夕方、私の実家に立ち寄りをしたため遅くはなってしまいましたが・・・昨夜無事に、何事もなく戻って来ました。
これまでの新年は、私たちも暖かい伊豆方面、または雪深い東北の温泉など外出先で迎えることは何度かありました。
しかしここ数年、現在のように私が不自由な身体になってしまってから比較的家でじっとしていることが多かったかと思います。
今回は息子夫婦の帰省もはっきりせず、実家の母も弟の家で孫達と過ごす予定と聞き、夫が「こうして二人で家でじっとしていてもつまらないから、暇つぶしの旅に出よう!」って。

行き先は凍る大地。大量の積雪に、寒風吹きすさぶ日本海側の各県です。
新潟、富山、石川、岐阜、そして静岡で最終宿泊をして東名&東北道により家まで戻ってくると言ったハードなコースなのでした。

真冬ともいえるこの時期に、わざわざ身体の不自由な妻=新しい方はご存じないでしょけれど・・・それは、この私の事。サブタイトルにあるように5年前に脳内出血を発祥してから私は身体が不自由になってしまっています。
しかしその為にした準備、これは万全とも言えるものかと思います。
スタッドレス・タイヤでありながら、予備のタイヤチェーンに、工具や砂、滑り止めの板に針金、飲料水まで。
私のためには毛布に車椅子、用途の違った杖も3本。着替え用のコートもそれぞれ二枚、履き替え用の靴もでした。
そんなこんなを朝積み込んで・・・さぁ、いざ!出発だ!#58974;

県内北部より、すでに周囲は雪、雪と・・・
それは色々な意味でもって、これから先の期待も大きなものと言わざるをえない状況でした。
午前9時を過ぎても、外気は1度あまりの寒さ#59122;
そんな中で福島県の郡山からは磐越自動車道にのり、今夜予約済みの新潟市内へ向けて快調に進んで行く我がマイカーなのであった。
予定も立てずに出たに関わらず、昼前には「新潟ふるさと村」に到着!


ふるさと村は新潟の遊ぶ・食ベるの観光情報が満載のところなので、以前からよく立ち寄りをするところでした。
この時には、元旦ならではのイベントがありました。
地元出身のアーチストのライブ。その後には杵と臼を使っての餅つき、そのお餅のふるまいも。
私たちも列に並んで、つきたてのお餅を頂いたのは勿論のことです。

新潟を代表する土産物、海産物、おかき類や柿の種。中で最も目立っているのは、「地酒大国・新潟」が誇る蔵元の日本酒がずらりと並ぶ、酒コーナー。こんな棚がいくつも立ち並んでいる様は、圧倒されると言えるでしょう。
              
昼食は、牡蠣のわっぱ飯に。
大振りな牡蠣が並べられたわっぱ飯には、温かいおそば、新潟の郷土料理の「のっぺ」。
のっぺは根菜を切りそろえて煮込んだお料理、上品な味付けです。
それに甘めに味付けをした白和え、温泉卵も付いてきました。


市内の観光マップを頂いて、次に向かったのは日本海です。


ここ新川港は、かつては佐渡から飛来してきた朱鷺が住んでいた事さえあったとのこと。
普段でしたら釣り人も多いのでしょうが、この日はこの方の姿しか見られませんでした。


他にいたのは私達と、新潟出身で今は千葉に住むと言う親子連れの姿だけ。
雪こそなかったものの・・・鉛色の空、荒れ模様の天候で、そこは寂しく心細くなるような景色が広がっておりました。
前回の昨年4月の新潟の海とは、これほどに違うものなのか。。。

最終日の静岡まで数多くの風景に出会い、今回も心に残る沢山の思い出が出来ました。
今回もアップする写真、書くことがいっぱいあります。だから、このシリーズ明日は勿論。今月いっぱい続くかと思われます#59142;
それからこのオーバー過ぎるタイトル、ここに意味は全くありませんから・・・その辺り、深く追求される事はありませんよう・・・