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2023年〆の西九州旅・・・④世界に開かれていた唯一の窓「出島」を観る [2023・12月~1月九州シュガーロードを行く]

王道とも言える「大浦天主堂」と、明治日本の産業革命遺産は前回の訪問で観光していたので、「眼鏡橋」の♡ストーンも発見済みであったけれど、それでも市内観光もしていきたい。
チェックアウトの前に、長崎「出島」の一か所だけ観てきました。
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こちらは当時の全体図で、正式名称は「出島和蘭商館跡」と言うらしい。
出島は1634年江戸幕府の対外政策の一環として長崎に築造された人工島で、扇型をした土地の面積は3,969坪。周囲は2.7mの高い練塀で囲まれていました。
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ホテルから歩いて行ったものだから、始めは入り口もわからなくて、出島橋を歩いてしまいました。
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この場所からは、旧出島神学校、明治36年に建てられた旧長崎内外クラブ等が身近に見られます。
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15分の1のミニチュア出島の模型で、全体像も見られました。1820年ごろの出島を描いたとされる「長崎出島之図」を参考に再現したものとか。

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こちらが、1990年(平成2年)に復元された「表門」です。2017年には「出島表門橋」も架けられ、当時と同じく表門橋から入場できるようになりました。
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元の出島は、明治期の中島川変流工事によって削られた…川の中央付近まで位置していたと伺いました。
江戸時代には対岸の江戸町側から表門橋を渡るとこの表門があり、詰めていた探番(さぐりばん)が
出入りする人を改めていたそうで、この時も門前には黒っぽい着物を着たスタッフの姿がありました。
最初は適当に見学していたものも、、表門から出入りする人を監視するために出島の管理者である「乙名(おとな)」=「組頭」スタイルの歴史スタッフが説明しながら案内する「出島ガイドツアー」があると知って参加しました。
まずは「新石倉(総合案内所・出島シアター」で申し込みし、阿蘭陀通詞(オランダつうじ)による出島案内の映像での説明。その後はスタッフの解説を受けつつ、乙名詰所から見て回るコースです。
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「筆者蘭人部屋」、スパイスとして使用されてきた生薬「丁子」が出島にもたらされた「十六番蔵」=「丁子蔵」。
オランダ商館長(カピタン)の事務所・住居となる「「カピタン部屋」。
西洋と日本の文化・学術・貿易品が最初に出入りした象徴的な建物「水門」が最奥に。2つの通り口のうち南側は輸入用、北側は輸出用に使われていました。後ろのビルがホントに邪魔です事[あせあせ(飛び散る汗)]
皆さんよりどうしても遅れ気味となってしまう為、写真を撮っている時間はありませんでした[あせあせ(飛び散る汗)]
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考古館1階では、日本から西洋に伝わった磁器、逆に西洋から日本に輸入された陶器などの展示がされて。
幕末の商社の石倉であった旧石倉は、出島の発掘調査によって出土した遺物中心の展示。

考古資料の中には坂本龍馬と出島、海援隊と蘭商ハットマンの間において小銃の取引が行われたとあり。坂本龍馬と言えば「亀山社中」。貿易商社と言った意味で、後には「海援隊」となるのですが、龍馬が商談のため出島を訪れたこともわかりました。
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1500年代からの対ポルトガル貿易、江戸幕府はキリスト教の布教を阻止する為に市内に雑居していたポルトガル人を収容する目的で築造、25人の有力な長崎町人の出費により完成した。それが出島です。
1641年から1859年まではオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われました。 完成して200年もの間「出島」は、わが国で西欧に開かれた唯一の「窓」として日本の近代化へも役割を果たしてきました。
明治以降は長崎港の港湾整備に伴う埋立等により、扇形の人工島であった頃の面影は失われますが、日本だけではなく世界史上においても「出島」は貴重な歴史的遺産であって。。1922年「出島和蘭商館跡」として国の史跡に指定されているのでした。

グラバー邸のもうひとりの住人、グラバーの息子・倉場富三郎が、明治36年F・リンガーにより建立された建物。長崎の外国人と日本人の社交の場として利用された「旧長崎内外倶楽部」も残っています。
短時間に江戸から明治期の長崎の一端を垣間見ただけながら、近代日本への営みは興味深いものがありました。

しかし、ここで問題発生[exclamation] 私は歩くのが遅い。懸命に歩いても普通の人の3倍はかかります。
このペースでいったら、ホテルのチェックアウト時刻を過ぎてしまいそう。ホテルとの中間には、長崎中華街の店々、「北門」だったかな?もあったけれど、写真など撮っている場合ではありません。
そこで夫が「ホテルへは一人で走って荷物を取ってくるから、あなたは車の駐車場で待っていて」と。だけど、どうしましょう(@_@。慌てて出たものだから、スーツケースから出しっぱなしであった荷物をまとめていません。
ひとりで荷物を全て持ち、忘れ物をせずに来られるかしら?簡単に考えていた私の思慮の浅さ、詰めの甘さが出てしまった感じ。
それでも一緒だと足手まといになるだけ[たらーっ(汗)] ハラハラしながら、その姿が見えるのを待ちました。
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駐車場の真ん前には、「銅座跡」の碑が。
町の名前は江戸時代の享保10年(1725)、輸出用の棹銅を鋳造するために銅吹所が設けられ「銅座」と呼ばれた事に由来したそうです。
こういった状況では頼りになる夫さん、当然の事として嫌な顔ひとつせず普通にひとりで済ませるのは偉いなって感じるひと時でした。
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てんてん

僕の最後の職場は出島の近くで、毎日出島橋を歩いて出勤していました。
眼鏡橋のハートは、♡の石の右上に「i」があったのですが、気付きましたか?
「アイ・ラブ」(* ̄v ̄)ムフフフ・・・
よかったらhttps://tentennikki-2.blog.ss-blog.jp/2015-06-04
出島はゆっくり出来なかったようですね^^;
よかったらhttps://tentennikki-2.blog.ss-blog.jp/2017-12-23
hana2024さんの説明は凄いです!
by てんてん (2024-01-15 22:28) 

hana2024

てんてんさんへ
♡ストーンて、それ程の数があったとは!?
「出島表門橋」が架けられた際の開通記念、市民無料券での入場(爆)ですね^^
「組頭」スタイルの歴史専門スタッフさんの姿は、全く同じです。オランダ船などの説明もありましたけれど、時間が迫っていて途中で退席をしてしまいました。
そしてこの後向かったのは、以前ツーリングにハマっていた頃のてんてんさんの聖地「道の駅外海」なのですよ。

by hana2024 (2024-01-15 23:07) 

Boss365

こんにちは。
出島の知識、長崎の友人から聞いた程度なので・・・
「出島ガイドツアー」は有り難く、小生も確実にツアーに申し込むと思います。
「筆者蘭人部屋」や「カピタン部屋」はテレビで内部を見たことありです。
特に「カピタン部屋」は和洋折衷な感じな空間で興味深かった記憶ありです。
考古館を見るとパネルや展示あり、見応えありそうですね。
ところで「25人の有力な長崎町人の出費により完成した」ココ重要で・・・
「出島を賃貸物件」にして儲ける計算あったと聞いています(爆)多分?知らんけど。
ところで「ここで問題発生」の文字あり・・・
夫さん問題なく踏ん張った感じ、大変頼りになる夫さんです!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2024-01-15 23:20) 

hana2024

Boss365さんへ
こんばんは。
長崎のお友達がいらっしゃるのですか。…それでは長崎へ、行かなくっては!ですね^^
私のような問題を抱えていない、一般の方でしたら十分楽しめるガイドツアーかと考えます。
予備知識ゼロの状態と比べたら、充実した内容になりますもの。
>「出島を賃貸物件」にして儲ける計算あったと聞いています
仰る通りに、ハッキリとした金額は忘れてしまいましたけれど、オランダ側からは当時としては相当な金額が支払われていたとの事。この辺りは、ご確認を。
はい、こうした時は身体を動かすのも、積極的な姿勢で常に私のフォローをするのも当然としてますから、常に大いに助かっています。これから先もずっとも頼むわよ(笑)
by hana2024 (2024-01-16 00:12) 

英ちゃん

出島は行った事がありません(^_^;)
が、出島と言えば昔関取も居たよね(;^ω^)
by 英ちゃん (2024-01-16 00:49) 

marimo

一昨年の夏に長崎旅行をしたので、
出島のあたりはまだ記憶にも新しく思い出しながら拝見しました。
私が訪れたときは、一部工事中で、入れない場所もありました。
そうそう、このピストル憶えてます!
錆?で凸凹していたけど、ちゃんと残っているのがすごい。
眼鏡橋のハートはすぐに見つかったけど「i」は知らなかった~(笑)
by marimo (2024-01-16 07:07) 

hana2024

英ちゃんさんへ
出島はひとつの町、そこには畑も、鶏からラクダやゾウ、トラと言った珍しい動物もいたという事でした。

marimo さんへ
一昨年夏とは、まだ記憶に新しいところですね。
私は大浦天主堂に書かれていた・・・明治政府へと政権が変わっても、キリシタンたちへの迫害は極めて激しいものであった。つながれた信者たちは萩、津和野と言った土地へと連れていかれ、そこで死ぬような拷問を受けた…と言った部分でした。
♡ストーンの「i」、てんてんさんは地元の方なので当然ご存じですよ^^


by hana2024 (2024-01-16 08:15) 

溺愛猫的女人

朝井まかてさんの"先生のお庭番"を読んでから、ぜひ出島に行ってみたいと憧れてます。hana2024さんの記事を興味深く拝見しました。面白かったです。
by 溺愛猫的女人 (2024-01-16 10:38) 

まつき

15分の1のミニチュア模型、これは分かりやすくて良いですね。
最後、時間切れで写真が撮れなかったのは残念だけど、
旦那様の忘れ物無くチェックアウトのミッション、
待ってる方もそれは心配になっちゃいますよね。
無事のクリア、良かったです! 私なら絶対に何か忘れます。。。
by まつき (2024-01-16 10:39) 

ぼんぼちぼちぼち

出島には行ってないので、興味深く拝見しやした。
昔の町の再現、そぞろ歩きするのに楽しそうでやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2024-01-16 11:24) 

hana2024

朝井まかての「先生のお庭番」の存在、全くしりませんでした。
オランダ人ではなくドイツの人であったシーボルト。シーボルト関連の小説は何冊もあって、そのどれもが読んでみたいけれど、朝井まかての「先生のお庭番」は園丁から見たシーボルトと家族の物語。
大いに興味をもちました。

まつきさんへ
ミニチュア模型もながら、初めてのところで適当に見学をするのと、専門家の解説を聞いてでは、成り立ち、文化への理解が全く違います。
実は私、気持ちばかり焦ってお財布も忘れて、夫は二度も往復したと言う。・・・このアホさ加減!
その上チェックアウト時刻オーバーで、1000円支払いたくないですものね^^ 何かと思い出深い長崎の街となりました。

ぼんぼちぼちぼちさんへ
前回は私も、「出島」は車窓から眺めただけでした。
長い鎖国時代の日本において、ここ出島の果たした役割、ヨーロッパとの関わりが良くわかった気がします。
by hana2024 (2024-01-16 12:23) 

ミィ

出島近くのホテルだったのですね。
ガイドツアー、色々説明を聞きながら見られるのはいいですね。
hanaさんの説明も丁寧で大変勉強になりました。
それにしても、せっかくの街並みにビルが残念><
旦那様、やさしくて頼りになりますね^^
by ミィ (2024-01-16 16:10) 

snow

司馬遼太郎の竜馬がゆくを読んで以来の坂本龍馬好きとしては
出島 訪れてみたい場所なので参考になりました
それにしても旦那様素敵な方ですね(^^♪
レディーファースト!
大変なことをさらりとやってしまうところがカッコいいです(^^)/
by snow (2024-01-16 21:32) 

tarou

お早うございます、フラワーセンター(チューリップ)に
コメントを有難うございました。
フラワーセンターの春は早いです。
長崎出島にはたくさんの歴史が詰まっているので、
丁寧に見ていると何時間あっても足りませんね。

by tarou (2024-01-17 06:49) 

hana2024

ミィさんへ
出島近くのホテルと言いましても、普通の人が歩いても10分以上はかかる距離です。そこを夫は二往復も!トンだダイエットになってしまったような(><)
ガイドツアーで説明を聞きながら見られるのは良いのですが、だからと言ってツアー旅行には感化をしたくない、このワガママぶり(爆)
普段はだらしがなくて散らかし屋さん、常に文句ばかりの私ですが、こんな時だけはですね(^-^)


by hana2024 (2024-01-17 10:28) 

hana2024

snowさんへ
こんにちは。
司馬遼太郎氏の著作はどれも長編ゆえ、中々手が伸びない私。
それだけに読んだ後は、心に残りますね。
高知同様、坂本龍馬とは縁のある長崎、ここ以外にも未訪問ながら「亀山社中」跡もあるのです。
>レディーファースト!
…と言うより、ワイフファーストでしょうね^^
こうした状況ではカッコイイ! しかし普段の姿はカッコ悪い(笑)

tarouさんへ
こんにちは。
長崎県全体に、他と異なる歴史や文化があると感じます。
出島もユックリ、じっくり見学したら、2時間以上かかると言います。
チューリップの咲く季節が待たれてなりません。
by hana2024 (2024-01-17 10:39) 

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