松江市のシンボル「松江城」は、国内に現存する12天守のうちのひとつ。


国の重要文化財にも指定された・・・ 正統天守閣と言える、山陰では唯一の天守閣を頂く松江城です。

          
内部は天守まで階段を上っていく形、だから上がりませんでしたが・・・ 関ヶ原の戦いで功績のあった堀尾忠氏が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。
その後は京極氏が後を引き継ぎました。
他にも、日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている、手入れのいきとどいた城跡庭内。


眼下に広がる・・・市内の家並。
そうした目で見るからか、私達が忘れかけている懐かしい日本の原風景と感じられたような。。
http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/highlight.html


松江城を囲む約3.7kmの堀川を小舟に乗り巡る、観光遊覧船「堀川めぐり」の乗船場。


          
「耳なし芳一」や「雪女」等の短編を収めた・・・・「怪談」の著作で知られる・・・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
最初の赴任地である松江には1890年8月に到着し、島根県尋常中学校の英語教師として1年3か月過ごしました。
松江と言えば小泉八雲。小泉八雲と言えば松江ながら・・・その実ここ松江で過ごしたのは、わずかに1年と少しだったのでした。


彼とその妻小泉セツ=元松江藩士の娘が、明治24年6月から11月までの5ヶ月間新婚生活を過ごした屋敷は、武家屋敷が建ち並び、江戸時代の城下町風情が残る「塩見縄手」の通り沿いに位置する。江戸中後期に建てられた松江藩士の屋敷でした。

こじんまりとした小宅ながら・・・自然を活かした造りの日本庭園が、母屋を取り囲むよう配置されています。
四季折々の表情を見せるであろう、趣が感じられるお庭です。

          
ギリシャ人を母にギリシャ生まれのアイルランド人であった八雲でしたが、松江では日本風の生活を好み、この庭も大変お気な入りであったとか。
着物に下駄というスタイルで、部屋から三方の庭をゆったりと眺めるのが好きだったといいます。


夫妻が過ごした家は、昭和15年に国の史跡に指定されました。
旧居が建つ道路の向かい側には小泉八雲の銅像が設置されていて・・・そこでは今も、松江の我が家を見守っているとの事。←知らずに見過ごしてきてしまいました。

効果的に使われた・・・作中ドラマ「怪談」の演出も心に残る。八雲=ジョージ・チャキリス、セツ=壇ふみが演じた・・・1984年放送の「日本の面影」は今も印象深く心に残っています。
山田太一の優れた脚本、当時のドラマ作りにかけたテレビマン達の矜持を感じさせるような・・・秀作。
視聴率を最優先とし、何を見ても、同じような俳優。ストーリーばかりの現在では、成し遂げられないであろうと・・・改めて思ってしまいました。。
http://www.matsue-tourism.or.jp/kyukyo/


          
「小泉八雲旧居」に隣接して建つ、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)に関する収蔵品が展示された記念館・・・こちらも周囲の風景にマッチした平屋建ての和風建築でした。
本年が小泉八雲没後110年にあたる事から開催された・・・「企画展2014」は、「小泉八雲没後110年記念 ヘルンと家族」。
展示されている内容はと言えば、主な著作の初版本や直筆原稿、書簡、八雲が愛用していた遺品など。
貴重な収蔵品は1,000点以上。うち約200点が展示されています。
ギリシャで生まれイギリスで育った、イギリス人のハーンがなぜ日本までやって来たのか。
ギリシャ、イギリスからアメリカを経て・・・地球を半周旅したのち、到着した日本でようやく家庭を築くことが出来たのです。
家族の愛に恵まれず、数奇な人生を歩んだ・・・彼の生涯がパネル写真でわかりやすく紹介されていました。
松江での日々は仕事の合間にも、数々の作品を書き上げました。そして・・・最後は日本人として、54年の生涯を閉じた小泉八雲。

          
十代半ばに事故により左目を失明、右目が強度の近視だった八雲が、原稿を書くために特注した背の高い机。
八雲は失明した目と残るわずかな視力のみで、五感を研ぎ澄ませ・・・この土地と人々を観察しました。
常に携帯していた望遠鏡、来日時に着ていたスーツ、妻・セツの英単語覚え書き帳等々、当時の暮らしぶりを感じさせる品々の展示も興味深く鑑賞をしました。
4人の子どもたちへの愛情、家庭内のエピソード、家族の暮らしぶり等・・・小泉家・稲垣家所蔵の写真で紹介がされています。
松江の風物と人情が気にいり結婚をし、この地に住んだものの・・・冬の寒さと大雪に閉口して1年3か月余りで去った後、熊本第五高等中学校へ移りました。
さらには神戸、現在の東大=帝国大学文科大学、早稲田大学に勤務した。

昨年5月に訪れた静岡県の焼津でも、1897年から八雲が亡くなるまでの数年間。夏になると泳ぎに来ていた「和田浜の海」を訪れました。
「八雲通り」と名付けられた道路、その場所から北へ進むと記念碑「小泉八雲先生風詠の地」がありました。
日本の伝統的精神や文化に興味をもち、それらを題材にオリジナリティあふれる多くの作品を著した。
1894年に出版された・・・「知られぬ日本の面影」は、アメリカ版だけでも26刷りまで達するベストセラーとなり、今日まで読み継がれているそう。。
日本の伝統や文化、日本人の精神構造を広く世界に紹介した彼の功績は、もっと多くの注目に値すべきと思うのであります。
http://www.matsue-tourism.or.jp/yakumo/