SSブログ

初冬の長野路・・・②上田市「眞田神社」 [2021・12月長野県・上林温泉]

これまで数えきれないほど足を運んでいた、信州の玄関口でもある上田市です。上田駅前と言えば、母の好きな銘菓「みすゞ飴」の飯田商店ばかりでした。
飯島商店本店の裏、工場の並びにある上田城址を知ってはいたけれど。。
上田城は日本全国に名を馳せた真田氏の居城であっただけでなく・・・真田氏、仙石氏、松平氏と城主が移りかわった歴史を併せもつ城だから。
        真田神社1.jpg
上田盆地のほぼ中央に位置する城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城。堀と土塁で囲まれて石垣を使った簡素な城ながら、武田家が残した旧領をめぐり徳川・北条・真田の三家が争った「第一次」「第二次の上田合戦」で徳川の大軍を撃退し、天下にその名を轟かせました。
真田神社2.jpg

しかしその後の「関ヶ原の合戦」は真田家の存続をかけて、長男・信之は徳川側へ。
次男・信繫(幸村)と、父・昌幸は西軍である豊臣側についたのでした。
豊臣家の敗北により、ふたりは紀州(和歌山)九度山へと配流となってしまいます。
上田城も破却され、藩主・長男信之も信州松代へ移封となりました。
その後仙石氏により城は再興され、近世後半には松平氏の居城となります。

※信繫=幸村は九度山を脱出して大阪城へ入場。冬の陣では城の東南隅に出城「真田丸」を築き、徳川軍を撃退。
翌年の「大阪・夏の陣」では、真田軍を率いて徳川本陣へ突撃。家康をあと一歩のところまで追いつめたものの、最後は討ち死してしまいます。
豊臣家は滅びましたが、敵からも一目置かれた信繫=「真田幸村」の活躍は「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」とは語り継がれてきました。

かつての本丸には櫓門2基、櫓7基とありましたが、現在櫓3基と櫓門1基を見ることができます。また石垣や土塁も到る所に残されています。
        真田神社3.jpg
城跡まで上ったら、櫓門(東虎口櫓門)が見えてきます。櫓門の手前、右側にあるひと際目立つ巨大な石が「真田石」。真田信之が松代移封の際に父の形見として運ぼうとした巨石は、不動であったとの伝説まであると言います。

真田氏の築城より400有余年。歴史探訪を楽しんだひと時。
        真田神社4.jpg
「上田城跡公園」内には、真田父子、歴代上田藩主を御祭神とする「眞田神社」があります。
徳川軍を2度も破った「不落城」にあやかって、受験生に人気の神社とか。

真田氏発祥の地として、上田城の正面の門からまっすぐに位置。
千曲川の河岸段丘上に位置する見晴らしの良い立地ゆえ、敷地内からは、上田平、塩田平方面と遠望できました。
        真田神社5.jpg

    真田神社6.jpg
鳥居をくぐり、参道をまっすぐ進んでいくと拝殿です。まず参拝させて頂きました。

上田城跡公園は真田の軌跡をたどり、戦国武将たちの野望や歴史ロマン…に浸れるのみならず(^-^) 四季折々の光景も美しく、オールシーズン楽しませてくれるのではと感じるのでした。

上田城のお堀では、かつて上田温泉電軌(現 上田電鉄)の真田傍陽線が運行していたと記されています。
上田から別所温泉までを結ぶ2両編成のローカル鉄道、上田電鉄別所線は「丸窓電車」と呼ばれる旧型の電車が知られていました。
40年ほど前の別所温泉への家族旅行では、車からあぶれた弟がひとり、丸窓電車でやって来た・・・そんな想い出が蘇えりました。
その後の別所温泉駅敷地内で、車両展示も目にしています。
敷地内から二の丸通りに出てすぐの場所に、信州蕎麦の名店「草笛 上田お城前店」がありました。

真田神社7.jpg
戦国のヒーロー「真田幸村」にあやかった観光スポット、幸村を前面に出し過ぎと強く感じたものの・・・。 

        真田神社8.jpg
選べる御朱印の中より…直書される12月の通常朱印、限定朱印特別紙・黒と、拝受して参りました。黒を背景に白は雪でしょうか、カッコ良い御朱印が嬉しい[グッド(上向き矢印)]
「信州の鎌倉」と呼ばれる別所温泉は多く足を運んでいただけに、御朱印も拝受する機会はあった訳ながら、これもひとつの「縁」と言うものでしょう。

年内の更新は、これにて最後とさせていただきます。
本シリーズは、これからが本番ながら・・・それは年明け後に。
今年も一年間、何時も温かな目で見て下さって、お礼の申し上げようもございません。
どうぞ皆様、良い年をお迎え下さいませ。
thanks(79)  コメント(32) 
共通テーマ:旅行