一ノ関から先は、また東北新幹線に乗車します。

「はやぶさ」乗車により、一気に盛岡まで。雲がかかってしまっているけれど、盛岡のシンボルである・・・岩手山が見えてきました。
先頭車両は新型のスーパーこまちだったのかも。
しかし写真を撮っている時間などないのでございます。

おトイレを済ませてから、乗車予定である山田線のホームへと向かいました。階段を下り「快速リアス」まで行ってみたら・・・ものの見事に超満員、混雑した車内が目には行ってきたのです#59142;

盛岡駅を発車した・・・満員列車の、約2時間の旅はこうして始まったのです。
ローカル線の旅でイメージするのは、4人がけのボックス席にポツンと座って車窓の景色を楽しむ乗客の姿。。そして車内に流れるのはユッタリとした長閑な時間・・・のはずなのに。
普段はきっとそんな感じなのでしょうけれど・・・・。
乗り継ぎが決して良いとは言えない列車の便、乗客数に合わせて運行する2~3輌の客車。
それに対して週末の、それもお得な切符が利用できる大人の休日倶楽部期間であったのが問題だったのです。これもローカル路線のかかえる問題のひとつかもって感じました。
それは一昨年だったかに、下北半島でも経験していましたので。。。

あ、そうそう・・・今回のプランニングは全てを私が担当、作成をしたもの。
以前の日記でグチりましたけど、当初の予定は今春デビューした「SL銀河=釜石線沿線を舞台に描かれた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を代表的なテーマとしてプロデュースしている」に乗りた~い…と言うものでしたが。。
ツアーで全て押さえているのか、チケット予約に挑んだものの・・・あえなく撃沈#59136;

市街地から、山間部へと走る列車。
山田線乗車中に見えたのはほとんどが山間、深緑の木々、そして川の流れでした。
      
途中の「区界駅」では、昨年3月に通りがかった時のエピソード、駅に隣接する道の駅へ大雪の中で苦労して行った。そんなツマラナイ事が思い出された・・・私。
夫に「あの時は3月とはとても思えない大雪だった・・・。ドッサリ溜まった雪の吹きどまりを避けて、おトイレに行くのも苦労したね」って。。

予定では、終点の宮古まで2時間。
エ~~イ!何のこれしき、根性で耐えてみせるわ#59133;
仕方がないのでしばらくは、ドアにもたれて立ったままでおりました。
その道のりは、想像した以上に遠かった。広大な岩手県の面積がそうさせるのだろう。
揺れる列車内での2時間は長く、長く感じられるものです#59142;
そんな姿を見かねたのか、途中で「席を詰めたら座れますので、どうぞ」と声がかかり私だけ座らせて頂きました。
声をかけて下さったのは・・・長野から休日倶楽部でお出かけをされてきたと言う女性二人。
私達は長野もよく行くところであるから、早速その奥さんと仲良しになってしまったのだった。
夫がお礼にジパングでもらった、まころんを周囲に配って…こんなところは彼の良く気がつくところ、エライなって思えるところです。
(ドリンク以外オヤツは私達持ち歩きませんので、他に手持ちのものはなかったのであります。)

そうする内に…ようやく陸中海岸国立公園の玄関口、リアス式海岸の港町である宮古に到着。

宮古駅から久慈駅までは北リアス線に乗り換えますが。ここでも問題が#59142;
乗り継ぎ時間が短い上、この分ではたぶん座れそうもない#59136;
JRに乗車中から皆さん、車掌さんに、次に乗る北三陸鉄道は何両編成で走るのか。また車内の混雑状況も尋ねていたくらいでしたもの。
こうなったら次だって、根性で耐えてやると…のん気に写真を撮ってしまっていた。

           
北リアス線の全線復旧!改めて・・・おめでとうございます#59130;
車体に描かれたキャラは、残念ながら〇オンの広告だけどね。

東日本大震災の津波により大きな被害を受けた三陸鉄道は、今春4月6日。最後まで不通となっていた北リアス線の小本〜田畑間の運行を再開した。
南リアス線と合わせて107.6キロが完全復旧。開業30周年に合わせて再スタートを切ることになったのである。

北リアス線の久慈駅周辺は、朝の連ドラ「あまちゃん」の舞台として全国的に知られるようになりました。
「あまちゃん」の放送後、「北三陸に行きたい」と思われた方は多いものと思う。・・・と言う私、実は年末に放送されたダイジェスト版のみ。
登場人物達のキャラが強烈過ぎて、ああいうのはチョッと苦手なの。
それでも年末の紅白、能年玲奈をはじめとする「あまちゃん」軍団の登場シーン、あまちゃんのママ=小泉今日子の歌の後、鈴鹿ひろ美=薬師丸ひろ子が登場した時は「やるなぁ~~」って思いました。
やっぱりクドカンの演出は上手よね。

そうそう、三鉄乗車に戻って。。。さっきご一緒したおばさま達はシッカと座席を確保。やるわね・・・と思っていたら。。
今回もラッキーな事に「次の駅ですぐ降りますから座って下さい」って地元のお兄ちゃんが席を譲ってくれたのです。
それからは私も、夫もずっと座って乗っていけました。

ノンビリとは言えディーゼルエンジンがうねりをあげて、加速していく#58976;


車窓に広がる景色は・・・今も、以前も、変わらず穏やかだったはず。。
ところが東日本大震災で、全ては一変する。
大地震の後、住人たちの予想を超える大津波が村を襲ったのだ。



反対側のホームに停車中だったのは、海女アテンダントも乗車すると言う・・・「お座敷列車北三陸号」宮古行きでした。
予約したら、三陸名物の「うに丼」、「うにあわび丼』弁当も食べられると言う。

          
普段はこうして学生の足として活躍をしているのであろう・・・雰囲気の漂う三陸鉄道の車内風景。


三陸鉄道車内からの眺め。列車は観光列車としての面も併せ持っていた。しかし沿岸はどこもまだ建設工事のラッシュが続いていたのだ。。


三陸鉄道堀内駅から大沢橋梁へ。


同じく海沿いの、陸中宇部駅だったかしら?

「北三陸鉄道リアス線北三陸駅」の舞台となった・・・三陸鉄道北リアス線久慈駅。私達の北リアス線も、無事に久慈駅に入線しました。
二色のラインが入った車両デザイン、これはお馴染みのスタンダードカラーだと言う。

                        
三陸鉄道は不採算路線であったが為に、第3セクター方式で1981年11月10日に発足をした。
別の鉄道事業者が引き継ぐか、バスに転換するか・・・どちらかの選択を迫られたのであった。
長い間の住人たちの悲願であった鉄道の存続、そして地震や津波と言った自然との闘いの歴史が今日までずっと続いてきたのですね。
そんな状況下でさえも三陸の人々は親切だった。のん気に旅する私達を温かく迎えてくれたのでした。

久慈駅のホームも、北リアス線とJRはつながっています。
次に乗るのは、東日本大震災後の東北新幹線全線復旧にあわせて2011年4月にデビューしたとの「リゾートうみねこ」号です。
続く。。