今回の映画も地方のシネコンではまず上映される機会ははないと感じた、しかしどなたにも勧められる良質な一作です。



「福祉の進んだ国イギリスでは、揺り籠から墓場まで」、これは私達が教科書で学んだ有名な一節である。
しかしケン・ローチ監督作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」では、違った現実が知らされます。
貧しい老人を置き去りにする社会、移民の?シングル・マザー一家に手を差し出す事なく突き放すのみ。福祉国家と言われてきたイギリスでさえ、貧しい立場の人々に対して、役所で働く公務員たち対応はこんなものなのか・・・と、愕然としてしまう現状が描かれていきます。

主人公のダニエル・ブレイクは、働ける身体なのに困窮を装っている訳ではない。心臓病の為働くことを禁じられているから、病気による支援手当の申請をするが、今の病状では規定に達していないと言われてしまう。
仕方なく生活保護を受けようとしますが、、生活保護もおりません。
また失業手当を受けるには、仕事を探しているが見つからない…と、証明せねばなりませんでした。
彼は福祉に頼ろうとか、楽しようと考えている人間ではない。ただ今のシステム、コンピューター社会に追いついていけないばかりに、どこからも弾かれてしまうのだった。
社会保障システムに振り回される、初老の男ダニエル・ブレイク=デイヴ・ジョーンズ、彼が福祉事務所で出会う移民系のシングルマザーにしてもそれは同じでした。
身寄りも仕事もない新しい街で、社会から取り残されても懸命に生きようとする二人の子供を持ったシングルマザーのケイティ=ヘイリー・スクワイアーズ。
リアルに伝わってくる内容、白けないで観られるのは、適役と言える俳優たちに支えられてと感じられます。
長女役デイジーにしても、やり過ぎていない存在感。自然な演技を引き出し、リアルな状況を作り出すことを重視した監督の力量あっての描写であろう。

役所の職員以外の登場人物は皆、気の良い人ばかり、その辺りには救いが見られました。

日々の食べ物にさえ困る人に向けた無料のフードコート(企業等の寄付による食品庫)内での描写。この後そこへ行った事を知られて学校で虐めを受けたと、娘の口から語られるのだか…。
子供の食事を優先していたケィティが、そこでスタッフに案内されながら、空腹のあまり思わず棚に置かれた缶詰を開け手で食べだしてしまうシーン。
自分の行為を恥じて泣き出す彼女にダニエルが語りかける言葉、「あなたは悪くはない」とボランティアスタッフも慰める場面。
日々の食事を子供にだけは食べさせたいとする献身的な母親の姿、慰めながら自身の過去を話してきかけるダニエルの対応にも尊敬と、脱帽と。そして自分にはない器量に圧倒され・・・自らの心の狭さが恥ずかしくなります。

娘の靴が破れて学校で虐められても、靴を買ってやることさえ叶わず。
万引きしたスーパーで声をかけられた、男の意のままに・・・気の進まぬ仕事を決意するケイティ。
見かねたダニエルがその住所を訪ねると、そこは予想した通り・・・下着姿で男にサービスをすると言ったものであった。「私には、もう構わないで」「心が折れそうだから」と泣くケィティ。

支援手当の回復のための面接にこぎつけたその日。
面接の直前のトイレで緊張からか心臓発作により倒れ、亡くなってしまうダニエル。あともうチョッとであったのに。
長年大工として働いてきた誇りと自信、そこからくる自らの権利への確固たる信念。卑屈になることなく、堂々と誤りを正そうとしたダニエルであった。
立場の弱い人たちと彼らの尊厳を守る。上質な人間ドラマに仕上がった本作。

感動と「泣ける」が大好きな日本映画でもしリメイクをしたなら、「見たら、絶対に泣く一本!」として大安売りをしてしまうでしょう。邦画の好きなパターンですもんね#59136;

作品のテーマは普遍的で、かつ今日的である。日本でも同じことが起きていて、目に見えないところの貧しさ、声に出せない貧困。
役人たちにより、削りやすいところから予算が削られる現実。現場の職員たちも一人一人に向き合わない。都合の悪い面に目を向けようとしない問題等ある。

真面目に働き納税もしてきた人間が当然けるべき権利や自由が奪われている。そのことを気づかせてくれた映画。
人としての尊厳とは?も。ユーモアを入れつつ、現代の社会の皮肉な一面をついたケン・ローチ監督。

長年病気の妻を介護し続けて、子供ももたなかったダニエルながら、彼の最後は一人ではなかった。その死を悲しんで集まった近所の青年、知り合いの人々。
「根が良くても、何もかも失いホームレスへの道をたどってしまう人を多く知っている。あなたはそうならないで」と心配した福祉事務所職員アンの姿もありました。
映画のラストは、ケイティが読む、ダニエルの残した手紙。
その書き出しが「わたしは、ダニエル・ブレイク。ひとりの人間だ」なのです。

英国国内では、民営化された炭鉱は廃坑へと追いこまれました。
そうして生まれた映画のひとつが「ブラス」であり。。炭鉱でなく鉄工の町を舞台として、映画「フル・モンティ」で失業した男たちの悲哀が描かれました。
映画「フル・モンティ」については、こちらで簡単な紹介がしてありました。
https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2012-05-23?1582261879