お彼岸の時期になると…至るところで目にするのは、真っ赤な彼岸花の咲く光景。
それまでは気配さえ見せずにいたものが、ある時突然に、いっせいに咲く!田の畦であったり、道路際であったり、ただの空き地であったりする。
その上、開花期間も一週間ほどと短くて…。げんに今ではほとんどの花ががしおれているか、枯れてしまっているのだ。

          
花色が鮮やか、妖艶な雰囲気。お彼岸の時期に咲くだけに、妖しさは否定できません。
数々の呼び名、普通の植物とは違った生長のサイクル。。
この花は・・・秋雨が続いた・・・彼岸頃になると芽を出し、1日に10cm近くも伸びる。茎は瞬く間に50センチ程になり、真っ赤な花を咲かせるのでした。
そして1週間ほどしたら、全てが枯れて・・・今度は球根から緑の葉っぱが伸びてくると言われる・・・変わった生態系。
また花色も鮮やかな赤だけでなく、白や黄色、ピンク色のもあるのです。



私が子供の頃からあった、馴染みのある店と味。
長らく旧・葛生町で「味噌まんじゅう 新井屋」としてお店を構えていたものが、10年前の平成の大合併で佐野市となった事で・・・平成17年からは旧50号沿い。星宮神社参道入口に佐野本町店をオープンした。

          
新たに「新井屋」として出店したのは、明治10年頃に建てられた古い見世蔵。
元は古くからつづいていた調剤薬局「土佐屋」さんだったとの事。シャッターが下りたままになっていた店舗を利用、再生オープンしたのだそう。。

          
これと言って特徴もない、地味な街並み。次々に古民家が消えていく中・・・しかしこの通りを走ると、意外にも蔵造りの町家が目につくのである。

※江戸時代の佐野は、佐野藩一万六千石の城下町であり、日光例幣使街道の宿場町「天明宿」もありました。
かつての本陣、問屋、町家などが集まる日光例幣使街道の宿場町と言った顔をみせていたのです。
渡良瀬川を利用した水運の町でもあり、本町を中心に蔵造りの商家がまだ数軒は残っていて。。黒塀のある蔵、黒い瓦葺きの蔵造りの建物から、繁栄ぶりを現在に伝える家並み。
他の地方都市同様に中心部は空洞化し、かつての賑わいは見られないものの・・・。それゆえ今こうして往時が偲ばれると言う皮肉。

  
いざ、店内へ。
手元にすぐ差し出されるのは、試食用の「味噌まんじゅう」です。
食べ終えたら次は、ピカピカのグラスに注がれた麦茶と・・・スタッフさんは皆さん、若くて綺麗なお姉さんばかり。「店内の写真を撮っていいですか?」と訪ねたら「どうぞ、お撮りください」って。
ショーケースの内外に並ぶのは・・・当然ながら、味噌まんじゅう。それに同じく子供の頃から馴染み深い、白餡の和菓子「ふずりな」。
フズリナは古生代石炭紀き・二畳紀の化石。※葛生は、葛生原人と化石の街ですので。。
壁を彩るのは、かつて一個ずつ手作りしていた時代が写るモノクロ写真。
天井から下がる二機の照明は、我が家でもずっと使っている・・・世界中で愛されている、デンマーク生まれのPHランプです。

ほんのり味噌味、懐かしい味わいの味噌まんじゅうもだけど・・・・。
本日紹介したいのは・・・この、味噌プリン#59126;
          


母と一緒に食べようと思って買ったものながら、お腹がいっぱい過ぎて食べられず。結局は、帰宅後の自宅で。
                          
可愛いガラス瓶に入ったプリンは・・・
無形文化財にも登録された・・・我が「和食」。ヘルシーで繊細な料理、和食は今や世界中で好まれる味。ブームとも なっています。
その和食に欠かせないものは「味噌」です。日本人のDNAに強くインプットされた・・・「味噌」。
地元「関塚農場」さんの卵を主原料に、伝統調味料の「味噌」を加えることで、普通のプリンでは味わえない…「和」のまろやかさと、コクを感じる一品へ。
実際に食べても、味噌の濃厚さはそう主張してない。しかし「コク深さ」を醸していると感じました。
甘い餡子の嫌いな若者からお年寄りまで、老若男女に支持される味わいのプリン。味噌だけに、そこがミソなのでしょうね!
味噌まんじゅう新井屋  佐野本町店



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