時としては教育も受けたであろう良家の子女であった時子が、葛藤しつつ板倉によろめいてしまう(こちらも死語だから、心惹かれていってしまう)辺り説得力に欠けるかな。
互いにクラッシック鑑賞を趣味とする、年の離れた夫と違いを板倉に見たのであろうか。共に暮らす妻に対しそのくらいは当然なのだから、この辺りもお嬢様育ちと言いましょうか。
大らかで明るい、何不自由なく育った。結婚後も裕福な満ち足りた生活をおくる・・・時子役の松たか子ははまり役です。
時に見せる年齢相応の色っぽい表情、モダンな着物姿のあだっぽさ、階段を駆け上がる時の艶めかしい足元。
黒木華は、昨年の朝ドラ「純と愛」にて。ヒロイン純の働くオオサキホテルの同僚にして・・・普段はおとなしくて気が弱い。そのくせ都合の良い時だけ純に頼るというトホホな役柄であったのを思い出しました。
本作では、控えめな中にシッカリとした芯のある役柄を演じています。
松たか子は「隠し剣 鬼の爪」以来、同監督作品出演は9年ぶりだそうです。
「隠し剣 鬼の爪」は、山形県鶴岡出身の小説家・藤沢周平の短編を原作とした一作でした。
ただし山田監督にとっても前作である「たそがれ清兵衛」とあまりにも似た設定、ストーリーから・・・なぜ同じような作品を二作続けて撮ったのかと疑問を覚えたのは事実。
主人公は藤沢作品の特徴とも言える…東北地方の、とある小藩に仕える下級武士。
親友である狭間、彼の謀反から起きる藩内の騒動に主人公が巻き込まれてしまうというもの。習得した秘伝の剣術が隠し剣。
そこにはかつて家で働いていた女中=松たか子との身分違いの恋も描かれました。ここでの松たか子は若さと、ひたむきな雰囲気が心に残りました。
また策を巡らす悪家老に騙され、身体を弄ばれる・・・狭間の妻=高島礼子の妖艶な魅力にはドキッとさせられたもの。。
布宮タキの晩年を演じた倍賞千恵子は、「家族」「故郷」「幸福の黄色いハンカチ」・・・と、1970年代の山田作品のヒロインを務めましたが。。懐古調に描かれた過去のシーンの美しさゆえ、現代編に魅力が感じられなかったのは残念に思います。
それと時子、タキの二人の心をときめかす存在である板倉役=吉岡秀隆。もうチョッとイケメンを配して欲しかったかな。
日本映画につきものの「泣ける映画」といったセンチメンタルさは必要ではないから・・・映画を観て泣くって、皆さん好きですものね。
予告編から受ける「一家の秘密」とは。
望まずしてタキが背負わざるをえなくなってしまった秘密は、それ程のものではない。
舞台となるのはこの家だけではなく、人々の生きた時代。昭和初期から第二次世界大戦へと突入する・・・時代の変化が絡んでくるのだ。
本作の中で大きな軸となっているものに、現代版に登場する「バージニア・リー・バートン」による絵本「ちいさいおうち」があります。
時代と共に変わっていく周囲の環境、それでもただ同じ場所にあり続けるおうちの物語は、切なくも愛おしい。
絵本と同じように小さいおうちがあった事実は、タキの、絵に描いて残した板倉の…二人にとって生きた証し、生き続ける為に必要な支えとなるものであったかもしれない。
個人的に残念に思ったのは・・・
監督自らの現政権への批判、反戦思想が過剰なまで入っていた部分に・・・違和感を覚えた。監督の主観に伴う台詞があちこちに入れられているのです。
新聞やラジオが歪曲した情報を流して、容易に民衆が迎合してしまうのは何時の時代でも起こりうる事実。
それは現代においても・・・
マスコミが事実を都合よく偏向したり、誤った報道がされている事でも・・・然り。作中にあった「南京大虐殺」にしても、C国側の捏造とする説があるくらいだから。。
憧れである東京郊外に建つ、モダンな赤い三角屋根の洋館。そこに暮らすタイプの違う二人の女性の生き方が描かれたものと思いながら見終えました。
アメリカ人俳優のフリップ・シーモア・ホフマンが亡くなりましたね。死因はやはり薬でした。
彼は作家のトルーマン・カポーティを演じて、第78回オスカーの主演男優賞を受賞しています。
好きだったヒース・レジャーの時ほどではないけど、やはり残念です。
映画の世界の第一線で活躍をし続けていく重圧って、我々には想像もつかないものでしょう。
タグ:小さいおうち 山田洋次
ベン・アフレック監督・主演による映画「アルゴ」 [映画・DVD]
アメリカロサンゼルスにおいて昨日、第85回アカデミー賞作品賞として・・・
1979年のイランアメリカ大使館人質事件を題材とした、ベン・アフレック監督・主演による映画「アルゴ」が選ばれました。
オスカー像を手にしたベンの興奮したスピーチを目にして、嬉しさを隠しきれないその様子から余程嬉しいのだろうなぁとニヤついてしまった私。
彼は過去にも脚本も兼任した「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」、こちらではアカデミー脚本賞を受賞済み。
しかし俳優としてのイメージは失礼ながら凡庸なものでしかなく、「「グッド・ウィル・ハンティング」では役どころさえ思い出せない有様。
「グッド・ウィル・ハンティング」はマッド・デイモンの鮮烈なデビュー作であり、またロビン・ウィリアムスの存在感しかないのでした。
「アルマゲドン」では、地球を守る為に召集される石油採掘のスペシャリスト達のうちの一人。
でもどこにでもいるような田舎のお兄ちゃん風の風貌から、どうして?と首をかしげていたくらいでしたもの・・・
一時噂にあった女優グウィネス・パルトロー主演映画「恋におちたシェイクスピア」においても、彼については特に感想はありません。
「アルマゲドン」のマイケル・ベイ監督による次の主演作品「パール・ハーバー」に至っては、観る気さえ起きず。
しかしベン・アフレックが、映画監督としてデビューを果たした「ゴーン・ベイビー・ゴーン」。
まとめ買いしたB級作品を放送していると思われる昼の時間帯にテレビで偶々見た本作品は、ベンの初監督作品であり、日本では劇場未公開作品でした。
だから何気なく見始めたものながら・・・
街で4歳の少女アマンダが誘拐される事件が発生した。その3日後、警察の捜査に限界を感じたアマンダの叔母夫婦が、街の裏側に精通するパトリック=ベン・アフレックの実弟=ケーシー・アフレックのもとへ捜索依頼にやってくる。
誘拐事件に気が進まないまま、アマンダの行方を調べ始めるパトリック達であったが。。
この作品は、C・イーストウッドが監督した「ミスティック・リバー」の原作者としても知 られるデニス・レヘインの原作を映画化したもの。
パトリック達がたどり着いた犯人、それは温厚な人柄により人々から信頼を得ている年とった黒人警察官=モーガン・フリーマン。
対して娘が誘拐された後も少しも変わることなく、子供よりも男とのデートや自らのオシャレにしか興味のない。いわゆるホワイトトラッシュと呼ばれる、ビッチなシングルマザーであるアマンダの母親。
彼女の居場所は、血の繋がりはなくとも良い環境で育てられるであろう養父母の元か、それとも劇中の台詞にもあったように、「アマンダだってこのままいけば、散らかった部屋で汚れた子供と暮らす。そんな生活をするようになるだろう」と想像される・・・実の母親の元の方が幸せであるのか。
自らが生きる道を選択できない幼い子供にとって、本当の幸せとは?・・・我々観客にも選択が委ねられる、そんな映画だったかと思います。
近頃は日本でも毎日のように目にする育児放棄=幼児虐待と言う・・・今日的なテーマをてらいのない視線により真正面から見つめて描いた映画は、監督としてはかなりのレベルをいくものと思えました。
「アルゴ」の公式サイト、予告編のトップには「これは実話です」・・・と刺激的なキャッチコピーあり!
作品に、アラン・アーキンが出演しているところもなんか嬉しい。
http://wwws.warnerbros.co.jp/argo/
同じく描かれた内容が事実であったかどうか論争を呼んでいる、オサマ・ビン・ラディン殺害計画の「ゼロ・ダーク・サーティ」。
こちらも同じく作品賞にノミネートされた、キャスリン・ビグロー監督の作品です。
イラクでの爆発物処理班の任務を描いた前作「ハート・ロッカー」がかなり楽しませてくれただけに、彼女の映画も期待出来るものかと。。
「ハート・ロッカー」について書いたものはこちら。http://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03
いずれにせよアメリカと言う国は様々な問題を抱えているにせよ、懐の深さも併せ持っていると言わざるをえません。
個人的にはクエンティン・タランティーノ監督の「ジャンゴ 繋がれざる者」の脚本賞受賞が嬉しい限りです。
日本映画に深い造詣をもつ映画ヲタクである タランティーノ作品はどれも面白い。外れのないものに思えますから・・・。
他所の国の映画の祭典に関わらず、やはり結果は気になるもの。そして選ばれた作品は観たくなってしまうものですね。
大河ドラマ「八重の桜」 [映画・DVD]
2013年の大河ドラマは、福島県の会津若松を舞台にした「八重の桜」。
それは今後京都へと舞台を移してはしまうものの・・・
昨年3月に東北地方を襲った大震災、それに伴って起きた原発事故により多大な被害を受けた福島県と福島の人々を力づける。東北復興を支援する一環として企画されたであろう・・・ドラマです。
福島県の会津若松に生まれた、後に同志社大学を創設する新島襄の妻となる新島八重の生涯がテーマとなっています。
前回の第3話 「蹴散らして前へ」まで放送終了しているのですが、幼少期から非常に活発で男まさりな少女であった山本八重とその家族、会津藩の人々の営みが描かれました。
黒船来航からはじまる、それまでの誰も直面したことのない激動の時代へ。
動乱の幕末から明治への時代を生きる人々の様子がスピーディなストーリー展開と共に生き生きと描かれて、中々面白い好調な出だしに思いました。
実際の新島八重と比べて、綾瀬はるかはホッソリしているし、何となく現代風なのは仕方がない。それでも元気いっぱいのお転婆な子役の八重が年ごろの八重とへ、スムーズで無理のない変身ぶりでした。
「篤姫」の宮崎あおい同様、異性からも同性からも好かれる女優・綾瀬はるかが起用された意味が大きいと思う。
初回はあまりにも教訓めいた「什の掟」が強調され過ぎかなと感じてしまったものの・・・
会津に蘭学所を開くこととなった、兄の覚馬が今のところは主役のような扱いとなっています。
優秀さゆえ江戸へ勉学に行った八重の兄・山本覚馬=西島秀俊は、西洋の技術を貪欲に習得していく他藩の動きを知り焦ってしまう。
故郷の会津ではその頃、会津藩の砲術指南である父・山本権八=松重豊、母・佐久=風吹ジュンの元で、ノビノビとした少女時代をおくっていた八重。
西島秀俊は・・古くはテレビドラマの「あすなろ白書」、その後は「Dolls」など映画の仕事が目立っていましたが、ここにきてスッカリ良い俳優さんになったなぁと思う活躍ぶりを示しています。
通りすがりの藩士に鉄砲を侮辱されて怒った覚馬が、槍の試合に挑む筋肉ムキムキシーンはカッコ良くて・・・いや~惚れ惚れ。おばちゃんでゴメン!
最初の夫である川崎尚之助=長谷川博己も、明るく大らかなキャラを演じて悪くはないのだけれど、スタイルの良い人だけに現代劇の方が似合っているように感じます。
四季折々の美しい会津の風景の中で繰り広げられる、八重の生い立ちや足跡・・・登場人物たちそれぞれの凛とした佇まい、優しげな会津弁でのやりとりから成っています。
そして続く安政の大獄、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、八重自身も参戦した戊辰戦争へと。。
真っ直ぐ前を向いて生きる人物達の生き方は、どのような逆境でも生き続けようとするエネルギーに満ちていて、今後も期待できるものに思えました。
今後登場してくる八重縁の会津の女性達、新しい明治の女性へと変身後も「ならぬものはならぬ」の教えを貫いた八重の姿や生き方も楽しみたいものです。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
それは今後京都へと舞台を移してはしまうものの・・・
昨年3月に東北地方を襲った大震災、それに伴って起きた原発事故により多大な被害を受けた福島県と福島の人々を力づける。東北復興を支援する一環として企画されたであろう・・・ドラマです。
福島県の会津若松に生まれた、後に同志社大学を創設する新島襄の妻となる新島八重の生涯がテーマとなっています。
前回の第3話 「蹴散らして前へ」まで放送終了しているのですが、幼少期から非常に活発で男まさりな少女であった山本八重とその家族、会津藩の人々の営みが描かれました。
黒船来航からはじまる、それまでの誰も直面したことのない激動の時代へ。
動乱の幕末から明治への時代を生きる人々の様子がスピーディなストーリー展開と共に生き生きと描かれて、中々面白い好調な出だしに思いました。
実際の新島八重と比べて、綾瀬はるかはホッソリしているし、何となく現代風なのは仕方がない。それでも元気いっぱいのお転婆な子役の八重が年ごろの八重とへ、スムーズで無理のない変身ぶりでした。
「篤姫」の宮崎あおい同様、異性からも同性からも好かれる女優・綾瀬はるかが起用された意味が大きいと思う。
初回はあまりにも教訓めいた「什の掟」が強調され過ぎかなと感じてしまったものの・・・
会津に蘭学所を開くこととなった、兄の覚馬が今のところは主役のような扱いとなっています。
優秀さゆえ江戸へ勉学に行った八重の兄・山本覚馬=西島秀俊は、西洋の技術を貪欲に習得していく他藩の動きを知り焦ってしまう。
故郷の会津ではその頃、会津藩の砲術指南である父・山本権八=松重豊、母・佐久=風吹ジュンの元で、ノビノビとした少女時代をおくっていた八重。
西島秀俊は・・古くはテレビドラマの「あすなろ白書」、その後は「Dolls」など映画の仕事が目立っていましたが、ここにきてスッカリ良い俳優さんになったなぁと思う活躍ぶりを示しています。
通りすがりの藩士に鉄砲を侮辱されて怒った覚馬が、槍の試合に挑む筋肉ムキムキシーンはカッコ良くて・・・いや~惚れ惚れ。おばちゃんでゴメン!
最初の夫である川崎尚之助=長谷川博己も、明るく大らかなキャラを演じて悪くはないのだけれど、スタイルの良い人だけに現代劇の方が似合っているように感じます。
四季折々の美しい会津の風景の中で繰り広げられる、八重の生い立ちや足跡・・・登場人物たちそれぞれの凛とした佇まい、優しげな会津弁でのやりとりから成っています。
そして続く安政の大獄、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、八重自身も参戦した戊辰戦争へと。。
真っ直ぐ前を向いて生きる人物達の生き方は、どのような逆境でも生き続けようとするエネルギーに満ちていて、今後も期待できるものに思えました。
今後登場してくる八重縁の会津の女性達、新しい明治の女性へと変身後も「ならぬものはならぬ」の教えを貫いた八重の姿や生き方も楽しみたいものです。
http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
タグ:大河ドラマ「八重の桜」
はまっている・・・「薄桜記」 [映画・DVD]
作家・五味康祐の創作による、時代小説「薄桜記(はくおうき)」。
先に紹介したミュージカル「RENT」の日本版で主役のマークを演じたのは山本耕史。
現在彼が主演している、夜8時から放送される木曜時代劇「薄桜記」…に、私はスッカリはまってます。これ、ささやかな毎週のお楽しみ。
PCの壁紙も、ベビ子からこちらの典膳様に変えてしまったくらいなのです。
「薄桜記」で真っ先に思い浮かんだのは、丹下典膳=市川雷蔵、中山安兵衛=勝新太郎と言う、1959年公開の大映映画でした。
勿論リアルタイムでは観ていないものの、小さいころから静かでお利口さんだった私はお父ちゃんに連れられて毎週のように映画を観に行っていた。物心つく前から、映画館の常連さんでした。
だからその頃に公開された大映作品の数々。30代の若さで亡くなった市川雷蔵の出演作、若かりし頃の勝新も沢山見ているのです。今ではわずかに覚えているくらいですけど・・・
時代劇に関心のない方でも知っているのが、江戸・元禄時代に発生した事件が元になったと言われる「忠臣蔵」です。
忠臣蔵での赤穂浪士たちの活躍の陰。吉良方のひとりの侍として、しかし人知れず消えさった・・・架空の人物が丹下典膳(たんげてんぜん)です。その波瀾に満ちた生き方が描かれました。
卓越した一刀流の使い手である旗本・丹下典膳=山本耕史は、婚礼後すぐに大阪番を命じられ、新妻・千春=柴本幸を江戸に残してゆく。
典膳の留守中、千春は少しの油断から実家の家来に犯されてしまいます。それがきっかけで妻と妻の実家の名誉を守るために片腕を失い、浪人となってしまう典膳。
その日から、後々赤穂藩の家臣となる安兵衛=高橋和也と互いに助け、助けられて・・・。
武士として熱い思いは持ちながらも、全くキャラの違う、典膳と安兵衛。
明るく闊達な安兵衛、「静」と「動」とも言える二人の共演シーンは重くなりがちなストーリーの中でスパイス的な役割を果たして・・・ほのぼのとした気持ちになります。
安兵衛のもつ豪胆さも良い。
片腕を失った上、旗本から浪人へと身を落とし、雨漏りのする長屋暮らしをするまでになってしまう典膳。
そんな悲運にも関わらず、惨めな姿と境遇でも常に毅然とした態度で生きる潔さ。
これまでとは一変した長屋住まいにおいても、隣人となる住人達に接する時の眼差し、物腰からは温かな人間性が感じられました。
山本耕史演じる丹下典膳の容姿の美しさ、色っぽさ!特に浪人となってからの着流し姿、総髪(長い髪を束ねているだけ)スタイル。
演じる俳優によって、これ程まで作品に気品が出るとは。
凛とした佇まいにはほれぼれとしてしまうばかり。山本典膳はとにかくカッコイイです。
その生き方には、現代人が見失ってしまっている潔さも感じられて・・・。
アップで映るもツルンとした茹で卵のような白いお顔は、とても三十半ばとは思えません。美しいの一言。
しかしその年齢だからこそ出せた、落ち着き、力強さはあるでしょうね。
台詞や所作のひとつひとつも、品があって美しい。
彼の姿を見ているだけでもう満足!このドラマはそれに尽きると言っても、言い過ぎではないと思います。
いえ、明るい安兵衛さんも可愛いのですけれど・・・。
脚本ジェームス三木による「薄桜記」は、そこに描かれた武士・丹下典膳の精神性、醸し出される悲壮感、どちらも素晴らしいです。迫力ある殺陣の見事さも必見のもの。
脚本・配役・背景・音楽・・・全てが揃い、上質なテレビドラマが出来上がりました。
互いに思っているのにそれぞれの立場やしがらみから、再び一緒になれない典膳と千春。
その辺りが、台詞のひとつひとつから感じられて切ない。
悲しくて切なくて、それでもやはり美しくて・・・・・二人の恋の行方。勿論、中山安兵衛の行く末も。次回が楽しみでなりません。
http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/hakuouki/
山本耕史主演の「陽炎の辻」も、最初のシーンだけは見たのでしたけど。。。この主人公・坂崎磐音も剣豪にして、誰からも愛される長屋の住人と、設定は同じような・・・。
何でも良いから、もっと見たいな。
先に紹介したミュージカル「RENT」の日本版で主役のマークを演じたのは山本耕史。
現在彼が主演している、夜8時から放送される木曜時代劇「薄桜記」…に、私はスッカリはまってます。これ、ささやかな毎週のお楽しみ。
PCの壁紙も、ベビ子からこちらの典膳様に変えてしまったくらいなのです。
「薄桜記」で真っ先に思い浮かんだのは、丹下典膳=市川雷蔵、中山安兵衛=勝新太郎と言う、1959年公開の大映映画でした。
勿論リアルタイムでは観ていないものの、小さいころから静かでお利口さんだった私はお父ちゃんに連れられて毎週のように映画を観に行っていた。物心つく前から、映画館の常連さんでした。
だからその頃に公開された大映作品の数々。30代の若さで亡くなった市川雷蔵の出演作、若かりし頃の勝新も沢山見ているのです。今ではわずかに覚えているくらいですけど・・・
時代劇に関心のない方でも知っているのが、江戸・元禄時代に発生した事件が元になったと言われる「忠臣蔵」です。
忠臣蔵での赤穂浪士たちの活躍の陰。吉良方のひとりの侍として、しかし人知れず消えさった・・・架空の人物が丹下典膳(たんげてんぜん)です。その波瀾に満ちた生き方が描かれました。
卓越した一刀流の使い手である旗本・丹下典膳=山本耕史は、婚礼後すぐに大阪番を命じられ、新妻・千春=柴本幸を江戸に残してゆく。
典膳の留守中、千春は少しの油断から実家の家来に犯されてしまいます。それがきっかけで妻と妻の実家の名誉を守るために片腕を失い、浪人となってしまう典膳。
その日から、後々赤穂藩の家臣となる安兵衛=高橋和也と互いに助け、助けられて・・・。
武士として熱い思いは持ちながらも、全くキャラの違う、典膳と安兵衛。
明るく闊達な安兵衛、「静」と「動」とも言える二人の共演シーンは重くなりがちなストーリーの中でスパイス的な役割を果たして・・・ほのぼのとした気持ちになります。
安兵衛のもつ豪胆さも良い。
片腕を失った上、旗本から浪人へと身を落とし、雨漏りのする長屋暮らしをするまでになってしまう典膳。
そんな悲運にも関わらず、惨めな姿と境遇でも常に毅然とした態度で生きる潔さ。
これまでとは一変した長屋住まいにおいても、隣人となる住人達に接する時の眼差し、物腰からは温かな人間性が感じられました。
山本耕史演じる丹下典膳の容姿の美しさ、色っぽさ!特に浪人となってからの着流し姿、総髪(長い髪を束ねているだけ)スタイル。
演じる俳優によって、これ程まで作品に気品が出るとは。
凛とした佇まいにはほれぼれとしてしまうばかり。山本典膳はとにかくカッコイイです。
その生き方には、現代人が見失ってしまっている潔さも感じられて・・・。
アップで映るもツルンとした茹で卵のような白いお顔は、とても三十半ばとは思えません。美しいの一言。
しかしその年齢だからこそ出せた、落ち着き、力強さはあるでしょうね。
台詞や所作のひとつひとつも、品があって美しい。
彼の姿を見ているだけでもう満足!このドラマはそれに尽きると言っても、言い過ぎではないと思います。
いえ、明るい安兵衛さんも可愛いのですけれど・・・。
脚本ジェームス三木による「薄桜記」は、そこに描かれた武士・丹下典膳の精神性、醸し出される悲壮感、どちらも素晴らしいです。迫力ある殺陣の見事さも必見のもの。
脚本・配役・背景・音楽・・・全てが揃い、上質なテレビドラマが出来上がりました。
互いに思っているのにそれぞれの立場やしがらみから、再び一緒になれない典膳と千春。
その辺りが、台詞のひとつひとつから感じられて切ない。
悲しくて切なくて、それでもやはり美しくて・・・・・二人の恋の行方。勿論、中山安兵衛の行く末も。次回が楽しみでなりません。
http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/hakuouki/
山本耕史主演の「陽炎の辻」も、最初のシーンだけは見たのでしたけど。。。この主人公・坂崎磐音も剣豪にして、誰からも愛される長屋の住人と、設定は同じような・・・。
何でも良いから、もっと見たいな。
「パーマネント野ばら」吉田大八監督作品 [映画・DVD]
映画「パーマネント野ばら」は、西原理恵子の漫画作品が原作となっています。
堺雅人主演の「クヒオ大佐」を楽しませてくれた、吉田大八監督が映画化しました。
一人娘を連れて、高知県のとある町に戻ってきたなおこ=菅野美穂。本作は、彼女が実家である美容院「野ばら」を手伝って生きる日々が描かれています。
なおこの同級生でフィリピンパブのママ・みっちゃん=小池栄子。
次々と駄目男ばかりに引っかかり続けた挙句に、結婚をした旦那さんがギャンブル狂、その上薬物中毒で死んでしまうと言うともちゃん=池脇千鶴と・・・いかにも薄幸な感じの三人です。
主役のなおこ以外にもここで登場するのは情が深いものの、一般的には不幸と思われる女たちばかり。
母親の経営する美容院、そこの常連客おばちゃんたちのキャラがまた濃いこと!!
揃ってパンチパーマ頭で厚化粧&立派な体型。常に話すのは男の話ばかり、それもかなり下品な○○ネタばかり。
満島ひかりの「水の底からこんにちは」に登場してきたシジミ工場のおばちゃん達を思い出してしまった。
いや、あれよりも強力だわ。
大らかで豪快な女性達、それぞれのキャラが強烈で笑えます。
旦那の浮気にキレたみっちゃんが車で旦那を引いてしまうシーンは、笑えると共に泣けました。
人の不幸ははたから見たら滑稽で、何となく可笑しいものなのかもしれません。
先の映画「接吻」で見せた怪演と存在感、小池栄子は今回もはまり役に思えます。未だ未見である「八日目の蝉」での演技も気にかかるところ。
ほぼ終盤まで、ブラックでシュールな笑えるシーンの数々が続いて・・・可笑しな女性たちの姿を笑いながら観て行く事になるのですけど・・・
ともちゃんがロクでもない男に引っかかって、やっと捕まえた旦那がギャンブル狂いだったというオチ。
西原漫画にも、度々登場をする友達のみっちゃん。貧乏だった彼女の子供時代、みっちゃんの父親のエピソード。
みっちゃん父=本田博太郎の登場シーンは、実写でも違和感なし。
サイバラワールド、全開なのでした。
なのに・・・作者の生まれ故郷高知の風景。澄んだ海&高い空。懐かしい田舎の家並み等の映像が胸に染み込んでくるのです。
彼女たちに起こるエピソードを描きつつ、なおこと恋人カシマ=江口洋介の切ない恋も描かれていきます。
なおこの母、「野ばら」の店主=夏木マリ。その旦那さん=宇崎竜童。
西原漫画のイメージからは、山田優主演ドラマ「崖っぷちのエリー」の渡辺えり子の方が近い。あくまでもそれは見た目だけかもしれないけれど。
以上のように濃いキャラに囲まれた中で、なおこだけは可憐で清楚に描かれています。
菅野美穂はこのような切ない恋心を秘めた役を演じるとぴったりに思えます。
菅野はドラマ「坂の上の雲」では正岡子規の妹役、兄の友人・秋山真之に密かに思いを寄せる役柄が切なかった。
近年の「ギルティ」や「蜜の味」等、アクの強い役柄よりもずっと良い感じです。
作品内の自画像に近い、おかっぱのヘアスタイル。ストンとしたギャザースカートにパフスリーブのTシャツと言った子供みたいな恰好がとても似合っています。
なおこと高校教師のカシマとの恋。
お互いが相思相愛の二人です。
しかし、その恋には思わぬ秘密が隠されていた・・・というラブストーリー。
堺雅人が演じた男が実在しないクヒオ大佐と一体であったように、本作でのなおこはカシマの姿を探し続けたまま生きているのであろうか。
週刊朝日連載のグルメレポ漫画「恨ミシュラン」により私は、作者の西原理恵子の名前を知りました。本も勿論持っています。
それ以降も、数冊は購入して読んだものと思う。
彼女は「鳥頭紀行」のアマゾン取材旅行がきっかけとなり、フォトジャーナリストの鴨志田穣と結婚をする。
一男一女をもうけるも、鴨志田のアルコール依存症、互いのすれ違いなどが原因で離婚。
その後、鴨志田のがんによる死亡。
小泉今日子、永瀬正敏主演の映画「毎日かあさん」は元夫婦の共演となる為、作者たちと主演キャストのシチュエーションが同じとして話題となりました。
「題名のない子守唄」ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品 [映画・DVD]
ジュゼッペ・トルナトーレ監督、音楽がエンニオ・モリコーネと言えば…「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」があります。
二本とも名作と名高い。どちらも映画や音楽に魅せられた、それぞれへの愛情が描かれた作品であるのは事実ながら、私には何となくきれいごと過ぎる印象が強いのです。
「マレーナ」以来6年ぶりとなる同監督の、待望の映画がこの「題名のない子守唄」。
本作を手にしたのは、ジャケットの女性の愁いを帯びた眼差しに魅せられてのもの。
映画はいきなり、仮面をつけた全裸の女性が品定めをされると言う・・・ショッキングなオープニンクで゙始まります。
そしてイタリア北東部にある街へ、謎めいた黒尽くめの女性イレーナ=クセニア・ラパポルトがやってくるのです。
イレーナは、金細工の工房を営むアダケル夫妻の自宅に近づく。その家にはテアという一人娘がいました。
過去と現在が交錯し、途中フラッシュバックされるのはブロンドの髪の若い美女。
実はこれもイレーナだったのだ。
彼女はその家の家政婦になることに執着し、働いていた元の家政婦・ジーナを事故に見せかてけ階段から突き落としてまでその仕事に就きます。
一家の好みを調べるなどやり過ぎだけど、勤勉で一生懸命なイレーナは、すぐに夫妻に受け入れられる。
防衛本能に障害を持った娘テアも、次第にイレーナに心を開いていく。
その半面イレーナは、密かにアダケル家の室内を物色するなど不可解な行動を取り始めていきます。
ここまでの彼女の行動は非常にミステリアスで、常にハラハラ、ドキドキさせられます。
使われているエンニオ・モリコーネによる音楽効果も、忘れてはならないものであると思います。
彼女の訳のありそうな表情から、暗い過去、普通では何かが想像されますが・・・忌まわしい過去が度々フラッシュ・バックされて、少しずつそれは明らかになってきます。
イレーナ役を演じる、クセニア・ラパポルトはロシアの女優さんだそうです。
少し若い頃の金髪の時の美しさ、その綺麗な身体は、悪い親分・黒カビが惚れて特別扱いをしてしまうのも納得です。
罪の意識から療養所のジーナを見舞うイレーナ、彼女に小切手にサインさせては人に言えない自らの過去を話しきかせるのです。
イレーナの痛々しい過去が、ゆっくりと私達にも提示されてきます。
売春婦となっていた過去。
出産を目的に買われ、誰とも知らない男の子供を産まされる。12年間に9度もの出産をさせられて、その度に生まれた子供は売り飛ばされると言う・・・人間としては耐えがたい、惨めな生き方をしてきたのです。
命がけの出産シーンの凄まじさ。
あんなことを続けていたら、身体はボロボロです。ホント死んでしまうかも。
同性として見るに耐えないシーンが続きました。
そんな過去を持つ彼女の生きる目的、それは恋人との間に出来た子供に会うこと。
今生きているのは、最愛の人の忘れ形見であり自分にとって最後の子供となった、その子に会う為だけなのです。
それは、アダケル家の養女であったテア。
学校で怪我をしてきたテアに、イレーナは訓練をします。
テアの身体を縛って突き倒して、ひとりで立ち上がらせようとします。
テアが泣きながら起き上ったそのそばからまた突き倒し「一人で立ち上がれ」「やられたら、やりかえしなさい」と大声を出します。
しかし意地悪でやっているのではありません。
男達に暴力を振るわれながら好きにされてきた、弱い自分と同じになって欲しくはないと思う、母としての気持ちからなのです。
キチンと仕事も出来て決して頭も悪くない、度胸や冷静さもあるイレーナですのに・・・ささいな事情から堕ちて、人の生き方も変わってしまうものなのですね。
ただならぬイレーナの様子に不信感をもったアダケル夫人が彼女を見張るシーンも、母親対母親の戦いとして怖いものがありました。
しかし実はテアは自分の娘では無かったという・・・イレーナの不幸はどこまでも続くのです。。
悪い親分・黒カビを殺した罪で警察に捕まってしまうイレーナ。
取り調べをする女性たちが同情的な態度であったのも当然に思えました。
忌まわしい過去をもち、いくつもの罪を犯たイレーナに希望はないだろうか?
いいえ、ほんの少しの救いは残されています。
刑に服して出所した彼女の前に、成長したテアが会いに現れますが、この時の明るい屈託のないテアの笑顔には私もやられました。
どのような理由でイリーナが闇の世界に足を踏み入れてしまったか理由は示されていないけど、人生の歯車なんてホンのチョッとしたことで狂ってしまう・・・その後、後戻りできない深みにはまってしまう事もあるのだろう。
女性にしろ、子供にしろ、人格や自由を無視した性の売り買いはあってはならないものだけれど、それを求める人間がいる限り…世界中のどこであったとしても不思議はないものです。
多種多様な移民が存在するヨーロッパ社会。
その存在が社会の底辺の労働力として、日常的であり欠かせざることは事実です。
理屈では割り切れない、人の本能、母性がテーマとなった映画でした。
昨年の「八日目の蝉」をチョッと思い出しました。
「ニューシネマ・パラダイス」とは全く違うタイプの映画です。
「マレーナ」ジュゼッペ・トルナトーレ監督作品 [映画・DVD]
映画の舞台となるのは、第二次世界大戦中のイタリア、シチリア島。
大人に憧れる年頃、早く大人になりたくて仕方のないおませな少年レナート=ジュゼッペ・スルファーロは、街一番の美女マレーナ=モニカ・ベルッチに夢中になってしまいます。
レナートの毎日は、ひたすらマレーナのことだけ。ラブレターを書いたり、日々ストーカー紛いの追っかけをしたりと…その思いは狂おしいほど。。。
映画の前半に度々繰り返される、彼の妄想シーンはキャラの可愛らしさもあって、つい笑ってしまいます。
マレーナはここに住む男達にとって女神のような存在。反面その美しさゆえに女性達からは嫉妬の的であった。
結婚したばかりのマレーナの夫はアフリカの戦場へと行き、その後すぐに帰らぬ人となり・・・
教師であった父親までもが、空爆の為に命を落としてしまう。
お金も尽きた彼女は生きていく方法として、自らの身体を男の求めのままに差し出していきます。
戦争下の時代の波にのまれ運命を変えられた彼女、対して周囲の中傷の中でもひたすら見守ることしか出来ずにいるレナート。
作中のカメラは男の視線となって、また時には街の人々の眼差しでマレーナの姿を追いかけます。
寡黙なマレーナとは対照的にとにかくお喋り好きな街の人々。楽しみは人の噂話だけなのかと思ってしまうほどでした。
長く波うつ黒髪、麗しい横顔、男たちが憧れをもって眺めるヒップや長い脚。
スタイルの良さも含めて、モニカ・ベルッチはとにかく美しいです。この映画の最大の魅力だと思えます。
まっすぐ前を向いて歩く、長く濃い睫が印象的で、伏し目がちなところも魅力。
台詞をほとんど喋らない寡黙さが、彼女をよりミステリアスに見せています。
夫だけでなく父親まで亡くしたマレーナだが、女性達からの嫉妬の強さから仕事にも就けず、食べるものにも事欠き・・・とうとう娼婦になってしまうのです。
街に進駐してきたドイツ軍を相手にするまでに身を落としたマレーナでした。
そして戦争は終わった。
ドイツ兵と関係をもったマレーナは、町の女たちからリンチをされてしまう。
そんな彼女を誰も助けなかっただけでなく、周囲はただ見つめるだけ。更にはここから出ていくよう言われて、街から一人そっと立ち去る彼女。
しかし、戦死したはずの旦那さんが帰って来て・・・夫の手で探し出されたマレーナは、街に戻ってきました。
人々の視線をものともせず、衆知の中を堂々と腕を組んで歩く二人。このシーンには人々がした行為に対する意地、強い意志が表れています。
地味なスタイルのマレーナからも、毅然とした決意のこもった美しさが感じられました。
主役のモニカ・ベルッチは、旦那さんがヴァンサン・カッセル(昨年のダーレン・アロノフスキー監督による「ブラック・スワン」ではセクハラ・バレー監督役)だからフランスの人と思っていましたら…元々がイタリア人。
映画のラスト、これまではただ眺めるだけか、常にその姿をのぞき見るだけだったのに・・・「どうかお幸せに、マレーナさん」と声をかけるレナート。
これは美しいシチリア島の風景を背景にした少年レナートの初恋物語でありながら…戦争の時代を生きた大人たちの物語。
当時の日本と同じで、人々が同じ価値観でもって戦争へと突き進んでいった狂喜、時代が描かれましした。
町から追い出されたマレーナが夫と戻ってきた途端に、自分たちのしたことを忘れたかのよう態度を変える市場の人々。
本作はジュゼッペ・トルナトーレ監督、エンニオ・モリコーネの楽曲による2000年公開のイタリア映画。
このイタリアを代表する二大巨匠から思い出されるのは、本作とはチョッと趣の違う名作「ニュー・シネマ・パラダイス」。
次回もまた、同巨匠たちが作り上げた作品の紹介をしたいと思っています。
「ある公爵夫人の生涯」「クィーン」 [映画・DVD]
ある公爵夫人の生涯 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]
- 出版社/メーカー: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
- メディア: DVD
「ある公爵夫人の生涯」は、デヴォンシャー公爵夫人である、ジョージアナ・キャヴェンディッシュの伝記小説を映画化した2008年のイギリス映画。
18世紀後半のイギリス。
貴族の家に生まれたジョージアナ=(ジョニデでお馴染み、パーレーツ・オブカリビアンのエリザベス役) キーラ・ナイトレイは、17歳という若さで名門貴族のデボンシャー公爵=レイフ・ファインズのもとに嫁ぎました。
結婚が決まった時、母親と共に喜んだのもつかの間。
結婚後三人の子供をもうけたが、それ以外に多くの流産を経験するなど・・・ただ跡継ぎを生むためだけの存在として、夫デボンシャー公爵とは愛のない生活を送るのです。
年齢の離れた夫の関心は、後継者となる男子の誕生だけ、彼女に愛情を示さなかった。
親友エリザベス・フォスターを家においた事により、二人の関係は不倫関係に発展をしてしまいます。
その後は長年にわたり、妻妾同居生活にも耐えることとなる。
外では社交界の華として注目を集める彼女の前に、若く情熱的なチャールズ・グレイ=ドミニク・クーパーが現れます。
真っ直ぐな性格のチャールズに心を奪われ恋に落ちるも、・・・当然それはスキャンダルになってしまい…直後、ジョージアナはチャールズの子供を出産し、生まれた赤ちゃんはグレイ家に引き渡されます。
彼女は40代で生涯を終えるまで、華やかなファッション&ライフスタイルの公爵夫人として人々に愛され続けました。
ジョージアナの死後、その意志もあって公爵とエリザベスは正式な結婚をします。
現代とは違って、何時の時代もながら…地位や名誉を表すのは、豪奢な衣装や髪型です。
主役のキーラ・ナイトレイは華やかな顔立ちの美人だからドレス姿も決まっています。しかしスレンダー過ぎて、胸の辺りが少しさびしかったかな。
何を考えているのかわからない、また表面に出そうとしない侯爵役を貫録の演技で演じたレイフ・ファインズは適役に思えます。
対する浮気相手のチャールズ・グレイ=ドミニク・クーパーはそれ程魅力的に見えなかったから、チョッと残念な感じがしてしまいます。
地位と名誉、そして財産をもつ暮らしは、一見贅沢そのものと思えるものの…
いざその立場になってみたら、それ程単純ではないとする見方が全編をつらぬく作品でした。
ジョージアナが第5代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの最初の妻であるなら。現英国王室チャールズ皇太子妃であったダイアナは、ジョージアナの弟である第2代スペンサー伯爵ジョージの直系子孫である。
…という事で、次はダイアナさんが関係するた映画「クィーン」。
こちらは、ダイアナ元皇太子妃の死の前後を描いた作品です。
1997年8月31日のフランス・パリ、チャールズ皇太子妃であったダイアナが突然事故死をしてしまいました。ダイアナの死により、穏やかな暮らしを乱されてしまうエリザベス女王一家。
スコットランドで夏季休暇の最中であったクィーン達。
その死に際しても、離婚して一民間人となった本人のプライベートな出来事として…王室としては何ら発表もせず…クィーンは夫のエディンバラ公、王太后、チャールズの子供達と共にスコットランドに留まり続けます。
一方当時のイギリス首相であったブレア首相は、ダイアナの人気にのった形で「国民のプリンセス」とその死を悼むコメントを出します。
ダイアナが人々にいかに愛されたかを目の当たりにして、チャールズまでが母のエリザベス2世の意志に反しブレアに接近してしまいます。
クィーンのとった態度には、国民の不満が高まり・・・王制廃止論まで出る始末。
息子のチャールズ皇太子までが同調をする中、ブレアからはロンドンに戻り、ダイアナの死を悼むコメントを発表するよう何度も求められます。
内心は世論に屈したくはない。
何が起きても、毅然とした態度をとり続けたいとしながら…窮地に立たされてしまったクィーンは、ついにこれ以上国民の感情を無視する訳にはいかないものと、彼女なりに精一杯現状に歩み寄っていくのでした。
常に自らより国を第一に考えなくてはいけないとする慣習、伝統を重んじる信念に基づいて崇高な態度をとるクィーン。
そこにあるのは、人の上に立つものとしての苦悩と決断。
チャールズとダイアナとの結婚生活や離婚についても私情を出してはいけない立場上、言葉にならないものは勿論あっただろう。
主役のクィーン・エリザベス2世=ヘレン・ミレンは常に毅然とした態度、対応に苦慮する様子を凛とした物腰で演じ切りました。
夫のエディンバラ公= ジェームズ・クロムウェル。
イギリス首相・トニー・ブレア=マイケル・シーン。
他にジョージ6世の王妃でエリザベス2世の母。トム・フーパー監督作品「英国王のスピーチ」ではこのエリザベス役をヘレナ・ボナム=カーターが演じました。その数十年後、本作ではおばあちゃんとなってしまっている王太后。
チャールズ皇太子、ブレア夫人等・・・もう一人の主役である、ダイアナさんは実写部分のみ。
ヘレン・ミレンは本作での演技により、ヴェネチア映画祭において最優秀女優賞に輝き、79回アカデミー賞においても見事オスカーを受賞しました。
私の中でヘレン・ミレンは、なんと言ってもイギリスンのTVシリーズ「第一容疑者」での女性刑事役。
一昨年の映画「RED/レッド」で名うての殺し屋をエレガントなロングドレスのコスチューム姿で、余裕で演じていたのも納得をしてしまいます。
農場にもらわれてきた小豚が主役の映画「ベイブ」で、無口な牧場主ホゲット爺さん役を演じてから注目をされたジェームズ・クロムウェル。
彼は悪人から善人まで幅広く演じて、数多くの作品に出演し続けています。
庶民の視線からすると、イギリス王室の方々も首相も私生活は意外と普通であったところも興味深いです。
公爵夫人ジョージアナと、ダイアナさんの生き方は重なるって、その辺り私の思い込みが過ぎるのでしょうか。。。
「BIG RIVER」船橋淳監督作品 [映画・DVD]
イギリス映画を紹介するつもりが、昨日観た映画が良かったから予定変更となっています。
この作品は大仰なタイトルの割りに・・・特に何が起きる訳ではない。バックパッカーの青年が旅先で出会う人々と、チョッとした出来事があるだけ。
登場人物二人が英語が母国語ではない外国人である関係から台詞の少ない、全体的に淡々としている・・・でも中々に良いムードが漂っているものと思いました。
アメリカを旅する日本人の徹平=オダギリージョーは、妻を捜すため渡米したパキスタン人のアリ=カヴィ・ラズの車に砂漠で乗せてもらう。
次に出会うのが現地に住むアメリカ人女性・サラ=クロエ・スナイダー。
国籍の違う3人の男女が成り行きで、アメリカの砂漠を旅するお話。本作はいわゆるロードムービーです。
ロードムービーで真っ先に思い出される映画に、ブラジル映画の秀作「セントラル・ステーション」があります。
リオデジャネイロの駅で文字の書けない人に代わって手紙を書く代書屋。すっかり世慣れてひねくれものになっている女性・ドーラと、母に先立たれてしまった男の子ジョズエとが駅で出会います。
親子以上に年の離れた二人が、それから父親探しの旅に出るお話。
ジョズエの父親探しが目的の旅ながら、ドーラ自身にとっても過去の自分&父との想い出に出会うものとなる。
そしてラストシーンの、何とも切なく感動的な事!
思い出すと、何度でも見たくなってしまう作品のひとつと言えます。
海外でも高く評価され数々の賞を受賞、日本国内でもヒットした映画でした。
以前紹介したショーン・ペン監督の「イントゥ・ザ・ワイルド」も、同じように大変優れた映画のひとつに思います。
この映画は、原作となった「荒野へ」もベストセラーとなった一冊。
http://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2009-12-27
他に思いつくだけでもリドリー・スコット監督の「テルマ&ルイーズ」、ビンセント・ギャロの「バッファロー66」、不思議なムードたっぷりの「バグダッド・カフェ」、そして「レインマン」「モーターサイクル・ダイアリーズ」…
日本映画で言ったら、山田洋二監督の「幸せの黄色いハンカチ」…
ああ、どれも皆好きです!!
出会いはどうってことのないただの偶然に過ぎないのに、別れとなるとどうしてこんなに切ないのだろう。
アリの旅は終わり、彼は祖国への帰路につくのだった。
自由気ままな旅を続けている徹平に惹かれているサラです。
三人の旅が終わってしまったら、元の生活。アル中のお爺ちゃんとのトレーラーハウスの暮らしに戻るしかないのだ。
彼女の気持ちに気づきながらも、目的の為に距離を置いてしまう自己中な男。
「一緒に旅してNYへ行きたい」と言う彼女のアピールにも、ハッキリと自分の気持ちを伝える事のない彼でした。
二人にも、別れの時がきます。
しかしやはり、それだけでは終わらなかったのだ!!
バーンとリュックを思いっきり投げ捨てて、サラの車を追いかけ走る徹平の後ろ姿。若いってやっぱりいい!
スレンダーな美女のクロエ・スナイダーは元モデルだけって、顔もスタイルも抜群。
しかしそんな彼女とツーショットになっても、オダジョーはカッコ悪くなかったっす。
ベッドのシーンの裸も、広い肩幅に厚い胸。そしてがっしりとした腕。
首の太さと比例した顔&頭の小ささも感動ものです。はい、私もう惚れちゃってます!
(普通の日本人なら、細い首に大きな頭のこけしちゃんになってしまうのに…)
登場人物たちの心情をぬきにしてみたら、ここでも主役となるのは広大な厳しい自然。アメリカの大地、砂漠のアリゾナです。
それにしては、音楽的なものが少し弱いかな。
「クヒオ大佐」 [映画・DVD]
本作は日本人でありながら「アメリカ空軍パイロットで、カメハメハ大王の末裔&エリザベス女王の妹の夫の従妹」と名乗り詐欺を繰り返した、実在の結婚詐欺師。「ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐」を描いた映画。
それが思いもよらない拾いものと言うか…自虐的な描写、笑いながらもどこかもの悲しい気持ちにもなる内容のものでした。
クヒオ大佐役に堺雅人をもってきたところが成功につながったものと思えます。
彼に騙されるのは、仕事一筋で生きてきたお弁当屋さんの主人=松雪泰子。
もう一人は科学館に勤務する、でもどこかサエナイ生き方の学芸員・満島ひかり。
満島の同僚役で「それでも生きていく」でも共演していた安藤サクラって、俳優奥田瑛二・二世だったのですね。
これまで幾つかの作品で見かけながら気がつきませんでした。
NHKドラマ「開拓者たち」で満島の旦那さん役だった新井浩文が、松雪の弟役。この人もかなり魅力のある俳優さんです。これから伸びていくタイプなのかもしれません。
彼達が会うシーン。
クヒオの方が英会話、頭脳プレーとどちらも劣って隙があるものだから、その度毎、弟につっこまれて慌てるところが笑えます。
銀座のホステス=中村優子にも何とか接近するも、彼女の方がずっと上手なので相手にされず、反対にわざとらい無心をされてしまう有様。
ろくに英語も話せない日本人が米軍パイロットの制服を着ただけ、どう聞いても怪しい片言の日本語に英語をミックスしてアメリカ人のふりをしたからと言って騙されてしまうなんて…!?といった疑問に、さり気なく答えが出ています。
私達世代であれば(息子と一緒に見ていただけなのですけれど)、松雪=「白鳥麗子でございます」。
美人であり超お金持ちのお嬢様・白鳥麗子は、常にゴージャスで態度もタカビー、でも人を疑う事を知らない素直さをもつ愛されキャラがハマリ役でした。
何の特徴のないごく普通の人である麗子のボーイフレンド哲也役には、先の「クラブ進駐軍」の萩原聖人。この時の、はぎーは好きだったなぁ。
二代目哲也として、今思うと…同じ「クラブ進駐軍」での先輩ベーシストの松岡俊介が出演していたのですね。
個人的には、かきつばたあやめ=田中律子が結構ツボでした。
しかしそんな松雪も最近は、映画「容疑者Xの献身」テレビドラマ「Mother」等・・・薄幸が似合うキャラが多くなっている気がしまいます。
騙されているとわかっていても、「今のあなたが好きだから」と貢ぎ続ける女心が切ない。
クヒオの言っている事はどこまでが嘘で、どこは本当なのか・・・それはよくわかりません。
バレそうになってもめげない堺雅人演じるこの役柄はどこか愛らしく、騙されてしまう気持ちもまんざらではない?といった微妙な部分が描かれます。
何となくとぼけていて憎めないキャラであるクヒオ、彼も含めて誰もが懸命に生きている。そこが可笑しくて、悲しい。
出演者達のそれぞれの良さが引き出されていたところが良かったです。
他に「西の魔女が死んだ」。
こちらは特筆する事がなく・・・
以前にこの映画を撮った清里高原のロケ地を訪問しています。作品についても少しだけふれていますので、そちらをご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/hana7899/diary/200808140000/
もう一本、まつけんの「カムイ外伝」は白土三平の漫画を映像化したもの。
暴力的なシーンの多さ&映像の汚さにより、途中でアウト!ごめんなさーい。
漫画を読む習慣のなかった私がただひとつ子供の頃床屋さんへ行く度、楽しみに読んでいた漫画が「カムイ外伝」だったのでした。
邦画の次は、イギリスを舞台にした映画が続きます。
「この世の外へ クラブ進駐軍」阪本順治監督作品 [映画・DVD]
昨日の「東京タワー~オカンとボクと~」の舞台版で、ボクを演じたのは萩原聖人でした。
今日は、萩原聖人が主演した映画の紹介をします。
「この世の外へ クラブ進駐軍」は、「どついたるねん」「顔」等…の阪本順治監督作品。
敗戦直後の東京を舞台に、進駐軍のクラブでジャズの演奏をして生活する若者たちと米軍基地周辺の人々との交流を描いた映画。
戦地から復員してきた広岡=萩原聖人は、楽器屋の息子でかつては軍楽隊のサックス奏者だった。
軍楽隊の先輩ベーシストの平山=松岡俊介と出会ったことにより、米軍基地のクラブで一稼ぎしようとする。
そこへ集まってきたのは、ピアニストの大野=村上淳、カントリーバンドでトランペットを吹いていた浅川=MITCH(この人だけがプロの模様)、ドラマーを志望する池島=オダギリジョー。
広岡は彼らと、ジャズバンド「ラッキーストライカーズ」を結成します。
オダジョー扮する池島はお祭りで和太鼓をたたいた経験しかなく、スティックを「撥」と呼び、英語ひとつに驚くおとぼけキャラ、住む家もなくてお金が欲しいだけと言う有様。
お金だけが目当ての実力もないグループと、周囲の人々との人間模様が繰り広げられていくのだったが・・・
しかし大野が他のバンドから引き抜かれて、グループは解散を余儀なくされてしまいます。
その後、浅川がヒロポン中毒で死んだ事により、グループは再結成をすることになる。
日本人を憎む米兵士リード=シェー・ウィガム、通訳に=真木蔵人。
下士官クラブのマネージャーの軍曹=ピーター・マランは、私も以前見た作品の脚本&監督、出演をした「マグダレンの祈り」の監督でした。
1960年代のアイルランドにおいては支配的だった、宗教に帰依する道徳観に基づいて、罪を犯した女性達を強制的に収容した修道院を舞台とした映画です。
何の罪もないのに従妹にレイプされた原因は一方的に女性側にあるとか、将来、男たちを誘惑する恐れがあると言った不当な理由で入れられてしまい・・・日々耐える過酷な労働、監督する修道女や神父の虐待に苦しめられる生活が続く様子が描かれたものでした。
つい40年前までは実在していた「マグダレン修道院」、映像の美しさ人間の醜さが衝撃的に描かれたこちらの作品も、必見の一本。
ジャズ音楽=アメリカ、そして進駐軍そのものであり、当時のアメリカのもっていた豊かさや解放的なムードを表しています。
進駐軍のクラブの雰囲気、おいてある食べ物も、当時の日本人にとってはまぶしいものであっただろう。
戦後の町並みや闇市の混乱は再現されているものの、出演者たち誰もが小奇麗でスーツ姿が決まりすぎているところにはリアリティが感じられなかった。
それでも、アッサリとした日本人顔の萩原聖人はやっぱり良い!
歌は下手だったけど。
ここでのオダギリジョーはコミカルな役どころ、前作とはタイプの違った空気の読めないキャラを好演しています。
ステージ終了後の飲み屋、互いに愚痴をこぼしあった後。最後は必ず肩を組んで軍歌や歌謡曲を合唱するシーンは微笑ましいものでした。
しかし映画の出だしは快調なのに、途中から端折りすぎ!に思えます。
ラストシーンまで安易に進んで、最後もありきたり過ぎました。
監督はこの映画で何を描きたかったのか!?
ジャズに魅せられてその世界に入り込む若者たちの物語と思っていたら、その他に反戦があったり、朝鮮戦争に向かうアメリカ兵の悲劇であったり。原爆投下も関係していたり・・・
焦点が曖昧になってしまっているものと思えました。
「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」 [映画・DVD]
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン(2枚組) [DVD]
- 出版社/メーカー: VAP independent(VAP)(D)
- メディア: DVD
昨日の映画「ぐるりのこと」で主演したのは、リリー・フランキー。
そんなリリー・フランキーの初めての長篇であり、大ベストセラー小説。
「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」は亡き母と自分の半生を思いのたけを込めて書いた私小説。それを映画化したものが本作です。
1960年代。
3歳のボクは、オトン=小林薫に愛想を尽かしたオカン=内田也哉子と共に筑豊のオカンの実家で生活を始めることになる。
その後も生活力のない遊び人のオトンに代わり、女手ひとつでボクを育ててくれたのはオカンだった。
成長したボクは町とオカンの元からを出て行きたくなって、大分の美術高校に入学をする。
それからもボク=オダギリジョーは更に遠い東京の大学に進学をし、都内の美大を数年かけてなんとか卒業するが・・・
仕事もせず、何の目的もない日々を送るのは同じ。
そんな中、オカン=樹木希林が癌に侵されていると連絡が入ります。
幾つかの仕事が入って生活できるようになった事から、オカンを九州から呼び寄せて二人は一緒に暮らすようになった。
そんな主人公の生き方は、正にこの映画のタイトルそのまんま。原作同様のこのベタなストレートさがピッタリはまっています。
最初の彼女・タマミ=伊藤歩、オカンからも結婚をすると思われたミズエ=松たか子等が登場するも・・・
本作での主役は、オカンに他ならない。
描かれるのは、母と子の物語なのであるから。。。
私自身の学生時代を思わせるダラけたムードと、ファッション、社会から外れた学生の延長のような生き方。原作者のリリー・フランキーを意識してか、オダジョーは自然な演技で好演しているものと思えました。
子供の頃のオカンとの懐かしい想い出を思う時。今は年老いた、オカンを見守る優しげな眼差し。
愛し愛された母親を想う気持ちを、ナチュラルに表現しています。
樹木希林は働き者で面倒見の良い、誰からも好かれるオカンの役柄を難なく演じて、三人のオカンの中ではやはり一押しの良さ。
ボクがオカンと二人で入院先へと歩くシーン。オカンの手とつながって歩いていたボク、それが今は頼りなげな足どりのオカンの手を引いて歩くのだ。
現在と過去がオーバーラップをして・・・このシーンはとても切ない。
子供は成長して大人になるのだけれど…大人は年老いていくだけなのだから…
こうした繰り返しで人生って続いてきたのでしょうね。
オカンの闘病から亡くなるまでは、見ていてホントに苦しかった。
オトンの小林薫も、朝ドラ「カーネーション」のお父ちゃん役と同じくらいに良かったです。オトンの存在は、二人の間ではスパイス的なもの。
エンディングとなる主題歌は、福山雅治が歌う「東京にもあったんだ」。
思わぬゲスト達が、思いがけない役どころでカメオ出演しているのはお楽しみ!
それでもすでに原作を読んでしまった後で見たら、2時間にまとめたのは無理があったように思えました。
自分自身が長期間の入院生活を終えて自宅に帰って来たばかりであっただけに、本を読んだ時にはやたらと涙が出てしまったものの・・・
ボクの気持ちをストレートに投げかけた原作と違って、映画の方は淡々としたものを感じました。
それと映画の前半、ボクが子供の頃のエピソード部分はシュールなムードが漂う描き方なのです。
この前年には、大泉洋、田中裕子主演で単発ドラマが製作され・・・もうひとつ速水もこみち、倍賞美津子版としてフジテレビの「月9」とある。
これで全てを見たのだけれど・・・やはり原作が一番良かったように思えました。
「今度は愛妻家」「ぐるりのこと」 [映画・DVD]
以前は売れっ子カメラマンだった俊介=豊川悦司、そんな彼も今ではカメラマンの仕事は勿論、何もせずに荒んだ毎日をおくっている。
健康マニアである妻さくら=薬師丸ひろ子からは日々あれこれ言われながらも、ただ惰性で生きているのです。
ある日、二人は沖縄旅行に行くのだが、その日を境にして二人の間には微妙な変化が現れ始めるのだった・・・
舞台となるのは夫婦が暮らす家と庭のみ。登場人物の数も限られた独特な空間である。
他には助手の誠=濱田岳と、オカマの文太=石橋蓮司、女優志願の蘭子=水川あさみ。
俊介役のトヨエツは、自己中で無神経な言動をする男の役柄に違和感がありません。
石橋蓮司はクセのある人物、または悪い人をやらせたら外れなし・・・・そして私達世代であったら、女優・緑魔子との異色のカップルとしても。
数多くの出演作はあるものの、最近では原田芳雄さんの遺作となった「大鹿村騒動記」で共演。
葬儀の時に弔辞を読む程のお付き合いをされていた様子でした。
ここでは、オカマのおじいちゃん役を楽しげに演じているのが印象的です。
濱田岳は、昨年の阿部ちゃん主演のリメイクドラマ「幸福の黄色いハンカチ」が私はお初でした。他にもテレビコマーシャル等、様々な活躍をされている模様。
俊介に写真を撮られている時の表情はとても可愛くてイキイキとしているものの・・・相変わらずな甲高い声、チョコチョコとした動きの薬師丸ひろ子からは、「かもめ食堂」の姉妹映画の「めがね」。その中でのペンションの主人役が思い出されてしまいました。
全ては、一年前の沖縄旅行にあったのだった。
以下、ネタバレになってしまうものの・・・
俊介だけにしか見えない、俊介だけが会話を交わす妻のさくらは…彼の見た幻影だったのだ。さくらがずっと同じ服装でいるのもそれで納得!
しかしこのオチって、ハリウッド映画の「シックス・センス」と同じです。
互いの存在に疲れて飽きがきてしまった夫婦。それでもその存在って、思っている以上に大きなものなのでしょう。
長く共に暮らす伴侶の存在、それは失って初めてわかる事のひとつなのかも。何気ない日常の幸せは、永遠に続くものではないのだって事も。。。
映画のラスト井上陽水の歌う、けだるさの漂うエンディング。
観終わって思うのは…「今度は愛妻家」。男性にとっては、正にタイトル通りでありましょう!
今回楽天のレンタル会員となりました。タイトルを見てランダムに選んだ映画、そこで今回送られてきた数…何と9本!!
今日からしばらくの間、ムリクリ繋げて紹介したいものと思います。
さくらが俊介の見続けた幻影であったなら、彼女は鈴木光司の小説「リング」「らせん」での山村貞子役で注目された・・・って意外だわ!
木村多江=薄幸が似合美人、日本一不幸役が板につく女優のイメージが強いのだ。
映画「ぐるりのこと」は・・・・
どこにでもいる平凡な一組の夫婦が、生まれてすぐの子供を亡くしてしまう。その現実を10年の歳月と共に、乗り越え生きてゆく姿を描いた。
先の作品がカメラマンだったら、本作の夫は法廷画家という職業。このリリー・フランキーはとてもいいです。
我が子の死という最大の悲劇に見舞われた夫婦。
妻の翔子=木村多江は、悲しみに耐えきれず精神を病んでゆく。そんな翔子を淡々と静かに見守る夫。
主演の二人がどちらも静かでおっとりとしたムードをもっているからか、そんな人生であってもぶれずにあきらめずに生きていく姿。そこに迷いのない精神性が出ていて、その点も良かったです。
リリー・フランキーが出演している大○ハウスのテレビCM。深津絵里の旦那さん役って、この映画からオファーをされたのかしら。
どちらの映画も、それぞれの夫婦の絆を描いた作品でした。
人の一生って、自分で思うようには上手くいかないもの。楽しい事や幸せな時間事よりも、寂しかったり、大変な事の方がずっと多い。
でも一瞬でも輝いたと思う時があったとしたら、自分を肯定してくれる誰かとつながっているとしたら…
人生ってまんざらでもないよ!! と言う内容に思えました。
「マイウェイ 12,000キロの真実」カン・ジェギュ監督作品 [映画・DVD]
映画ネタが続いてしまうものの、昨日日曜に観てきた映画「マイウェイ12,000キロの真実」について書きます。
この映画は、第二次世界大戦末期に、日本、ソ連、ドイツと三つの国の軍服を着て戦い生き抜いた男たちを描いた物語。
http://myway-movie.com/
舞台となるのは中国からロシア、ドイツ、そしてフランスのノルマンディーへと続いていく。
日本から医師の父=佐野史郎、母=中村久美と共に海を渡り、中国(旧満州)の祖父の元へ来た少年・辰雄。
戦争によりオリンピックにマラソン選手として出場する夢を捨てざるを得なくなって、憧れていた祖父と同じ、国にすべてを捧げる軍人を目指す長谷川辰雄=オダギリジョー。
もうひとりは、長谷川家の使用人息子であるキム・ジュンシク=チャン・ドンゴン。
横暴な曹長=山本太郎他、日本人キャストも多数出演をしています。
ストーリーは勿論、壮大な映画でした。
スケールの大きさ、お金かかってます…と言うのはわかるものの…それに対して人物描写があまりにも型通りと言うか、安直過ぎました。
俳優さん達の台詞も、単純すぎて・・・笑えるくらい。
いくら韓国人にしてもあのような形での徴兵の仕方って、大戦初期であるノモンハン事件当時にはなかったのではないかしら。
そして大仰で思わせぶりなサウンド、むやみやたらな暴力描写がが多すぎると思います。
その上あんな状況で、上官である大佐が切腹するなんて・・・・やり過ぎ。
突如参戦してきたソ連軍の戦車に立ち向かう日本軍にしても、ここまで知恵がないものか。
韓国人監督作品だけに、優しく思いやるのある韓国人と、野蛮で卑劣な日本人達と言う図式はお約束のパターン。
戦闘シーンはものすごく頑張っていて、スピード感も、残酷さもタップリ!!
タップリし過ぎて、あそこまでする必要があるのか疑問に思えました。
感情表現の激しい韓国人らしさが出過ぎのよう・・・
後半のハイライトであるノルマンディー上陸作戦の戦闘シーンからは・・・S・スピルバーグの「プライベート・ライアン」の・・・海が赤く染まってしまうグロイシーンを思い出します。
第二次世界大戦中の日本軍を題材とした作品に、C・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」があります。
外国人から見たらたぶん同じように見えてしまうであろう日本人のキャラ、その一人一人をキッチリと描いた作品でした。
この辺りは、監督としての力量の差かもしれませんね。
2時間超の作品は飽きることはなかったものの・・・出演していた役者さん達、さぞ大変だっただろうなぁ・・・なんて、変な心配をしてしまいました。
とにかくオダジョー、頑張っています。
戦争により自分の考えが狂わされていたと気づいてからは、ひたすら生きる、生き続ける為になりふりかまわなくくなっていくところも自然な演技でした。
そして、いい男はどんなに汚い恰好でもやっぱりいい男ね!って。
そう言えばこれまで、オダジョーの出演作品はほとんど観ていませんでした。
ビートたけし演じる金俊平の息子役だった「血と骨」では出演シーンがあまりにも少なすぎた・・・
主演した「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」も、映画版だけは観ないでしまっている。
映画の前宣でテレビに出演した時の、いかれてるヘアスタイル。
「映画について、一言を」とマイクを向けられ、「え、え~~!?」の天然ぶりも可笑しかった、役柄とのギャップが好ましく感じるのも、珍しい事です。
すいません。
観終えて疲れた割りには、残るものがなかったのですもの。
普段から韓国ドラマは観ないけれど・・・、韓国もの、韓国映画はやはりつまりません・・・
この映画、くだらない反日運動のきっかけなどに使われないよう祈っています。
この映画は、第二次世界大戦末期に、日本、ソ連、ドイツと三つの国の軍服を着て戦い生き抜いた男たちを描いた物語。
http://myway-movie.com/
舞台となるのは中国からロシア、ドイツ、そしてフランスのノルマンディーへと続いていく。
日本から医師の父=佐野史郎、母=中村久美と共に海を渡り、中国(旧満州)の祖父の元へ来た少年・辰雄。
戦争によりオリンピックにマラソン選手として出場する夢を捨てざるを得なくなって、憧れていた祖父と同じ、国にすべてを捧げる軍人を目指す長谷川辰雄=オダギリジョー。
もうひとりは、長谷川家の使用人息子であるキム・ジュンシク=チャン・ドンゴン。
横暴な曹長=山本太郎他、日本人キャストも多数出演をしています。
ストーリーは勿論、壮大な映画でした。
スケールの大きさ、お金かかってます…と言うのはわかるものの…それに対して人物描写があまりにも型通りと言うか、安直過ぎました。
俳優さん達の台詞も、単純すぎて・・・笑えるくらい。
いくら韓国人にしてもあのような形での徴兵の仕方って、大戦初期であるノモンハン事件当時にはなかったのではないかしら。
そして大仰で思わせぶりなサウンド、むやみやたらな暴力描写がが多すぎると思います。
その上あんな状況で、上官である大佐が切腹するなんて・・・・やり過ぎ。
突如参戦してきたソ連軍の戦車に立ち向かう日本軍にしても、ここまで知恵がないものか。
韓国人監督作品だけに、優しく思いやるのある韓国人と、野蛮で卑劣な日本人達と言う図式はお約束のパターン。
戦闘シーンはものすごく頑張っていて、スピード感も、残酷さもタップリ!!
タップリし過ぎて、あそこまでする必要があるのか疑問に思えました。
感情表現の激しい韓国人らしさが出過ぎのよう・・・
後半のハイライトであるノルマンディー上陸作戦の戦闘シーンからは・・・S・スピルバーグの「プライベート・ライアン」の・・・海が赤く染まってしまうグロイシーンを思い出します。
第二次世界大戦中の日本軍を題材とした作品に、C・イーストウッド監督作品「硫黄島からの手紙」があります。
外国人から見たらたぶん同じように見えてしまうであろう日本人のキャラ、その一人一人をキッチリと描いた作品でした。
この辺りは、監督としての力量の差かもしれませんね。
2時間超の作品は飽きることはなかったものの・・・出演していた役者さん達、さぞ大変だっただろうなぁ・・・なんて、変な心配をしてしまいました。
とにかくオダジョー、頑張っています。
戦争により自分の考えが狂わされていたと気づいてからは、ひたすら生きる、生き続ける為になりふりかまわなくくなっていくところも自然な演技でした。
そして、いい男はどんなに汚い恰好でもやっぱりいい男ね!って。
そう言えばこれまで、オダジョーの出演作品はほとんど観ていませんでした。
ビートたけし演じる金俊平の息子役だった「血と骨」では出演シーンがあまりにも少なすぎた・・・
主演した「東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜」も、映画版だけは観ないでしまっている。
映画の前宣でテレビに出演した時の、いかれてるヘアスタイル。
「映画について、一言を」とマイクを向けられ、「え、え~~!?」の天然ぶりも可笑しかった、役柄とのギャップが好ましく感じるのも、珍しい事です。
すいません。
観終えて疲れた割りには、残るものがなかったのですもの。
普段から韓国ドラマは観ないけれど・・・、韓国もの、韓国映画はやはりつまりません・・・
この映画、くだらない反日運動のきっかけなどに使われないよう祈っています。
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」デヴィッド・フィンチャー監督作品 [映画・DVD]
デヴィッド・フィンチャーが監督した映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、2週間ほど前にテレビ放送されたものを観ましたので今日はその感想を書きます。
「私は数奇な人生のもとに生まれた」・・・
80 歳で生まれ、年をとるごとに若返っていく男を描いた『ベンジャミン・バトン数奇な人生』は、この独白で幕を開けます・・・
ハッキリ言って主役のブラピに興味がないので、最初の頃はながら視聴でしたが・・・
しかしさすがは、デヴィット・フィンチャー監督。
見始めると登場人物に感情移入してしまい、すっかり見入ってしまいました。
主役のベンジャミン・バトン役にはブラッド・ピット。
ブラピで思い出すのは、リドリー・スコット監督作品の「テルマ&ルイーズ」って!古っ!
D・フィンチャーとブラピが、「セブン」「ファイト・クラブ」に続いて3度目のコンビを組んだ作品です。
主役はブラピなんだけど、この映画は登場する女性陣が圧倒的に良いものと感じました。
観客に訴えかけてくる、ベンジャミンの人生を介しての「生」と「死」。
異形の姿で生まれたベンジャミン・バトンは、実の父親に捨てられてしまう・・・
それでも、そんな姿の彼を育ててくれたのは、血のつながらない母親クイニーの無償の愛。
彼の生涯に影響を与えたベンジャミンを取り巻く女性達の、「母性」を描いた映画であるとも思った。
ベンジャミンの娘役には、ジュリア・オーモンド、彼女をこうして見るのはお久しぶりです。
捨て子のベンジャミンを育てるのは、黒人であるクイニー=タラジ・P・ヘンソン。彼女はこの映画の演技によりアカデミー助演女優賞にノミネートされました。当然ですね!
デカプリオとの共演作「ザ・ビーチ」の時から注目していた・・・・「ナルニア国物語 第1章:ライオンと魔女」ではクール過ぎて怖い、白の魔女を演じていたティルダ・スウィントン。
本作での彼女は、ベンジャミンと不倫関係になる人妻役です。
ティルダにはヴァージニア・ウルフの小説『オーランド」を映画化した、肉体が男性から女性へと代わって生き続ける人物を演じた「オルランド」という映画もあります。
中でも圧倒的なのは・・・
見た目は老人でも中身は子供であるベンジャミンと、運命の出会いをするデイジー=ケイト・ブランシェットの存在感と、魅力!!
容姿の美しさプラス、どんな役でもこなす演技力の確かさ。
「エリザベス」「エリザベス・ゴールデンエイジ」のエリザベス一世役、「ロード・オブ・ザ・リング」でも妖精のような女王役。
「アイム・ノット・ゼア」では、女性でただ一人ボブ・ディラン役を。これだけは少々無理があったかも!?
「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」黒髪のボブスタイルに変身し、憎々しげなロシアスパイ役も。
しかし中でも私が好きな出演作品は、ハリウッド進出を果たした直後にレイフ・ファインズと共演した映画「オスカーとルシンダ」です。
こちらの映画、映画好きな人しか知らないであろうマイナー作品ながら、かなり良質な作品に仕上がっているものに思えました。
シェークスピア作品の日本での公演のために来日したレイフ・ファインズも、自分の出演作品の中でもお気に入りの一本であるとインタビューに答えているのを読んだことがありました。
本作の中で・・・。
自分とは反対にドンドン若くなって、それはいつの日にか子供になってしまうであろう・・・・ベンジャミンの将来全てを受け止める覚悟をしたデイジー。
「子供二人を育てていくのは無理だ」と、一度は家を立ち去るベンジャミンであったが・・・
加齢が進みすっかり幼い子供の姿になってしまったベンジャミンは、元の場所に戻ってくるのだった。そんな彼に優しく、しかし複雑な心境で接するデイジー。
彼女の腕の中で、赤ちゃんになってしまったベンジャミンが息をひきとるところでの演技など・・・
彼女は本当に素晴らしいです。
「オスカーとルシンダ」での、泳ぐことが出来ないために水死してしまうレイフ・ファインズの遺児を引き取って育て、その子供に泳ぎを教えて終わる映画での心に響くラストシーンと重なるものがありました。
年齢的にはすでに40代に入っているものと思うが、10代の役に扮した時の美しさ。
バレーの舞台シーンで踊るところも立派そのもの。
本当にいい女優さんだと改めて思ってしまいます。
共にエリザベス女王を演じた演技派であり、イギリスを代表する大女優のケイトと、ジュディ・デンチはすでに共演済みなのだから・・・
その映画「あるスキャンダルの覚書」についてはhttp://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2010-04-20
ケイトと言えばもう一人のケイト、ケイト・ウィンスレットも大好きな女優さんのひとりです。
二人のケイトの競演、演技合戦も見てみたいものと思ってしまいます。。。
「英国王のスピーチ」トム・フーパー監督作品 [映画・DVD]
英国王のスピーチ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- メディア: DVD
イギリス映画「英国王のスピーチ」を、ようやく観る事が出来ました。
本作は第83回米アカデミー賞で、作品、監督、主演男優、脚本賞を受賞。それだけに私の期待も大きなものでしたから・・・
イギリス国王・ジョージ6世は、現エリザベス女王の父。過去のエピソードを史実を基にして、作られた映画だそうです。
吃音症である為に人前で話すことを怖れるヨーク公アルバート王子、コリン・ファースが主演しています。
コリン・ファースと言えばイギリス映画の「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズ、「真珠の耳飾りの少女」ではオランダの画家ヨハネス・フェルメール役を演じました。
この映画については、過去の日記に簡単な感想を書いております。
http://plaza.rakuten.co.jp/simarisuu/diary/200604280000/
シンプソン夫人とのロマンス「王冠を賭けた恋」で知られる兄エドワード8世役には、前作「ハート・ロッカー 」で早々に死んでしまったガイ・ピアースが。
パートナーのティム・バートン監督作品などでは、変わった役柄を演じることが多くなってしまったヘレナ・ボナム・カーターが、大らかに広い気持ちで夫を愛し支える妻を演じています。
上品で可愛らしくて、これ程役柄にピタリとはまるとは思いませんでした。
言語聴覚士ライオネル=ジェフリー・ラッシュ。
ジェフリー・ラッシュの演技の上手さは勿論、今さら言うまでもない。
これまでのエリザベス一世を支える側近役、映画「エリザベス」「エリザベス・ゴールデン・エイジ」等を思いださせる好演を今回も見せてくれました。
ジョニデ演じるキャプテン・ジャック・スパロウの最大のライバルであるバルボッサ船長役では、登場するたびにワクワクさせられたものです。
王族や貴族と、平民。
自分たちよりも一段低いものとする、当時のイギリスから見た植民地オーストラリアとオーストラリア人に対する偏見は、個人的に興味深いものがありました。
本作は重厚なイングランドのお城や邸宅、風景を背景にした、主役三人の演技のコラボレーションが楽しめる映画です。
最初の反発の後に和解と協力、友情があり、そこが観客の共感を呼ぶ…ストーリーの王道ともいえる演出方法。
「王」をひとりの人間として描き、悩み、苦しむところを見せることで、観客と主人公との距離が縮まっていく。その辺りからも良い作品になったのではと思いました。
話は至極単純ですが、全体的な雰囲気は良いです。
ラストも深い感動と言うより、「しみじみと・・・良かった」と思わせてくれた作品でした。
振り返って我が国。
特に右翼的な思想は持っていないものの・・・東日本大震災後に、天皇のお言葉が放送されました。内容、発せられた言葉の重みは、私達の心をうつものだったように思います。
現在、フェルメール展が渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで、開催中でもありますね。
「キャタピラー」若松孝二監督作品 [映画・DVD]
若松孝二監督作品「キャタピラー」を、ようやく見ることが出来ました。
本作品の演技により、寺島しのぶが同年のベルリン映画祭において最優秀女優賞を受賞しています。
35年前の熊井啓監督作品「サンダカン八番娼館 望郷」において田中絹代が受賞して以来であるのですから、それは大変な快挙と言えると思えます。
本映画は、ドルトン・トランボ監督作品「ジョニーは戦場へ行った」、この作品は高校生の時にリアルタイムで見ていました。
そして、江戸川乱歩の短編小説「芋虫」とがインスパイアされて作られたものとの事。
先に小説「芋虫」は読んでいますので、その辺りについてはhttp://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2010-08-26
妻・シゲ子=寺島しのぶの元に、四肢のなくなった姿で夫の黒川久蔵=大西信満が戻って来ます。
喉も傷病した夫は口もきけず、聴覚も失った故に耳も聞こえない醜いその容貌となって。。。
夫の家からその世話を押し付けられたシゲ子。
そんな状況との関わりを避けるように・・・訪れる人もろくにない二人だけの隠遁生活が続いて・・・そこだけは世間から切り離された奇妙に静寂な時間が流れます。
食べる、寝る。食べる、寝る。の繰り返し・・・
彼女は夫の介護に疲れていくが、それに反して食欲と性欲のみになってしまった夫は強く欲求し続ける。
ここでは、それほどの状況に置かれてもなお生き続けようとする生命力の強さ、人であることの残酷さが感じられます。
小説の中の須永中尉、映画のジョニーと同じように言葉を失い、また両腕、両脚も切断されてしまった事から自らの意志で身体を動かすこともできずにいる久蔵。
周囲からは「軍神様」と称えられはするものの・・・どうにもならない自分の存在に苛立ち、その意識は現在と過去とを何度も行き交いながら、孤独と沈黙の中へと落ち込んでいく。
戦争も終わり解放感で浮き立つ村の人々とは反対に、夫は自らの死を望むようになるのでした。
映画の中のシゲ子は、乱歩の描いた貞節な妻・須永時子のイメージとは違って、明るく奔放で現代的。
寺島の白い割烹着姿、田植えの時の早乙女姿などシチュエーションによるものか、野太さの感じられる役がピッタリとはまっています。
夫にも時には優しく、時には強く…そして次第に、そんな夫でも自分の思うがままに感情を満たす道具として見なしていくところにの人間臭さが見られました。
寺島しのぶは、夫への屈折した愛憎をシーン毎に体当たりで演じています。
夫婦の相反する愛憎が交錯する、衝撃的な乱歩の書いた小説のラスト。
と比べて…少し物足りない感じがしてしまいました。
小説の方は、人のもつ残酷さや倒錯する意識・深層が描かれたものであったが・・・
反戦映画として作られたこの映画、そこでタイトルも「キャタピラー」となったものか。
戦争に翻弄されたひと組の夫婦の姿を通し…戦争がもたらす愚かさや哀しみ、失望。「生」と「死」、その源である「性」が描かれています。
若松監督が60年代に監督した、反体制の視点から描いたとされる映画の数々と、共通するものがあるのかもしれない。
エンディングに元ちとせの歌う曲「死んだ女の子」が効果的に使われています。
本日は週の始まりに関わらず、通院二か所。その他にもプラスαで一日が過ぎてしまいそうです。
先のプレゼント大作戦にはまだ続きがあり。その他にもネタはあるにはあるものの・・・書いている時間がない。
そこで、以前、下書きしておいたものをアップしておきます。
皆様のところへは、今夜以降に伺います。
「ハートロッカー」キャスリン・ビグロー監督作 [映画・DVD]
先週末に加えて、今週も家で一人お留守番の為、ブログの方も映画週間となってしまっています。
レンタルしてきたDVDのうち…日本ではそれ程話題にもならなかった事から、最も期待せずに見たのが本作品「ハートロッカー」でした。
しかし、面白かった!! 戦争ものはあまり好きではないけれど…意外と楽しめました。
2時間強の長尺な作品ながら、全く飽きもせず見入ってしまいました。
作品の舞台は、2004年のイラクのバグダッドです。
アメリカ軍の爆発物処理班が爆弾処理の最中に、中隊のリーダー・トンプソン軍曹=ガイ・ピアースが殉職しました。
代わりにやってきたのが、ジェームズ軍曹=ジェレミー・レナー。
死への恐怖などないかのよう、行動し続けるジェームズ。仕事の手腕は認めるものの・・・仲間のサンボーン軍曹=アンソニー・マッキーや、年若いエルドリッジは不安を抱く。
イラクに駐留するアメリカ軍の中でも、最も危険を伴う爆発物処理班の兵士達。
緊張感あふれる爆発物処理の現場をリアルに映し出しながら、命知らずな主人公と仲間との友情。感情の擦れ違いを描いた、戦争アクション映画です。
気になるこのタイトルは、アメリカ軍の隠語で「苦痛の極限地帯」「棺桶」を意味するものと言う。
監督はキャスリン・ビグロー。
元夫であるジェームズ・キャメロン監督の「アバター」と共に、本作でアカデミー賞ではノミネートをされ・・・
本作の「ハートロッカー」が、オスカーの作品賞に輝きました。
主演のジェームズ役のジェレミー・レナーをはじめとして馴染みのないキャストばかりの中、私のご贔屓であるレイフ・ファインズが数シーンのみに登場するカメオ出演。でもやっぱり素敵です!
脇役と言えばこの人って感じ、驚異の出演作品の多さを誇るデヴィッド・モースも爆死してしまう大佐役として脇を固めました。
ジェームスは命知らずな男、そして熱いハートの持ち主。
行き過ぎたジェームスの行動に怒って、殴りつけるサンボーン軍曹= アンソニー・マッキーもいい男。
ホントどちらにも、ほれてしまうぜ!!
また別のシーンでは・・・
日が沈むまで長引いてしまった砂漠の中での銃撃戦。見ていてこの場面も、非常に緊迫感の感じられるシーンでした。
ジェームスは、エルドリッジにジュースを持ってくるよう命じる。
しかしジェームスの手が向かったのは自分のところではなく、隣りにいた狙撃中のサンボーンの口だった。
ふたりよりも若く経験も浅いエルドリッジは、そんな事も知らずにひとりでジュースを飲む。この皮肉の効いた対比。
ここ以外でも、エルドチッチの未熟さは目立ってしまうのだが・・・
そんな中、次第に慣れていく様子、兵士として成長していく様子が描かれていく。。。
任務の終了後、家に戻ってからの日々。
スーパーマーケットで買い物をするジェームズは、妻に即されてシリアルの並ぶ棚へ向かって行く。すると棚には何十種類ものシリアルが並べられていた。
整然と並ぶ様子と数に圧倒され、戸惑ったかのように一個をカートに投げこむ彼。
妻にイラクで経験した話をするジェームズだったが、二人の間にはわかりあえない距離が感じられるのでした。
映画のラストには、再び戦場へと向かうジェームズの姿が見られます。
ジェームズは、再び防爆服を着る。命知らずの男は、自分自身のいる場所に戻ってきたのだった。
豊かで物に溢れたアメリカから、荒涼とした砂漠の最前線へと!
サスペンスものやアクション映画には度々、登場をする爆発物。
すぐに爆発すればただのアクション映画にしかならないけれど・・・
いつ爆発するかわからない状況の連続には、ただ鑑賞をしているだけのこちら側も、見ている間中緊張にさらされます。
リアルな爆発処理と戦闘のシーン。
それに対して、イラクの人々が背景の一部となってしまっているところに不満が残る。
爆発シーンや銃撃戦の最中、大人はおろか小さな子供達まで逃げずにその様子を見てるのは非情だ。
それは彼らの台詞の中でも「イラク人は、みんな同じに見える」とあるくらいで・・・あまり感情を表さない、狡猾なだけのイメージで描かれています。
アメリカ人が主役でアメリカが作った映画だから、アメリカの側の方に感情移入をしてしまう出来になっているのでししょう。