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「家なき娘」エクトール・マロー著 [本]


家なき娘〈上〉 (偕成社文庫)

家なき娘〈上〉 (偕成社文庫)

  • 作者: エクトール マロ
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/02
  • メディア: 単行本



家なき娘〈下〉 (偕成社文庫)

家なき娘〈下〉 (偕成社文庫)

  • 作者: エクトール マロ
  • 出版社/メーカー: 偕成社
  • 発売日: 2002/02
  • メディア: 単行本


今日は、少々変わった本の紹介をします。

児童書で、フランス人作家・エクトル・マローの「アン・ファミーユ家なき娘」です。
子供向けの本「家なき子」はエクトル・マローの代表作ですが、そのの姉妹編のようなものかと考えます。

私が何時も本を借りに行く、地域の市民センター内の図書コーナー。
この本、そこで偶然にも目に留まり手に取ったものでしたが、数日で読んでしまいました。

フランス人の父とインド人の母を持つ少女ペリーヌが、この本の主人公。
ペリーヌは両親と共にインドから、父の故郷であるフランスのマロクールへ旅立ちます。
しかし先に父がボスニアで・・・続いて母も、娘の行く末を案じながらパリで息をひきとるのです。
マロクールに住む祖父ヴュルフランは大きな紡績工場の経営者です。
でも愛する息子が自分の意に染まぬ結婚をしたが為に、親子は絶縁状態でありました。

一人ぼっちになったペリーヌは母の遺言もあり、まだ見ぬ祖父を頼って祖父のいるマロクール目指し旅を続けるのでした。
いくらしっかりものとはいえ12歳の少女が、着のみ着のまま一人で旅を続ける。
マロクールへの旅の道中は悲惨そのものです。
パン屋のおばさんには持っていたお金を騙し取られて電車賃も持たないペリーヌはひたすら歩くのですが、食べるものどころか飲み水もなくて石を口に含んで喉の渇きを誤魔化したり、とうとう餓死寸前となってしまうのです。

力尽きて倒れた森の中でパリまで一緒に旅を続けてきたロバのパリカールに助けられ、古着屋・くず屋のルクリの手伝いをしながらようやくマロクールへ辿り着くペリーヌ。
しかし自分が受け入れられるかを心配する彼女は、すぐには祖父に会いに行きません。
「オーレリー」と名を変えて、その工場でトロッコ押しの仕事をするのです。

祖父の経営する工場で働くことを決めたペリーヌ。
工場での労働のあとには、休養する為にはベッドが必要となります。
友達となったロザリーの勧めで、最初の夜は工場労働者達が住み着いているアパートのような共同部屋で寝ますが。
一日中くたくたになるほど働いた後でも、ベッドとベッドの間は人が通るのもやっと。
居場所は借りたベッドの上だけと言う有様の中で、眠るのです。
ペリーヌとともに我々読者もここで、当時の労働者の生活、宿屋の実体を知ることになります。

私もあの当時のフランスの人々の暮らしがいかに不衛生であったか、劣悪な環境の宿屋での惨めなその日暮らしの有様を痛感しました。
一晩だけやっとの思いで過ごした共同部屋、そこを出たペリーヌ。
ずっと共同部屋にいたなら身体も休まらず、そのままで働く事が出来なくなったならば工場も解雇されてしまいますもの。
それはペリーヌにとっては、あらゆる希望が断たれるということです。

ペリーヌが自ら見つけた池のほとりの狩猟小屋で、自給自足の生活をするところ。
そこでのまるでおままごとの様な生活は、私も共に楽しみました。
何も生活道具を持たない彼女が、そこでは下着や靴までを自分で作ってしまうのです。
小屋の周りで茂っている葦を編んでその上には厚地の布を縫い付けて、素敵なエスパドリーユ(夏用のリゾートサンダル)を作り上げたばかりか、スープ用のお鍋、その時使うスプーンも捨てられていた缶を拾って作り出してしまう。・・・とここまで読んで、何時であったかは忘れたものの・・・この本は読んだ[exclamation]と思いました。
でもそれが何時であったか思い出せないのが、悲しいところです[がく~(落胆した顔)]

小屋では誰にも邪魔されることはない代わり、全てを自分で考えて、生活する事を繰り返さなくてはなりません。
英語が出来ることから工場の通訳となったペリーヌは、持ち前の賢明さを発揮して、彼を感嘆させ信頼を寄せられるようになってくるのです。

運命がペリーヌを祖父に近づけますが、そこには敵となる人物・テオドール、カジミール、タルエルと三人の手強い大人達がいる。
お坊ちゃんでだらしないテオドールやカジミール、有能なのでしょうけれど最も危険なタルエル。
この甥達二人とタルエルの前ではペリーヌは隙を見せないようにし、時はバカの真似までもしなければならなかったりする。
目的にむかって今は何をすべきか、ペリーヌには常に現実的な選択が必要なのです。
読者にはそれが、ここまで来てもさえの苦難と試練の連続とうつってしまいます。

ヴュルフラン氏はその莫大な財産と冷徹さゆえに孤独であったから、信頼できる人物がそれまではいなかった。
そんな彼に手を差し伸べるペリーヌ、彼女の優しさがヴュルフランを変えて、工場も変えていきます。
ここには、家族の存在の大きさが描かれています。

物語の最後、祖父のもとで幸せになるペリーヌ。
子供向けとはいえ、彼女の心理描写はきちんと描かれています。
しかし目的にむかって進むペリーヌには、年齢相応の子供っぽさはありません。
物の本質をしっかりと見極める目と、状況を把握する力が備わっているのです。

美しく聡明で、貧しい中でも上品に振舞うペリーヌの姿は、祖父だけでなく誰にでも受け入れられるもの。
危険な状況でも目の前に打開すべき道がすぐに広がるなど、安易なストーリーではあるものの、子供だけでなく大人もともに楽しめる物語かと思います[揺れるハート]
少女がひとりぼっちでも常に努力をし、最低の生活から自らの手で幸せをどう掴み取ったかが、良い意味で生き生きと描かれている本でした。

このお話は「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「小公女セーラ」などの「世界名作劇場シリーズ」の中でも放送されました。
フジテレビ系で放映されたアニメです。ここでは「ペリーヌ物語」となっていたそうです。

本屋さんや、図書館では、時にはこの本とのような思わぬ出会いがあります。
そこが楽しかったりして[グッド(上向き矢印)]
私がいわゆるベストセラーとなる本を敬遠してしまう理由も、こんなところにあるのでしょうか。
タグ:児童文学
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miyata

こんばんは。
フランダースの犬、母を訪ねて三千里、家なき娘といえば、思い出すと涙が出そうになります(^◇^;)
とくにフランダースの犬は小学校の時に学校から映画を観に行って、おじいさんとの暗くて貧しい食卓のシーンをすごくよく覚えています。
by miyata (2009-05-28 01:51) 

hana2009

miyataさん、こんにちは。
貧しくても困難にも負けず一生懸命に生きる、健気な子供達。
同時代の日本人の生活も、今では考えられないくらいに貧しいものでしたでしょう。
でもむこうの人たちの食生活は、日本よりシンプルです。
夜でもスープとパンだけとのテーブルを目にしますと、暗くて貧しいと思ってしまいますね。

私達の子供の頃は、学校からも映画を観に行ったものです。
書くと、年がばれてしまいますけれど・・・私が一番覚えているのは市川昆監督作の「東京オリンピック」。

個人的には、父の自転車の荷台に載せられて行きました。
まだ幼かった弟は一度で呆れられてしまいましたが、お利口さんの私はあの当時の大映作品、市川雷蔵、勝新太郎作品などはほとんど見たのではないでしょうか。
三船敏郎版の「無法松の一生」のシーン等も、鮮明に覚えているのです。
そうそう、まだアニメと言う言葉もなかった、「西遊記」も父が観に連れて行ってくれたのです。
by hana2009 (2009-05-28 15:10) 

hana2009

Baldheadさん、nice!をありがとうございます。


by hana2009 (2009-05-28 15:12) 

miyata

こんにちは。
ちょっとコメント欄をお借りしてf(^ー^;
私が学校から行った映画で一番よく覚えているのは砕氷船の宗谷丸が南極で氷に閉じこめられて動けなくなり、ソ連のオビ号が救出に来たときのニュース映画ですね。オビ号がすごくかっこよかったです。
それから題名は思い出せませんが、フランスかイタリアの街を背景にした、金魚鉢の金魚が映され、赤い風船がヨーロッパの街に飛ぶ映像作品。これも題名は思い出せませんが「どじょっこだのふなっこだの」という歌が歌われる美しい先生と生徒の物語です。筋書きはほとんど覚えてないのですが、やはり何か悲しい印象が残っています。
市川崑の東京オリンピックはよく覚えてます。アベベの息苦しいまでのアップなんかはちょっと感動ものでした。ずいぶん批判された映画でしたね。
映画で思い出すのは、中学生の時、田舎の名士の子だった同級生が突然映画に魅了されて親に内緒で隣町の映画館とフィルムを交換する運び屋のアルバイトを始めたのです。塾に行くと偽って。それで私もよく映写室でただの映画を見せてもらいました。この時に「キューポラのある街」をみていっぺんに吉永小百合のファンになりました(笑)。赤銅鈴の介の時から知っていたんですけどね。浦山桐郎は後に「私が棄てた女」とか記憶に残ってますね。加山雄三の若大将シリーズなんかほとんどただで見ました。
でもなんといっても当時の鮮烈な記憶は「戦争と平和」でして映画に魅せられた友人と高知市まで出かけて(これは私の田舎から行くのは大ごとだったのです)この大作を観ました。リュドミラ・サベーリエワの舞踏会シーンに背筋が凍り付くような衝撃を受けました。後にデ・シーカの「ひまわり」に出てましたね。
なーんて、あんまり映画にくわしくないけどhanaさんの東京オリンピックに触発されて当時のことをいっぱい思い出してしまいました(;^_^A アセアセ…
by miyata (2009-05-28 17:57) 

tonton

こんばんわ。

なんだか読んだ気マンマンになっています。
ペリーヌ物語・・・見たような気がします・・
画像さえ見れば内容思い出すような気がします。
画像を探してみま~す
by tonton (2009-05-28 20:56) 

hana2009

miyataさん、こんにちは。
そうでした。
まだテレビがそれ程普及していなかったせいでしょうか、映画の他にその時々のニュースも流されていましたね。
それがまた妙にリアルで、迫力があったのです。

「東京オリンピック」を観たと書いたものの・・・私は、映画内の細部まで覚えているわけではないのです。
ビルを壊すシーンがオープニングだったかと思います。そこから一転して、晴れ晴れとした開会式シーンへとの展開が、子供心にも鮮やかだと思いました。
その映画を作ったのが市川昆だと知ったのは、随分と大人になってからだと記憶しています。

私は「戦争と平和」は観ていないのです。
でも「ヒマワリ」は、高一か高二の時に観ました。
デ・シーカは、マストロヤンニとソフィア・ローレン主演で多くの映画を撮りましたけれど、この映画が最後くらいだったのではないでしょうか。
ヘンリー・マンシーニの哀切を帯びた映画音楽と、一面に広がったロシアの台地に咲くひまわり畑の印象が強烈でした。
実家の二階には、この映画のパンフレットがまだあるかとおもいます。
リュドミラ・サベーリエワは吹雪の中で彼を助けて、妻となる人の役でした。
あの映画では清楚な感じを受けましたけれど、miyataさんは彼女のドレス姿、踊るシーンに衝撃を受けられたのですね。

他の大作で評判の「風と共に去りぬ」「ドクトル・ジバゴ」は、あまりにもメロドラマめいたストーリーに対してがっかりしたものでした。

「キューポラのある街」も観ていないのです。でも、そこは私が生まれた街、母の実家のあったところでした。
母方の祖父を私は全く覚えてもいないのですが、そのキューポラの下で働いていた鋳物の職人さんだったそうなのです。
浦山桐郎はその才能を高く評価されていたものの、生涯で何本も映画を撮らなかった監督ですね。
その浦山桐郎も、市川昆も、マストロヤンニも今では鬼籍に入ってしまいました。

近頃の映画はあまりにも商業主義に走りすぎていて、イタリア映画でも何でも主演するのはハリウッドのメジャーな俳優達、話される言葉も英語ですもの、あまりにも画一的でつまりません。
思いがけずに、私も多くを語ってしまいました。この内容でブログが一日、書けたかもしれません(笑)
by hana2009 (2009-05-29 12:20) 

hana2009

tontonさん、こんにちは。
>なんだか読んだ気マンマンになっています。
ペリーヌ物語・・・見たような気がします・・

そうですか。ありがとうございます。
あの頃のアニメ・・・ジプリ作品を見てしまった後では、絵の出来が全く違ってしまっているから・・・
でも、私も懐かしいです。
宮崎駿も、高畠勲も、あの番組が原点となって現在があるのですから。
by hana2009 (2009-05-29 12:28) 

miyata

こんばんは。
ちょっとしつこくなりますけれど(;^_^A アセアセ…
舞踏会シーンで衝撃を受けたのはやはり可憐で清楚だったからだと思います。ひまわりに出た時、動機は彼女を観たくて行ったようなものです(笑)。それはかなり満足でしたが、映画そのものの面白さにも満足しました。
浦山桐郎の「私が棄てた女」は京都に出てきてから観た映画で下宿にみんなが集まって「浦山はなぜ映画でミツを殺さなければならなかったのか」なんて青臭い議論を延々とやりましたね。wikiで調べると夢千代日記を撮ってから死んでるんですね。
吉永小百合は伊豆の踊り子が好きでした。最近戦争や原爆のことを読み語る彼女は好きではありません。
by miyata (2009-05-30 05:44) 

hana2009

好きな女優さんを見たいがために映画を見に行く・・・miyataさんは魅せられてしまわれたのですね。
「ひまわり」は、ソフィア・ローレンの骨格のしっかりとした顔つき、険しい表情も印象的でした。
まだ子供の私から見たら、とっても大人の女性に見えました。

私が本格的に映画館通いを始めたのは、高校生になってからでした。
そこではじめて見た映画は、「禁じられた遊び」のブリジット・フォセーが大人になって出演した 「さすらいの青春」と言う映画です。
彼女は主人公達の永遠の女性に扮して、幻想的な映像が続いた事を思い出します。

大恐慌時代のアメリカで次々と銀行強盗を重ねたボニーとクライドの物語「俺達に明日はない」では、あの有名なラストシーンに、ウォーレン・ビューティーとフェィ・ダナウエーに痺れたものです。
後に荒井由美が映画を元に曲を作った「イチゴ白書」や、「小さな恋のメロディ」、他にマカロニウェスタンなんかもいくつか見ましたね。

by hana2009 (2009-05-30 13:51) 

hana2009

忘れてならない作品に、マイク・ニコルズ監督の「卒業」があります。
映画のテーマ曲は、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」。
教会まで駆けつけたダスティン・ホフマン=ベンジャミンが、キャサリン・ロス=エレーンと一緒に教会を飛び出すシーンは永遠の名シーンで、よくパロディにも使われたものです。
「栄光のル・マン」を見て、スティーヴ・マックイーンのかっこ良さに参った私は、あの映画のポスターを部屋に張ってしまいました。「荒野の七人」「大脱走」は何度テレビ放送されても、見てしまいます。

田中絹代から始まる「伊豆の踊り子」・・私の時は、内藤洋子主演のものだったかと思います。
「私が棄てた女」は遠藤周作の原作の小説が映画化されたものかと。
つい最近は酒井美紀で、題名は違うものの映画化されました。
by hana2009 (2009-05-30 14:02) 

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