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福岡・山口紀行・・・⑱最後は福岡城址 [2017・10月九州・福岡~山口]

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最後に訪れた「福岡城址」は、福岡藩黒田氏の居城であったところ。
福岡城は黒田官兵衛・長政親子により築かれ、江戸時代を通じ長らく黒田氏の城とされてきました。
規模としては九州一の巨城で、同じ九州の熊本城よりも広大な敷地をもつ城でした。築城の名手と謳われた…加藤清正もこの城の出来を高く評価したと言われています。
城跡の大半は現在「舞鶴公園」として、隣りに位置する「大濠公園」は当時の外堀を整備したものだそう。
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天守台からの眺め、博多の街を一望す。。

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ヤフオクドーム、国内最大級の客室数のホテルヒルトン福岡シーホーク、福岡タワー・・・と見渡せました。

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重要文化財に指定されている多聞櫓←撮り忘れました。・・・のほかに大天守台跡、祈念櫓や名島門などの遺構が残り、当時の様子をうかがうことができます。
しかし予備知識ゼロで訪れたものだから、ロクな写真がありません[あせあせ(飛び散る汗)]

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・・・対して現在・・・見上げる空。福岡空港の近さより、上空を頻繁に行きかう航空機の多さ。
官兵衛がもし、この博多の光景を眺めたら・・・どう思うでしょう!?
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※城と言うと・・・、白漆喰でぬられた建物=天守等に目がいきがちながら。。
その実、城作りの難しさの7~8割は「縄張り=設計図どおりに建物の配置を決めていく作業」と「石垣」にあると言われています。
建設候補地の選定・測量をし、堀の位置、石垣の高さと言った城の土木工事に関した設計図を描く。この作業の出来不出来で城の価値が決まるとまで。
築城の中で一番時間と費用がかかるのは石垣積み、その為初期の頃は自然の地形を利用して作られたところが多かった…との説に納得。

雑草と、可憐なノコンギクが乱れ咲く…朽ちた石垣を目にしながら。。往時の城造りにかけた知恵と努力のあとを偲ぶ。なーんて、それ程深い知識は持ち合わせておりません事よ。


大中小の各天守台と約50の櫓がありましたが、現在重要文化財に指定されている多聞櫓や潮見櫓、下之橋御門、祈念櫓などが保存。大天守台は展望台になっていて…意外にもここでは日本人より外国人の方が多いくらいでした。
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400年の時を経た今も、都会の真ん中に巨大な城郭が遺され続けている風景。・・・と言っても、広大な敷地内のほんの一部だけ、全ては見切れませんでしたが。。

豊臣秀吉に天下を取らせた二人の軍師と言えば、黒田官兵衛と、竹中半兵衛。
秀吉が成しとげた天下統一の道のり・・・大きな貢献をした「二兵衛」と呼ばれた名軍師・黒田官兵衛、竹中半兵衛の偉業を抜きにしては語れない。互いを認め合い信頼し合って、秀吉の天下取りを補佐した・・・半兵衛と官兵衛。
中でも黒田官兵衛はヒーローであり、人気の高い人物です。そんな藩祖・黒田官兵衛=黒田如水が築城に関わった最後の城・福岡城跡を観て、福岡の街と別れる事としました。
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