前日の夕焼けはあれ程鮮やかであったものが・・・一夜明ければ、どんよりとした曇り空。
それでも雨や雪の心配はなさそう、2012年の元旦の朝です。

半田市は今回初めて訪れたところであったが、昼間通った三河湾と知多半島の漁村のイメージが強烈過ぎたのも夕食の選択に失敗した原因のひとつかもしれない。
しかしよく見れば、駅には山車まつりや、赤煉瓦の建物のポスターが貼られていたり・・・またこちらは古くから酒、醤油、味噌などの醸造業が栄えていたところだと言う。
江戸中期より酒粕を用いた酢の醸造が始まると、江戸のにぎり寿司ブームもあり、樽詰めされた酢は尾州廻船によって江戸にも運ばれた。
こうした醸造業の発展は現在の半田市の形成に繋がり、ミツカンなどに代表される日本有数の食品産業の町への基礎となっものと言われる。

昨夜の××店の店主から聞いた、市内の住吉神社へと行ってみましょう。
            

中途半端な時間だからか、境内に居る参拝客の数は多からず、少なからず。丁度いい感じです。

サクッと初詣を済ませて…終わり。

南側には宮池という大きな溜め池がある、この神社の特徴といえばこの宮池なのかしら。池の側では寒桜も咲いていました。



半田赤レンガ倉庫の建物(旧カブトビール工場)。

明治の人々の喉をうるおした「カブトビール」の醸造工場として建設され、第二次世界大戦中にあっては中島飛行機製作所の倉庫。
100年を超える時が過ぎても、その時代の日本を支えてきた赤レンガの建物はその姿を残しているのであった。


今もなお、その大きさと重厚感で見る者を圧倒する半田赤レンガ建物。

明治時代、大都市を控えた既存4大ビールメーカーに挑戦した一地方都市のビール会社がありました。そのビールとは、「カブトビール」。
今となっては幻のビールとなってしまいましたが・・・・、半田の先人たちが大ビールメーカーに立ち向かった心意気と豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っています。


建物を設計したのは明治建築界の三巨頭の一人。
現存する代表作には、横浜正金銀行本店(現在は神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫、東京日本橋(装飾部設計)などがあります。
第二次世界大戦中にビール工場としての役目を終えた建物は、中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていましたが、昭和20年、硫黄島からのP51小型機による超低空での攻撃を受けました。
建物の壁面には今もその時の機銃掃射跡が生々しく残っています。


半田市中心に位置する市を代表する公園のひとつである雁宿公園は、明治23年に陸海軍の連合大演習が行われた際、明治天皇が大演習統監のために滞在されたことを記念した碑があるとの事。

            
公園整備するきっかけとなった明治天皇の「大本営」駐蹕碑です。
公園内の中央、知多湾を望む高台にありました。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた世界が、ここにもあったとは!


「おぢいさんのランプ」「ごんぎつね」「手袋を買いに」などで知られる、童話作家新美南吉の出身地でもある半田市。
     
当時の多くの文学者達と同じように、結核により彼も29歳の若さで亡くなったため、その作品数は多くはありません。

わずか4歳で実母を亡くした南吉には、複雑な家庭の事情により生家と養家があり。。。
それから、(行かなかったけれど・・・)新実何吉記念館があるのでした。

次は、中部国際空港・セントレア編ですよ~~