塩谷郡氏家町と喜連川町が新設合併し・・・2005年に誕生したさくら市。
桜は長年親しまれてきた花であり、勝山城址、鬼怒川の桜堤、早乙女の桜並木、お丸山公園等・・・桜の名所が数多くある為、市の誇りである桜を活かして名づけたと言う。
さくら市には朝の連ドラでお馴染み・・・日本のウヰスキーの父「竹鶴政孝」のニッカウヰスキー栃木工場もあるのです。

「勝山城址」の一角に佇む「さくら市ミュージアム」、荒井寛方をはじめとする、さくら市の歴史・文化・偉人の展示を行っている美術館です。
正面広場より。
城跡であるだけに当然桜の植栽があり、春頃に訪問したら・・・さぞかし見事な光景かと想像されました。

11月6日まで開催中である、第71回「春の院展 栃木展」。
月一の割合で参加している・・・読書会の方達と、木曜日出かけてきたのです。

      
入口を飾るのは、特待である本県の画家・荒井孝氏の入選作「祈々」。同人33人をはじめとする入賞作品に加え、本県ゆかりの作家作品88点の展示あり。

日本画だけに深い落ち着いた・・・緑青、群青、青黛、孔雀緑・・・といった顔料で彩られた作品たち。
鑑賞者もちらほら・・・といった中で、ゆったりとした時間が過ごせました。

大昔、学生であった都内在住時には、上野公園内の「東京都美術館」へ毎年足を運んだ記憶があります。

※現代の日本画界を牽引する「日本美術院」。その設立は明治31(1898)年と長い歴史を刻む。
「日本美術院院展」の名で親しまれる日本美術院は、岡倉天心の指導理念のも と・・・
橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草を含む26名で、現・台東区谷中で開院を挙げました。天心の理念は日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護し、かつ芸術を奨励して、未来に繋げる道を指し示すと言うもの。
経営難から研究所を茨城県五浦に移しましたが、大正2年に天心が逝去。翌年の一周忌には横山大観等により日本美術院が再興されました。
さくら市出身である荒井寛方も、院展同人として名を刻むのであります。
展示作品中には、昨年の第100回再興院展において内閣総理大臣賞を受賞した・・・宮北千歳氏の「聖母子」も代表作として飾られていました。

ミュージアムを出たら、もうお昼。幹事さんが調べておいてくださったお店で頂きます。
メニューの少なさから、味噌ラーメンをチョイス。ノスタルジックなラーメンは好みの味だったけど・・・せっかくのランチ、美味しいものが食べたかったかなぁ#59142;な~んて全てお任せであったこの日、口には出せませんけれど。

もう一か所、旧氏家町にある「瀧澤家住宅」の一般公開を見て帰りましょう。

門を入って左手奥に建つ、蔵座敷土蔵。二階建ての屋根に洋風望楼のある蔵・・・初めて見ました#59025;
実業家で貴族院議員でもあった・・・瀧澤喜平治の屋敷。現在は、その内3棟が県指定文化財だそうです。
屋敷は1892(明治25)年、明治天皇が陸軍大演習で行啓した際の小休所となりました。
豪華な内装や菊花の装飾を持つ門は当時の面影を残す。
かつて奥州街道には望楼を備えた建物が何棟かあったが、現在は瀧澤家住宅のみとなっている。大変貴重な光景であると実感されます。

          
明治25年新築の木造平屋建ての入母屋は・・・桁行7間、梁間6.5間、明治天皇の休息所として使用された場所だけに・・・床の間や違い棚、付書院などが備え付けられた屋内の造りには格式の高さが伺えます。

    
当地方最大規模を誇る、左右に小部屋を設けた長屋門。←撮り忘れました#59142;
武者窓を設け、飾り金具には菊花が使われている事等、明治天皇行幸を意識した意匠となっています。
この部屋は北西に位置していて、北側に庭園が広がっていますので、その緑を入れたかったのだけど#59136;

          
明治から大正の頃のものでしょうか。透き通ったガラスに浮かんだ繊細な模様が美しい#59130;

                      
地元の方々がひとつひとつ手作りした「つるし雛」は、「氏家古布めぐり」での展示から。
JR東日本で、快速「氏家雛めぐり号」を運転するくらい・・・「氏家雛祭り」は町をあげて盛り上げている、毎年行われる人気のイベントです。
部屋のコーナー毎に、こうした雛飾り。時代を感じる古い着物の展示がされていました。

そうする内に子供達が学校から帰ってくる時間、その前に帰りましょう。
親しくしている・・・女性ばかり7名。美術に、歴史ある建物を堪能した・・・秋の一日でした。