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花散歩、四国旅・・・⑩それは四万十川 [2015・4月滋賀・岡山・四国4県・広島・京都]

四国へ行ったら、訪れたい場所があった。
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それは四万十川。
それから川の上へ、浮かぶように架かる沈下橋にも興味があったのだから。。
高知県内を流れるこの川は、誰もが知る四国を代表する河川であり。・・・鮎や海苔など川から獲れる産物からも知られる・・・日本最後の清流と言われてます。


・・・と、その前に。高知市街近郊を流れる・・・仁淀川を渡ったのが先でした。
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仁淀川を舞台とした文学作品で名高いものに、昨年亡くなられた宮尾登美子さんの一連の自伝小説があります。「櫂」「春燈」「朱夏」「仁淀川」等。
父親の生業を嫌って家を出た作者は代用教員として仁淀川町で教壇に立つ。そこで出会った最初の夫。
生まれたばかりの娘と、彼に伴われて満洲へと渡ったのだが・・・。
間もない敗戦、乞食同然の姿となっての引揚げ体験を描いた「朱夏」。最初に手にしたのがこの本、宮尾作品との出会いであったと思う。
農家の主婦として遅い作家生活のスタートでありながら・・・その生涯には、大河ドラマともなった「天璋院篤姫」をはじめとする、歴史に弄ばれる女性の姿を描いた歴史小説も書き続けました。

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そして黒潮町の、「カツオふれあいセンター 黒潮一番館」に到着。
ここまでの道中「道の駅かわうその里すさき」も通ってきていたけど、朝ご飯で鮎めしを食べてきたばかりでしたので。。。

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前夜に続いて、お昼ご飯はまたもカツオのたたき。
こちらでも、柵切りしたカツオを藁焼きする様子が見られたものの・・・藁だけに火を付けたら、燃え尽きるのはホンの一瞬!私のような素人カメラマンが写真に撮ろうと思っても、到底間に合うものではございません。。
夫は、カツオのたたき定食。私はカツオのたたきに、カツオの入ったチマキを食べました。
カツオの町、中土佐で食べる本場のタタキは、またも美味しかったのは確かながら・・・。個人的にはジューシィーさでもって明神丸さんの方に軍配が上がるかな?

黒潮一番館魚介・海鮮料理 / 土佐佐賀駅

昼総合点★★★☆☆ 3.0



黒潮洗う海岸線。
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土佐湾を横に見ながら・・・県の西部エリアを走る。
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道中には甘くて懐かしい味わい、高知の「塩芋けんぴ」を食べていた。・・海を眺めていたら・・・・時がゆっくりと流れていく感じが強くしました。
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高知から先はどこでもそうであったけれど・・・通りを静かに歩いていく、お遍路さんの姿が・・・この通りは特に目立っていました。

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それは一人であったり、ご夫婦であったり、欧米系の外国人であったり・・・。
遊んで歩くのは好きだけど、あのように地道に歩くといった心境にはまだならない私は、「あ!、またお遍路さんが歩いてくる~~」などと、俗人ぶりを発揮するのみ。。
でもあの一歩一歩イコール、この風土にじかに触れ合う事。感じる空気そのものもきっと違うものなのでしょう。
直木賞作家の坂東坂東眞砂子が、生まれ故郷である高知県を舞台として、四国八十八箇所のお遍遍路、土俗的な信仰を題材して発表したのが「死国」。
その後発表した・・・「死」と「性」を主題にした作品群、「くちぬい」も題材は同じく四国からとったものでした。

そうする内にだんだん気持ちよく晴れてきて・・・、絶好のドライブ日和となりました。
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佐田沈下橋からの眺めです。
沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のことです。

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新緑の山々に青い四万十川の流れ。そして沈下橋という風景は、もっとも四万十らしい風景でしょう。
空と 緑と、清流とのコントラストが鮮やか。煌めく水面。

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沈下橋を渡ってみた。平日であったこの日も訪れる人は多く、そこそこ賑わっていました。
ちなみに・・・四万十川には22もの沈下橋が架かっているとの事です。

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河口からいちばん近い、市街地に最も近いのが佐田の沈下橋。
四万十川最下流で最長の沈下橋だけに、観光客にも最も馴染みある沈下橋であると言われています。

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徒歩で渡った後は、車に乗って橋を渡ってみる。目の前に広がる景色を眺め、気分は爽快。 
水中に沈むように設計された橋は・・・現在でも、普通に生活道として利用されています。周辺では川エビやウナギ漁などの船もありました。
夏場の橋は、子供達の遊び場としても活躍!橋からの飛び込みシーンは、誰でも一度は目にされていると思います。

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ナビになくて探してしまったのが、江戸時代に作られたと言われる「安並水車の里」でした。
四万十川の支流後川の麻生に分水目的の井堰を作り、秋田・安並・佐岡・古津賀の四ヶ村を灌漑するために作られた・・・四ヶ村溝。
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この溝より田園風景にカッタン・コットンと水田に水を汲み上げるため、何基もの水車が設置されていました。
田に水をくみ上げるため、土佐藩の家老であった野中兼山が開発。現在では水田に水を汲み上げている水車は数基しかなくなり・・・。
それだけに、観光用に設置された水車は・・・地元の方たちの管理により維持されている様子が伺えました。
初夏の頃ともなれば、水路沿いに植えられた紫陽花の花が、ご覧の光景に色どりを添えているとのことです。
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