冬の九州へ・・・⑰飯塚の新名所で終わり [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
私は朝ドラの熱心なファンではありません。ましてや嘉納伝助こと吉田鋼太郎がタイプとかではないのだけれど。。
福岡空港まで戻る途中に通りがかった・・・また時間も少し残っていたものだから・・・
最後に立ち寄りしたところは、こちらでした。
筑豊の五大炭鉱主のひとりである、伊藤伝右衛門(ドラマ「花子とアン」では、嘉納伝助として登場しました)と、歌人・柳原白蓮が過ごした旧邸宅です。
なーんて言いつつ、ミーハーでスイマセン
白蓮の輿入れの際に伝右衛門は、大規模な自宅の増改築を行いました。
明治30年代に建てられたこの屋敷は、伝右衛門の人生の変遷そのものが反映されていると言われています。
貧しさの中を生きた子供時代、経済的繁栄を手に入れた後、身分を超えて白蓮を迎え入れた…。
そうした伝右衛門の人生とともに、増改築を繰り返し、立派な庭園を持つ大邸宅へと変化していった屋敷です。
長い塀の中に広がる・・・2300坪の敷地。そこに建てられている・・・部屋数25室という広大な家屋。
貧しさから身を立て、筑豊の「石炭王」にまで上り詰めた伊藤伝右衛門。
最初の妻を失った彼は明治44年、柳原前光伯爵の娘・燁子=白蓮を妻として迎え入れる事となる。
伝右衛門50歳にして、若く美しい花嫁を迎えたのであった。
日本建築の粋を集めて改築したのが、この「旧伊藤伝右衛門邸」です。
全体が数寄屋造りの和風建築ながら、玄関を入って左の応接間は本格的な洋風の造りで。。暖炉=マントルピースには、アール・ヌーヴォー調の英国タイルが使われています。
見上げたら、中央部分が張り出した・・・船底型に見える天井の造り。
板の張り方が目の錯覚を呼ぶ、実際には平面である天井なのでした。
内部はどこも京都からわざわざ宮大工を呼んで技を尽くさせたという、細やかな美の技法に満ちて・・・。
巧妙な竹細工が編まれている床の間の天井など、目に見えない隅々にまで「粋」が凝らされた屋内。伝右衛門が白蓮を迎え入れる決意のようなものが、そこかしこから伝わってくるように思えました。
時代が明治に入って・・・近代国家を目指した日本。そんな中、我国の近代化に果たした石炭の役割は計り知れないものがあっただろう。
国内にも、人馬以外の動力が必要とされる時代が到来した。導入された蒸気機関車や製鉄のための高炉には当然、燃料として石炭が必要となったのだ。
「富国強兵」を目指す明治政府が産業の基礎としたのは、外貨を稼ぐための「絹産業」、造船のための「製鉄業」、そしてエネルギーの供給は「石炭業」であったと言います。
その後の日露戦争がもたらした「富」が、形になって残った・・・旧伊藤伝右衛門邸。
見るものを圧巻させるもののひとつに、この華麗な…日本庭園があります。
彼の死後この屋敷は一度売却されて、とり壊しなどの方針も検討されておりました。
しかし、文化遺産として存続を求める飯塚市民の署名運動によって市に譲渡が決まり、現在は一般に公開中なり。
「花子とアン」コーナーを楽しむ・・・アヤシイ来館者。これは見せてはいけなかったかも?
だって誰でもアンに変身出来ちゃう・・・バスケットと帽子が置いてあるのですもの。何でも楽しまなくてはね・・・と言いつつ、悪のりだったかなぁ?
私の来館中も、ツアーバスが次々とやってきたりして・・・恐るべし!「花子とアン」効果。
そこに便乗してしまった私達でした。
「伝助さんは今、どこにいらっしゃるの?」とお聞きしたら、「ただ今は、東京へ出張中です」ですって。
堂に入った説明ぶり、ノリの良いスタッフさん達。飯塚市の観光協会の方々のお話はもっと伺いたかったのですけど・・・。
どこから来たのか尋ねられたので、「栃木から来ました」と答えたら、「え、え~~~!?」だって。
そこまで驚かなくても良いのに
http://www.kankou-iizuka.jp/denemon/
テレビって内容がどうであれ(花子とアンは毎朝、面白く見ていました。比べても現在放送中の〇ッ〇ンのつまらない事)・・・それらに関わらず、スゴイ集客力だなぁ~って思ったのが、正直な感想です。
これまでも新潟県内にある豪農の館、歴史ある老舗旅館の建物。日光には旧御用邸の建物、比べてはいけませんがありますしね。
早め早めの行動をしないと気がすまない夫、空港へと急ぐことにします。
空港前でレンタカーの返却を済ませて。。
しかし大きな福岡空港の中を、端から端まで歩いてチェックインを。その後は、博多名物の「博多通りもん」や梅が枝餅、母へは「かるかん」等買っていたら、迫っていた搭乗時刻。
椅子に腰かける間もなく、機内へ・・・って、ああ、忙しい
でも今回も楽しかった
訪ねた土地、土地はどこも温かで・・・すでに黄色い菜の花が咲いていた。
連日眺めていた・・・見あきる事のない、玄界灘や大村湾沿いの海辺の景色。
初めての九州は、ただ行くだけ。行けば良いくらいに・・・ノープランで行ってしまった。
機内で考え、夜のホテルで翌日の日程を決めようくらいの気持ちで遊んだ、福岡~長崎への旅でしたけれど。。
しかしこれで終わりって訳じゃない。
終わりは、始まりってよく言われる事。今はまたひとつ、「新たな・・・目標」が出来たと思っているのです。
福岡空港まで戻る途中に通りがかった・・・また時間も少し残っていたものだから・・・
最後に立ち寄りしたところは、こちらでした。
筑豊の五大炭鉱主のひとりである、伊藤伝右衛門(ドラマ「花子とアン」では、嘉納伝助として登場しました)と、歌人・柳原白蓮が過ごした旧邸宅です。
なーんて言いつつ、ミーハーでスイマセン
白蓮の輿入れの際に伝右衛門は、大規模な自宅の増改築を行いました。
明治30年代に建てられたこの屋敷は、伝右衛門の人生の変遷そのものが反映されていると言われています。
貧しさの中を生きた子供時代、経済的繁栄を手に入れた後、身分を超えて白蓮を迎え入れた…。
そうした伝右衛門の人生とともに、増改築を繰り返し、立派な庭園を持つ大邸宅へと変化していった屋敷です。
長い塀の中に広がる・・・2300坪の敷地。そこに建てられている・・・部屋数25室という広大な家屋。
貧しさから身を立て、筑豊の「石炭王」にまで上り詰めた伊藤伝右衛門。
最初の妻を失った彼は明治44年、柳原前光伯爵の娘・燁子=白蓮を妻として迎え入れる事となる。
伝右衛門50歳にして、若く美しい花嫁を迎えたのであった。
日本建築の粋を集めて改築したのが、この「旧伊藤伝右衛門邸」です。
全体が数寄屋造りの和風建築ながら、玄関を入って左の応接間は本格的な洋風の造りで。。暖炉=マントルピースには、アール・ヌーヴォー調の英国タイルが使われています。
見上げたら、中央部分が張り出した・・・船底型に見える天井の造り。
板の張り方が目の錯覚を呼ぶ、実際には平面である天井なのでした。
内部はどこも京都からわざわざ宮大工を呼んで技を尽くさせたという、細やかな美の技法に満ちて・・・。
巧妙な竹細工が編まれている床の間の天井など、目に見えない隅々にまで「粋」が凝らされた屋内。伝右衛門が白蓮を迎え入れる決意のようなものが、そこかしこから伝わってくるように思えました。
時代が明治に入って・・・近代国家を目指した日本。そんな中、我国の近代化に果たした石炭の役割は計り知れないものがあっただろう。
国内にも、人馬以外の動力が必要とされる時代が到来した。導入された蒸気機関車や製鉄のための高炉には当然、燃料として石炭が必要となったのだ。
「富国強兵」を目指す明治政府が産業の基礎としたのは、外貨を稼ぐための「絹産業」、造船のための「製鉄業」、そしてエネルギーの供給は「石炭業」であったと言います。
その後の日露戦争がもたらした「富」が、形になって残った・・・旧伊藤伝右衛門邸。
見るものを圧巻させるもののひとつに、この華麗な…日本庭園があります。
彼の死後この屋敷は一度売却されて、とり壊しなどの方針も検討されておりました。
しかし、文化遺産として存続を求める飯塚市民の署名運動によって市に譲渡が決まり、現在は一般に公開中なり。
「花子とアン」コーナーを楽しむ・・・アヤシイ来館者。これは見せてはいけなかったかも?
だって誰でもアンに変身出来ちゃう・・・バスケットと帽子が置いてあるのですもの。何でも楽しまなくてはね・・・と言いつつ、悪のりだったかなぁ?
私の来館中も、ツアーバスが次々とやってきたりして・・・恐るべし!「花子とアン」効果。
そこに便乗してしまった私達でした。
「伝助さんは今、どこにいらっしゃるの?」とお聞きしたら、「ただ今は、東京へ出張中です」ですって。
堂に入った説明ぶり、ノリの良いスタッフさん達。飯塚市の観光協会の方々のお話はもっと伺いたかったのですけど・・・。
どこから来たのか尋ねられたので、「栃木から来ました」と答えたら、「え、え~~~!?」だって。
そこまで驚かなくても良いのに
http://www.kankou-iizuka.jp/denemon/
テレビって内容がどうであれ(花子とアンは毎朝、面白く見ていました。比べても現在放送中の〇ッ〇ンのつまらない事)・・・それらに関わらず、スゴイ集客力だなぁ~って思ったのが、正直な感想です。
これまでも新潟県内にある豪農の館、歴史ある老舗旅館の建物。日光には旧御用邸の建物、比べてはいけませんがありますしね。
早め早めの行動をしないと気がすまない夫、空港へと急ぐことにします。
空港前でレンタカーの返却を済ませて。。
しかし大きな福岡空港の中を、端から端まで歩いてチェックインを。その後は、博多名物の「博多通りもん」や梅が枝餅、母へは「かるかん」等買っていたら、迫っていた搭乗時刻。
椅子に腰かける間もなく、機内へ・・・って、ああ、忙しい
でも今回も楽しかった
訪ねた土地、土地はどこも温かで・・・すでに黄色い菜の花が咲いていた。
連日眺めていた・・・見あきる事のない、玄界灘や大村湾沿いの海辺の景色。
初めての九州は、ただ行くだけ。行けば良いくらいに・・・ノープランで行ってしまった。
機内で考え、夜のホテルで翌日の日程を決めようくらいの気持ちで遊んだ、福岡~長崎への旅でしたけれど。。
しかしこれで終わりって訳じゃない。
終わりは、始まりってよく言われる事。今はまたひとつ、「新たな・・・目標」が出来たと思っているのです。
タグ:飯塚市 旧伊藤伝右衛門邸
冬の九州へ・・・⑯関門海峡です [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
関門海峡のシンボルともいえる関門橋は、昭和48年に開通をした。
橋の全長は1,068m、海面からの高さ61m。
これは海を渡った、壇之浦PAから撮ったものです。
5年の工期、当時最先端の技術を駆使して1973年に完成。完成当時は東洋一長い大吊橋であった。
私が訪れた時はご覧の通り・・・関門橋の橋の台部、隣接する壇之浦高架橋のリフレッシュ工事中なのでした。
こちらは、完成まで21年の歳月がかかったとの・・・関門トンネル。
そう、行きはトンネルを使ってのドライブルートです。
門司港側のトンネルの入口は、「ふぐ」が口をあけたユニークなイラストが特徴。
関門海峡は本州西端の下関市と、九州の北端、北九州市門司区間の海峡です。
名称は両岸の地名である・・・馬関の「関=かん」と、門司の「門=もん」を取ったものだと言う。「馬関」とは、下関市の昔の呼び名。
トンネルが完成したのは昭和33年3月だそうです。。・・・と言う事は戦前から造り続けていたのですね。
全長3461m、海底部780m、自動車道の幅は7.5m、人道が4mです。
二重構造になっているトンネル内は、上 が車、下が人道となっているとか。 世界的にも珍しい歩行者用海底トンネルの、歩行者だけ無料で通行出来るとか。
トンネルの人道を踏破した記念には「関門TOPPA!記念証」も頂ける・・・との、人気の高い道だそうです。
ちなみに普通車料金も、お安い150円なり。
ゆるやかな下り坂を下って、壁側に表示される県境の表示に注目!たぶん最深地点が?福岡と山口の両県境。
やったぁ初・山口県!この日の感動シーンのひとつです
その後ゆるやかな上りとなって下関側の出口に出る行程は、チョッと長めのトンネルといった感じを受けた。車で走るとホントに短時間であっと言う間なのでした。
ここから先は、中国自動車道に上がって。
このまま真っ直ぐ本州をを東側へ行ってしまうのも、魅力よね。
門司港で関門海峡を前にした時、対岸の山口県がすぐそこに見えることに驚きを覚えた・・・私達。
海峡の最もくびれた部分はわずかに700メートルほど。そこにこの関門橋が架かっているのです。
本州最西端のパーキングエリアは、「壇之浦PA」。
壇ノ浦というと真っ先に思うのが、源平の戦いで平家が滅亡した「壇ノ浦の合戦」。
目の前の海が血の色に変わったであろう戦いの場です。しかしここから往時に思いを巡らせてみても・・・それだけは無理と言うもの。
この眺望の良さ間近から見上げるようにして眺める関門橋はダイナミックそのものでした。
広々とした展望広場から、海峡を望む。
眼前に広がる絶景
穏やかに吹く風、青空と・・・最高に気持ちいい
一日に、大小700隻もの船が行き交う関門海峡。巨大な橋脚と、雄大な風景には癒されまする。
関門海峡は大型船舶も航行する重要航路とされています。眺めていると、確かに大きな船が行き来する様は迫力があり、見飽きる事もなく。爽快な気分にもなれました。
先程までいた・・・門司の街並み。右端に見えるのは・・・門司港レトロ展望台の建物。
この場所は、海峡の景色を楽しめることは勿論・・・
高速のPAですから、地元特産品が食べられるレストランや、土産物店もあり。。
狭い海峡ながら海上交通の要という面から、関門海峡を渡る次の手段として建設されたのが、関門海峡大橋だそうです。
また、中国自動車道と九州自動車道とを結ぶ・・・関門海峡大橋。
関門橋自体の距離は短めで、下関I.C→門司港I.Cまでの距離は4.3km、普通車料金は360円でした。
渡り終えると、出口側へと分岐するレーンに到着する。
こうして見たら・・・つくづく日本て「島国」なんだなぁと思う。
この後行った沖縄もだけれど、本州も北海道も九州も、どこもみんな「島」なんだ。
これまで遊びに行った佐渡、沖縄、宮古島。淡路島に小豆島、近いところでは初島・・・と、皆好きだと思った。。
次回で、ようやく終わります。
冬の九州へ・・・⑮小倉が生んだ清張文学と、小倉城 [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
ホテルをチェックアウトしたあとは、北九州市内を西へ、隣りの小倉まで足を延ばしていました。
1909年(明治42年)小倉市(現・北九州市小倉北区に)で生れた、作家・松本清張の偉大な業績を伝える資料館「松本清張記念館」を訪ねる為です。
内部の撮影はしていませんの、以下文章のみの紹介となりますけど。。
生家が貧しかったため義務教育しか受けられず…最初は給仕、印刷工など数々の職歴を経てのち・・・印刷工として朝日新聞西部支社に入社。
41歳で懸賞小説に応募、入選した「西郷札」が直木賞候補となり、1953(昭和28)年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞受賞。
どちらも随分前に読んだものながら・・・
地元を小倉を舞台に、森鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記、「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた田上耕作の生涯を描いたもの。
この主人公は生まれつきの障害で片足が麻痺しており、口が開いたままで言葉もうまく喋れない。しかし知的障害はなくむしろ優れた頭脳をもっている。
彼と母親との二人で歩んだ、孤独で短い生涯の悲哀を描いた短編小説である。
1958年の「点と線」は推理小説界に新風を吹き込んで、清張文学の代表作となりました。
当時としては意表をついた殺人トリック、アリバイ工作など、本作により社会派推理小説に新ジャンルを築いた・・・清張の功績は大きなものと思えます。
本作に登場する地名=香椎、JR(当時は国鉄)香椎駅は事件の発端となるところ。殺害現場とみられるのも博多湾なのであった。
海ノ中道へのドライブ中、「香椎」の地名にひっかかったのは・・・今になって思えばそれでだったのだろうか。
「ゼロの焦点」「砂の器」「波の塔」「霧の旗」「球形の荒野」「けものみち」等・・・以上の作品群からは、いずれも昭和30年代初期のムードが色濃く漂うものの・・登場人物達の感情、心理描写の鋭さ、人のもつ先入観による盲点をついた表現など。
社会に潜む恐ろしさを描いた作品は、時代が変わろうとも色褪せない魅力に満ちたものと感じます。
だからこそ、現在でも映画化、テレビドラマ化され続けているのでしょう。理屈抜きに読者の心を掴んでしまう魅力があるのです。
亡くなるまで執筆し続けた、約700冊とも言われる著書の数々。
作家としての活動時期が遅かったに関わらず、生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その範囲は古代から現代まで多岐にわたったのである。
館内には清張の仕事部屋が再現されているほか、創作活動や人物像を遺品や映像などで紹介している。
亡くなってからすでに20年以上も経つと言うのに、その作品群は色あせない、現代を生きる我々の中でも生き続けているかに思えるのです。
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/
地下一階のミュージアムショップで、お土産として文庫本を二冊購入してきました。
迷った末に、読んだ事のない…逃れられない過去に囚われ続けしか生きる術のない「無宿人別帳」。「松本清張傑作選より、浅田次郎セレクション 悪党たちの懺悔録」。
こちらで本を求めると、嬉しい事に・・・このようなオリジナルカバーをかけてもらえるのです。
関門海峡に面した小倉は陸海の交通の要として、古くから砦や城が構えられた土地。この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の地でもありました。
小倉城は戦国時代に毛利氏が城を築いたことに始まって、江戸時代は小笠原氏の居城となりました。城下町は、城をランドマークとしながら九州の各地に向かう街道の起点としての発展をし・・・・。
第二次大戦後は米国に接収されましたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。
小倉城の天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく、五階が四階よりも大きくなっているのが特徴だそうです。
http://www.kid.ne.jp/kokurajou/html/index.html
小倉城の天守閣からは、360度ぐるりと小倉の街が見渡せました。
車椅子使用者とか、私の様に足が不自由だと天守閣まで上がって見られるお城は限られてしまうものながら・・・ここ小倉城は一人用の椅子式リフトがあり、利用したら天守閣から眺めるのもOK!
上がる途中に付き添ったスタッフのお姉さんに「どこからですか?」と聞かれて「栃木です」と答えても??
イマイチな反応から、「栃木は東京より、少しだけ北にあるところよ。」
「東京へは遊びに行った事はありますか?」と聞いてみましたら「はい、一度だけ。人も車も凄くてビックリしました。東京に近いって、良いですね」ですって。
それから5階の展望室で目立っていたのは、東南アジアから来たと思しき若者達。
関東では都内や箱根を別として、そう見かける事のないC国人の人の多さに、九州では驚きっぱなしでいたのだけれど。。
聞けば、彼らはラオスからやってきた大学生で、市内でホームスティしているのだと言う。
女の子たちの恰好は、ダウンの下にシルク製の民族衣装っぽい装いをしているのです。
展望台からの眺めよりも、設置されている自販機のアイスを買って食べる方に興味シンシンて感じで。。一斉に群がっている様子が可愛い
アイスが出てこないって・・・呼ばれたスタッフさんは、アイス売り場のお姉さんに変身
帰り際、面倒だから階段を使ってしまった私。
一段ずつ降りていたら、一人の女の子がそっと控えめに「May I help you?」って
はーい、大丈夫だけど・・・「Thank you.」です
北九州は想像以上に、国際都市なのですね。
※購入した二冊は、帰宅後すぐに読み終えてしまいました。
文章の達人、浅田次郎をして・・・松本清張は「怪人だ」と言わしめた著者。
手にしたら最後、最後まで読み続けてしまうストーリー展開。背景となる時代の景色、空気まで読みとれるかのように・・・引き込まれてしまう文章。
登場人物達のもつ性格や行動を元に、造りだす卓越した人物造形。
我々読者の心を掴んで離さないストーリー性は・・・まさに「怪人」の名に恥じないものと改めて思った次第です。
1909年(明治42年)小倉市(現・北九州市小倉北区に)で生れた、作家・松本清張の偉大な業績を伝える資料館「松本清張記念館」を訪ねる為です。
内部の撮影はしていませんの、以下文章のみの紹介となりますけど。。
生家が貧しかったため義務教育しか受けられず…最初は給仕、印刷工など数々の職歴を経てのち・・・印刷工として朝日新聞西部支社に入社。
41歳で懸賞小説に応募、入選した「西郷札」が直木賞候補となり、1953(昭和28)年に「或る「小倉日記」伝」で芥川賞受賞。
どちらも随分前に読んだものながら・・・
地元を小倉を舞台に、森鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記、「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた田上耕作の生涯を描いたもの。
この主人公は生まれつきの障害で片足が麻痺しており、口が開いたままで言葉もうまく喋れない。しかし知的障害はなくむしろ優れた頭脳をもっている。
彼と母親との二人で歩んだ、孤独で短い生涯の悲哀を描いた短編小説である。
1958年の「点と線」は推理小説界に新風を吹き込んで、清張文学の代表作となりました。
当時としては意表をついた殺人トリック、アリバイ工作など、本作により社会派推理小説に新ジャンルを築いた・・・清張の功績は大きなものと思えます。
本作に登場する地名=香椎、JR(当時は国鉄)香椎駅は事件の発端となるところ。殺害現場とみられるのも博多湾なのであった。
海ノ中道へのドライブ中、「香椎」の地名にひっかかったのは・・・今になって思えばそれでだったのだろうか。
「ゼロの焦点」「砂の器」「波の塔」「霧の旗」「球形の荒野」「けものみち」等・・・以上の作品群からは、いずれも昭和30年代初期のムードが色濃く漂うものの・・登場人物達の感情、心理描写の鋭さ、人のもつ先入観による盲点をついた表現など。
社会に潜む恐ろしさを描いた作品は、時代が変わろうとも色褪せない魅力に満ちたものと感じます。
だからこそ、現在でも映画化、テレビドラマ化され続けているのでしょう。理屈抜きに読者の心を掴んでしまう魅力があるのです。
亡くなるまで執筆し続けた、約700冊とも言われる著書の数々。
作家としての活動時期が遅かったに関わらず、生涯を通じて旺盛な創作活動を展開し、その範囲は古代から現代まで多岐にわたったのである。
館内には清張の仕事部屋が再現されているほか、創作活動や人物像を遺品や映像などで紹介している。
亡くなってからすでに20年以上も経つと言うのに、その作品群は色あせない、現代を生きる我々の中でも生き続けているかに思えるのです。
http://www.kid.ne.jp/seicho/html/
地下一階のミュージアムショップで、お土産として文庫本を二冊購入してきました。
迷った末に、読んだ事のない…逃れられない過去に囚われ続けしか生きる術のない「無宿人別帳」。「松本清張傑作選より、浅田次郎セレクション 悪党たちの懺悔録」。
こちらで本を求めると、嬉しい事に・・・このようなオリジナルカバーをかけてもらえるのです。
関門海峡に面した小倉は陸海の交通の要として、古くから砦や城が構えられた土地。この地を抑えるために繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の地でもありました。
小倉城は戦国時代に毛利氏が城を築いたことに始まって、江戸時代は小笠原氏の居城となりました。城下町は、城をランドマークとしながら九州の各地に向かう街道の起点としての発展をし・・・・。
第二次大戦後は米国に接収されましたが、1957年に解除され、1959年市民の熱望によって天守閣が再建されました。
小倉城の天守閣は「唐造り(からづくり)の天守」と呼ばれ、四階と五階の間に屋根のひさしがなく、五階が四階よりも大きくなっているのが特徴だそうです。
http://www.kid.ne.jp/kokurajou/html/index.html
小倉城の天守閣からは、360度ぐるりと小倉の街が見渡せました。
車椅子使用者とか、私の様に足が不自由だと天守閣まで上がって見られるお城は限られてしまうものながら・・・ここ小倉城は一人用の椅子式リフトがあり、利用したら天守閣から眺めるのもOK!
上がる途中に付き添ったスタッフのお姉さんに「どこからですか?」と聞かれて「栃木です」と答えても??
イマイチな反応から、「栃木は東京より、少しだけ北にあるところよ。」
「東京へは遊びに行った事はありますか?」と聞いてみましたら「はい、一度だけ。人も車も凄くてビックリしました。東京に近いって、良いですね」ですって。
それから5階の展望室で目立っていたのは、東南アジアから来たと思しき若者達。
関東では都内や箱根を別として、そう見かける事のないC国人の人の多さに、九州では驚きっぱなしでいたのだけれど。。
聞けば、彼らはラオスからやってきた大学生で、市内でホームスティしているのだと言う。
女の子たちの恰好は、ダウンの下にシルク製の民族衣装っぽい装いをしているのです。
展望台からの眺めよりも、設置されている自販機のアイスを買って食べる方に興味シンシンて感じで。。一斉に群がっている様子が可愛い
アイスが出てこないって・・・呼ばれたスタッフさんは、アイス売り場のお姉さんに変身
帰り際、面倒だから階段を使ってしまった私。
一段ずつ降りていたら、一人の女の子がそっと控えめに「May I help you?」って
はーい、大丈夫だけど・・・「Thank you.」です
北九州は想像以上に、国際都市なのですね。
※購入した二冊は、帰宅後すぐに読み終えてしまいました。
文章の達人、浅田次郎をして・・・松本清張は「怪人だ」と言わしめた著者。
手にしたら最後、最後まで読み続けてしまうストーリー展開。背景となる時代の景色、空気まで読みとれるかのように・・・引き込まれてしまう文章。
登場人物達のもつ性格や行動を元に、造りだす卓越した人物造形。
我々読者の心を掴んで離さないストーリー性は・・・まさに「怪人」の名に恥じないものと改めて思った次第です。
冬の九州へ・・・⑭門司港駅と、門司名物・焼きカレー [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
九州鉄道は1891(明治24年)門司港を基点に、高瀬駅(今の玉名駅)まで開通しました。それが九州における鉄道の幕開けであり、以後門司港は九州地方の陸の玄関口として大いに繁栄を続けました。
駅前の駐車場に車を置き駅舎まで。
フロントに置かれていたパンフレットを見て、時間的にもちょうど良かった事から、門司港レトロ地区と関門海峡和布刈地区とを結ぶ観光路線観光列車「 トロッコ潮風号」に乗ろうとしたのです。
閉まっていたから変だと思ったら、観光列車だけに11月までと期間限定の乗車のよう。。。
1914年(大正3年)開業の・・・ 駅舎そのものが国の重要文化財である、JR門司港駅です。
しかし私達が訪れた時、駅舎は仮囲いが設置された。改修工事の最中でした。
イタリアのテルミニ駅を参考に造られた、左右対称のルネッサンス様式の美しい駅だと言う。
テルミニ駅はイタリア・ローマの玄関口であり、映画「終着駅」の舞台となったところです。
気になる方は、こちらを→http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/08/
改札口手前の通路で、小さな古い水のみ場を発見。
水のみ場の開設は、門司港駅の開設された年まで遡る。
この場所を行き来きした人々は、構内のこの場所で水を飲んで旅の疲れを癒したのでしょう。
特に第二次世界大戦が終わってのちは・・・復員兵や大陸からの引揚げ者が、門司に上陸出来た安堵の思いで喉をうるおした・・・その事から、誰が言うともなく「帰り水」と称されるようになりました。
駅舎そのものが国の重要文化財であるのも納得される・・・戦前の古い部屋、施設、調度を含めてうまく転用した待合所やホーム。。
ここに佇んだら、気分が大正から昭和初期へとタイムスリップするのは間違いなし。
太い鉄骨の梁や柱は、まさに「西洋」そのもの。
八幡製鉄所をこの地が背景に抱えていたのも関係するだろう。
切符売り場にしても、右から左へと読んでいく旧字体が使われています。駅員さんはJR九州の制服とは違う、黒い詰襟姿。
開業当時の鉄道員の制服を再現、着用しているのです。写真を撮らせてとお願いしてみたら、こんな素敵なお顔で応えてくれました。(目の部分だけ一部モザをかけていますが・・・)
また女性駅員さんは袴姿だそうです。
ただし改札口だけは現代、色あいは抑えてあるものの自動改札なのでした。
昭和二十年代最後に生まれた私でさえ、ほとんど記憶していない光景。
それなのに懐かしい思いが・・・。
この駅に降りたった時の人々の悲哀、心の奥底に秘めた温かさ。ぬくもりも。。。
大正の世から周囲の変貌はあったが・・・1942年の関門トンネルの開通により、駅自体も変わらずをえなくなった門司港駅。
トンネルの出口が隣の大里駅構内だった事から、それを機に「門司駅」は「門司港駅」と改称されて・・・大里駅が新しい「門司駅」となり、現在に至っているのである。
「旧門司三井倶楽部」の建物。
突然ですが・・・門司港の「焼きカレー」と言えば、ご当地グルメ。私は知らなかったけど、有名だそうです。
時間経過としては、午前中に小倉まで足を延ばしているのですけれど・・・そちらについては、次回に。
港周辺では至る所に「焼きカレー」の幟がはためいて、30店舗以上の店舗で焼きカレーが提供されていると言う。
門司港の名物料理として親しまれた「焼きカレーは、MAPが作成されるほどご当地グルメとして定着しているのです。
焼きカレー専門店「伽哩本舗 門司港レトロ店」は、焼きカレーブームの火付け役ともなった有名店。
平日のお昼時だけにサラリーマンさんの姿、またそのほか観光客も多く来店していました。
平日だったから待たずに食べられたのですね。
客足が途絶えた時にササッと一枚写っていないけど左側の窓際に座れたら、素晴らしいロケーションも楽しめますよ。
ご飯にカレーソースをかけて、卵。そしてチーズをのせてグラタン・ドリア風にオーブンで焼いた料理が「焼きカレー」。
平日ランチの、日替わりをオーダーしました。カボチャとキノコのカレーだったかと思います。
オーダーの時に辛さの度合いを尋ねられますが、私は「普通」でお願いしました。
香しくて、最後まで美味しく食べられる・・・私の様に食べるのがユックリでも、最後まで熱い焼きカレー。テーブルの上のスパイスを加えて辛さを変えるのも可能。
カレーに、卵にチーズとカロリーは高いけど・・・もうチョッと食べたかったかもって思った
とても気持ちの良い青空の下、海辺の眺めは眩しいくらいでした
こちらも同じく、カレー店の前から写した「旧大阪商船」の建物。
大正6年に建てられた大阪商船門司支店を復元したとの、八角形の塔と鮮やかなオレンジ色の煉瓦の外壁が目立っていました。
その先の突き当りに見えるのが、門司港ホテルです。
街中のどこに目をやっても、レトロなムードが満喫出来る!
往時のの面影を偲ばせる古い街並みをうまく活かして、都市型観光地をめざした「門司港レトロ」。
福岡で産出された石炭と、そこで働く人々の労働で栄えた港町は、海峡を望むオシャレな街に変身したのです。しかしそこに身をおいてみると、それだけでは言いあらわせない独特なムードが感じられるのでした。
旧九州鉄道の本社屋として使われていた建物を保存して、九州の鉄道にまつわる資料や備品を展示した。
建物外には九州で活躍していた車両が展示されている、九州の鉄道の歴史や文化を学べる・・・九州鉄道記念館は、次回の宿題に。。
足を伸ばせば、関門海峡を挟んで山口まで行き来できる…土地なのでした。
駅前の駐車場に車を置き駅舎まで。
フロントに置かれていたパンフレットを見て、時間的にもちょうど良かった事から、門司港レトロ地区と関門海峡和布刈地区とを結ぶ観光路線観光列車「 トロッコ潮風号」に乗ろうとしたのです。
閉まっていたから変だと思ったら、観光列車だけに11月までと期間限定の乗車のよう。。。
1914年(大正3年)開業の・・・ 駅舎そのものが国の重要文化財である、JR門司港駅です。
しかし私達が訪れた時、駅舎は仮囲いが設置された。改修工事の最中でした。
イタリアのテルミニ駅を参考に造られた、左右対称のルネッサンス様式の美しい駅だと言う。
テルミニ駅はイタリア・ローマの玄関口であり、映画「終着駅」の舞台となったところです。
気になる方は、こちらを→http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/08/
改札口手前の通路で、小さな古い水のみ場を発見。
水のみ場の開設は、門司港駅の開設された年まで遡る。
この場所を行き来きした人々は、構内のこの場所で水を飲んで旅の疲れを癒したのでしょう。
特に第二次世界大戦が終わってのちは・・・復員兵や大陸からの引揚げ者が、門司に上陸出来た安堵の思いで喉をうるおした・・・その事から、誰が言うともなく「帰り水」と称されるようになりました。
駅舎そのものが国の重要文化財であるのも納得される・・・戦前の古い部屋、施設、調度を含めてうまく転用した待合所やホーム。。
ここに佇んだら、気分が大正から昭和初期へとタイムスリップするのは間違いなし。
太い鉄骨の梁や柱は、まさに「西洋」そのもの。
八幡製鉄所をこの地が背景に抱えていたのも関係するだろう。
切符売り場にしても、右から左へと読んでいく旧字体が使われています。駅員さんはJR九州の制服とは違う、黒い詰襟姿。
開業当時の鉄道員の制服を再現、着用しているのです。写真を撮らせてとお願いしてみたら、こんな素敵なお顔で応えてくれました。(目の部分だけ一部モザをかけていますが・・・)
また女性駅員さんは袴姿だそうです。
ただし改札口だけは現代、色あいは抑えてあるものの自動改札なのでした。
昭和二十年代最後に生まれた私でさえ、ほとんど記憶していない光景。
それなのに懐かしい思いが・・・。
この駅に降りたった時の人々の悲哀、心の奥底に秘めた温かさ。ぬくもりも。。。
大正の世から周囲の変貌はあったが・・・1942年の関門トンネルの開通により、駅自体も変わらずをえなくなった門司港駅。
トンネルの出口が隣の大里駅構内だった事から、それを機に「門司駅」は「門司港駅」と改称されて・・・大里駅が新しい「門司駅」となり、現在に至っているのである。
「旧門司三井倶楽部」の建物。
突然ですが・・・門司港の「焼きカレー」と言えば、ご当地グルメ。私は知らなかったけど、有名だそうです。
時間経過としては、午前中に小倉まで足を延ばしているのですけれど・・・そちらについては、次回に。
港周辺では至る所に「焼きカレー」の幟がはためいて、30店舗以上の店舗で焼きカレーが提供されていると言う。
門司港の名物料理として親しまれた「焼きカレーは、MAPが作成されるほどご当地グルメとして定着しているのです。
焼きカレー専門店「伽哩本舗 門司港レトロ店」は、焼きカレーブームの火付け役ともなった有名店。
平日のお昼時だけにサラリーマンさんの姿、またそのほか観光客も多く来店していました。
平日だったから待たずに食べられたのですね。
客足が途絶えた時にササッと一枚写っていないけど左側の窓際に座れたら、素晴らしいロケーションも楽しめますよ。
ご飯にカレーソースをかけて、卵。そしてチーズをのせてグラタン・ドリア風にオーブンで焼いた料理が「焼きカレー」。
平日ランチの、日替わりをオーダーしました。カボチャとキノコのカレーだったかと思います。
オーダーの時に辛さの度合いを尋ねられますが、私は「普通」でお願いしました。
香しくて、最後まで美味しく食べられる・・・私の様に食べるのがユックリでも、最後まで熱い焼きカレー。テーブルの上のスパイスを加えて辛さを変えるのも可能。
カレーに、卵にチーズとカロリーは高いけど・・・もうチョッと食べたかったかもって思った
とても気持ちの良い青空の下、海辺の眺めは眩しいくらいでした
こちらも同じく、カレー店の前から写した「旧大阪商船」の建物。
大正6年に建てられた大阪商船門司支店を復元したとの、八角形の塔と鮮やかなオレンジ色の煉瓦の外壁が目立っていました。
その先の突き当りに見えるのが、門司港ホテルです。
街中のどこに目をやっても、レトロなムードが満喫出来る!
往時のの面影を偲ばせる古い街並みをうまく活かして、都市型観光地をめざした「門司港レトロ」。
福岡で産出された石炭と、そこで働く人々の労働で栄えた港町は、海峡を望むオシャレな街に変身したのです。しかしそこに身をおいてみると、それだけでは言いあらわせない独特なムードが感じられるのでした。
旧九州鉄道の本社屋として使われていた建物を保存して、九州の鉄道にまつわる資料や備品を展示した。
建物外には九州で活躍していた車両が展示されている、九州の鉄道の歴史や文化を学べる・・・九州鉄道記念館は、次回の宿題に。。
足を伸ばせば、関門海峡を挟んで山口まで行き来できる…土地なのでした。
冬の九州へ・・・⑬一番太鼓さんへ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
門司港レトロとは・・・JR門司港駅周辺地域の総称です。
門司は小ぢんまりとした街、ただ佇むだけで懐かしさが感じられて。。ほのぼのした気持ちになれる・・・素敵なムードの街なのでした。
夜の散策をした後・・・夕ご飯をかねて呑みに行ったのは、ホテルのフロントでお勧めされた・・・アーケード内の飲み屋さん「一番太鼓門司本店」。
こちらのお店は店のサイト、食べログに掲載の内容、どちらも炉端焼き・・・となっていますが、今は普通の居酒屋さんです。
・・・と言うのも、かつて店の中央が炉端焼きスペースになって、炉端焼き店として営業をしていたからだそう。。
それは外観のムードからも伺えるものでした。
ショーケースの側のカウンター席と、それを囲むように並ぶボックス席。
掘りごたつ式のボックス席でいただきましょう。
最近、SAKEにハマっている私達、ここは当然日本酒で。お通しはなんだったかしら?
普通のサラダなんだけど、かかっている胡麻ドレッシングがとにかく濃厚で美味しかった
ここへ来たら・・・当然、これは頼むでしょう!
関門海峡のフグです。
隣接する山口は本州最西端に位置する県、両県は関門海峡を挟んだ本州と九州を結ぶ西日本の交通の要でもありますが・・・そんな関門海峡の街、下関は日本一のふぐの取り扱いで有名なところ。
下関と言えば、日本一の「ふく」の水揚げ港です。
ぎゅっと締まった身、海の香りを秘めたような・・・上品な味わい。ふくの本場ならではの極上のふくの味
今思えば、唐戸市場へも行っておけば良かったわぁ
桟橋から連絡船が出ているのを、後で知ったのでした。
アラカブの煮付けと、唐揚げです。アラカブとは・・・. 一般的にはカサゴの一種、フサカサゴ科の魚のことらしいです。
柔らかな身、白身のお魚らしくアッサリとした味わいです。
なぜか夫がオーダーした、揚げだし豆腐。保守的な夫は、常に食べなれたものを好みます。
それまで知らないでいたもの、初めてのものに興味津々である私と、タイプが対極なんです。
串揚げの盛り合わせ、これはテッパンですからね。
ママさんお勧めのゴボウ揚げ、ゴボウ天のようなものを想像していたけど、これはそのまんまゴボウそのもの。
細く長くスライスしたゴボウの風味が活きた一皿は、カルカリ、ぱりぱりの食感でした。・・・かなり食べでがあって美味しいけど残しちゃった。
〆に頼んだおにぎりの大きかった事!あ、これ一個食べてしまってます。
日本酒のお代わりをして、ビールも飲んでいたから、もうお腹がいっぱい。
最初、お隣の席が酔っ払いさんで賑やかなお店だなぁなどと・・・あまり気乗りのしないムードであったに関わらず。。
同年代らしき接客係のお姉さんと話していく内に、彼女は店のママであり、私より8コ(も)若いって判明したのでした。
ここ門司の話を色々伺ったり、私達が初九州であり、また栃木からやってきた事など。
少しずつ話が弾んでいって、接客の合間に度々きてくれては、ずっとお喋りをしてしまったのだ。
九州からしたら、栃木ってどこ?雪降っているでしょう?って東北と間違えられてしまうのは、こちらだけに限らない。この日まで訪問した至るところで言われたのでした。
お店の紹介記事を自分のブログに、また「食べログ」の方へも書くからねと約束してきてしまった。
JUNママ、こうして約束は果たせましたよ~!
そして、また門司へ。一番太鼓さんへの訪問も忘れませんので、待っていてくださいね
http://www.ichibandaiko.com/
翌朝はホテル内のレストランで、…と言ってもそれほど広くも、立派でもない。
パンとお替りOK!のコーヒー、サラダに茹で卵がセットになった、コンチネンタルスタイルの朝食でした。
バーにいるようなムードのBGMの中、美味しくて気持ちの良い一時。
チェックアウト時には、先の居酒屋のママが「イケメンの支配人さんがいるホテル」と話していた・・・その場では、本当にそんな人いたかなぁと思ったものの、最後に支配人のお顔が見られて良かった。
爽やか系のイケメン支配人さんの適切な応対は、小さくてボロいホテルに関わらず気持ちの良いものだった。
たった一泊の滞在でしたが、思い出深い一夜となりました
http://www.portmoji.co.jp/
門司は小ぢんまりとした街、ただ佇むだけで懐かしさが感じられて。。ほのぼのした気持ちになれる・・・素敵なムードの街なのでした。
夜の散策をした後・・・夕ご飯をかねて呑みに行ったのは、ホテルのフロントでお勧めされた・・・アーケード内の飲み屋さん「一番太鼓門司本店」。
こちらのお店は店のサイト、食べログに掲載の内容、どちらも炉端焼き・・・となっていますが、今は普通の居酒屋さんです。
・・・と言うのも、かつて店の中央が炉端焼きスペースになって、炉端焼き店として営業をしていたからだそう。。
それは外観のムードからも伺えるものでした。
ショーケースの側のカウンター席と、それを囲むように並ぶボックス席。
掘りごたつ式のボックス席でいただきましょう。
最近、SAKEにハマっている私達、ここは当然日本酒で。お通しはなんだったかしら?
普通のサラダなんだけど、かかっている胡麻ドレッシングがとにかく濃厚で美味しかった
ここへ来たら・・・当然、これは頼むでしょう!
関門海峡のフグです。
隣接する山口は本州最西端に位置する県、両県は関門海峡を挟んだ本州と九州を結ぶ西日本の交通の要でもありますが・・・そんな関門海峡の街、下関は日本一のふぐの取り扱いで有名なところ。
下関と言えば、日本一の「ふく」の水揚げ港です。
ぎゅっと締まった身、海の香りを秘めたような・・・上品な味わい。ふくの本場ならではの極上のふくの味
今思えば、唐戸市場へも行っておけば良かったわぁ
桟橋から連絡船が出ているのを、後で知ったのでした。
アラカブの煮付けと、唐揚げです。アラカブとは・・・. 一般的にはカサゴの一種、フサカサゴ科の魚のことらしいです。
柔らかな身、白身のお魚らしくアッサリとした味わいです。
なぜか夫がオーダーした、揚げだし豆腐。保守的な夫は、常に食べなれたものを好みます。
それまで知らないでいたもの、初めてのものに興味津々である私と、タイプが対極なんです。
串揚げの盛り合わせ、これはテッパンですからね。
ママさんお勧めのゴボウ揚げ、ゴボウ天のようなものを想像していたけど、これはそのまんまゴボウそのもの。
細く長くスライスしたゴボウの風味が活きた一皿は、カルカリ、ぱりぱりの食感でした。・・・かなり食べでがあって美味しいけど残しちゃった。
〆に頼んだおにぎりの大きかった事!あ、これ一個食べてしまってます。
日本酒のお代わりをして、ビールも飲んでいたから、もうお腹がいっぱい。
最初、お隣の席が酔っ払いさんで賑やかなお店だなぁなどと・・・あまり気乗りのしないムードであったに関わらず。。
同年代らしき接客係のお姉さんと話していく内に、彼女は店のママであり、私より8コ(も)若いって判明したのでした。
ここ門司の話を色々伺ったり、私達が初九州であり、また栃木からやってきた事など。
少しずつ話が弾んでいって、接客の合間に度々きてくれては、ずっとお喋りをしてしまったのだ。
九州からしたら、栃木ってどこ?雪降っているでしょう?って東北と間違えられてしまうのは、こちらだけに限らない。この日まで訪問した至るところで言われたのでした。
お店の紹介記事を自分のブログに、また「食べログ」の方へも書くからねと約束してきてしまった。
JUNママ、こうして約束は果たせましたよ~!
そして、また門司へ。一番太鼓さんへの訪問も忘れませんので、待っていてくださいね
http://www.ichibandaiko.com/
翌朝はホテル内のレストランで、…と言ってもそれほど広くも、立派でもない。
パンとお替りOK!のコーヒー、サラダに茹で卵がセットになった、コンチネンタルスタイルの朝食でした。
バーにいるようなムードのBGMの中、美味しくて気持ちの良い一時。
チェックアウト時には、先の居酒屋のママが「イケメンの支配人さんがいるホテル」と話していた・・・その場では、本当にそんな人いたかなぁと思ったものの、最後に支配人のお顔が見られて良かった。
爽やか系のイケメン支配人さんの適切な応対は、小さくてボロいホテルに関わらず気持ちの良いものだった。
たった一泊の滞在でしたが、思い出深い一夜となりました
http://www.portmoji.co.jp/
冬の九州へ・・・⑫門司港レトロです [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
ホテルから海沿いを目指して歩けば、そこはノスタルジックな街並みが続く、門司港レトロ地区。
歴史を感じさせる「旧門司三井倶楽部」や「旧門司税関」など建ち並ぶ、街並みを眺めながら・・・そぞろ歩きを楽しみました。
門司港の開港は明治22年(1889年)。
北九州の工業地域と結びついた・・・大陸貿易の基地となり、最盛期には一か月間に200隻近い外航客船が入港、国内航路を含めたら年間600万人近い乗降客があった言います。
かつて国際貿易港として栄えた門司港には、往時の面影を偲ばせる古い街並みが残されていました。
古い街並みと新しい都市機能をミックスさせた都市型観光地をめざした…その全てに対してのネーミングが「門司港レトロ」。
門司で初めてとなる高層建築ながら、100年後はこの街並みの仲間入りをしているのだろうか。
門司港レトロ展望室前に建つ、「国際友好記念図書館」。
明治35年に帝政ロシアが中国大連市に建設した、東清鉄道オフィス。北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して複製建築したものとか。
1階はレストラン、2階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館だそうです。
ビルの31階にある、展望室カフェテリアで。門司港のホテルに泊まると、展望室の入館が割安に。無料のドリンクサービスが受けられるみたいで・・・夕暮れと共に我々同様、展望室へとやってくる観光客の姿が多くありました。
ワンドリンクサービス、私はメロンソーダをチョイス。ふふふ・・・こういう時はお子様なの。
本当は「バナナ紅茶」が良かったのだけど、それはダメですですって。
ここからは門司港全体を眼下に一望できるばかりでなく・・・。
「ブルーウィングもじ」と名付けられた「はね橋」も。屋内が見苦しく映りこんでしまって失礼。
関門海峡、さらに対岸の下関市までのパノラマが楽しめるのでした。
この時目にした、意外な程近くにある関門海峡大橋の姿。「こんなに近い訳?明日、橋を渡って山口まで行ってみよう」…と夫。
都会で観るイルミネーション程の華やかさには欠ける・・・門司港の夜景。
歩いている人もほとんどいなくて、寂しかったけれど、それさえ旅情と結びつきました。
そこには冷たく降る雨も一役かっていた。なーんてね。
続く。。
歴史を感じさせる「旧門司三井倶楽部」や「旧門司税関」など建ち並ぶ、街並みを眺めながら・・・そぞろ歩きを楽しみました。
門司港の開港は明治22年(1889年)。
北九州の工業地域と結びついた・・・大陸貿易の基地となり、最盛期には一か月間に200隻近い外航客船が入港、国内航路を含めたら年間600万人近い乗降客があった言います。
かつて国際貿易港として栄えた門司港には、往時の面影を偲ばせる古い街並みが残されていました。
古い街並みと新しい都市機能をミックスさせた都市型観光地をめざした…その全てに対してのネーミングが「門司港レトロ」。
門司で初めてとなる高層建築ながら、100年後はこの街並みの仲間入りをしているのだろうか。
門司港レトロ展望室前に建つ、「国際友好記念図書館」。
明治35年に帝政ロシアが中国大連市に建設した、東清鉄道オフィス。北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して複製建築したものとか。
1階はレストラン、2階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館だそうです。
ビルの31階にある、展望室カフェテリアで。門司港のホテルに泊まると、展望室の入館が割安に。無料のドリンクサービスが受けられるみたいで・・・夕暮れと共に我々同様、展望室へとやってくる観光客の姿が多くありました。
ワンドリンクサービス、私はメロンソーダをチョイス。ふふふ・・・こういう時はお子様なの。
本当は「バナナ紅茶」が良かったのだけど、それはダメですですって。
ここからは門司港全体を眼下に一望できるばかりでなく・・・。
「ブルーウィングもじ」と名付けられた「はね橋」も。屋内が見苦しく映りこんでしまって失礼。
関門海峡、さらに対岸の下関市までのパノラマが楽しめるのでした。
この時目にした、意外な程近くにある関門海峡大橋の姿。「こんなに近い訳?明日、橋を渡って山口まで行ってみよう」…と夫。
都会で観るイルミネーション程の華やかさには欠ける・・・門司港の夜景。
歩いている人もほとんどいなくて、寂しかったけれど、それさえ旅情と結びつきました。
そこには冷たく降る雨も一役かっていた。なーんてね。
続く。。
冬の九州へ・・・⑪九州の玄関口、門司へ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
サラリと長崎観光をした後は、220キロ超えの・・・九州横断。
途中の道中で経過を見ながら、最初はまたも大村湾沿いを・・・長崎から佐賀へは下道を走って行きました。
国道34号線と205号線が交わる付近で出会ったのは道の駅「そのぎの荘」。東彼杵町のこんじまりした道の駅です。
道の駅は、大村湾でとれる海産物が販売されていました。
こちらで目立ったのはクジラです。長崎、佐賀は…昔から鯨食文化が伝わり続けてきた土地なのでしょうね。
冷凍ショーケースの大量のクジラ肉、棚に並ぶ「くじらの大和煮」缶。
また彼杵は大村湾に面した傾斜地を利用した、そのぎ茶と、ミカンの里。
福岡で買ったポンカンの味の良さにスッカリ気をよくした私達、ここでまたミカンを買い求めてしまったのでした。
一般的な青島みかんと、11月から3月が旬との・・・スイートスプリング(温州みかんと八朔を掛け合わせた)の二種類をごっそり大人買い
しかし…ここだけの話。志賀島のポンカンの味には到底及ばず。
価格も安かったのだから仕方がないけど、お値段と品質ってやはり比例するものです
嬉野インターからは高速の長崎自動車道道路を使って。。
そうしたら偶然、突然、目の前に現れた・・・「虹」です。
普段あまり家から出ない事もあり、こうして虹のかけ橋を見るのはなんと久しぶり!
雨が止んだ直後と、日射。太陽の高度が低い夕方に多く観られる、綺麗な虹
何枚か撮っている間にぼんやりとしてきてしまったのだけれど・・・天空からの不思議なプレゼント、ラッキーチャンスをありがとう
門司で泊まるのは、門司だけに門司港ホテルと言いたいところながら・・・これまた宿泊料金を抑えた小さなホテルなんです。敷地内の駐車スペースも小さそうだから、そう遅くならない時刻に到着をしたいなって。
宿泊先の「ホテルポート門司」はリーズナブルなお値段だったので、正直期待はしていなかったのですが・・・。お部屋、バスルーム共に広く…。
予約していたのは最もリーズナブルな部屋であったのに関わらず、まさかのアップデート・・・と言っても大した事ないですけどね。。。
フリードリンク2本がサービスで置かれた角部屋です。
手前のソファスペースでユックリとくつろぐ事も出来ましたし、またホテルからは門司港レトロの全てが徒歩圏内という立地の良さなのでした。
門司と言えば台湾バナナの輸入港、バナナのたたき売り発祥の地・・・くらいの認識しかなかった私。だから街中に入った時にも寂れたサエナイ街ね…くらいにしか思えずにいた。
しかしそんな中で、楽しみにしていたのがこれ!
クリスマス、カウントダウン以降の2月まで開催されている、門司港レトロイルミネーションです。
JR門司港駅、マリンゲート、ウォーターフロントプロムナード等。
かつて国際貿易港として栄えた門司港には、当時の面影を偲ばせる古い街並みが今でも残されています。
古い街並みと新しい都市機能をミックスさせた都市型観光地をめざして・・・
歴史的建造物群が形成する古い街並みに、新たな都市機能と観光要素を融合させるという試みで整備されたが・・・門司港レトロ地区。http://www.retro-mojiko.jp/
門司港レトロ観光開発のためにく築造された建物群。
一際目立つ 「門司港レトロ展望室」は、黒川紀章氏設計の高層マンションの31階部分に設けられた展望室。
高さ103mの展望室からは、関門海峡や眼下の門司港レトロの街並みを一望。大パノラマで観ることが出来ました。
九州の北端と本州西端との間に位置する関門海峡は・・・西の日本海、東の瀬戸内海・周防灘のふたつの海を結ぶ海峡です。
途中の道中で経過を見ながら、最初はまたも大村湾沿いを・・・長崎から佐賀へは下道を走って行きました。
国道34号線と205号線が交わる付近で出会ったのは道の駅「そのぎの荘」。東彼杵町のこんじまりした道の駅です。
道の駅は、大村湾でとれる海産物が販売されていました。
こちらで目立ったのはクジラです。長崎、佐賀は…昔から鯨食文化が伝わり続けてきた土地なのでしょうね。
冷凍ショーケースの大量のクジラ肉、棚に並ぶ「くじらの大和煮」缶。
また彼杵は大村湾に面した傾斜地を利用した、そのぎ茶と、ミカンの里。
福岡で買ったポンカンの味の良さにスッカリ気をよくした私達、ここでまたミカンを買い求めてしまったのでした。
一般的な青島みかんと、11月から3月が旬との・・・スイートスプリング(温州みかんと八朔を掛け合わせた)の二種類をごっそり大人買い
しかし…ここだけの話。志賀島のポンカンの味には到底及ばず。
価格も安かったのだから仕方がないけど、お値段と品質ってやはり比例するものです
嬉野インターからは高速の長崎自動車道道路を使って。。
そうしたら偶然、突然、目の前に現れた・・・「虹」です。
普段あまり家から出ない事もあり、こうして虹のかけ橋を見るのはなんと久しぶり!
雨が止んだ直後と、日射。太陽の高度が低い夕方に多く観られる、綺麗な虹
何枚か撮っている間にぼんやりとしてきてしまったのだけれど・・・天空からの不思議なプレゼント、ラッキーチャンスをありがとう
門司で泊まるのは、門司だけに門司港ホテルと言いたいところながら・・・これまた宿泊料金を抑えた小さなホテルなんです。敷地内の駐車スペースも小さそうだから、そう遅くならない時刻に到着をしたいなって。
宿泊先の「ホテルポート門司」はリーズナブルなお値段だったので、正直期待はしていなかったのですが・・・。お部屋、バスルーム共に広く…。
予約していたのは最もリーズナブルな部屋であったのに関わらず、まさかのアップデート・・・と言っても大した事ないですけどね。。。
フリードリンク2本がサービスで置かれた角部屋です。
手前のソファスペースでユックリとくつろぐ事も出来ましたし、またホテルからは門司港レトロの全てが徒歩圏内という立地の良さなのでした。
門司と言えば台湾バナナの輸入港、バナナのたたき売り発祥の地・・・くらいの認識しかなかった私。だから街中に入った時にも寂れたサエナイ街ね…くらいにしか思えずにいた。
しかしそんな中で、楽しみにしていたのがこれ!
クリスマス、カウントダウン以降の2月まで開催されている、門司港レトロイルミネーションです。
JR門司港駅、マリンゲート、ウォーターフロントプロムナード等。
かつて国際貿易港として栄えた門司港には、当時の面影を偲ばせる古い街並みが今でも残されています。
古い街並みと新しい都市機能をミックスさせた都市型観光地をめざして・・・
歴史的建造物群が形成する古い街並みに、新たな都市機能と観光要素を融合させるという試みで整備されたが・・・門司港レトロ地区。http://www.retro-mojiko.jp/
門司港レトロ観光開発のためにく築造された建物群。
一際目立つ 「門司港レトロ展望室」は、黒川紀章氏設計の高層マンションの31階部分に設けられた展望室。
高さ103mの展望室からは、関門海峡や眼下の門司港レトロの街並みを一望。大パノラマで観ることが出来ました。
九州の北端と本州西端との間に位置する関門海峡は・・・西の日本海、東の瀬戸内海・周防灘のふたつの海を結ぶ海峡です。
冬の九州へ・・・⑩長崎なのに、短いのだ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
暦の上では「立春」も過ぎ・・・とは言え、現実にはこれから迎える・・・冬本番。
・・・という事で今頃の季節、遊びに行くとしたら温かいところがいいですね・・・。
今月初めから一昨日までは、沖縄へGO~!しておりました。
そう、相変わらず懲りない私。。避暑ならぬ、思いついての「避寒」でした。
・・・とその前にまず、途中だった九州旅行記を書いてしまわねば。。
ハウステンボスのイルミネーションの後、泊まったのは佐世保市内の弓張岳の中腹にあるホテル。
そして翌日向かう先の長崎でしたが、距離感が全くつかめずに組んだスケジュールゆえ、佐世保と長崎もまた思っていた以上に離れているのであった。
佐世保湾、九十九島から・・・大村湾沿いの風景を眺めつつのドライブ。
長崎と言えば、誰もが知る美しい夜景の代名詞もながら・・・豊臣秀吉が禁止令をだしたのち、長く続いた江戸時代。そして新政府となった明治を迎えてからも続いた・・・キリシタン達が歩んだ過酷な運命の地でもあります。
元治元年(1864)に竣工し翌年に献堂式がおこなわれた・・・大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。
フランス人神父によって、西坂の丘で殉教していった26聖人へ祈りを捧げるために建てられた教会堂だと言う。そのため建物の正面は西坂の丘に向けられ建てられている。
聖母マリア像の後ろ側から…失礼。長崎市内を見下ろす高台にあります。
だからそこまでの行程、私的にはキツイものが
中世ヨーロッパ建築を代表とするゴシック調の教会は、現存する木造教会では日本最古のもの。昭和8年(1933)に国宝に指定されました。
内部は100年前のフランス製ステンドグラスが配されていたが、創建時にフランスの修道院から寄贈された正面祭壇中央のキリスト聖画像と共に、その多くは原爆によって大破。
現在は、当時のステンドグラスと復元されたものとが混在して・・・美しい光を堂内に集め、祈りの空間をつくり出しているのです。
こちらも当然、入館する前に外から
禁教令のもとで潜伏していた信徒を発見した・・・教会としても、世界的に名高いと言われてます。
大浦天主堂に隣接する旧羅典神学校横の樹木に覆われた細い道を通り抜けると、グラバー園の入口へと出る。大浦天主堂の観覧後にグラバー園へ向かう順路のひとつです。
スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、ここ南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。
大洋の波涛を越えて日本の地へ、夢を抱いてやってきた異国の商人たち。
100年以上たった今もここには、グラバーと家族が暮らした当時の記憶。共に長崎を愛し長崎に暮らした貿易商たちの邸宅が形を変えことなく残されているのです。
約3万平方mの敷地内に、居留地時代から現存する国指定重要文化財の旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を移築・復元。
文久3年(1863)に建てられた旧グラバー住宅は現存する日本最古の木造洋風建築で、上から見ると四つ葉のクローバー型の屋根が特徴的。
トーマス・ブレーク・グラバーの旧邸内では遺品などが展示されていました。また志士達が密談したといわれている隠し部屋も見どころのひとつ。
倒幕の野望に燃える幕末の志士たち、西洋の学問を志す日本の若者たちも集ったのである。
園内の展望台からは長崎港を一望す。。
グラバー園と言えば、ハートストーン。・・・くらいの予備知識はあったものの、それを特定するまでは至らず。
それでも何とか見っけ
該当するものかどうかは不明ながら・・・これが、私のストーン。
これまで大変な事は多く経験しているのだから。。これからは自力で幸福を掴み取ってやる。なーんてね。でもホントよ
この二か所を見た後、次はどこ行こうかな・・・などと思っている気持ちも知らず、夫は「またあちこち駐車場を探して歩くのは疲れた。」
「路面電車の走っているところは、走りづらくて嫌なんだ」ですって。
そんなこんなでせっかくの初・長崎に関わらず、残りは車中から眺めただけ
カステラの文明堂さん本店、大きく風格のある建物はサスガと思わされます。
鎖国の最中、国内唯一の交易の窓口であった「出島」と呼ばれた一帯、坂本竜馬でお馴染み「亀山社中」も。
「眼鏡橋」だけは下りて、写真を撮ってきました。
急ぎ足で駆け抜けた長崎観光。
それでも当時の長崎の街のムードは、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていたと想像されました。
長崎の皆様、本当にホント、ごめんあそばせ
次回はもっとチャンとした訪問を心に誓う、わたくしめでございます。
しかしこの日のスケジュールは旅の最中としても最もハードな、長崎~門司へと220キロを超える九州横断の弾丸ツアー
そちらについては、次回へと続きます。
・・・という事で今頃の季節、遊びに行くとしたら温かいところがいいですね・・・。
今月初めから一昨日までは、沖縄へGO~!しておりました。
そう、相変わらず懲りない私。。避暑ならぬ、思いついての「避寒」でした。
・・・とその前にまず、途中だった九州旅行記を書いてしまわねば。。
ハウステンボスのイルミネーションの後、泊まったのは佐世保市内の弓張岳の中腹にあるホテル。
そして翌日向かう先の長崎でしたが、距離感が全くつかめずに組んだスケジュールゆえ、佐世保と長崎もまた思っていた以上に離れているのであった。
佐世保湾、九十九島から・・・大村湾沿いの風景を眺めつつのドライブ。
長崎と言えば、誰もが知る美しい夜景の代名詞もながら・・・豊臣秀吉が禁止令をだしたのち、長く続いた江戸時代。そして新政府となった明治を迎えてからも続いた・・・キリシタン達が歩んだ過酷な運命の地でもあります。
元治元年(1864)に竣工し翌年に献堂式がおこなわれた・・・大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。
フランス人神父によって、西坂の丘で殉教していった26聖人へ祈りを捧げるために建てられた教会堂だと言う。そのため建物の正面は西坂の丘に向けられ建てられている。
聖母マリア像の後ろ側から…失礼。長崎市内を見下ろす高台にあります。
だからそこまでの行程、私的にはキツイものが
中世ヨーロッパ建築を代表とするゴシック調の教会は、現存する木造教会では日本最古のもの。昭和8年(1933)に国宝に指定されました。
内部は100年前のフランス製ステンドグラスが配されていたが、創建時にフランスの修道院から寄贈された正面祭壇中央のキリスト聖画像と共に、その多くは原爆によって大破。
現在は、当時のステンドグラスと復元されたものとが混在して・・・美しい光を堂内に集め、祈りの空間をつくり出しているのです。
こちらも当然、入館する前に外から
禁教令のもとで潜伏していた信徒を発見した・・・教会としても、世界的に名高いと言われてます。
大浦天主堂に隣接する旧羅典神学校横の樹木に覆われた細い道を通り抜けると、グラバー園の入口へと出る。大浦天主堂の観覧後にグラバー園へ向かう順路のひとつです。
スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、ここ南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。
大洋の波涛を越えて日本の地へ、夢を抱いてやってきた異国の商人たち。
100年以上たった今もここには、グラバーと家族が暮らした当時の記憶。共に長崎を愛し長崎に暮らした貿易商たちの邸宅が形を変えことなく残されているのです。
約3万平方mの敷地内に、居留地時代から現存する国指定重要文化財の旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を移築・復元。
文久3年(1863)に建てられた旧グラバー住宅は現存する日本最古の木造洋風建築で、上から見ると四つ葉のクローバー型の屋根が特徴的。
トーマス・ブレーク・グラバーの旧邸内では遺品などが展示されていました。また志士達が密談したといわれている隠し部屋も見どころのひとつ。
倒幕の野望に燃える幕末の志士たち、西洋の学問を志す日本の若者たちも集ったのである。
園内の展望台からは長崎港を一望す。。
グラバー園と言えば、ハートストーン。・・・くらいの予備知識はあったものの、それを特定するまでは至らず。
それでも何とか見っけ
該当するものかどうかは不明ながら・・・これが、私のストーン。
これまで大変な事は多く経験しているのだから。。これからは自力で幸福を掴み取ってやる。なーんてね。でもホントよ
この二か所を見た後、次はどこ行こうかな・・・などと思っている気持ちも知らず、夫は「またあちこち駐車場を探して歩くのは疲れた。」
「路面電車の走っているところは、走りづらくて嫌なんだ」ですって。
そんなこんなでせっかくの初・長崎に関わらず、残りは車中から眺めただけ
カステラの文明堂さん本店、大きく風格のある建物はサスガと思わされます。
鎖国の最中、国内唯一の交易の窓口であった「出島」と呼ばれた一帯、坂本竜馬でお馴染み「亀山社中」も。
「眼鏡橋」だけは下りて、写真を撮ってきました。
急ぎ足で駆け抜けた長崎観光。
それでも当時の長崎の街のムードは、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていたと想像されました。
長崎の皆様、本当にホント、ごめんあそばせ
次回はもっとチャンとした訪問を心に誓う、わたくしめでございます。
しかしこの日のスケジュールは旅の最中としても最もハードな、長崎~門司へと220キロを超える九州横断の弾丸ツアー
そちらについては、次回へと続きます。
冬の九州へ・・・⑨ハウステンボスⅡ1,100万球のイルミネーション [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
ブログでの流れ、お話が前後してしまうのですが・・・
佐世保のホテルへ行く前の、ハウステンボスリゾートのレポの続きです。
今回は、園内で開催された「光の王国」を紹介させて頂きますね。
「光の王国」を見る。それがハウステンボス来園の一番の目的でした。
シンボルタワー「ドムトールン」の展望室から眺めた・・・トップは、ハーバータウンの景色。
そして、アムステルダム広場です。
園内の光景、はいつの間にか・・・夕暮れからすっかり夜色に。。
この「ドルトールン」の高さは80mだそうです。
タワーの上から・・・・目の前には、鮮やかな光の世界が広がっていました。
街全体がイルミネーションで飾られています。
今上がっている塔「ドムトールン」自体も、イルミネーションが施されていて・・・時間とともに色が変化するのです。
そうする内に、「パレードが始まる時間ですよ」って・・・。
園内を練り歩く・・・様々な灯りに彩られた・・・乗り物、人、遊具達。
光の自転車や光のトレインに乗って、または踊りながら歩く人の姿も。
リズミカルな音楽に合わせて、しかしユックリ、ユックリと・・・。
一か所に佇んでいるだけでも、こうして見ることが出来たのです。
音と、光と、楽しげなリズムにのって
でも、言ってしまうなら・・・ただソレだけ。スケールの小ささは否めません
参加されているスタッフさん達は、それなりに頑張っていると思いました。
こんな下手な写真を並べておいて、よく言うわねって思われてしまうのは仕方のない事だけど
気を取り直して・・・。
世界最大級1100万級の輝き・・・「光の王国」には、もうひとつのお楽しみがあります
運河を舞台に、色、形を変える世界初の運河イルミネーションショー
以下どれも、船内から撮ったものです。
…ちなみに、この乗船も別料金がかかりました。
場内を流れる運河が・・・新たな光のスポットなのです。
水中から虹色に輝く・・・船が通る度に上がる光の噴水。
船から眺める景色も幻想的、イルミネーションの光が運河の水面に映る様子も綺麗でした。
イルミネーションは限られた区間のみ。
これは船内からより、橋の上からとか眺める方が楽しめたかもしれない。
それでもじゅうぶん堪能する
来園したのが平日だったから・・・食事にしても口コミにあったような行列はなかったものの・・・シーズン的にも来園者の数の少なさが寂しかった。
夜景鑑定師が選ぶ全国イルミネーション第1位を獲得したとの・・・・ハウステンボス「光の王国」。
寒い中で見るイルミネーションは綺麗でしたが・・・TDLのディズニーシーに隣接する、ホテルミラコスタ宿泊での満足感には遠いものがあったような。。
街の中を散策して幻想的な光のショーを楽むには、徐々に激しくなってくる雨。そして強風と。。。
「光の王国」会場があるアートガーデンに立ち寄らず、帰って来てしまったのは悔やまれます。知らなかったのです。
案内が徹底していないと言うか、園内の広さの割りにスタッフの数が少ない。
全体を通して、ここは初心者にはわかりにくい構造・・・のように感じられました。
手作り感の感じられる可愛らしいイルミネーションはそこそこ良かっただけに、ハウステンボスの料金体制にはガッカリ後味の悪さが残ってしまいました。
ゲートをくぐり駐車場へと戻る頃には、霙交じりの強風が吹き、もう飛ばされるのでは…と思った。
イルミネーション見物の為結構な距離を歩いたり、移動もあり・・・寒さと、疲れで、早くホテルへ行きたーいとなってしまうのは当然の流れです。
そこで・・・⑧番の弓張の丘ホテルへと続くのでした。.
佐世保のホテルへ行く前の、ハウステンボスリゾートのレポの続きです。
今回は、園内で開催された「光の王国」を紹介させて頂きますね。
「光の王国」を見る。それがハウステンボス来園の一番の目的でした。
シンボルタワー「ドムトールン」の展望室から眺めた・・・トップは、ハーバータウンの景色。
そして、アムステルダム広場です。
園内の光景、はいつの間にか・・・夕暮れからすっかり夜色に。。
この「ドルトールン」の高さは80mだそうです。
タワーの上から・・・・目の前には、鮮やかな光の世界が広がっていました。
街全体がイルミネーションで飾られています。
今上がっている塔「ドムトールン」自体も、イルミネーションが施されていて・・・時間とともに色が変化するのです。
そうする内に、「パレードが始まる時間ですよ」って・・・。
園内を練り歩く・・・様々な灯りに彩られた・・・乗り物、人、遊具達。
光の自転車や光のトレインに乗って、または踊りながら歩く人の姿も。
リズミカルな音楽に合わせて、しかしユックリ、ユックリと・・・。
一か所に佇んでいるだけでも、こうして見ることが出来たのです。
音と、光と、楽しげなリズムにのって
でも、言ってしまうなら・・・ただソレだけ。スケールの小ささは否めません
参加されているスタッフさん達は、それなりに頑張っていると思いました。
こんな下手な写真を並べておいて、よく言うわねって思われてしまうのは仕方のない事だけど
気を取り直して・・・。
世界最大級1100万級の輝き・・・「光の王国」には、もうひとつのお楽しみがあります
運河を舞台に、色、形を変える世界初の運河イルミネーションショー
以下どれも、船内から撮ったものです。
…ちなみに、この乗船も別料金がかかりました。
場内を流れる運河が・・・新たな光のスポットなのです。
水中から虹色に輝く・・・船が通る度に上がる光の噴水。
船から眺める景色も幻想的、イルミネーションの光が運河の水面に映る様子も綺麗でした。
イルミネーションは限られた区間のみ。
これは船内からより、橋の上からとか眺める方が楽しめたかもしれない。
それでもじゅうぶん堪能する
来園したのが平日だったから・・・食事にしても口コミにあったような行列はなかったものの・・・シーズン的にも来園者の数の少なさが寂しかった。
夜景鑑定師が選ぶ全国イルミネーション第1位を獲得したとの・・・・ハウステンボス「光の王国」。
寒い中で見るイルミネーションは綺麗でしたが・・・TDLのディズニーシーに隣接する、ホテルミラコスタ宿泊での満足感には遠いものがあったような。。
街の中を散策して幻想的な光のショーを楽むには、徐々に激しくなってくる雨。そして強風と。。。
「光の王国」会場があるアートガーデンに立ち寄らず、帰って来てしまったのは悔やまれます。知らなかったのです。
案内が徹底していないと言うか、園内の広さの割りにスタッフの数が少ない。
全体を通して、ここは初心者にはわかりにくい構造・・・のように感じられました。
手作り感の感じられる可愛らしいイルミネーションはそこそこ良かっただけに、ハウステンボスの料金体制にはガッカリ後味の悪さが残ってしまいました。
ゲートをくぐり駐車場へと戻る頃には、霙交じりの強風が吹き、もう飛ばされるのでは…と思った。
イルミネーション見物の為結構な距離を歩いたり、移動もあり・・・寒さと、疲れで、早くホテルへ行きたーいとなってしまうのは当然の流れです。
そこで・・・⑧番の弓張の丘ホテルへと続くのでした。.
タグ:光の王国 ハウステンボス
冬の九州へ・・・⑧弓張の丘ホテル [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
ハウステンボスで楽しんだ「光の王国」
・・・と、その前に。
その夜宿泊したホテルについて書いてしまいます。
真冬の嵐襲来を思わせた…ハウステンボスをあとにして一路、この日泊まる宿へと急ぎました。
泊まったのは、九州の温泉を中心にして、西日本を広く旅されて旅行ブログを書かれている・・・「旅の達人」poohさんから教えて頂いたホテルhttp://poohsuke.blog.so-net.ne.jp/
行く前、ハウステンボスがあるのは長崎と思っていましたが、実際には長崎県佐世保市にあるのですね。
これまた知りませんでした。
ハウステンボスへのアクセスに優れていて、我が家向きに宿泊料金の抑えたところといった希望を伝えたところで…選んでくださったホテルです。
その3軒の中で宿泊料金が最も安い「弓張の丘(ゆみはりのおか)ホテル」にしたのは言うまでもない事。
これは翌朝のものです。
雨降る中、夜までハウステンボスで過ごして・・・佐世保市内から山間の方へと上っていく。。弓張岳の展望台近くにあるリゾートホテル。
そう、こちらのホテルは、九十九島や佐世保の街を一望できる丘の上にあるのです。
ライトアップされた、夜の玄関も良いムードでしたが…雨の中でしたので。。
山道を上っていくと、突如現れる・・・サーモンピンクの南欧風外観のホテル
中心街から車で15分ほどのところにある、標高約364mの弓張岳。佐世保市街が臨める弓張岳展望台を頂上に構える、佐世保を代表する山のひとつとか。
山の斜面に面して作られているため、玄関部分、ロビーは最上階になります。
清潔感のある明るい館内。これでディスクの上に生花が飾られていたらなぁ
客室からは九十九島や佐世保市街地を一望。
ベランダ付きで開放感のあるお部屋の、客室タイプはスタンダードダブル。
清潔なベッド、反対側が化粧スペースの付いたディスク周りになります。
バスルームと洗面台は別々となっていて。洗面スペースには、タオルが大サービス!大きめのバスタブは使いやすく思えました。
宿泊者限定の「ちょい呑みセット」というチラシが目についたものの、ギリギリの時刻で間に合わず。。
部屋のベランダからは・・・夜景がとても綺麗でした。
写真は雨が強く降っていた時のものなので、晴れていたらもっとず~~と綺麗に見えたかと思います。
佐世保市街の夜景は、日本夜景遺産にも選定されたほど。かつては旧海軍の港が置かれた港町は、現在も造船業などが盛んな模様です。
西海国立公園のすばらしい景色を望める「展望浴場」へは夫だけ、翌朝浸かってきました。
一夜明けて・・・
フロント、テラス部分から見えた・・・可愛いらしいプール。ここへは夏に遊びに来たいわ
プールへは勿論は入りませんけどね。
朝ご飯は5階の朝食会場「イルマーレ」で、ビュッフェスタイルのバイキングです。
長めの良いお席で、爽やかな朝食タイム。
和食も洋食も、どちらも品揃えはまぁまぁ。
パンのほかにフレンチトーストがあって、これ美味しかったです。
フルーツの種類の多さ、手作り感のあるフルーツジャムの種類も多く感じました。美味しい朝ご飯でした。
こちらのホテルの最大の魅力である佐世保市街と西海国立公園にも指定されている九十九島を臨む・・・。
天候さえ良かったら、九十九島と佐世保の街を一望。素晴らしいロケーションが楽しめたはずながら
フロントの対応も丁寧で感じ良くて、気持ちの良い素敵なホテルでした。
まるで海外にいるかのようなリゾートのムード・・・こちらの景色を見るためだけでも、宿泊する価値があるかと思います。
しばし、景色を楽しみ・・・
でも残念ながら、この日の行程は今回の中で最もハードなもの。
こちらもリベンジを果たさねば!
もう一度長崎のリゾートホテルのムードを!絶景気分を味わいたい
http://yumihari.club-manatee.co.jp/
・・・と、その前に。
その夜宿泊したホテルについて書いてしまいます。
真冬の嵐襲来を思わせた…ハウステンボスをあとにして一路、この日泊まる宿へと急ぎました。
泊まったのは、九州の温泉を中心にして、西日本を広く旅されて旅行ブログを書かれている・・・「旅の達人」poohさんから教えて頂いたホテルhttp://poohsuke.blog.so-net.ne.jp/
行く前、ハウステンボスがあるのは長崎と思っていましたが、実際には長崎県佐世保市にあるのですね。
これまた知りませんでした。
ハウステンボスへのアクセスに優れていて、我が家向きに宿泊料金の抑えたところといった希望を伝えたところで…選んでくださったホテルです。
その3軒の中で宿泊料金が最も安い「弓張の丘(ゆみはりのおか)ホテル」にしたのは言うまでもない事。
これは翌朝のものです。
雨降る中、夜までハウステンボスで過ごして・・・佐世保市内から山間の方へと上っていく。。弓張岳の展望台近くにあるリゾートホテル。
そう、こちらのホテルは、九十九島や佐世保の街を一望できる丘の上にあるのです。
ライトアップされた、夜の玄関も良いムードでしたが…雨の中でしたので。。
山道を上っていくと、突如現れる・・・サーモンピンクの南欧風外観のホテル
中心街から車で15分ほどのところにある、標高約364mの弓張岳。佐世保市街が臨める弓張岳展望台を頂上に構える、佐世保を代表する山のひとつとか。
山の斜面に面して作られているため、玄関部分、ロビーは最上階になります。
清潔感のある明るい館内。これでディスクの上に生花が飾られていたらなぁ
客室からは九十九島や佐世保市街地を一望。
ベランダ付きで開放感のあるお部屋の、客室タイプはスタンダードダブル。
清潔なベッド、反対側が化粧スペースの付いたディスク周りになります。
バスルームと洗面台は別々となっていて。洗面スペースには、タオルが大サービス!大きめのバスタブは使いやすく思えました。
宿泊者限定の「ちょい呑みセット」というチラシが目についたものの、ギリギリの時刻で間に合わず。。
部屋のベランダからは・・・夜景がとても綺麗でした。
写真は雨が強く降っていた時のものなので、晴れていたらもっとず~~と綺麗に見えたかと思います。
佐世保市街の夜景は、日本夜景遺産にも選定されたほど。かつては旧海軍の港が置かれた港町は、現在も造船業などが盛んな模様です。
西海国立公園のすばらしい景色を望める「展望浴場」へは夫だけ、翌朝浸かってきました。
一夜明けて・・・
フロント、テラス部分から見えた・・・可愛いらしいプール。ここへは夏に遊びに来たいわ
プールへは勿論は入りませんけどね。
朝ご飯は5階の朝食会場「イルマーレ」で、ビュッフェスタイルのバイキングです。
長めの良いお席で、爽やかな朝食タイム。
和食も洋食も、どちらも品揃えはまぁまぁ。
パンのほかにフレンチトーストがあって、これ美味しかったです。
フルーツの種類の多さ、手作り感のあるフルーツジャムの種類も多く感じました。美味しい朝ご飯でした。
こちらのホテルの最大の魅力である佐世保市街と西海国立公園にも指定されている九十九島を臨む・・・。
天候さえ良かったら、九十九島と佐世保の街を一望。素晴らしいロケーションが楽しめたはずながら
フロントの対応も丁寧で感じ良くて、気持ちの良い素敵なホテルでした。
まるで海外にいるかのようなリゾートのムード・・・こちらの景色を見るためだけでも、宿泊する価値があるかと思います。
しばし、景色を楽しみ・・・
でも残念ながら、この日の行程は今回の中で最もハードなもの。
こちらもリベンジを果たさねば!
もう一度長崎のリゾートホテルのムードを!絶景気分を味わいたい
http://yumihari.club-manatee.co.jp/
タグ:佐世保 弓張の丘ホテル
冬の九州へ・・・⑦ハウステンボスⅠ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
呼子で活きイカを堪能した後は・・・長崎のハウステンボスへと向かいます。
「光の王国」「日本一のイルミネーション」との謳い文句から・・・期待をしての訪問であったものの。。
なんと言ったらよいか、これは全く個人的な感想ながら・・・。
かなりガッカリスポットだった事から今回は辛口な内容となってしまうのでした。
ハウステンボスは創立以来赤字続きだったそうながら、大手旅行会社〇ISの経営傘下に入り現在は黒字だそう。。
何分にも行ったのが初めてなので、元がどうであったのかは不明ながら、訪問してみての・・・感想を書かせて頂きますね。
駐車場に車を置いて、パークIN。
マスクキャストの出迎えがあり・・・ハウステンボスへと入場。駐車場からの距離も相当あり、とにかく広い園内。
街の中心部・アムステルダム広場をはじめとして・・・ハウステンボスはオランダの街並みがモデルになっているとか。
オランダは訪問した事もないのでなんとも言えないものの・・・これまで旅したヨーロッパの街並みを思い出してみれば、結局はどれも外観を模しただけ、「fake」そのものと感じられました。
真冬でも、ハウステンボスの「ウリ」である植栽はあちこちにされていました。
園のシンボルタワーである「ドムトールン」、クルーザーの中から撮っています。もうすでに雨降り
タワーには早速、上ってみました。
遥か大村湾を望む、広大な景色
アムステルダムシティと、その先には海の玄関であるハーバータウン。
また運河の向こう側には、実際に生活してる人たちの街並みも見えました。
遠すぎて行けなかった…「光のベゴニアガーデン」。森になっている場所はその名の通り「フォレストビラ」、が続いて。。。
一際目立つ大きな建物は、ハウステンボス直営ホテルのひとつである「ホテルヨーロッパ」。アムステルダムにある同名ホテルを一段とグレードアップして再現したものだそう。。
また園内では全てで、「ベネチアの仮面祭を」彷彿とさせる・・・仮面舞踏会というイベントが開催中であった。
広場内では華やかな仮面舞踏会が開催されていて、ここにも仮面を付けたスタッフが多数。
イタリアのベニスは旅した経験あり、リド島のホテルにも宿泊しているからか、感じてしまった・・・ムリクリ感
東京ディズニーランド、東京ディズニーシーと比較しても・・・
TDLのショーやアトラクションのクオリティの高さは大人でもそれなりに楽しめるものと思えるのです。
アトラクションは必要としないから、入園ののみの「散策チケット3600円(ハウステンボス入場1日+パークバス1日乗車券)」で大丈夫と思いましたら・・・窓口で「それではクルーザーも乗れませんし、後からプラス料金を支払ってもアトラクションの利用は無理なんです」と、「1DAYパスポート6,100円」を勧められて・・・。
大村湾へのクルーズ船はドッグ入りしていたし、新しい施設の入館、大観覧車に乗るにしてもプラス金額がかかるなど。。結果的には、散策チケットでもじゅうぶんであったような
料金と内容が見合っていない感じを受けてしまうのであった。
チョコレートをテーマにした仕掛けがいっぱいの、エンターテインメントハウス「ショコラ伯爵の館」。
館の中央には6mの板チョコオブジェがドーン!
チョコドリンクが出てくる魔法の蛇口や、チョコレート色のコスチュームなど。プラス料金の入館チケットは限定デザインの板チョコレートと、チョコレートだらけの施設でした。
宝塚みたいなのかな?と期待した・・・ハウステンボス歌劇団のショータイムの間には、二回も居眠りをしてしまった私。
ショーの後にはお決まりの記念撮影会、メインスターのCD販売と…。
常に支払いが強いられているような別料金の発生、伴わない内容から・・・下がり続けるテンション
スタッフ、ゲスト間のコミュニケーションにしても、マニュアル通りであったり、レベルの低さが感じられるなど・・・また来ようと思えるものは感じられませんでした。
ホスピタリティーに力を入れて、それだけの従業員を揃えているディズニーランド、ディズニーシーと比較しても仕方がないのだけれど。。。
私の様にディズニーランド感覚で行ったら、ガッカリするところなのでしょうね。
園内のホテルに宿泊をして、ノンビリとする。
またはチューリップ、薔薇の花の咲き乱れる季節。快晴の空の下であったなら・・・もっとユッタリとした気持ちで楽しめた事でしょう
夕ご飯は早めに・・・チャンポン専門店「悟空」で。
平日だけにこちらもガラガラ、空席ばかり目立つ中で・・・チャンポンと飲茶のセットを食べました。味はごく普通って感じかな。
スイマセーン。ネガティブな事ばかり書き連ねてしまったのだけれど、営業妨害を目的とするものでは決してありませんので。。。
「光の王国」は、次回にでも。。続く。
「光の王国」「日本一のイルミネーション」との謳い文句から・・・期待をしての訪問であったものの。。
なんと言ったらよいか、これは全く個人的な感想ながら・・・。
かなりガッカリスポットだった事から今回は辛口な内容となってしまうのでした。
ハウステンボスは創立以来赤字続きだったそうながら、大手旅行会社〇ISの経営傘下に入り現在は黒字だそう。。
何分にも行ったのが初めてなので、元がどうであったのかは不明ながら、訪問してみての・・・感想を書かせて頂きますね。
駐車場に車を置いて、パークIN。
マスクキャストの出迎えがあり・・・ハウステンボスへと入場。駐車場からの距離も相当あり、とにかく広い園内。
街の中心部・アムステルダム広場をはじめとして・・・ハウステンボスはオランダの街並みがモデルになっているとか。
オランダは訪問した事もないのでなんとも言えないものの・・・これまで旅したヨーロッパの街並みを思い出してみれば、結局はどれも外観を模しただけ、「fake」そのものと感じられました。
真冬でも、ハウステンボスの「ウリ」である植栽はあちこちにされていました。
園のシンボルタワーである「ドムトールン」、クルーザーの中から撮っています。もうすでに雨降り
タワーには早速、上ってみました。
遥か大村湾を望む、広大な景色
アムステルダムシティと、その先には海の玄関であるハーバータウン。
また運河の向こう側には、実際に生活してる人たちの街並みも見えました。
遠すぎて行けなかった…「光のベゴニアガーデン」。森になっている場所はその名の通り「フォレストビラ」、が続いて。。。
一際目立つ大きな建物は、ハウステンボス直営ホテルのひとつである「ホテルヨーロッパ」。アムステルダムにある同名ホテルを一段とグレードアップして再現したものだそう。。
また園内では全てで、「ベネチアの仮面祭を」彷彿とさせる・・・仮面舞踏会というイベントが開催中であった。
広場内では華やかな仮面舞踏会が開催されていて、ここにも仮面を付けたスタッフが多数。
イタリアのベニスは旅した経験あり、リド島のホテルにも宿泊しているからか、感じてしまった・・・ムリクリ感
東京ディズニーランド、東京ディズニーシーと比較しても・・・
TDLのショーやアトラクションのクオリティの高さは大人でもそれなりに楽しめるものと思えるのです。
アトラクションは必要としないから、入園ののみの「散策チケット3600円(ハウステンボス入場1日+パークバス1日乗車券)」で大丈夫と思いましたら・・・窓口で「それではクルーザーも乗れませんし、後からプラス料金を支払ってもアトラクションの利用は無理なんです」と、「1DAYパスポート6,100円」を勧められて・・・。
大村湾へのクルーズ船はドッグ入りしていたし、新しい施設の入館、大観覧車に乗るにしてもプラス金額がかかるなど。。結果的には、散策チケットでもじゅうぶんであったような
料金と内容が見合っていない感じを受けてしまうのであった。
チョコレートをテーマにした仕掛けがいっぱいの、エンターテインメントハウス「ショコラ伯爵の館」。
館の中央には6mの板チョコオブジェがドーン!
チョコドリンクが出てくる魔法の蛇口や、チョコレート色のコスチュームなど。プラス料金の入館チケットは限定デザインの板チョコレートと、チョコレートだらけの施設でした。
宝塚みたいなのかな?と期待した・・・ハウステンボス歌劇団のショータイムの間には、二回も居眠りをしてしまった私。
ショーの後にはお決まりの記念撮影会、メインスターのCD販売と…。
常に支払いが強いられているような別料金の発生、伴わない内容から・・・下がり続けるテンション
スタッフ、ゲスト間のコミュニケーションにしても、マニュアル通りであったり、レベルの低さが感じられるなど・・・また来ようと思えるものは感じられませんでした。
ホスピタリティーに力を入れて、それだけの従業員を揃えているディズニーランド、ディズニーシーと比較しても仕方がないのだけれど。。。
私の様にディズニーランド感覚で行ったら、ガッカリするところなのでしょうね。
園内のホテルに宿泊をして、ノンビリとする。
またはチューリップ、薔薇の花の咲き乱れる季節。快晴の空の下であったなら・・・もっとユッタリとした気持ちで楽しめた事でしょう
夕ご飯は早めに・・・チャンポン専門店「悟空」で。
平日だけにこちらもガラガラ、空席ばかり目立つ中で・・・チャンポンと飲茶のセットを食べました。味はごく普通って感じかな。
スイマセーン。ネガティブな事ばかり書き連ねてしまったのだけれど、営業妨害を目的とするものでは決してありませんので。。。
「光の王国」は、次回にでも。。続く。
冬の九州へ・・・⑥呼子のイカを食べる [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
佐賀県唐津市の呼子と言えばイカ、イカと言ったら呼子。
行ってみるまで、私はよびこと読んでいましたが・・・「よぶこ」なのですね。
メインはやはり、石川県の輪島、岐阜県の高山と並ぶ・・・「日本三大朝市」として有名な・・・呼子の朝市。
その始まりは大正の初期ごろとされて、正月元旦だけが休みであとは年中無休。
朝7時半から11時頃まで、山海の幸をそろえた出店が並ぶ。その間は歩行者天国・・・と言われるくらいなのだから。。
朝市周辺は当然、呼子の顔とも言えるところ。
・・・のつもりで、張り切って7時過ぎにホテルを出発
しかし、いざ行ってみましたら・・・あれ!誰もいない。
露天は数店開きはじめていたものの・・・私達だけの貸切って、こんなのイヤだわ
店の方の方に伺ってみましたら、冬の時期でも週末にはそれなりの人出があるけれど。。週の半ば頃の来客数としては・・・私達の行った水曜日が一番少ないとのこと。
その上時間的にも早くて、活きイカの食べられる食堂もまだやっていませんでした。
朝市通りのはずれにある「中尾甚六屋敷」は、250年ほど前に立てられた鯨組の頭の住まい。
呼子って、古くは捕鯨で栄えた街なのだそうです。
外観からも、漁港として発展した・・・当時のままの風情を残している様子が感じられました。
「新さが百景」の一位に選出されたとの・・・呼子大橋。
呼子大橋を通って加部島へと渡ってみました。海辺のドライブはどこへ行っても、どこを通っても、気持ちの良いものです。
加部島も同じく・・・イカと、ミカンの島でした。
これは諦めるしかないかと思ったところで、夫が「さっき朝市へ行く途中、Uターンした場所があっただろう?」「もしかしたら、あそこで食べられるかもしれない」って。
敷地内に「呼子台場の湯」と書かれた=入浴施設のあるセンターって感じのところながら・・・戻ってみました。・・・結果的にはOK!であった、「呼子台場みなとプラザ」。
彼のこんなところ、「野性の勘」は大したものなんです。
店内には新鮮な魚介をはじめ、加工品であるイカの一夜干しや鰺みりん干し、イカしゅうまいなど・・・多彩なお土産品、加工品、地域でとれた野菜、果物など様々な食材が並べてありました。
建物の左手にビニールで囲いのされた、バーベキューコーナーがあるのです。
店内の生簀では、二種類のイカが・・・悠然と泳いでいました。
その場で切り身にしてもらって持ち帰ることも出来ますけれど、ここは当然バーベキューテラスの方で頂く事に。
炭や調味料、食器類は別料金ながら、買った食材がその場で食べられる、これ程の贅沢ってありませんものね
こちらは漁協直営の直売所だそうで・・・水揚げされたばかりのヤリイカを、お刺身に作ってもらいましょう。
透き通っている、ヤリイカの身。これが食べたかったのおぉ
口に入れると、足の吸盤が吸い付いてきました。
まだ「くねくね」と泳いでいたイカは・・・新鮮で、だから透明で、甘くて美味しい。
これを食べたら、イカに対するイメージが変わりますよ
年間を通して比較的低い海水の温度と、荒波が育んだとの・・・玄界灘のイカ。
イカのコリッとした食感、あとで甘さが強く感じられる・・・深い味わいが楽しめました。
スーパーや生協で買うイカのお刺身はそれ程美味しいと思わなかったのに、活き造りはやはり「格」が違いますね。
直売所で購入した魚介類は、炭火で焼いて食べます。
バーベキューも面白かった。全て込みでそれ程の金額ではなかったに関わらず・・・食べ応えのある量でした。
焼いたのは、生牡蠣とハマグリ。
お刺身用として売られていた・・・赤い色、可愛いブドウイカも、サッと焼いて、サッと食べる。
柔らかな身がスルッとして美味しかった
5枚もあって多いかと思っていた・・・鯵のミリン干し、これまた香ばしくて旨い!
ご飯ものが食べたくなったら、握りずしコーナーへ。
生エビ・太刀魚・鯵・ヒラメのエンガワ。中でもヒラメのエンガワは身が厚く食べごたえあり…これまで食べていたものは何だったのでしょう?と思ってしまうくらいの味わいが感じられました。
夫は、炊き込みご飯のおにぎりを食べていました。
時々、様子を見に来てくれたのは漁師さんなのかな?
前日までは「時化」で全く獲れなかったヤリイカ。私達が食べたものは、今朝漁師さんがもってきてくれたばかりだと言う。
「だから、今日のお客さんはラッキーなんです!」だって。
「ここで食べて1000円のものが、朝市近くのちゃんとした店で食べると倍以上。そしてそれが博多の天神になると、5000円近くなっちゃいますから」ですって。
http://tairyousenka.jp/
玄海町で出会えた、絶景スポット・・・・「浜野浦の棚田」です。
季節がら綺麗とは言えないものの、自称「棚田マニア」である私。今回観た棚田は、最南端のものとなるでしょうか。
ここは是非、初夏の頃。または実りの秋に訪れたいところですね。
こうして向かった先は、「世界一のイルミネーション」と言われる・・・例のところなのでした。
続く。
冬の九州へ・・・⑤唐津です [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
次は、こちらも初めてである佐賀県へと参ります。
こちらはまだ、福岡市内。
北九州のメガシティ、福岡の・・・オシャレなビル群。
なんかこうして見たら・・・、NYのマンハッタン島みたい。・・・って言い過ぎね
二日めの宿は、唐津城が望める「唐津第一ホテルリベール」でした。
玄界灘沿いの舞鶴公園にそびえる、唐津城。
チェックインまでに時間があったから、夕方見に行ってしまいました。
唐津城は豊臣秀吉の家臣である、寺沢志摩守広高によって、慶長7年(1602)から7年の歳月を費やして築城されました。
東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれているとか。
城内まで入るには時間も迫っていたから・・・とりあえず上まで。
しかし石垣修復工事を行っていたりで、まずは入り口がわかりずらかった。有料のエレベーターでお城まで上り下りできるのは良いけれど、風情は感じられません。
天守閣のそびえる敷地からは、玄界灘と虹の松原の雄大な景観。松浦川と城下町唐津の風景を眺める一時。
天守の周りに数多く植えられた樹木は、桜。
開花の時期は、さぞかし見事であろうと思われました。
天守閣からの眺めは格別です!虹の松原,鏡山の風光明媚な「松浦潟」の雄大な景色が一望出来た・・・。
沖に浮んだ高島、宝当神社で有名なところだだそうです。
空と雲、海面まで、色合いがグラデーションしていた・・・西の浜海水浴場。
リバーサイドに建つホテルは、思っていたより立派でした。ただホテル周辺に夕ご飯をとるところがなくて、それで色々探しまわったりしていたから、到着した頃にはにこんなに暗く。
楽しみにしていた夕日が沈む時刻には間に合わず。。また食事も簡単に済ませてきてしまいました。
だって翌日は、今回の旅で楽しみにしていた・・・グルメスポットまで足を運ぶ予定もありますし・・・ね。
館内のロビーは広く、シティホテルとビジホの中間って感じながら。。
建物は大きいけれど、小ぢんまりとしたお部屋。
ベッドの上に置いてあった薄茶色の部屋着、これ上下に分かれた甚平だったから・・・着る時も、寝ている時も楽チンでした。
松浦川を向いたダブルの客室は、至ってシンプルそのもの。
平日であったこの日の宿泊客は出張等の利用なのか、ビジネスマンがほとんど。大浴場完備と言うところが高ポイントなのかも。
唐津城ビューと言うだけでなく対岸の灯りも見えて、川面にも写りこんだ様子は中々ロマンチック
景色を眺めつつ、「一番搾りとれたてホップ」でボォ~~
こんな事して、遊んでみたり・・・。
唐津の街の中心部からは離れていますが、清潔な館内とお部屋。このようなロケーションも楽しめました。
どうにか撮れた。松浦橋とライトアップされた・・・対岸に建つ唐津城。
唐津も初めてでしたが、機会があればまた訪れたい。次回はもう少しゆっくりと!
次は、イカの町・呼子まで行きますよ~~。
こちらはまだ、福岡市内。
北九州のメガシティ、福岡の・・・オシャレなビル群。
なんかこうして見たら・・・、NYのマンハッタン島みたい。・・・って言い過ぎね
二日めの宿は、唐津城が望める「唐津第一ホテルリベール」でした。
玄界灘沿いの舞鶴公園にそびえる、唐津城。
チェックインまでに時間があったから、夕方見に行ってしまいました。
唐津城は豊臣秀吉の家臣である、寺沢志摩守広高によって、慶長7年(1602)から7年の歳月を費やして築城されました。
東西に伸びる松原が両翼を広げた鶴のように見えることから、別名「舞鶴城」と呼ばれているとか。
城内まで入るには時間も迫っていたから・・・とりあえず上まで。
しかし石垣修復工事を行っていたりで、まずは入り口がわかりずらかった。有料のエレベーターでお城まで上り下りできるのは良いけれど、風情は感じられません。
天守閣のそびえる敷地からは、玄界灘と虹の松原の雄大な景観。松浦川と城下町唐津の風景を眺める一時。
天守の周りに数多く植えられた樹木は、桜。
開花の時期は、さぞかし見事であろうと思われました。
天守閣からの眺めは格別です!虹の松原,鏡山の風光明媚な「松浦潟」の雄大な景色が一望出来た・・・。
沖に浮んだ高島、宝当神社で有名なところだだそうです。
空と雲、海面まで、色合いがグラデーションしていた・・・西の浜海水浴場。
リバーサイドに建つホテルは、思っていたより立派でした。ただホテル周辺に夕ご飯をとるところがなくて、それで色々探しまわったりしていたから、到着した頃にはにこんなに暗く。
楽しみにしていた夕日が沈む時刻には間に合わず。。また食事も簡単に済ませてきてしまいました。
だって翌日は、今回の旅で楽しみにしていた・・・グルメスポットまで足を運ぶ予定もありますし・・・ね。
館内のロビーは広く、シティホテルとビジホの中間って感じながら。。
建物は大きいけれど、小ぢんまりとしたお部屋。
ベッドの上に置いてあった薄茶色の部屋着、これ上下に分かれた甚平だったから・・・着る時も、寝ている時も楽チンでした。
松浦川を向いたダブルの客室は、至ってシンプルそのもの。
平日であったこの日の宿泊客は出張等の利用なのか、ビジネスマンがほとんど。大浴場完備と言うところが高ポイントなのかも。
唐津城ビューと言うだけでなく対岸の灯りも見えて、川面にも写りこんだ様子は中々ロマンチック
景色を眺めつつ、「一番搾りとれたてホップ」でボォ~~
こんな事して、遊んでみたり・・・。
唐津の街の中心部からは離れていますが、清潔な館内とお部屋。このようなロケーションも楽しめました。
どうにか撮れた。松浦橋とライトアップされた・・・対岸に建つ唐津城。
唐津も初めてでしたが、機会があればまた訪れたい。次回はもう少しゆっくりと!
次は、イカの町・呼子まで行きますよ~~。
タグ:唐津の街 唐津城
冬の九州へ・・・④海ノ中道、志賀島へ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
ノープランでやって来た私達、ホテルスタッフさんからお勧めされた場所はもう一か所。
海辺の光景を楽しむのであれば、「海ノ中道」辺りはどうでしょう!」との事。
私でも「海ノ中道」の地名は聞いた事あったような・・・。
計画もたてずにやって来てしまった今回は、とにかくそれで決まりです!
博多の中心部から車で1時間ほどのところにある海ノ中道は、「日本の白砂青松百選」にも選ばれた風光明媚な地。
全長約8km、最大幅約2.5kmの巨大な砂州で、北は玄界灘、南には博多湾がある。
さらに足を延ばしたところにあるのが志賀島です。
島と言っても海ノ中道とは陸続きであり、道路が通じているので車で行けます。一周しても20分くらいで、博多湾(内海)と玄界灘(外海)と両方の風景が楽しめました。
昔習った歴史の教科書で・・・
九州の農民が田んぼを耕している最中に、偶然「「金印(漢委奴国王印)」を発見した。・・・とありましたが。それがこの志賀島であったなんて知らなかったわぁ
島には国宝である「金印」が発掘された場所であるとして、「金印公園」なる場所もあるのです。漢の光武帝から贈られたという・・・金印は、このようなところで発見されたのですね。
島内で最も眺めの良い、「潮見公園展望台」から周囲を眺めて楽しんだ。
海ノ中道は勿論、博多の街々、ヤフードームまで。360度のパノラマが望めました。
風は少しはあったものの、、ピンと張りつめた空気が気持ち良い
「リツ子・その愛」や「火宅の人」などの著作で知られる・・・作家・檀一雄が、妻の律子を結核で亡くしたのも、先に記した福岡県の糸島でしたが・・・。
晩年を能古島に移り住んで過ごした彼は「火宅の人」を書き上げ、その生涯を終えたそうです。
島の中のくぼ地、海風が吹き込まなくて温かなのでしょうか?
至る所に植えてあった、鮮やかなオレンジ色の実の付いた木。
島に入ってすぐの入り口近くで・・・夫が見つけた、ミカンの無人販売所です。
前を走っていた車も停まって、常連さんなのかな?偶然にも買い求める姿を目撃
こちらで買ったポンカンの美味しかった事
旅行中の数日で食べきってしまったのだけど、バカ旨と言いたいくらいに美味しいミカンでした。
それ以外にも、島内のあちこちで目にした水仙の花。一月とは思えない温かさを感じました。
途中立ち寄りした・・・「海の中道 海辺の里」は道の駅のような施設。
外観は・・・・・???
http://www.wj-public.co.jp/works/umibe/
食堂の他、広いフロアー内には志賀島をはじめ周辺で採れた新鮮なお野菜が並ぶ。
その他にも、地元で獲れたのでしょう。
珍しい魚たちが安価な値段で売られていました。
生け簀の脇には選んだ食材の調理が頼める窓口があって、地元の方でしょうか?お刺身を頼んでいたから…
それを真似をした、私達。
実はここへは、志賀島へ渡る前に一度立ち寄りをして・・・帰りもまた来店したのです。
だからレジのお姉さん、私達を見て「ニコッ」。
「お昼ご飯をここで」と言いますと、島の食堂で食べてくるものと思っていたようで・・・。
行きに見たお寿司がなくなっていたら、「すぐに作りますから、待っていてもらえますか?」とか、「これは特別です」ってお茶のサービスがあったり・・・何かと気遣って頂いてしまいました。
飛魚のお刺身です。珍しいでしょう
プラス100円だったかしら・・・で調理を。そしてまたプラス料金でお箸やお醤油のオーダーが出来ます。
お刺身には最初から、大根のツマや大葉などは付きませんとあって。でも見た目等の体裁、「名」よりも「実」をとる私達です。
大きな玉子が巻かれた海苔巻き、揚げたてのコロッケに、サザエのつぼ焼きも。
フロアーの奥にあったテーブル席で、地元の「旬」の味をリーズナブルな料金で済ませてしまった私達。
併設のちゃんとした食堂で食べていた方達にはゴメン
この日は好天に恵まれたせいもあり、結果としては大成功であった。
志賀島を取り巻く自然と景観の美しさ
福岡湾を囲む・・・海ノ中道と志賀島がつらなる・・・海ノ中道エリア、とてもお勧めです。
これからの時期は、色々な花々も咲き乱れると言う・・・海ノ中道海浜公園は特に、家族連れが楽しめるスポットでありましょう
タグ:福岡 海ノ中道 志賀島
冬の九州へ・・・③太宰府天満宮 [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
福岡の中心街、天神は・・・何をするにも便利な立地です。
ホテルから歩いて、予約してあったレンタカー店へ。バジェットなんて・・・聞いた事もない外資系チェーンだったけど、スタッフさんはみんな親切でした。
前夜の居酒屋さんへの道中でも感じた、真冬だと言うのに福岡は全然寒くない
「九州って、やっぱり温かなのね」って。しかしそう決めつけてはいけないと、この後実感してしまったのだけれど
ゼラニウムやガザニア、水仙など家の方では屋内に入れておかなくてはいけない植物が、普通に道路脇で咲いているのです。
パンジーやビオラは当然、元気そのものでした。
見上げれば間近に・・・数分おきに離発着する航空機の姿があり・・・。空港は大きいし、地下鉄は走っているし・・・。
新幹線も見たりで、どこを観ても博多ってスゴイ街だなぁ~って、まるでお上りさん状態であった私
初めてであった九州、初めての福岡です。しかしとにかく時間がなくて、特にどこへ行こうとか決めていませんでした。
ホテルのフロントで伺ったところ、まずは・・・梅の開花には早いものの・・・福岡県の中部に位置する、歴史ある太宰府天満宮がお勧めとか。
太宰府市には「学問の神様」と崇められる菅原道真公を祀った太宰府天満宮など…多くの史跡あり。。
太宰府天満宮は毎年、受験生をはじめとして・・・多くの参拝客があると言われる。
前日までの連休とは違って、平日であったこの日。それでもそれなりに観光客の姿がありました。
特に目立っていたのが、お隣のC国から来た方々
漢字の「心」の字を象った池に掛かる、御神橋三橋。この橋を渡ると身も、心も清められるのだそうです。
太宰府天満宮は、菅原道真公の墓所の上に社殿を造営して、その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社。
「学問・至誠・厄除けの神様」として、国内はもとより広く世の崇敬を集め、年間約700万人もの参拝者が訪れているのだそう。。
祭神である菅原道真公は、当代一流の学者であり、優れた政治家でもありました。
しかし57歳の時、時の左大臣藤原時平の謀略により大宰権帥に左遷となります。無実の罪が晴れることなく、約2年後、59歳で逝去しました。
道真公の死後、都で疫病や災難が続いたため、都の人々は「道真公の祟り」と恐れ・・・。
919年に藤原仲平の命令により、御本殿を建てたのが太宰府の始まりで・・・今の本殿は小早川隆景が1591年に建立、国の重要文化財となりました。
都から太宰府へと流される「命」を受けた・・・道真は、屋敷内の庭木のうちでもとりわけ愛でた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだとされる。
梅の木について詠んだのが、次の歌である。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
境内には約200種、6,000本とも言われる、梅の木がありました。
早咲き・遅咲きなどあり…そんな中、こちらの「飛梅」は毎年一番に咲きはじめると言う。
太宰府天満宮本殿に向かって右側にある、御神木「飛梅」。
晴れ上がった青空に、満開の飛梅が咲く様子は、美しく映える事でありましょう
飛梅は菅原道真公を慕って、一夜にして都から飛んで来たという伝説をもつ特別の梅なのです。
私達の訪問した2日後に、一輪の飛梅が開花したそうです。昨年より16日も早い開花だったとか。
境内の梅は例年2月上旬から3月中旬ごろが見頃だそう。その辺り、関東との違いはなさそうです。
その代りに・・・池の畔で、黄色い蝋梅の花が咲いていました。この冬一番の蝋梅です。
おみくじも勿論引いてみます。
何が出たかって?
ふふふ・・・それは当然、私の事!
結果は見事、「大吉」だよ
書かれた、中身は・・・
旅行:よろし、願望:望外の喜びあれど油断は禁物、病気:軽くてすむ。他にも・・・万事に誠意を尽くせ。思いこと叶う。。。
しかしだからと言って、調子にのってはイケナイ。ってこれはまさに私に向けての言葉なり!?
「いちばん必要な言葉」を授けてくれる、神様からのメッセージだって思えました。
昨年のお正月、地元の神社で引いたものも「大吉」でした。まぁまぁの一年間であったかと思います。
だから今回も書かれている内容を心に留めて、この一年を無事にのりきっていきたいと改めて思った次第でした。
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/
太宰府天満宮の境内には数十本のクスノキ、「天神の森」があり、これらのクスノキは福岡県の天然記念物に指定されているとか。。
一番迫力があって 神々しさが感じられた・・・クスノキがこちら。
太宰府駅からの・・・参道に建ち並ぶ、多くの土産物店や食事処。
やはり最も目立っているのは、店先で焼かれる「梅ヶ枝餅」と、文字が書かれたのぼりでした。
ひとつひとつ丁寧にこんがり焼いた、太宰府名物「梅ケ枝餅」は・・・皮がパリッと香ばしくて。。もち米とうるちのもっちりとした食感の生地を手焼きした。中に詰められた優しい甘さの粒あんも特徴である。
人気の「寺田屋」さんに並んで、ゲット焼きたてほかほかの味は、ここでしか味わえない美味しさです
帰りの空港でも思わず買って来てしまったのでした。こちらは「かさの家」さんの5個入り。
25日は道真公の月命日。地元では“天神さまの日”と言って、月に一度、25日限定でよもぎの梅ヶ枝餅が食べられるのだそうです。
続きます。。
冬の九州へ・・・②博多の夜を堪能~♪ [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
泊まったホテルで紹介されたのは・・・繁華街・天神にも近い、「たら福 大名店」さん。
年数の経った建物は、雑然とした構え。よく言えば古民家風といった風情が漂う・・・外観です。
奥がお座敷席ながら、手軽なカウンターの方に着席。
スタッフさん、来店していたお客さん。どちらも若くて、活気の感じられる居酒屋さんでした。
このお店は海鮮居酒屋さん、そして「博多と言えば、やはりイカ!」だそう。
お店のウリである、イカ活造りからいきたいところながら・・・翌々日の佐賀では、イカで有名な呼子まで行く予定である事から・・・この時は我慢。
お通しの小鉢はさつま揚げの煮物、サラスパだったかしら?どちらもショボかった
ドリンクオーダー・・・夫は「生」、私は日本酒の「ひや」いっちゃいま~す。
コップ酒が枡から溢れるくらいナミナミ~~・・・こう言うのって、オトコだねぇ、良いねぇ
九州らしいキビナゴものった、お刺身の7点盛りは身が厚くてボリューム満点!分厚く切った生蛸が美味しかったです
海老とアボガドのサラダも、タップリの量ですね。アボガドが沢山のって、言う事ありません。
博多と言えば、鶏。鶏の水炊きは食べなくちゃ。
骨付きの身の入ったお鍋に、鶏ミンチは野菜と共に後から入れました。
お鍋に揚げ物どちらも、青味の強い博多ネギがタップリと添えられています。
揚げたてをハフハフしながら食べた・・・キスと野菜の天ぷら。
美味しいのは、勿論なのでした
マネージャー?シェフ?の出身地だと言う糸島、糸島の名産と言う糸島豆腐の「あげ」です。
糸島と言うから、普通に島かと思いましたら・・・糸島は、福岡県最西部に位置する土地なのですね。
翌日の宿が佐賀の唐津だった関係で通り過ぎてしまったのだけど、福岡西部の糸島エリアは、海あり山あり、おしゃれなカフェや工房、窯元やパン屋が点在する・・・観光スポットのひとつでもあると言う。
そんな糸島産のにがりを使った、豆腐料理「糸島あげ」は、 絹ごし豆腐の厚揚げです。
外側の食感は、カリッ!でも中はふんわりと・・・見た目は地味ながら、これ、絶品!
店名の「たら福」に偽りなし。
それ程でもないのに、「たらふく食べた」気分になれたお店でした。
店内に掛かっていた木製の電話機。
アニメ「となりのトトロ」で、お母さんの病院からの電話をさつきちゃんが受けていたシーンが思い出されます。
出来上がってしまった夫と私、ホテルへ戻った後はお風呂にも入らず、ベッドに倒れこんで朝を迎えてしまったのであった。。
味も良くて、コスパも良い、気持ち良く酔えるお店でした
年数の経った建物は、雑然とした構え。よく言えば古民家風といった風情が漂う・・・外観です。
奥がお座敷席ながら、手軽なカウンターの方に着席。
スタッフさん、来店していたお客さん。どちらも若くて、活気の感じられる居酒屋さんでした。
このお店は海鮮居酒屋さん、そして「博多と言えば、やはりイカ!」だそう。
お店のウリである、イカ活造りからいきたいところながら・・・翌々日の佐賀では、イカで有名な呼子まで行く予定である事から・・・この時は我慢。
お通しの小鉢はさつま揚げの煮物、サラスパだったかしら?どちらもショボかった
ドリンクオーダー・・・夫は「生」、私は日本酒の「ひや」いっちゃいま~す。
コップ酒が枡から溢れるくらいナミナミ~~・・・こう言うのって、オトコだねぇ、良いねぇ
九州らしいキビナゴものった、お刺身の7点盛りは身が厚くてボリューム満点!分厚く切った生蛸が美味しかったです
海老とアボガドのサラダも、タップリの量ですね。アボガドが沢山のって、言う事ありません。
博多と言えば、鶏。鶏の水炊きは食べなくちゃ。
骨付きの身の入ったお鍋に、鶏ミンチは野菜と共に後から入れました。
お鍋に揚げ物どちらも、青味の強い博多ネギがタップリと添えられています。
揚げたてをハフハフしながら食べた・・・キスと野菜の天ぷら。
美味しいのは、勿論なのでした
マネージャー?シェフ?の出身地だと言う糸島、糸島の名産と言う糸島豆腐の「あげ」です。
糸島と言うから、普通に島かと思いましたら・・・糸島は、福岡県最西部に位置する土地なのですね。
翌日の宿が佐賀の唐津だった関係で通り過ぎてしまったのだけど、福岡西部の糸島エリアは、海あり山あり、おしゃれなカフェや工房、窯元やパン屋が点在する・・・観光スポットのひとつでもあると言う。
そんな糸島産のにがりを使った、豆腐料理「糸島あげ」は、 絹ごし豆腐の厚揚げです。
外側の食感は、カリッ!でも中はふんわりと・・・見た目は地味ながら、これ、絶品!
店名の「たら福」に偽りなし。
それ程でもないのに、「たらふく食べた」気分になれたお店でした。
店内に掛かっていた木製の電話機。
アニメ「となりのトトロ」で、お母さんの病院からの電話をさつきちゃんが受けていたシーンが思い出されます。
出来上がってしまった夫と私、ホテルへ戻った後はお風呂にも入らず、ベッドに倒れこんで朝を迎えてしまったのであった。。
味も良くて、コスパも良い、気持ち良く酔えるお店でした
タグ:糸島豆腐 博多 たら福 海鮮居酒屋
冬の九州へ・・・①福岡空港まで [2015・1月福岡・佐賀・長崎]
気がつけば一月も後半、明日は「大寒」ながら・・・それにしても春の到来が待たれる・・・厳冬の日々が続きますね。
さて、新春旅一弾となる・・・今回の行き先は九州でした。
前回旅した、山陰までの空の旅。
その時の「安・近・短」イメージに則した、茨城空港発のスカイマーク便にハマった私達です。
だから先週利用したのも、「茨城空港発 スカイマーク便 福岡1泊5日旅」。
リーズナブルな運賃、無駄をなくした・・・ローコストでエコな旅は・・・まさに我が家向きそのもの。
華やかに生花が活けられていたり、新春らしいムードが漂う・・・空港の中。
茨城空港は空港自体がコンパクトなため、羽田や成田に比べてターミナルビル内の移動、搭乗までの時間がとにかく短い。
搭乗手続きもあっと言う間に終了してしまうのでした。
スーツケースを預けてしまったあとは、空港内でお昼にしましょう。
こちらに入っている食事処は「Sぎのや」さん。
ソースかつ丼と常陸蕎麦のセットで。おそばの麺の味と食感はまぁまぁでした、しかしソースかつ丼は本場の味と比較したら、どう考えても???
こちらでは帰路にも、ラーメンとキノコ蕎麦を食したものの・・・どうしても、やはりファミレスの味そのものね
それでもまだ時間があったものだから、コーヒーを飲みながら展望フロアーを眺めて・・・ボゥーッ
館内の売店やショップを見て周ったりして・・・ようやく搭乗時刻に。
搭乗口から航空機へ。
一般的にはボーディングブリッジと呼ばれる廊下を通って乗降となるものながら、茨城空港ではパッセンジャーステップを使用して乗り降りします。パッセンジャーステップとは、要するに移動式の階段です。
離島の空港などごく一部をのぞいて、使っている空港は国内でもはかなり珍しいとか。
料金を考えたらそのくらいの不便さなど、どうって事のない私。
福岡便の機体は今回も、三列シートの「ボーイング737型機」。
決して広いとは言えないけれど、ベージュの合皮張りの座席は特に狭いとも感じず。シートにはビデオ、音楽サービスはなく、ドリンクも有料です。
今回は「キリン一番搾り」、おつまみ付き200円なりを購入してみました。
自販機よりもリーズナボーながら、ミニサイズの250mlでした。
ドリンク類の持ちこみも可能など・・・正確にはLCC(格安航空)ではないながらも、機内サービスはとにかくシンプルそのものなのです。
離陸後しばらくして見えるかなぁと思っていたら・・・見て
ご覧のように、富士山の姿が。。
周囲の外輪まで、ハッキリ、クッキリと良く見えて、これだけでも嬉しい。
真冬とはいえ、これ程富士山の姿が見えたのは、珍しいものと感じられました。
それ以外にもチョコを食べていたりしていたら、程なく・・・九州とは。早っ!近っ!
到着時刻には遅れたものの、夕刻には福岡空港に到着をしました。
福岡空港って地方空港なのに広くて、大きい。そして福岡の街は都会そのものです。
その後、地下鉄に乗って…この日の宿に到着。
地下鉄空港線の「赤坂駅」近くにある、「プラザホテル天神」。
予約したのは、ツアープランに少々追加料金を支払ったホテルでした。
交通の便が良い、福岡の中心・天神まで徒歩圏内(大名)に位置しています。
一見、普通のマンションみたいな・・・ホテルとは思えない外観。
洋書や写真集が並ぶライブラリーもある、ホテルロビー。
お部屋は、シングルベッドが並ぶエコノミーツイン。寝るだけなら充分な広さに思います。
自分で予約をしても同じくらいの料金でベッドはひとつだから、追加料金の発生があってもお得な気分。
夕食は外でとったため利用していませんが、館内にもレストランと、バーがありました。
朝ご飯は、ホテル一階にある「やさい家めい BASSIN」で、和食ブッフェを頂きました。
都内を中心にして30店舗あまりOPENしている「AWkitchen」グループ内の、「やさい家めい BASSIN」。
天井が高くて開放感のあるお店は前夜ちょっと覗いてみたところ、和食店との事ながら、落ち着いたダイニングのムードが漂っていました。
洗練されたスタイリッシュな店内に、お野菜のディスプレイが目立ちます。
お野菜を中心とした、季節感のあるメニューは・・・明太子や蒸し野菜、季節の野菜が使われたお惣菜等・・和食中心のヘルシーな内容。
フロントも綺麗ですし、お部屋も綺麗でした。
土地勘の全くない初めての土地、何もわからない私達にもフロントの応対はとても丁寧に感じられました。
チェックインの後出かけたのは、スタッフさんにお勧めされた居酒屋さん。
・・・という訳で、次回は博多の夜編です。