暦の上では「立春」も過ぎ・・・とは言え、現実にはこれから迎える・・・冬本番。
・・・という事で今頃の季節、遊びに行くとしたら温かいところがいいですね・・・。
今月初めから一昨日までは、沖縄へGO~!しておりました。
そう、相変わらず懲りない私。。避暑ならぬ、思いついての「避寒」でした。
・・・とその前にまず、途中だった九州旅行記を書いてしまわねば。。

ハウステンボスのイルミネーションの後、泊まったのは佐世保市内の弓張岳の中腹にあるホテル。
そして翌日向かう先の長崎でしたが、距離感が全くつかめずに組んだスケジュールゆえ、佐世保と長崎もまた思っていた以上に離れているのであった。

佐世保湾、九十九島から・・・大村湾沿いの風景を眺めつつのドライブ。

長崎と言えば、誰もが知る美しい夜景の代名詞もながら・・・豊臣秀吉が禁止令をだしたのち、長く続いた江戸時代。そして新政府となった明治を迎えてからも続いた・・・キリシタン達が歩んだ過酷な運命の地でもあります。

元治元年(1864)に竣工し翌年に献堂式がおこなわれた・・・大浦天主堂の正式名は「日本二十六聖殉教者天主堂」。

フランス人神父によって、西坂の丘で殉教していった26聖人へ祈りを捧げるために建てられた教会堂だと言う。そのため建物の正面は西坂の丘に向けられ建てられている。
          
聖母マリア像の後ろ側から…失礼。長崎市内を見下ろす高台にあります。
だからそこまでの行程、私的にはキツイものが#59142;
中世ヨーロッパ建築を代表とするゴシック調の教会は、現存する木造教会では日本最古のもの。昭和8年(1933)に国宝に指定されました。

内部は100年前のフランス製ステンドグラスが配されていたが、創建時にフランスの修道院から寄贈された正面祭壇中央のキリスト聖画像と共に、その多くは原爆によって大破。
                              
現在は、当時のステンドグラスと復元されたものとが混在して・・・美しい光を堂内に集め、祈りの空間をつくり出しているのです。
こちらも当然、入館する前に外から#59009;
禁教令のもとで潜伏していた信徒を発見した・・・教会としても、世界的に名高いと言われてます。

          
大浦天主堂に隣接する旧羅典神学校横の樹木に覆われた細い道を通り抜けると、グラバー園の入口へと出る。大浦天主堂の観覧後にグラバー園へ向かう順路のひとつです。


スコットランドから渡来したトーマス・ブレーク・グラバーが、ここ南山手の丘に住まいを建設したのは1863年のこと。
大洋の波涛を越えて日本の地へ、夢を抱いてやってきた異国の商人たち。

100年以上たった今もここには、グラバーと家族が暮らした当時の記憶。共に長崎を愛し長崎に暮らした貿易商たちの邸宅が形を変えことなく残されているのです。
約3万平方mの敷地内に、居留地時代から現存する国指定重要文化財の旧グラバー住宅、旧リンガー住宅、旧オルト住宅のほか、市内に点在していた6棟の洋館を移築・復元。
文久3年(1863)に建てられた旧グラバー住宅は現存する日本最古の木造洋風建築で、上から見ると四つ葉のクローバー型の屋根が特徴的。
トーマス・ブレーク・グラバーの旧邸内では遺品などが展示されていました。また志士達が密談したといわれている隠し部屋も見どころのひとつ。
倒幕の野望に燃える幕末の志士たち、西洋の学問を志す日本の若者たちも集ったのである。


園内の展望台からは長崎港を一望す。。
グラバー園と言えば、ハートストーン。・・・くらいの予備知識はあったものの、それを特定するまでは至らず。
それでも何とか見っけ#59025;
該当するものかどうかは不明ながら・・・これが、私の#59116;ストーン。
                       
これまで大変な事は多く経験しているのだから。。これからは自力で幸福を掴み取ってやる。なーんてね。でもホントよ#59125;
この二か所を見た後、次はどこ行こうかな・・・などと思っている気持ちも知らず、夫は「またあちこち駐車場を探して歩くのは疲れた。」
「路面電車の走っているところは、走りづらくて嫌なんだ」ですって。

そんなこんなでせっかくの初・長崎に関わらず、残りは車中から眺めただけ#59136;

          
カステラの文明堂さん本店、大きく風格のある建物はサスガと思わされます。
鎖国の最中、国内唯一の交易の窓口であった「出島」と呼ばれた一帯、坂本竜馬でお馴染み「亀山社中」も。


「眼鏡橋」だけは下りて、写真を撮ってきました。
急ぎ足で駆け抜けた長崎観光。
それでも当時の長崎の街のムードは、日本の新しい夜明けを夢見る人々の熱気であふれていたと想像されました。
長崎の皆様、本当にホント、ごめんあそばせ#59143;
次回はもっとチャンとした訪問を心に誓う、わたくしめでございます。
しかしこの日のスケジュールは旅の最中としても最もハードな、長崎~門司へと220キロを超える九州横断の弾丸ツアー#59144;
そちらについては、次回へと続きます。