今年は誰もが知る日本の作家ふたりの、生誕100年の年です。
ひとりは太宰治、もうひとりは松本清張。
太宰と言えば戦後まもなく、まだ私の生まれる前に玉川上水において入水自殺をしてしまった為、若い印象の写真が残るのみ。
対する日本の推理小説作家の代表とされる松本清張。あの独特の風貌と、1992年に亡くなるまで作家活動を続けた、それぞれの生き方も書かれた作品も全く異なったタイプの人です。
この見た目も、作風も全く正反対のおふたりが同じ年と言う事は、私にはとても意外なことでした。

太宰は県下有数の大地主であり、貴族院議員をつとめた地元の名士であったに父親・家に生まれるものの、東大在学中から自殺未遂を繰り返し、次々と発表する作品がいずれも憧れの芥川賞受賞とならなかったのは有名なエピソード。
今年は、浅野忠信主演で小説「ヴィヨンの妻」が映画化されています。

あらゆる職業を転々とした父の元、下関の貧しい生活の中で育った松本清張。
その九州小倉を舞台に書かれた「或る『小倉日記』伝」にて芥川賞受賞後も、生活のために勤務先の朝日新聞社を辞める事のなかった、彼は努力の人だったようです。

今回の本は、「松本清張短編全集」の掉尾を飾る本編。
前回は処女作「西郷札」でしたから・・・・って、他に読みたい本がなかったからからなのです。

タイトルの「共犯者」は、食器具の販売員として全国のデパートや問屋を回っていた男のお話。
夜は宿賃を節約して出切るだけ安い旅館に泊まる、全国を旅してもろくろく外の景色も見ないような日々で・・・そこが温泉などの遊び場であったらさらに憂鬱な気分になってしまう。
楽しげな他所の人々の姿を遠くに眺めながら、自らの惨めさを味わい、同じ旅人でありながらの違いを比較することとなってしまうのだから。
その後彼は商売で成功をするのであったが、その資金は銀行の金を奪いそこに住まっていた支店長に重傷を負わせることでえたものであった。

自分の商売が繁盛して資金も出来、地元での地位も安定してきた頃から、共に銀行を襲った共犯者の存在が気になって仕方がなくなってしまう。
自らの中の妄想が自分自身を追い詰めてしまう、人間の持つ心理がよく描かれている短編でした。

この小説の初めの部分に当たるところは、私の経験に近いと・・・・作者があとがきに書いています。
私は終戦後の一時期、行商の真似をしたことがある。
貧富の差を目の前にはっきりと見ることにより、絶望感は人生への呪詛となると。

太宰作品と時を同じくして映画化された「ゼロの焦点」(まだ未見に関わらず・・・)にしてもそうですけれど・・・社会の不条理を痛感しながら生きた作者の、底辺で生きる人々や社会の弱者への眼差しが貫かれているのではと思ってしまいます。

ビートたけし主演の先日のテレビドラマ「点と線」、これって再放送だったのですね。
時刻表を上手く使ったアリバイ工作で殺人を心中に見せた犯人に対し、地をはう様な地道な聞き込みや捜査で彼を追い詰めていく刑事の方に、単純な私などは特に共感してしまうのです。
大ベストセラーとなった原作を映画化した「砂の器」も、日本映画史に残る傑作とされています。

以上、多くの作品が昭和三十年代に書かれました。
そこで私達はその中に、謎解きだけでなく、登場人物たちの(多くは貧しい境遇にいる)、どうにもならない事件の動機、背景となる当時の描写を読み取る事が出来るかと思われます。
戦争により全てをなくしたがそれでも人々は必死で生きた戦後、荒廃した日本とその後の復興、高度成長期へと、そこには時代の転換期がありました。
その時代を生きた日本人達の夢や憧れ、不安、悲しみ等々・・・・

現在の一見同じように見える、私達の間にも少しずつ見え始めてきた社会の壁。
格差社会の到来をむかえていると言われています。
そんな不安な時代であるからこそ、清張作品もまたクローズアップされているのでしょうか。