最終日は新青森駅で借りたレンタカーに乗って、津軽半島を周ります。
7年前の青森旅行の際は同じようにして、八甲田ゴールドラインから始まる八甲田温泉郷に点在する名湯めぐりをしました。


この日遊んだ北津軽は、前日の下北半島とは陸奥湾をはさんだ反対側。青森県の南西部となります。
真っ先に向かったのは、五所川原駅でした。
で、上の建物はおわかりですね。文豪・太宰治が幼少期を過ごした家「斜陽館」です。


最終日であるこの日は雨降り、雨も雨。豪雨と言いってよいくらいの土砂降りの雨の中。五所川原駅から太宰治の故郷であり、津軽三味線の発祥の地でもある「金木」へ。

五所川原市金木町出身の文豪、太宰治。
ここは太宰の生家に加えて、近くには太宰生誕100年を記念して建立された銅像のある公園。太宰治記念碑まで建つなど町は太宰一色でありました。
だからあいにくの大雨でも、私達以外にも観光客の姿が次々。。




明治42年6月19日、津軽地方きっての大地主の家に生まれた太宰治。
彼が幼少期を過ごした豪邸「旧津島家住宅」を利用して、太宰治記念館としてオープンしたのが「斜陽館」です。http://www.city.goshogawara.lg.jp/16_kanko/dazai/syayoukan.html
一年を通して多くの太宰ファンが訪れているのでしょう。建物は平成16年12月に国の重要文化財に指定されています。

           

明治の大地主であった父・津島源右衛門が建てた入母屋造りの建物は、明治40年6月に落成しました。
米倉にいたるまでヒバを使った津島家は1階に11室、2階に8室。付属の建物や今泉を配した庭園など合わせると約680坪の豪邸。
戦後津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として町の観光名所となり、全国からのファンが訪れていましたが・・・
平成8年3月に金木町が買い取り、当時の様子を復元して現在の記念館となりました。


当時はこの場所にも家族の他、多くの使用人や小作人の姿があったのでしょうね。
広い土間沿いに座敷二間に仏間。茶の間と仕切りを外すと63畳もの大広間になるそうです。


蔵の一角は展示室となっていて、太宰愛用のマント、直筆の原稿等が見られます。

            
館内のどこを観ても感じるのは、津島家の裕福さ。
当時の大地主の暮らしぶりからは圧倒的な豊かさが偲ばれて・・・こうした中で育ったからこそ生まれた、太宰の小説の作風・・・それ程は読んではいないものの・・・
妻子があるに関わらず、次々と異なる女性達と自殺未遂を繰り返した放蕩な私生活も関係しているのではと思ってしまいました。
興味深さはあったものの、個人的に@500円は高かったかな?これだけの施設を維持管理してゆくのは大変な事ながら。。。
このような豪農の屋敷はこれまでも新潟などでも見てきていたので、新鮮味はなかったような。。


青森県イコール山間部の多いイメージが強くありましたが、津軽はどこまでも平地が続く、田んぼが続く・・・。


津軽平野は本当にどこまでも広々としている田園地帯でした。このような何気ない風景が、一番美しく思えました。

これから12月になったら翌年の3月まで、五所川原‐金木間には青森の風物詩として知られる「ストーブ列車」の運行がされるのですね。
今回の急ぎ旅では、津軽三味線の演奏を聴く機会はなかったけれど…
以前の五能線の旅では日本海側を走るリゾート白神が海から離れ内陸と向かう鰺ヶ沢から、津軽三味線の演奏者が乗り込んでくる三味線ライブのサービスがあったのです。
走る列車の中、目の前で演奏される三味線の音色には激しさ、迫力が感じられました。
・・・という事で、明日はその鰺ヶ沢からです。