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紅葉じゃない、京都・・・⑤「舞鶴引揚記念館」、ハクレイ酒造さん [2016・10月京都・丹後半島]

大陸に近い日本海側に位置するだけに・・・歌謡曲「岸壁の母」、引き揚げのまちとして知られるのも舞鶴です。
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この地は昭和20年の終戦以来、66万人あまりの引揚者と1万6千柱の遺骨を迎え入れてきました。
敗戦から25年を経た昭和45年、平和への願いを後世に伝えようと・・・舞鶴の引揚港を見下ろす丘の上に「舞鶴引揚記念公園」がつくられました。http://m-hikiage-museum.jp/

以下、コピペとなってしまいますが・・・・。
昭和20年8月15日、ついに終戦を迎えた日本が復興へと新しい第一歩を歩み出した一方、終戦後もさらに過酷な重労働を強いられた人々がいました。
旧満州をはじめとする中国、樺太、千島などに残された人々で、その数、兵隊350万人、民間人310万人のあわせておよそ660万人ともいわれていました。
舞鶴港への引揚は昭和20年10月、祖国をめざす人々を乗せて、引揚第一船「雲仙丸」により2100人の引揚者が入港したのを皮切りに・・・昭和22年に旧ソ連からの引き揚げがピークを迎え、約20万人が83隻の船で運ばれ舞鶴の地を踏みましたが。。
昭和25年、旧ソ連で捕虜となり極寒のシベリアで抑留されている人々は帰国がままならないまま、ソ連からの引揚が中断しました。
引揚事業が再開された後は舞鶴港だけが国内唯一の引揚港として、引き続き引揚者を受け入れました。
昭和33年に最後の引揚船「白山丸」に乗った引揚者472人が日本の土を踏んで・・・ようやく舞鶴港でも引揚事業は完了。
最終的に舞鶴だけで66万余人もの引揚者を受け入れたことになり、終戦から13年。舞鶴は最後まで引揚者に手を差し伸べました。

記念館1.jpg
「岸壁の母」の歌の元となった端野イセさんの半生、戦争が狂わせた母と息子二人の人生です。
抑留中に皆で飼っていた犬が、流氷に飛び乗って人々を追ってきた・・・ シベリアからやって来た犬クロのエピソードなど。。
シベリアで着用したコートなど防寒着をはじめ、引揚證明書などの文書類など。全国から約1万2千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示がされています。


宿泊先である宮津の宿へ行く前に、少し寄り道を。
京都・丹後の造り酒屋「ハクレイ酒造」さんです。
眼前に日本海、後ろには大江山連峰由良ヶ岳と、海と山にはさまれた風光明媚な・・・丹後由良。
古くから営みの続く民家、小さな路地の先。
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家並みに違和感なくマッチした1832年創業の歴史ある建物、蔵が建ち並ぶ様子はとにかく立派です。
時間が遅かった為、見学はしませんでしたが・・・ 江戸時代から続く伝統の酒蔵であると、一見しただけで納得しました。

ハクレイ2.jpg
ハクレイ酒造には看板銘柄として、酒蔵の名である「白嶺(はくれい)」。もう一つの看板銘柄として「酒呑童子(しゅてんどうじ)」があるそうで・・・。
酒呑童子とは、大江山伝説に登場する。平安時代の京の都で財宝を掠めたり、女性を略奪するなど、悪行の限りを尽くしたと伝えられる鬼の頭領。
その「酒呑童子」シリーズから・・・「純米吟醸 酒呑童子 紅葉姫 ひやおろし」。
それから「すっきり白嶺 辛口」の二本を買い求めてきました。
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「紅葉姫」は息子と呑んでみましたら・・・香りが良くて、口当たりが軽い。、丸みのある優しい味わいのお酒に感じられました。

続きます。。
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