2時ではチェックインするには早すぎます。どこかで時間を潰さなくちゃと思っても、その時間でも寒くなってきました。
以前に行った事のある、それ程離れていない、北茨城市にある五浦(いづら)海岸へ。
5つの入江が連なり、断崖絶壁の続くこの地←五つの浦(磯)を称して五浦。
五浦海岸独特の美しい景観ははじめからあったわけでなく、太平洋の荒波と波の力で岩石が少しずつ少しずつ削られてきた…特徴的な地質によって生まれたもの。
      
松林の続く石畳の道を進むと、険しい岩に白波が砕け散る、絶景を臨む先端スポットへ#59130;

北茨城第一の名所である「六角堂」。「六角堂」のある「茨城大学五浦美術文化研究所」へは、@400円なりを支払い杉皮葺きの「長屋門」から入場します。

目の前は太平洋。再建なった六角堂。「六角堂」までの道々の脇には、白い浜菊、黄色のツワブキが色を添えます。
険しい岩と崖、そこに打ちつける太平洋の荒波。目の前に広がる厳しくも美しい自然を前にして、岡倉天心は日々なにを思い、どのような考えを巡らせていたのでしょう。

六角形の赤いお堂「六角堂」は、岸壁すれすれに建っています。この先の足元が危険すぎてこの日の私はここまで、六角堂まではたどりつけませんでしたが・・・それでも以前見た時、建物内部は畳を組み合わせて六角形となっていたはず、それが板張りなのです#59139; 作れる畳職人さんがいなくなってしまったせいで?
現在の「六角堂」は、2012年に再建されたばかりの新しい建物です。2011年3月の東日本大震災の津波により、元あった建物が流失。


明治から大正にかけて、国際的視野にたち伝統美術の再興に尽力、、東京美術学校(現・東京藝術大学)を創設、日本近代美術の父と称された岡倉天心(1863~1913)。
伝統を受け継ぎ、自然と一体となった生活の中でこそ生まれる芸術があると、ここ五浦の景観を気にいり居を構えると、東京美術学校で教えていた横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山の画家たちを呼び寄せ指導しました。


2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災に伴う約10メートルの津波の直撃を受け、六角堂は土台のみ残して姿を消した。津波で流され基礎部分しかなくなり、岡倉天心が住んだ「天心邸」や庭園までも浸水、全てが閉鎖されていた。

磯原海岸に建つ宿「としまや月浜の湯」も一階部分は浸水、休業状態から現在は営業を再開。海に漂う気分がウリであった「ホテル山海館」さんに至っては廃業されたのでした。
震災の際の津波の被害と言うと、宮城、福島、岩手ばかりになりがち、しかしこの辺りの被害の大きさも考えざるをえません。
「六角堂」は茨城大学を中心に修復作業が進められ、創建当時の姿に再建されました。

「六角堂」に先に見える、崖の上の「五浦観光ホテル 別館 大観荘」へはまだ元気でいた頃に母と3人で訪れていたのでした。館内にかつての横山大観旧別荘を移築、特別室として利用。筆や絵皿といった愛用品の展示がされているとのことです。
        
静かな五浦岬公園近くにある灯台「大津岬灯台」。元の灯台は東日本大震災で被災、建て替えられたものだそう。

ここ「大津漁港」近くの店で以前、あんこうの肝だけ使用する「どぶ汁」を食べたのだけど、それはまた別の時だったのかもしれません。

同じく観光スポットである「二ツ島」は、二ツ島観光ホテルの影となってチラリとしか見えませんでした。
そろそろ宿へと向かいましょうか。
続きますね。