日本列島最西端、九州西北部(壱岐市を含めて)に位置する長崎県。三方を海に囲まれて、多くの半島と島々から成る自然と土地柄からは…ここ!と言う景観に出会えました。透き通った海に囲まれた海辺と島々には自然、歴史、沢山の魅力が詰まっているのです。
今回の長崎県で最も訪ねてみたいと思っていた…それは、長崎市街の外海地区(そとめちく)でした。

長崎の街は赤い街路樹が道路脇に並び、ウメモドキ?赤い実がこれ程鈴なりに生っている様子が珍しくて綺麗♪ やはり温かだから?でも可愛い♪

道路上を走っていく路面電車はデザイン、カラーと多彩で可愛らしい#59126; この状況での運転は怖かったそう。余裕をもって、眺めている分にはですね…。


長崎市の北西に位置する外海は市中心部から約40kmの距離にあり、豊かな自然をはじめ、独自の歴史や文化を有する地域。
東側を琴海地区、南側を三重地区、北側を西海市に接し、西側は五島列島を望む「角力灘(すもうなだ)」に面しています。



「道の駅夕陽が丘そとめ」は、長崎市の北部に位置する道の駅。角力灘の美しい光景、海に沈む夕陽が楽しめるスポットであるのは、TTさんのブログで知りました。
道の駅には外海と所縁の深い作家・遠藤周作の「文学館」が隣接していて、この地を目指したのはその訪問目的で。
青い海をバックに、白い外観の平屋建ての建物。

入館の為のアプローチ、この右側に広がるのは、遮るものの一切ない美しい「角力灘」です#59130;

青い海色のステンドグラスが施されたエントランスホール。このステンドグラス絵は観覧券にも使われていました。
館内は国内各地に建つ教会風の造り、装飾に似ていると感じます。
      
長崎市遠藤周作文学館内には、作者の愛用品、遺品、生原稿、蔵書などが展示され・・・、遠藤周作の生涯、足跡が見られましたし、彼の生誕から晩年までの年表にそって、主要作品がわかりやすく紹介されています。
展示室には遠藤氏の書斎、スマートにキメたダンディな遠藤周作肖像写真と(^-^)

外海地区はかつて交通の便が悪かったために「陸の孤島」と呼ばれていたそうです。役人の目が届きにくい面もあり、禁教期はキリシタンの潜伏地となりました。黒崎地区は潜伏キリシタンの歴史が色濃く残る場所。
小説「沈黙」を著すにあたっても、実在した「黒崎村」を、小説では架空の「トモギ村」のモデルに設定。
平成8年9月に他界した後、順子夫人をはじめとする遺族、生前に親交の深かった人々を中心に文学館建設構想が持ち上がり、関わりの深い文学や人物を語るのに相応しいロケーションという選考要件に加えて、それまで培われてきた縁により現在地に建設が決定。

かつて所属していた(大人向けの)読書会では市立図書館での講演会へ毎年のように作家を招待し、大江健三郎、吉村昭、沢木耕太郎と著名な作家達の講演を楽しみました。次回は是非、遠藤周作氏でと希望を出していましたのに、それは叶わないまま。

展示物からも地元キリシタンたちが歩んだ受難の歴史、日本の精神風土においての...キリスト教徒としての作者の強い意識が感じられました。
人間にとって「生きる」ことの意味、人のもつ強さ、自己犠牲の潔さがあり、またはそうした心を持ちあわせない大多数の人間の弱さや醜さ、作者自身の信仰告白・・・。深い普遍的なテーマが描かれた作品群。
遠藤周作原作の「沈黙」は、はじめに篠田正弘監督で映画化をされ、信仰という重いテーマに挑んだマーティン・スコセッシ監督作、2016年の「沈黙‐サイレンス‐」は劇場でも鑑賞済みでした。https://hana2009-5.blog.ss-blog.jp/2017-01-24
九州の大学付属病院における第二次世界大戦中の米軍捕虜の生体解剖事件を小説化、著者の念頭から絶えて離れることのない問い「日本人とはいかなる人間か」「生命の尊厳」を追究した「海と毒薬」。
現在企画展においては、「生誕100年特別企画展「100歳の遠藤周作に出会う」が開催中です。

ショップ「外海」を覗くも、「沈黙」「白い人」「黄色い人」「海と毒薬」「青い小さな葡萄」「男と九官鳥」と言った小説は自宅にもあり。映画「海と毒薬」「私が捨てた女」も、かつてながら鑑賞済みで…。

文学館で遠藤周作の作家活動の足跡をたどって、人間として問いかけられる問題の大きさには、当然ながら安易には答えなど出る訳もなく。。外のテラスにてしばし、遥か東シナ海を臨む、角力灘の素晴らしい光景に目を見張る#59130;

道の駅では地元でとれた棚田米やお味噌、外海(そとめ)地区伝統の柑橘加工品、甘藷(さつまいも)を湯がいた後に干し、それを蒸して餅米と水飴、砂糖を混ぜてついた「かんころの餅」とあったが、やはり外海町といえば 「ド・ロさまそうめん」、日本発の国産パスタ「長崎スパゲッチー」。
※長崎スパゲッチーの「スパゲッチー」と言う当時からの呼び名、日本のパスタのルーツは長崎にあった点も面白く感じられました。
#59130;外海は長崎市内と共に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の名で「世界文化遺産」の指定を受けました。
「ド・ロ神父記念館」へと、続きますね。