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ウェルカム・ウェルカム・・・その①「「白河の関越え」&白河ラーメン [2022・8月夏休みラスト 福島県猪苗代]

[ダッシュ(走り出すさま)]冷めない甲子園熱の余波により 「白河の関」が大賑わいを見せている。
・・・そこで7月旅よりも記憶に新しい内、先にこちらを書いてしまいますね。

「全国高校野球選手権大会」、仙台育英高校の優勝により一躍注目、人気も高まって・・・福島県白河市「白河の関」へも連日、大勢の観光客が訪れていると言う。
歴史好きの間でのみ、馴染みある史跡であった「白河の関」。
それが「白河の関越え」の言葉により、俄然注目を浴びてしまったのは、繰り返されるテレビ放送の恐ろしさ!!
しかしその中の大多数は、「白河の関」がどこにあり、現在どうなっているか知らずにいるではなかろうか?
・・・かく言う私自身も福島との県境近くであるし、何時でも行けるからと今回が初めての訪問でありました。そう、ブームにのって行っちゃいました[あせあせ(飛び散る汗)]←ミーハー、おバカでしょう(@_@;)
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深紅の優勝旗が初めて白河の関を越えた、初の週末となった8月27,28日。
白河市の国指定史跡・白河関跡にある白河神社は、優勝記念の御朱印を求め長蛇の列が見られたとの事。

その前日でした、栃木県内伊王野地区を北上。
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※みちのくの玄関口「白河関跡」は、旧・東山道(とうさんどう)の関東最北端の追分地区にあり、福島県白河市と境をなす峠上にある。その為この地は「境の明神」とも呼ばれます。

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奥州三古関に数えられた、奈良から平安頃の国境の関。奥州三関のひとつであったこの場所で、人や物資の通行を取り締まっていた訳だが、律令制の衰退とともに関所の機能も失われました。

その後の「みちのくの玄関口」は、都の文化人の憧れ、和歌が詠まれる名所へと変わり・・・。
松尾芭蕉は「奥の細道」で白河関訪問を「 心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定りぬ・・・」感動の一文として残しました。
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木の蔓が斜めに参道を横切り、その背後に鳥居がある。鳥居をくぐり参道を上ると社殿となる。
苔生した石段や境内の木々が歴史を感じさせる、白河関跡内に鎮座する「白河神社」。
特別史跡名勝天然記念物に指定される境内であるが、他に人の姿がなかったら到底神社まで上がろうとは思わないだろう、静寂に満ちた境内社殿までの厳しく寂しい道のり。
次々に訪問者がいる中さえ、上がらなかった私でした[たらーっ(汗)]
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白河藩主松平定信が調査をした寛政十二年、白河の関の場所を定めて「古関蹟(こかんせき)」の碑を建てました。
奥州三大関所とは、鼠ヶ関(ねずがせき)と勿来関(なこそのせき)とあります。

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下の社務所で「御朱印」のみを拝受して参りました。現代人である私は先人たちに倣った、意を決しての白河の関越えとはなりません[バッド(下向き矢印)]
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御朱印は、書置きのみ(300円なり)。白河神社、白河の関と選べました。

2004年北海道の駒澤大学附属苫小牧高校が、東北・北海道勢として初優勝をとげていますが、白河の関でなく津軽海峡を越えた為「津軽海峡越え」と言われたのでした。

早めのお昼は、白河の関すぐ側の「手打中華やたべ」さんで。
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ここを訪れてきた皆さん、白河の関見学⇔白河ラーメンと、同様のパターンの様でした。
幸い混まない内に、着席を。
最初に驚くのは御通し的に出される、スープをとったあとの鶏ガラ?サービはアイディアもの、お箸ですぐにほぐれる柔らかさ。好きな方はたまらないと思うものの、個人的には少し苦手[バッド(下向き矢印)]
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ツルツル、モチモチ食感のピロピロ麺、濃いめの醤油スープにほうれん草、叉焼、メンマ、なると、海苔、ネギと王道の白河ラーメンでした。
小さな漬け物も付いて、普通のラーメンが750円と、コスパは良いと思います。
手際のよいテキパキとした接客で、待ち時間も気にならない程度でした。
この日は特別ながら、お客さんは地元白河の方が多い印象、地元民に愛される白河ラーメン[るんるん]
休日ともなれば、12時半前後で売り切れとなる人気店だそうです。
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